ひかりへと続く扉2〜Dfrustration Edward side

 

 

 

 

 

 

 

 

今の弟との関係を語るのに、過去の恋愛のあれこれを引き合いに出して比べるつもりは毛頭ない。でも確かに、過去付き合った数人の女達との関係が自分でも驚くほどに薄っぺらで淡白なものだったのだと、俺はアルフォンスと恋人の関係になってみて初めて気がついた。

特別に約束をとり付けて会うのは多くても週に一度。しかも会う度に夜を共にするような訳でもなかったから、セックスの回数はせいぜい月に1,2度程度だったかもしれない。いつだったかの酒の席で、話の流れで同僚に聞かれて正直にそう答えた俺は、居合わせた奴らに変人扱いを受け、そのことを大層不満に思ったものだった。何しろその同僚共の弁ときたら、20代の健康な男子とは思えないだとか、本当はその他にも恋人がいるんじゃないのかとか、挙句の果てには身長だけでなく性機能まで発育不十分なんじゃないのかとか、とんでもなく失礼な発言まで飛び出す始末だったのだ。

 

それが、今ではどうだ。もともとスキンシップは苦手ではないけれど特別好きでもなかった俺が朝起きてまずするのは、アルフォンスとのキスと抱擁だ。最初は記憶を失くしたまま精神的に不安定な部分を残しているアルフォンスを気遣って、家の中限定でやたらと俺に触れていたがる甘えたがりの弟の好きにさせていただけだった。けれど最近ではそれに慣らされたのか、家の中でアルフォンスの姿が見えなかったり、身体のどこかが触れ合っていなかったりするだけで妙に心もとない気分になるようになっていた俺は、チェルニーの前で通常の兄弟並みの距離と節度を保つ事に正直苦痛を感じていた。それに加えて今までは二人きりだった空間に他人の存在があるという状況がどうにも落ち着かず、弟からの夜の誘いも条件反射で突っぱねてしまうことでさらに自分自身を厳しい状況へと追いやっていた。これまで弟に対し散々っぱら「際限なくサカるな」とか「性欲魔神」などといった暴言を浴びせていた俺は、ここにきてどうにも居た堪れない気持ちになった。

気が付けばいつしか弟の姿を目の隅で追っている自分がいた。こんなさり気無く素っ気ない兄弟としての触れ合いなんかじゃなく、もっと近づきたい。もっと密に触れたい、触れてほしいと、カラカラに乾いてひび割れた精神がアルフォンスを切実に求めていた。

乾いた砂漠の旅人が水を求めるように俺を欲しがるアルフォンスは、いつもこんな気持ちを味わってたのだろうか。理屈でなくごく自然に、生きるための糧として身体がそう要求するように、ただひたすらそれが欲しい・・・・・と。そうだとしたら、俺は今までなんて酷な事をしていたのかと思う。身体を求めてくる弟を軽い気持ちであしらったことなど両手両足の指だけではとても数え切れないほどあったのだ。それでも仕方ないねと苦笑を浮かべ、唇に軽いキスを落とすだけであっさりと身を引いた弟は、その実胸の内でどれだけの飢えを抑え込んでいたんだろうか。それなのに、いざそれと同じ状態になった途端こうも堪え性のなさを露呈してしまう自分はあまりにも身勝手に思えた。

とはいえ仕方がない。どう取り繕ったところで、所詮俺も生身の身体といっぱしの肉欲を持つ健全な男だったという事だ。

 

そして、こういう意味での限界を感じた経験が今まで殆どなかった俺は、相当なりふり構わなくなっていたらしく、ついに姑息な一計を案じた。つまり特に必要もないだろうとこれまで教えないでいたこの家の地下にある書庫の存在をチェルニーに教え、そこにある蔵書の数々を宛がい気を逸らせておこうと目論んだのだ。

さて問題はこれからだ。はたと気付いてみれば、俺は“誘い方”というものをまったく知らなかったのだ。思い返してみれば情けないことに、これまで俺は自分から誘ってこの行為に及んだ事実が唯の一度もないのだった。異性との経験もある身でこれはどうかと、男としての在り方に自信を失いかけた俺だったが、事態は急を要しているのだ。呑気に落ち込んでいる場合ではない。いつも弟がどんな風に俺を誘うのかを思い出し、それを真似てみるしか方法はなさそうだとアバウトな作戦を考えながら、浅ましく工作をしたり思いを巡らせたりしている自分自身に羞恥をおぼえつつ風呂場で身体を洗った。

 

「兄さん」と、ここ最近聞かなかった甘い余韻を残す呼びかけを寄こしながら弟が顔をのぞかせた時、俺は歯磨きの真っ最中だった。なんという間の悪さだろうか。弟がやってきたら、ほんの少しだけ含みを持たせた口調で「風呂に入れ」とでもいうつもりだったのに、これでは折角の計画が台無しだ。しかし、歯ブラシを咥えたまま泡だらけの口から発した暗号を優秀な弟はしっかりと正しく人語に変換してくれたらしい。但し、そこに本来俺が含みたかったニュアンスまでは伝わらなかったようだったが。

 

 

弟の髪を洗う提案をしたのはほんの思い付きだった。けれど、そう声を掛けた俺の言葉に頬を綻ばせる弟の可愛い顔を見た途端、庇護欲にも似た感情が湧きあがってきて俺は思う存分この弟を甘やかしてやりたくなってしまった。

自分でもこそばゆくなってしまう程に丁寧な柔らかい動きで弟の髪を洗う。気持ちよさそうに目を閉じ、バスタブの淵に頭を預けている男の貌を見つめながら、自分の内部にふたつの情動が存在しているのを確かに感じた。可愛い弟を抱きしめて慈しんでやりたいと願う暖かく穏やかな気持ちと、その身体に触れ、触れられて、一つに溶け合いたいと切望する胸を焼くほどの熱く激しい気持ちが。

 

この気持ちは何なのだろう。穏やかでいて激しく、深いようでいて些細な風にもその水面を波立たせ、暖かいのに熔けるように熱いうねりが時として襲ってくる、これは。

 

どんな風に誘うのかとか、アルフォンスに呆れられてしまうのではとか、恥ずかしいとか、そんな瑣末なことは全てその時の俺の脳裏からはきれいに消え去っていた。ただひたすらアルフォンスが欲しいという想いだけで、自然に湧き出る衝動に突き動かされるままに流された俺が我に返ったのは、いつしか形勢が逆転しバスタブの壁面に押し付けられるようにして揺さぶられ始めてからだった。

 

アルフォンスが動く度に浅く溜めた温い湯がたてる音や、どうしたって零れてしまう妖しげな呼吸音がバスルームの中に響き渡るのを耳にしたり、いつもなら薄暗い為に見ることがない熱に浮かされたように苦しげに眉を顰めた恋人の悩ましい表情をはっきりとこの目にして、俺は催眠術が解けたように正気に返った。

 

 

何という事だ。

 

 

俺としたことが、我を失い何という痴態を晒してしまったのだろうか。

 

よりによってバスタブの中で事に及ぶとはなんたる失態かと後悔しても、今ではもう餓えた獣のように変貌してしまったこの男を止める手立てはないのだった。

 

せめて、今のみっともない俺の姿は忘れて欲しい。そんな内容の言葉を回らない舌で必死に訴えてみたら、何故かさらに激しく攻め立てられた。離れそうになる意識を歯を食いしばり、辛うじて繋ぎとめていた俺の耳に階下で鳴る電話のベルの音が届いたけれど、とてもじゃないが電話などとれる状態ではない。

 

「アル・・・・・・・ア・・・・ウア・・・・ん・・・で・・・デンワが・・・・鳴っ・・・」

「黙って・・・・・放って、おけば・・・・イイ」

 

当然の如く、電話くらいでこの野獣を止めることは出来なかった。いつもであれば俺だって、こんな状態を中断してまで電話に出ることはないとは思う。だが今はいつもと状況が違うのだ。もしこのままベルが鳴り止まず、そして考えなしのチェルニーがこの電話を取ってしまえば、確実にその取次ぎにとここへやってくることはどんな馬鹿でも予測がつく事だ。

 

「待て・・・・ダメ、だ・・・・・あ、あ・・・ふ・・・・・・アル・・・ッ!!」

「止まれないって・・・・・覚悟してって、言ったでしょ・・・?」

「このヤロ・・・・ッ!?うあああ・・・・・・っ!何、考え・・・・・・・ッ」

 

なんて融通の利かない男だろうか。しかも弟は止めるどころか逃げをうとうと引きかけた俺の腰を強引に押さえ込み手加減なしに最奥に入り込んでくるから、俺は自分の喉からせり上がってくる悲鳴をかみ殺す事のみに必死にならざるを得なくなった。

 

いつしかベルの音が途切れ、階下ではかすかにチェルニーの声がしている。

 

「く・・・・・ふっ、う・・・・チェル・・・・ニーが・・・・来・・・」

「他の、男の名なんか・・・・・・口にしないで・・・・ッ!」

 

頼むから正気に戻ってくれ弟よ・・・・・!!!!!

 

俺の願いも虚しく、階段を上ってくる靴音が次第に大きくなりながら確実にこちらへと近づいてくる。最後の手段とばかりに俺は固めた右の拳を振り上げそれを弟の左頬目掛けて打ちつけようとしたけれど、行為に没頭しているはずの弟は難なく俺の腕を捕らえると、それをそのまま引き寄せて唇で撫ぜるように触れてきた。緩んで自然に開いた拳の指先を咥内に含み唇で愛撫し、舌を絡め、時に甘く歯をたてながらその金の双眸は俺を捕らえたまま、他の何も映すことをしない。

 

 

俺は、完全に絡め取られてしまった・・・・。

 

 

 

「あの〜入浴中ですかぁ?今スタンリーさんっていう人から電話が・・・・・ウワアアアッ!!!」

 

開け放してあったままのドアの所からチェルニーの悲痛な声が浴室内に響き渡り、俺はもはや指一本動かすことさえ出来ずに弟の腕の中でされるがままになっていた。あまりの羞恥で手足のつま先までが真っ赤に染まっているだろう俺に、弟はゆったりとした動作で軽いキスをして離れざまに天使のような笑みを浮かべると、そのまま視線を入り口で立ち尽くす男に向けた後、場違いなほどさりげない口調で言い放った。

 

「チェルニー君。悪いね。見ての通り取り込み中で、電話の相手には後でこちらから掛け直すからと言っておいて貰えるかな?」

 

「わ・・・・・わ・・・わか・・・・っ分かりマシタ〜〜〜〜ッッ!!!!」

 

引き攣り裏返った声がドタドタと大きな足音と共に浴室から遠ざかり、やがて階段を落ちていく派手な物音が聞こえた。音から推測するに、哀れなチェルニーは階段の最上段から一階までを転がりながら落ちていったようだった。骨折などしていなければ良いが。錬金術のエキスパートとはいっても、無機物相手の研究ばかりしている俺には生きた人間の治療は難しいだろう。軍の情報網に引っ掛からないように潜りの医者を探すのは面倒だし・・・などと妙に冷静な頭で考えていた俺は、多分羞恥のあまり頭のネジが何本か外れていたに違いなかった。

 

弟は中断していた律動をゆるやかに再開させながら、いつものように直接俺の耳元にあの麻薬の様な声を吹き込んでくる。

 

「兄さん、ごめんね・・・・・でも・・・・・・ふふっ凄いね・・・足の指先まで真っ赤だよ」

「あ・・・・・あああ・・・・・ン・・・・・・」

「兄さん・・・?目がトロンとしてる・・・・・可愛い・・・」

 「ふ・・・・アアッ・・・・・・!」

 

どうしたことだろう。視界が霞んで、弟の声が遠くに聞こえる。身体に力が入らず、もう声さえ抑える事も出来なくなっていた俺は何もかもを放棄して、全てを弟の手に委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前には羞恥心というものが欠落している」

 

そのまま浴室で気を失ってしまった俺は、意識のないまま運ばれたベッドの上で目を覚ますなり弟をなじった。しかし、弟をそんな『羞恥心の欠落した行動』に走らせるまで追い詰めたのは、他でもなくこの俺自身で・・・・・。つまり、それは耐え切れない羞恥心と後悔から逃れるために身勝手な俺がした、只の八つ当たりでしかなかった。しかし悔しいことに精神面においても兄の俺よりはるかに大人な弟だから、興奮のあまり目に涙さえ溜めてわめき散らす俺を落ち着かせようと、敢て俺の非には触れず何度も謝罪の言葉を口にしながら俺を宥めすかした。

 

「ご免なさい、僕が悪かったよ。確かに電話の音や人の声を聞いてはいたんだけど・・・僕はあなたが相手となると、どうにも自制が利かなくなってしまうみたいなんだ。嫌だというのなら、暫くの間はあなたに触れないように我慢する。だから、僕を許してはくれない?」

 

・・・・・・と、こんな調子だ。こうまで言われてしまえば、こちらもこれ以上頭の悪いガキのような態度を取り続けている訳にもいかない。ベッドの端に腰かけた弟の綿のパジャマの肩に頭を凭せ掛け、溜息交じりに自分の過失を認めた。

 

 「・・・・・・もういいよ。考えてみれば俺に原因があったんだし、その俺がお前ばっかりを責めるのはおかしいよな。ごめんな、アル。カーっとなって喚き散らしたりして」

 「今日の兄さん、やっぱりいつもと違うよ?どうしたの、そんなにすんなり謝ったりして」

 

 弟の言う通りだ。まったく今日の俺ときたらどうかしている。先刻のとんでもない出来事で羞恥に対する強力な耐性ができたらしく、必要もない事を馬鹿正直に答えているのだから。

 

「オトコには・・・いろいろあんだよ。分かるだろお前にだって」

 「・・・・・あ、そういう事?ふふふっ!溜まっちゃってたんだ、兄さん?」

 「た・・・・・っお、お前!上品そうな顔してそんな言葉口にするんじゃねェよ!!」

 「また真っ赤になってる。可愛いなあ〜・・・・に、い、さ、ンッ!」

 「おわ・・・・っ!?」

 

 研究所や時たま足を運ぶ軍施設内の女たちが聞えよがしに囁き合う賛辞通りの『王子様的容姿』をした弟が、その相好をだらしなく緩ませてしな垂れかかってきた。言うまでもなく俺と育ちすぎた弟の体格差だから、自然押し倒された俺の上に弟のデカイ図体が覆いかぶさるような体勢になる。意識のないままに着せられていたパジャマの布地の上を、弟のてのひらがゆったりと撫でつけるように動いていくのに、俺は半ば焦りながら制止の声を上げた。風呂場で散々受けいれたばかりの身体で、これ以上はご免被りたい。

 

 「アル、アルフォンス!辛いだろうが健全モードに切り替えてくれ。じゃないとマジで兄ちゃんの身体ぶっ壊れちまう」

 

 甘くなりかけた空気を払拭しようとわざとおどけた調子を装う俺の身体をすっぽりと抱きこんで、弟は「それは困る」と笑った。

 

 「今日の兄さんには参ったよ。僕は骨抜きにされた・・・兄さんこそ、もうさっきみたいな悩殺モードは止してよね。じゃないと冗談じゃなく兄さんが壊れるまで抱いちゃいそうで怖い」

 「分かってる、身に染みたよ。もうしねえ。・・・・・そういや、さっきの電話」

  何とか普通の会話ができる雰囲気に戻ったところで、さっきから気になっていた電話の件に触れた。先刻チェルニーがとった電話の相手『スタンリー』とは、マスタング中将が名乗る偽名の一つだ。役職柄もあってか何に関しても湾曲させた言い回しを好むその上司は、自分の名乗る名さえ複数持っていて、それぞれにサインが隠されているのだ。『マーティン』なら緊急招集、『ブルーノ』なら警戒態勢、といった具合だ。


 「うん。中将からだったのに、チェルニー君が出ちゃってヒヤっとしたよ」

俺の上から身を起こして退くと、いつの間にか外していた俺のパジャマのボタンを掛け直しながら中将との電話の内容をかいつまんで説明する。『スタンリー』は「連絡要請」。俺が意識を飛ばしている間に、やはり弟は先方に電話をかけて用件を聞いていたらしかった。 用件は、マスタング中将の遠縁だというある人物の病気の治療に、以前アルフォンスが研究していた生体細胞を使わせて貰えないかという事だったらしい。研究の発案者であったアルフォンスが記憶を失った時点でその研究データは全て軍が管理をしていたものの、それに関する全ての権利は依然アルフォンスに帰属するものと認められていたから、その承諾を得たいというのだ。 

 

 「それでね、もし良かったら僕と兄さんにその手術の現場に立ち会ってもらえないかって言うんだけど。どうかな?」

 「別に俺は構わねえけど。でもお前、そこら辺の事も覚えてないじゃん?俺にしたって医療系錬金術に関しては専門外の人間だぜ?」

 「う〜ん・・・とは言っても人体錬成を完璧に成功させた唯一の錬金術師なんだし、その立場から前例のない臨床での使用に何か助言が欲しいとか、そういう事じゃないのかな」

 「生体相手に行う医療錬金術と一からの人体錬成は似て非なるものだってのに、俺の出る幕なんかあるとは思えねえけどな。で、それいつだって?」

 
 立ち会ったからといって自分に何かが出来るとも思えなかったが、アルフォンスが発案した生体細胞が医療現場でどのように使われるのかに興味があった俺は、他の予定を変更してでも出向くつもりだった。

 
 「それが明後日なんだ。一応この理論の発案者として出向く以上は、研究のあらましくらいは頭に入れておかなくちゃいけないだろうから、急な事で困ったよ。兄さんも僕の詰め込み勉強に付き合ってくれる?」

 『一応』などと殊勝な口ぶりの割には、弟の表情からは一人前の研究者としてのプライドらしきものが伺えた。普段は穏やかで自我というものをあまり前面に出さないけれど、その実俺よりも勝気な一面を持つ男なのだ。現場に立ち会うからには名ばかりではなく、研究者としての本来あるべき役割を全うしたいのだろう。
 
 俺は苦笑しながらもベッドの上に身を起こすと、伸びて邪魔になってきた後ろ髪を括り弟に指示を出した。

 
「研究データは軍で保管してるが、お前の研究手帳だけは俺が預かってる。そこの机の上から2番目の引き出しだ。それから臓器移植に関する医学書を新しいものから数点、これは書庫の左手前の棚の下から3段目にあるはずだ。あとは俺とお前にトビっきり濃いコーヒーを淹れて来い。くれぐれも牛乳なんか入れるんじゃねえぞ」

 

 







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