ふたりだけの真理H〜兄を愛した女(ひと)

 

 

 

 

 

 その女性は、『たおやか』とか、『可憐』とか、『清楚』とか、そういった形容を片っ端からことごとく蹴散らして公道のど真ん中を雄々しく闊歩するような・・・、自他共に認めるフェミニストであり、人一倍強い庇護欲を持つこの僕でさえもが『護ってあげたい』なんて思うことすら憚られるような、そんなタイプの人だった。

 

 

 

 朝の一件にようやく収拾をつけると、ほぼ1時間遅れで予定していた課題を順次片付け、昼食がわりに以前となりの部署の女の子からもらった紅茶葉入りのクッキーを齧りつつ、今現在僕の統括するチームで取り組んでいる研究議題のレポートに目を通していたときだった。

 

「エルリック主任!お客さんですよー。女性の

 「「「「「おお           !!」」」」」  

 

この部屋の末席の地位にいる実質雑用係の若い研究員が、“女性の”のフレーズにだけ妙に他意を感じさせるアクセントをつけて言って寄こすと、途端に研究室内が色めき立ち、おなじみの下品な野次が飛び交う。

 

この研究チームには小さいながらも一応独立した一室があてがわれていて、僕を筆頭に10人ほどの研究員がここで日々、様々な実験やら練成理論の論文作成やら統計データの集計やらに励んでいる。そしてこの研究チームの最大の特徴といえば、よくも悪くもその年齢層の低さで、下は17歳から上はせいぜい24.5歳といったところ。大体にしてチームリーダーのこの僕でさえ今年でやっとこ23歳になったばかりだ。つまり中・高年齢層を中心に構成されている他の部署と違い、ここだけがまるで大学のゼミナールのような雰囲気なのだ。そしてまた色気のないことに完璧な男所帯のため、研究に勤しむ傍ら、日々日常が所謂下ネタの応酬、といった具合で、実は今朝の騒動の規模拡大の裏にはこの研究チームの面々の貢献があったのではないかと僕はにらんでいる。

とにかく、わざわざご丁寧にも来訪者の性別まで、必要以上に声高らかに報告してくる部下の頭を拳で軽く小突く振りをしつつ、引き戸の外へと顔を覗かせて見た。

 

「ああ!アルフォンス=エルリックさんですね?初めまして。私、すぐこの下のフロアの統計データ管理部門に所属している者で、エドワードさんとお付き合いさせてもらってます、マイラー=フォーグルと申します」


「・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

あまりの事に意表をつかれた僕は、初対面の女性に対し、お世辞にも礼儀正しいとはいえない第一声を返しつつ、相手のその様をさらに失礼な事にまじまじと凝視していた。

世間一般の『女性』という規格や概念からことごとく外れたその堂々とした来訪者は、180センチを超える僕と大差ないだろうその長身で、まず僕の度肝を抜いた。黒い髪を頭の後ろできっちりと一纏めにした実用一点張りの、いっそ潔いまでに色気のないヘアースタイル。ふっくらしたほほに、金色掛かった薄茶色の瞳は表情豊かで、人情味あふれる大ぶりな厚ぼったい唇にはきっとリップクリームさえ塗られていないだろう。その飾り気のないチャコールグレイのスーツの上からでもそうと見て取れるほどに筋骨逞しい、おそらく相当に鍛え上げられた肩の線や、辛うじて女性の端くれであることを主張するスカートの裾から抜き出る脹脛の逞しさは実に圧巻で、かのアームストロング氏を彷彿とさせた。

その彼女が発したあるフレーズを、僕はインパクトあるその容貌に目を奪われるあまり、あやうく聞き逃しそうになっていた。

 

「あの・・・・。『お付き合い』と、いいますと、ええ〜と・・・ミスフォーグル・・」

「マイラーで結構ですよ。ええ。お兄さんのエドワードさんとは半年ほど前から、恋人としてお付き合いしています」

 

なんてことだ・・・・!確かに兄だってもう24歳にもなる立派な成人男子だ。当然異性との付き合いぐらい多少なりともあるだろうとは思っていたが・・・・・この事実は、まさしく驚愕に値した。兄本人には、口が裂けても言えないが、紛う方なき“蚤夫婦”なこの取り合わせには、僕でなくても唖然とするだろう。


 それにしても、よりによってこのタイミング、である。朝の騒動が一段落ついた後の、あの兄との遣り取りで、僕たち兄弟の関係性が大きな変化に向けて動き出そうとしている、まさに重要なプロセスに差し掛かっているこの時期に、なぜこんなライバルが僕を訪ねてやってきたのか。その来訪者の意図を、おぼろげながらも汲み取った僕は、彼女を別棟にある研究所の関係者用の喫茶室に誘った。

 

 

 

 彼女がその豪胆な容貌に似合わず控えめな性格をしていたのかと問われればそれは否で、喫茶室のテーブルにつくなり“何かコーヒーでも・・・・”と僕が口にする暇さえ与えず剛速球を投げてくる男っぷりのよさは、尊敬に値する。

 

 「アルフォンスさん。あなたは、自分の兄であるエドワードの事を愛しているんですね」


 しかも疑問形ではなく、はなから断言しているところが益々格好いい。

 
 「それは当然。唯一の肉親ですから、もちろんとても愛しているし、とても大事な存在ですよ?」

にっこりと笑って、とりあえずここははぐらかす方向でいこうかと考えつつ、僕は彼女の表情に何の含みも感じられないことに気が付いた。

本来、兄を挟んだ三角関係のライバル同士である僕に(僕たちが兄弟で同姓であることはこの際置いておく)普通ならばありそうな攻撃的な態度や目線を寄越してくる素振りがまったくないのだ。どういう訳かは不明だが、おそらくはじめから彼女の中には僕に対してのマイナスな感情がないらしいと踏んで、回りくどい対応は不要と悟るなり、こちらも直球で返す事にした。

 

 「ただ、あなたのおっしゃるように、僕が兄を特別な感情で愛していることも事実です。今朝の僕が兄にしたあの行動を見ていたんですね?ミスマイラー」

 と、言外に僕が兄に対して施した濃厚な行為を指しながら言いつつ目線を向けた途端、バッと音がするような勢いで顔を逸らされて、さすがにこれは拙かっただろうかと心配した。幾らなんでも、仮にも未婚の女性相手に無神経だったかと思っている僕の目の前で、彼女は宣誓をする競技前の運動選手のようにその手のひらを頭上に揚げ「暖かいコーヒーをここに二つ!」と、なんの前触れもなしに大きな声でオーダーしている。
 ・・・・・・・・なんとも独特の“間”を持つ人だ。

 

 「失礼。コーヒーでよかったんですよね」と、オーダーしておいてから確認してくる彼女に、とうとう僕は耐え切れず笑いをもらしてしまった。

 
 「し・・・・、失礼。・・・というより、きっと僕たち同年代でしょう?堅苦しい言葉遣いはやめてもっと普通に話してみない?」クックックッ、と喉の奥から湧き上がってくる笑いの衝動を抑える事は難しく、ここはいっそ砕けた雰囲気にしてしまった方がお互い話がしやすいと僕は感じたのだ。その僕の意図をすんなりと受け取ると、相手も本来の話し方だろう口調で、さばさばと僕にかえしてくる。

 
 「そう?そうしてくれると非常に助かる。わたしも堅苦しいしゃべり方はどうも苦手でね」

 「ええと・・・・、マイラーと呼んでも?」

 「もちろんかまわないよ。アルフォンス。        で、早速打ち解けたところで、本題なんだけど」

        のっけから本題だったような気もするが・・・・・・。
 
 とにかく彼女がそう前置きをして僕に話してきたのは、およそ次のような事柄だった。  

  

 

 2人が知り合ったきっかけは、彼女が所属する武術や体術を学ぶサークルに、特別な段位こそ持たないけれど体術全般に長けた兄が指南役として呼ばれていった事が始まりで、サークル活動後などに、何度かお茶や食事に出掛けるうちに兄の方から切り出してきたそうなのだ。『ちょっと、俺と付き合ったりなんかしてみねぇ?』そんな調子で。
 自分の逞しい容姿に十分自覚のあった彼女は、これまた成人男子相応とは言い難い見目麗しい容姿の兄からそんなふうに言われて「本気で冗談だと思ったわ」と、それはもう可笑しそうに笑った。
 そしてその見事なまでの凸凹コンビっ振りながら、そこそこ普通の恋人同士としての関係を続けていたらしいこの半年間、いつしか彼女は気がついたのだという。恋人である兄が、自分のその瞳を見つめてくる瞬間にだけ時折みせる表情に、何か懐かしいものに思いを馳せるような寂寥の色や、狂おしげな情動を耐え忍ぶが如く切ない色が含まれている事に。

 そして、それとまったく同じ表情で弟である僕を見つめる恋人の姿を度々見るにつけ、次第にその疑念を確信に変えていったのだと、その時初めて女性らしい笑みを浮かべて彼女は言った。

 



 「君を見て、私はすぐに分かったわ」

 

  大切な何かを手放す時の諦めにも似た感情を滲ませている彼女と、その前に座っている僕は互いの視線を合わせたまま、しばらく無言でいたのだが           。

 

 ・・・・・・・・・やがて僕は、それに気がついた。

 

 

  瞠目する僕に、彼女はまるで母親のような慈愛に満ちた表情を浮かべて頷くと、

 「きっと、エドワードはまったく自覚していないと思うけどねぇ」そういって、少し寂しそうに笑った。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・そう。彼女のその瞳の色は、僕のそれと、まったく同じものだったのだ。

 

 



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