ひかりへと続く扉2-G〜幸せ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よおアル、随分と御執心なんだな。今日もここだったのか」

 

異性に夢中になっている弟をからかう兄の口調でアルフォンスに声を掛け、その隣にいる、寄り添うような姿勢でアルフォンスの膝の上にある本を覗き込んでいたサーシャへと目をやった。前に病院で目にしたときよりも格段に顔色が良く病の影を匂わせない明るい雰囲気を纏った女は、さらにその美しさを増しているようにも見え、弟と並ぶとまるで絵に描いたように似合っていた。俺はその様子にごく自然に笑みを浮かべ、サーシャに話しかけた。

 

「良かった。随分と良くなっているようですね。顔色がとても良い」

 

するとその俺の言葉に、以前は見せなかった反応を返してきた。それまで微笑を湛えていた静かな表情を満面の笑みに塗り替え途端に上気させた顔を俺に向けると、驚くくらい大きな声でまくし立てるように話しだした。

 

「ええ、ありがとうございます。日に日に良くなっていくのが自分でも分かるの。エルリックさんがお力を貸してくださったお陰で私こんなに元気になることが出来たのよ。今日はおじ様に御用があっていらしたのかしら?そのついででも、たずねてくださってとっても嬉しいわ」

 

「サーシャ、そんなに息急き切って話したら体に障るよ」

 

こちらに歩み寄ると、その細い腕の何処にこんな力があるのかという強さで俺の右手を両手で握り締め、不自然なほど至近距離で話しかけていたサーシャの後ろから、弟が淡々とした口調でたしなめた。そうだ、回復しつつあるとはいえ相手は病人だ。俺は間近にあった頬の赤さを目にして、咄嗟に空いた方の左手をその額にあて体温をみた。

 

 

「きゃ・・・・・ッ」

 

「兄さん・・・・!」

 

サーシャの上げた声に重なるように、弟の非難するような声が俺に向けられた。

 

「あッ!ワリ・・・じゃなくて・・・ゴメン、いや・・・し、失礼・・・」

 

思わず素に戻って口ごもる俺を一瞬あっけにとられたように見た後、サーシャはその繊細な容姿からは想像もつかないほどの豪快な笑い声を上げた。

 

「ご・・・っごめんさな・・・だって、可笑しくて。それに、とても嬉しくて」

 

「・・・・・?」

 

「そんな風に、いつも通りの言葉でお話しして欲しいわ、エルリックさんには」

 

「そ・・・・か?でも俺、口悪ィから・・・・きっと気を悪くすると思うぜ?」

 

「ううん。そうして!その方が嬉しい」

 

「ん、分かった。そういうことならそうするよ」

 

互いに顔を見合せて笑いあったところで、不機嫌な色を露わにした弟の声がこの会話を強引に打ち切った。

 

「兄さん、もう遅いから帰ろう。サーシャはもう休んで、遅くまでごめんね。また来るよ」

 

恋人に対するにはあまりにも口早でそっけない物言いだと思っていた俺を一人先に部屋の外に押し出すと、弟はすぐにサーシャの元へ取って返しヒソヒソと二言三言言葉を交わしていた。その様子にアルフォンスの嫉妬の情があからさまに見て取れ、そのことでどうしようもない痛みが胸を締め付けてくるのを、俺は唇を噛んで凌いだ。

 

 

 

いや、この痛みは一時のものだ。

 

俺はもう、アルフォンスの恋人ではない。唯一の存在ではなくなったのだ。いつかの日の自分が望んだとおりに、“兄”という立場をようやく今、この手にすることができたのだ。

 

“兄”ならば、たとえ何があろうと誰に恥じることなく無条件でお前の近くに身を置いていられる。思うまま、ためらう事無くこの愛をお前に与えてやれる。

 

それは何と幸せなことだろう。

 

アルフォンス。

 

お前が、真実伴侶となるべき相手に巡り合い、こうして想いを交わしあい、やがて静かな温かい場所を手に入れるだろう事をこの目で間近に見る事が出来る俺は、何て幸せな兄だろう。

 

今となっては、記憶を失い錬金術を失ったことで真っ新な過去を手に入れたのは、逆に弟の為によかったのだと思えた。

 

そして何よりこの時の俺を安堵させたのは、自分の中にまだこれだけ“兄”の部分が残されていたという事だった。この気持ちを拠り所に、俺はこの先も十分幸せに生きていけると確信できた。

 

 

 

 

マスタング邸の使用人が気を利かせて呼び寄せていた車に乗りこみ家へと向かう間、やはり俺と弟は無言のままだった。嫉妬深いところのある弟のことだ。きっとサーシャと接近して仲良く言葉を交わした俺に、腹でもたてているのだろう。まあいい。どうせ明日か明後日、またサーシャと今まで通りの時間を過ごせば、いずれその気持ちも晴れるだろう。そう思い、俺はあえて無理に会話の糸口を探す事はせず、黙ってガラス越しに流れていく外の景色に目をやった。

 

 

 

家へと帰り着き、リビングの灯りが付いている事で、まだチェルニーが寝ずに待っているのだと知った俺は、マスタング中将との話し合いの結果を早く話して奴を安心させてやりたいと思った。しかし、弟に聞かれるには上手くない内容もあり、軽くシャワーを浴びた後、寝る素振りを見せながら一旦は自室へと引き上げた。もうずいぶんと長い間、アルフォンスとふたりで夜を過ごしていた俺の部屋。サーシャと初めて言葉を交わしたあの日から、弟が俺の部屋で眠る事はなくなった。異常といえるほどに俺という存在にある意味依存していた弟が、ようやく正しい方向へと心を向け始めた証拠だろう。当然、身体を繋げる行為もない。俺達は完全に、健全な兄弟へと戻る事が出来たのだ。

 

俺の後にシャワーを使った弟の足音が俺の部屋の前を通り過ぎ、隣の部屋のドアを開け閉めする音を聞いてから暫く時が過ぎるのを待った。

 

弟はもう眠りについただろうか。俺はそっとベッドから身を起こし部屋の外へと出ると、足音を忍ばせて階段を下りた。

 

もう真夜中だ。チェルニ―は眠っているかもしれないが、一刻も早く奴を安心させてやりたかった。妹は元気でいると。サーシャの・・・・ナターヤの身の安全は保障され、そう遠くない未来また兄妹ふたりで穏やかに暮らせる日が来るだろう事を報せてやりたかった。

 

 

 

「チェルニー?寝ちまってるか?」

 

ドアに唇を寄せ小声で言いながら指先で木目を引っ掻く様につつくと、すぐに室内からガタガタと音が聞こえ、間を置かずにそれが開かれた。

 

「エドワードさ・・・」

「馬鹿ッ!声がデカイ」

 

「スミマセン!」

「・・・・だからその声もデカイんだっつの」

 

先刻、口ではシャワーを浴びてすぐに眠ると言いながら、俺が送った目くばせの意味を正しく理解していたチェルニーは、俺が部屋へやってくるのを今か今かと待っていたようだった。ドアを大きく開け俺を室内に招きいれると先を急くように必死な目線を向けてくる男に、順序立ててロイ=マスタング中将との話し合いの内容を話して聞かせた。ナターヤは『サーシャ』という仮の名を与えられロイ=マスタング中将の遠縁の娘として手厚い治療を受け、病状は快方に向かっている事。人質としてではなく、客人として大事に扱われている事。そしていずれは兄弟揃ってアメストリス軍の手を離れ自由の身になれるだろう事を。

 

「どうしてですか?俺はこの国では重大な罪を犯した犯罪者なのに。それは一体どういうことなんです?」

 

チェルニーの疑問はもっともだった。でも俺は旧知の仲であるロイ=マスタング中将につけてある貸しと相殺したのだと適当な言い訳をして無理やり納得させた。自分のために俺が正式に軍に属する身となったと知れば、義理堅いこの男の事だ。また余計な気を回した挙句、騒ぎを大きくするに決まっている。

 

「ただ、上層部への言い訳として、一度お前の身柄を軍へ引き渡さなくちゃなんねぇんだ。そこで中将が上手いこと書類やら手続きやらをしてくれることになってる。聞いた話では中央軍の施設内に1週間から10日留まっている間に全てが完了するらしい。妹に会えるのはそれからになるが、我慢できるよな?」

 

俺の言葉に、涙目になったごつい体躯の男はうんうんと何度も頷きながら嗚咽を漏らし、俺の手を両手でぎゅっと握り締めてきた。

 

「ハハッ、やっぱ兄妹だな。ついさっき、お前の妹にも同じようにそうやって手をぎゅっとされたぜ。でも良かったよなぁホント、容姿はお前に似てなくて」

 

情けない顔で涙を拭う男に軽口を叩いて笑っていると、『すみませんでした』ともう何度聞いたか分からない謝罪の言葉をかけられた。

 

「だからもう良いって言ってんだろ?」

 

「違うんです。その事だけではなく・・・・・その・・・・・」

 

言い辛そうに目線をそわそわと視線を泳がせながら「エルリック主任と・・・」と言う言葉で、チェルニーが何を言いたいかを察した。

 

つまり、ここのところ俺達ふたりの間に流れる空気が以前と変わってしまったのは、自分がこの空間に身を置いたことが原因なのではないか・・・と責任を感じているのだ。はからずもチェエルニーには、男同士で兄弟でもある俺達のありえない情交の場面を目撃されてしまっている訳だが、そういった事柄に柔軟な感覚を持っているらしいこの男は俺達の関係をそうと認めても、以前と変わらぬ態度で接してくれていたのだった。

 

これまではそれに関して一切触れることがなかったけれど、今となってはアルフォンスの将来の為に俺は弁明をしなければならなかった。

 

「ゴメンな、チェルニー。俺達兄弟はたしかに妙な関係だった。この前は、あんな場面に出くわして驚いたろ?でもお前は誤解してる。俺達は決して恋人とか、そういう間柄じゃあないんだ。これは掘り起こしちゃいけない過去の秘密に触れる事だから詳しくは説明できないけど、とにかく俺と弟はちょっと普通じゃありえない人生を送ってきて、そのせいか時に兄弟の範疇を超えたコミュニケーションの仕方をしちまってたのかも知れないと思うんだ」

 

「いいえ!俺はエドワードさんとエルリック主任の関係を歪んだものだとは思ってませんよ。それは、確かに初めは面食らいましたけど、でも・・・最近は二人が変に距離を開けているように見えて逆にそれが気になって・・・・」

「チェルニー違うんだ、そうじゃない・・・・!」

 

思わず荒げてしまった語尾を取り繕うように、俺は笑みを作りながら極力静かな、でも頑とした口調で言った。

 

「あれは、本当に一時の事だったんだ。もう俺達は、ただの兄弟だ。ただ、過去の傷を癒す為にああするしかなかった。だから・・・・・・アルは・・・・・」

 

「エドワードさん?」

 

「今までのことは、俺が異常に弟に執着しての結果だ。アルフォンスは俺の手を拒めなかっただけで、アイツはちゃんとしたごく普通の感覚を持った正常な人間なんだ。それを・・・・お前には、分かってほしい。誤解して欲しくないんだよ」

 

「なんで、俺にそんな事を言うんです?だけど俺は主任を尊敬していますし、勿論エドワードさんの事だって感謝こそすれ、あなたが言うような“異常”だなんて思っていません」

 

そう言って真っ直ぐに俺を見る緑色の瞳には、嘘やごまかしによる陰りは見られなかった。ああ、コイツなら大丈夫だ。そう感じた。

 

コイツなら、一時的とはいえ、実の兄と異常な関係を結んでしまったからという理由でアルフォンスと自分の妹との間を反対するようなことはしないだろう。きっとアルフォンスの本質を正しく理解し、そしてふたりの仲を静かに見守ってくれるに違いない。

 

「そうか・・・・・ありがとう、チェルニー」

 

安堵のあまり、吐息交じりの小さな声になってしまった俺の言葉に黙って頷くチェルニーに「おやすみ」といい、俺はホッとしながら自室へと戻った。自分の部屋のドアノブに手をかけたところで、ふと隣の弟の部屋のドアへと目をやった。こんな時間だ、当然弟は眠っているだろう。今頃きっと、あの美しい女の夢でも見ているかもしれない。

 

おやすみ、アル。いい夢を。

 

胸の中でそう呟き、俺も安らかな夢を見ながら朝まで眠ろうと部屋のドアをくぐった。

 

 


 

 

翌日、重要参考人としてチェルニーの身柄は軍へ引き渡されることになった。確定していた爆破事件と暗殺未遂の罪状は特別措置として一時凍結され、軍での俺の所属が正式に確定するまでの間、軍施設内で監視下に置かれながらもそれなりの待遇で過ごすことができるらしい。

事前にマスタング中将から聞いた話では、俺の配属先は十中八九この中央軍の管轄内になる見込みだとの事だった。

 

居候がいなくなり何となく閑散とした家の中で、俺と弟は相変わらず正しい兄弟としての関係を継続していた。アルフォンスは毎日のように手に花やチョコレートなどを携えて出かけていき、帰宅は夜遅く俺が眠りについてからといった具合だったから、殆ど会話らしい会話を交わす事無く過ごしていた。

 

そんな日が4日続いたその明くる朝、出掛けに鳴った電話に「俺が取るからお前は先に行け」と弟を追い払い俺は受話器を取った。何となく、予感がしていたのだ。

 

案の定、その電話はロイ=マスタング中将からのもので、けれどその声がいつもより硬いことに気付いた。

 

「決まったんだな?で、俺は何処に飛ばされる訳?」

 

「すまないエドワード。私なりに力を尽くしたつもりだが、よもやこんな結果になってしまうとは・・・」

 

その言葉で、俺は全てを理解した。戦時中ではないといっても、北方の軍事大国との国境では頻繁に両軍の末端の小隊同士が血生臭い小競り合いを起しているのだ。そこでは互いに被害を広げない為に戦域の拡大こそ小康状態を保っているものの、毎日のように戦死者が出ていると聞いている。確かに俺の得意とする分野の錬金術は、戦闘では重宝がられるに違いなかった。

 

「北・・・・・・か」

 

いつもは小憎らしいくらいに不遜な態度の男がらしくなく口篭るのが可笑しくて、俺は笑いながら言うまでもない確認を取った。

 

「出発は5日後だ。研究所には軍から内密に通達が出ている。何なら今日から公休扱いも可能だということだが、どうするかね?」

 

「そんな事したらアルにバレちまうじゃねえか。せいぜいぎりぎりまで稼いで、キャンプでの賭けポーカーの元手にでもするさ」

 

「君の狡賢さをもってすれば、北の駐屯地は瞬く間に破産する人間で溢れ返ることだろうね。前線の士気を下げない為にもお手柔らかに頼むよ」

 

そんないつもどおりの軽口の応酬の後、再び謝罪の言葉を聞きたくなかった俺は素っ気無く電話を終わらせた。

 

5日後・・・・・・・か」


 

たった5日。いや、まだ5日もある。その間、俺が長いこと焦がれていた、弟と共に過ごす平穏な日常を、この胸に焼き付けよう。ずっとずっと忘れずに、いつでも思い出したいときに鮮明に思い出せるように。

 

最近夕食を共にすることがないから、明日は早起きして弟の好きなメニューで朝食のテーブルを飾ってやろうかなどと考えながら、俺は研究所への道を一人歩いた。

 

 

 

 

 



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