ひかりへと続く扉2〜F代価

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメストリスの諜報員の手により秘密裏に保護された国際政治絡みの重要人物が、この軍の施設の何処かで匿われているらしい。妹の行方について調べた結果、独自のルートから得たというその情報をチェルニー本人の口から聞いた俺は、すぐに直感した。ロイ=マスタング中将の遠縁の娘だというサーシャこそがそれなのだと。

 

性別の差を考慮に入れても、どちらかといえば厳つい体型のチェルニーと華奢なサーシャの骨格や、ふたりの顔のつくりなどに共通点はまるで見出せなかったけれど、そのプラチナブロンドの髪や瞳の色が、そうだと教えていた。勿論チェルニーは俺と弟がロイ=マスタングからの(表向きは)個人的な依頼によってその人物の手術に立ち会った事を知らなかったが、保護された時期や状況を照らし合わせて奴なりにその『国際政治絡みの重要人物』が妹である可能性が高いと判断したのだろう。

 

「分かった。軍内部への探りは俺が入れる。お前はくれぐれも勝手に動くんじゃねえぞ?たとえそれがお前の妹だったとしても、妹が一般人だというのならアメストリス軍側もそう滅多な扱いは出来ないはずだし、心配は無用だ」

 

すぐにでも軍施設に潜り込んで事の真相を確かめたいと詰め寄ってくるチェルニーをどうにか説き伏せ、俺は考えを巡らせた。状況からみて、サーシャがチェルニーの妹であることはほぼ間違いなかった。軍は当然俺がチェルニー=ユリアノフと接触し匿っていることを知らないが、数日前にアルフォンスと見舞いに行って見た様子では、手厚い看護を受け待遇も良いものであると窺えた。しかしチェルニーは言ってみればアメストリス国にとっては敵対国家の工作員であり野放しにしておけない犯罪者だ。だから、わざわざ貴重な人材を入出国が容易でない国へ送り込んでまで、人質とされていた妹の身柄を保護したという軍の意図が気になった。

 

黙って考え出した俺に、更に取りすがるように必至な形相でチェルニーは言った。

「妹の名は、ナターヤといいます。アメストリスの言葉は多少の訛りはあるけど普通に話します。髪と瞳の色は俺と同じですから、見ればきっとすぐに分かると思うんです。兄の俺がいうのもなんですけど、美人で・・・・・」

 

うん。知ってるよ。綺麗だよな、お前の妹。本当の名前は、ナターヤっていうんだな。

 

「病気で青白い顔をしてるだろうけど、誰を相手にしても、話しだすと物凄く元気で底抜けに明るい奴なんです」

 

  ・・・・・・・そうか?俺には思いっきり無表情だったけどな。

 

 「だから、頼みます。その保護されている要人ってのが本当に妹なのかどうか確かめて来てもらいたいんです。そしてそれが妹なら、どんな様子なのか教えて貰いたいんです。すぐにでも手術を受けなくちゃいけない病状だったから、何よりそれが一番気がかりで・・・・」

 

 ああ、分かるよ。本当に心配なんだろうな、チェルニー。大事な大事な、たった一人の肉親だもんな。

 

 ソファーの肘掛に頬杖をついていた俺の足元に膝を付き一心に言い募る男の肩を叩いて言ってやった。

 

 「心配すんな。アメストリス軍に身柄を保護されていれば逆に安心だ。マスタング中将のフェミニストっぷりをお前だって耳にしてるだろ?美人ならなおさら心配はいらねえよ。きっと大事にされてるって」

 

俺に心配は要らないと再三言われても当然その不安が払拭されることなどなく、チェルニーは居ても立ってもいられない様子で自室とリビングの間を無意味に行ったり来たりを繰り返していた。これはマズイ。我慢の限界が来れば、奴はこちらの静止を振り切ってなりふり構わず軍部に乗り込むに違いない。そうなってしまえば最悪チェルニーの身の安全は危ういものとなるだろうし、それを匿っていた俺と弟の、延いてはロイ=マスタング中将の立場さえをも脅かすことになるかも知れないのだ。

もう夜9時を過ぎているのにも関わらず未だに帰宅していないアルフォンスが気になりつつ、俺は簡単に身支度を整えると家を出た。向かう先は、ロイ=マスタング邸だ。

 

 

俺達兄弟の家とマスタング邸は同じセントラル市内でも、そのほぼ中央に位置する軍施設を挟んだ対角線上にあり歩くとなると実際かなりの距離で、俺は途中車を使うべきだったと舌打ちしながら小1時間かけてそこに辿り着いた。目的の人物は既に帰宅しているらしく屋敷のあちこちの窓からは電燈の明かりが洩れていた。門扉の外に警備兵が配備されているところを見ると、おそらくサーシャは軍の病院からこの邸宅へと身柄を移されているのだろう。その警備兵に軍籍を持つことを証明する手袋を取り出し掲げて見せると大げさな敬礼が寄越され、それに軽く手を上げて応えた。いかにも軍人といったその動作が、俺はどうにも苦手なのだった。

 

「お疲れさん。中将はもう帰ってるのかな?エドワード=エルリックが来たと取り次いでもらいたいんだが」

 

「エルリック大佐でいらっしゃいますね。存じ上げております、少々お待ちを」

 

「すまん、頼む」

 

四角張った動きで踵を返しドアの中に入っていく警備兵の後姿を目で追いながら、まるで本当の軍人のような扱いを受けたことで苦々しい気分になった俺は、それを打ち消すように長い溜息をついた。

 

程なくして、その警備兵と共に顔見知りであるこの家の使用人が姿を現し、その使用人に邸内に招きいれられた俺は客間に通された。それにしても訪れる度謎なのは、軍の執務室をアレだけ奇天烈で傍迷惑な趣味で飾り立てる人間が住むとは思えないほどに殺風景なこの邸内の様子だ。初めてここを訪れたときは、何が出てきても驚かないようにと相当覚悟を決めていたにも関わらず、見事に拍子抜けしたことを覚えている。

やはりそれなりの修羅場をくぐって来た人間というのは、このようにどこか理解しがたく風変わりな所があるのかも知れないなどと考えながら、窓際に立ち外を眺めつつ出されたコーヒーを啜っていた。

 

 

「やあ、エドワード。弟君のお迎えかね?」

 

部屋に入ってきたこの家の主から掛けられたその第一声に、俺は驚きながらも心のどこかでやはりと思っていた。

アルフォンスは、あの見舞いに行った日から2日と開けずサーシャの元を訪れているようなのだ。そして分からないのは、そのことを『恋人であった筈の』俺に隠す様子が全くないということ。最近のアルフォンスはまるで、俺が自分の恋人だったという事実すら忘れたかのように、まるで普通の兄弟のように俺に接してくるのだった。アルフォンスが何を考えているのか・・・・・俺はすぐにある結論に達し、その時点で知らぬ振りを決め込んだ。

つまり、弟が本当に正しく愛すべき相手を見つけそれに夢中になっているのなら、兄の俺はそれに関して一切口を挟まないと言う事だ。自然に恋人としての関係が解消され元の兄弟に戻れるのならば、それは願ってもないこと。俺に出来るのは、兄弟でありながら恋人であった事実を無いものとし、それを忘れて普通に振舞うことだった。

 

今までの日々が誤りだったのだ。これまでの俺たち2人の想いはまやかしだったのだ。俺は特に動じる事無く、ただ淡々とそう思っていた。身体の中心から大切な暖かい何かがごっそりと抜け落ちたような得体の知れない感覚などはキレイに無視して、この事実を『たったそれだけの事だ』と冷静に、何度も心の中で繰り返し呟いた。

 

「・・・・アルフォンスが来てんのか?いや、別に弟は関係ないんだ。アンタの遠縁だというサーシャについて、話したいことがある。少々時間を割いてもらってもいいだろうか?」

 

「私は構わんが。では、時間も遅いことだし早速窺おうか」

 

目線で勧められるままソファに腰を下ろし、俺は前置きなど一切いれず、ただ単刀直入に用件だけを告げた。今軍で行方を捜している、例の爆発事件とアルフォンス暗殺計画に関与した犯人を自分が匿っているということ。そしてチェルニーの妹の身柄を手中にしたアメストリス軍の思惑について自分なりの見解を述べた。

 

「妹を人質にして、チェルニーに諜報活動に従事しろとでもいうつもりか?それじゃあエクサンドルやアンソニー=ストーとやってることは同じじゃねえか?そもそもチェルニーは好き好んで工作員になったわけじゃねえ。事実、奴は妹の身を盾に取られながらも俺らに危害が及ばないように動いてくれたんだぜ?」

 

「何故今になってそれを私に言う気になった?私は君が軍以外にも多くのコネクションを持っているのを知っているよ。その君になら、人知れずチェルニーの身を国外へと逃がすことも可能だったはずだ」

 

「だから、チェルニーはその妹の身を案じてわざわざヤバイ橋渡ってんだろうが!?アイツ一人なら俺が手を貸すまでもなく脱出くらいわけも無くやってるさ。奴はアメストリスの軍部が保護している人間が妹じゃないかと疑ってる。正直俺にはもう奴を抑えておくことは無理だ。だから最悪の形で明るみに出る前にこうしてアンタに打ち明けてるんだよ」

 

「成程?幸いにも君は軍の思惑を正しく理解しているようだから話は早いね。貴重な要員を危険にさらしてまで他国に潜入・ターゲットの保護を行ったのは、君の言うとおりエクサンドルでの諜報活動にはその国の言語を極自然に話すことが出来る人間が不可欠だからなのだよ。そう、だからなにもチェルニー君に拘らなくても、サーシャ嬢にその役をお願いしたっていい」

 

「止せ!」

 

 ロイ=マスタングの言葉に思いのほか大きな声で返してしまった自分の行動に気がついた俺は、ソファに座りなおしてこっそりと息を吐いた。

 

「・・・・・随分とまあ・・・・必死なんだな」

 

「何が言いたい?」

 

「何も?ただ見たまま、率直な感想を述べたまでだよ」

 

揶揄する口調で言われてまたしてもカッとなりそうな自分を押しとどめ、どうにか次の言葉を継いだ。

 

「アンタも知ってるとおり、俺は遠まわしな言い方は好まねえ。だからハッキリ言わせて貰う。俺の要望は、チェルニー=ユリアノフの罪状の酌量と、その妹の身柄の解放だ」

 

「代価は?錬金術師殿」

 

「・・・・・俺が、正式な軍属となってもいい」

 

「それはつまり、君の錬金術を人殺しの道具にするということだぞ?そればかりか君が戦場で命を落とすことも有り得る。よくよく考えての結論なのかね?軽はずみな返答なら迷惑だ」

 

ここに来るまでの道中、俺は考えていた。ロイ=マスタングは情深い本質を持つ男であるが、それと同時にこのアメストリス中央軍の頂点に立つ人物なのだ。そして俺と同じく、万物を『等価交換』という物差しで測る部分を持ち合わせた錬金術師だった。だから当然此方の無理を通そうとするならば、相手の無理を受け入れるのは道理なのだ。

エクサンドルでの諜報活動を行うための基盤造りの一端として行われたであろう今回のサーシャ・・・・ナターヤ=ユリアノフの保護。あれだけの閉鎖国家に貴重な人材を送り込んでまで作戦を決行したことで、アメストリス軍がこの件をどれだけ重要視しているのかは易く推測できる。その計画を白紙に戻す見返りとしてそれなりの代価を支払わなければ、マスタング中将の立場が危ういものとなるだろう。

 

俺は膝の上で組んだ両手を硬く握りこみ、厳しい表情を向けてくる男を強い目で見返した。

 

「十分考えてのことだ。条件はこれで等価だろう?」

 

「等価どころか釣りを払わなければならない程だよ。本当にいいのだね?」

 

「ああ。・・・・・申し訳ない。数年前、アンタがどれだけ苦労して今の俺の立場を確保してくれたのかは十分に分かっているんだ。でも、過去一度軍属の身となった俺が一市民に戻ろうなんてこと自体、初めから虫のいい望みだったんだ。ここらが潮時かと思ってね。」

 

「このことをアルフォンスには・・・・」

 

「無論、情報漏洩はご法度だぜ。アンタだって、また片っ端からオンナ巻き上げられんのイヤだろう?」

 

以前寝物語に、どんな風にロイ=マスタングから俺と同じ軍籍を強請り取ったのかをアルフォンスから聞いていたのだ。もしこのことを知れば、たとえ記憶をなくした今でもヤツはまた同じような強硬手段を用いて兄である俺の行く手を阻むに違いない。

俺の言葉に渋面を作った上官は、余程その件では懲りていたらしく気の毒になるほど苦々しい口調で「ああ。もう二度と御免被りたいものだね」と言った。

 

 

 

 

 

その後、例の研究データ強奪とアルフォンスの暗殺未遂事件の首謀国であるドラクマとエクサンドルについての最近の情勢を聞いた俺は自室に引き揚げる中将に挨拶を済ませると、また先刻の使用人にナターヤ=ユリアノフとアルフォンスのいる部屋へと案内された。その部屋まで行く短い間、気安い使用人は顔見知りの俺に聞きもしない情報を教えてくれた。

 

サーシャ(ナターヤ=ユリアノフ)が軍の病院からこの屋敷に移ってきてから2週間が経つこと。以来弟は、ほぼ一日おきに彼女の元を訪れているということ。時折、茶などを差し入れる際に見かける二人は大変仲睦まじい様子だということ。それらを、一体どこで息継ぎをしているのかという程よどみない口調で話し続ける様子に辟易しながらも、俺は適当に相槌を返してやった。

 

お喋りな使用人に連れて来られた部屋の入り口に立った俺は、自然に足を踏み入れようとしてから、はたと立ち止まった。

 

待てよ。いくら偶然弟のいるここに居合わせたからといって、何でわざわざ声をかける必要がある?これではまるで弟の恋路をじゃまする無粋な兄貴そのままではないか。

そう思い部屋に背を向けようとしたけれど、ふと病院で見かけたサーシャの青白い顔色を思い出し、折角ここまで足を運んだついでに少しだけ様子を覗いてみるだけはしようかと、再び開かれたままのドアの内部に足を踏み入れた。妙齢のオンナと二人きりで過ごす部屋のドアは開けておく。この紳士的ともいえる何気ない気遣いは、きっとアルフォンスがしたものに違いない。

 

室内に3歩ほど足を踏み入れたところで、姿の見えない二人の小さなささやき声が何処からか聞こえてくる。見ればバルコニーに面したガラスの扉が開かれ、外から吹き込む夜風にカーテンが揺れていた。どうやら二人はバルコニーで話に熱中している様子だった。

 

俺の出る幕じゃあねえな。

 

俺はそのまま一人で帰ることにして、揺れるレースのカーテンにふと視線をやった。

 

 

「・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

囁き声がふと途切れた。一瞬だけ強く吹き込んだ風にカーテンが翻り、そこに室内からの明かりに照らされた二人の姿が見えた。

 

青銅の椅子に腰掛けている弟の膝には分厚い本が広げられて、そのページが風に煽られるままパラパラと勝手に捲れている。薄いグリーンのワンピースの裾がふわりと弟の体にかかり、細くて白い女の手はその弟の肩に添えられていた。美しいプラチナブロンドの長い髪を今日は高い位置で編み上げているサーシャの細い首を、俺は見蕩れるようにぼんやりと眺めていた。その華奢な身体が座っている弟に添うように傾いて・・・・・。

 

 

何をしているのかは、見間違いようもなかった。

 

 

サーシャの唇とアルフォンスの唇が重なるのを、俺はただ、綺麗な映画のワンシーンでも見ているような気持ちで見ていた。

 

 

 

薄々感付いてはいたけれど、これで俺の立ち位置は決定的なものになったのだなと思った。そして俺はその瞬間、自分の唇が自然に笑みの形になっていることに気がついた。

 

 

俺、今・・・・・・笑ってンのか・・・?

 

一度ドアの影に身を寄せながら、手のひらで自分の顔に触れてみる。特に体温が上がっている様子もないし、涙が出ているわけでもなく、どうやら自分はいたって普通の表情をしているらしかった。

 

 

何故、こんなに静かな気持ちでいるのか。俺は自分でも全く理解できずにいた。

 

 

廊下の壁に背を預けたまま俺は、数週間前急きょサーシャの手術に立ち会うことになった弟と一緒にあわててさらった、記憶を失くす前のアルフォンスが研究していた特殊な蛋白質を錬成するための難解複雑な構築式を頭の中に思い描き、それを端からゆっくりとなぞった。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・よし」

 

これで時間にして4,5分は経過したはずだから、今ならば不自然なく二人の前に顔を出せるだろう。俺はわざと大げさな靴音を立てて再び室内に入ると、真っ直ぐにバルコニーへと足を向けた。

 











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