ひかりへと続く扉2-B〜来訪者

 

 

 

 

 

 

 

 

瑞々しく若い葉を生い茂らせた欅の木々が立ち並ぶいつもの道の上には、枝葉の隙間から零れた強い夏の日差しが斑模様を描いている。時折通り抜けていく熱く乾いた風が、汗ばんで後ろ髪を張り付かせた首筋を掠めていく。身体の表面に纏わりついていた熱が洗われるその一瞬の心地よさに目を細め、俺は両腕の荷物を抱え直すと、片方の膝で青銅の門扉の掛け金を持ち上げた。ギイと重い金属が軋む音を立てながら動く扉を肩で押し開いていると、玄関のドアが開き弟が顔を覗かせた。


 「兄さん!そんな無理しないでも、少し待っていれば僕が開けるのに。ほら!落ちる落ちる!」

 弟が言いながら駆け寄り手を差し伸ばしたが間に合わず、俺が抱えていた紙袋から零れ落ちたピクルスの瓶詰が足元の煉瓦の上で無残に砕けた。ああ、やっちまったと溜息を吐く俺の両腕からひょいと荷物を取り上げると、弟はそれをポーチの階段に置き胸のポケットを探りながら戻ってきた。

「兄さん。もともとそそっかしいところがあるのは知っているけど、最近特に酷いんじゃないの?もしかして僕の実力を試そうと、わざとそうしているのかな」 

煉瓦に片膝をつき、取り出した白墨ですらすらと優雅な手つきで構築式を書き上げながらそう軽口をよこしてくる弟に、俺も同じく軽口で応える。

「るせっ!マジメにやれマジメに。オラッ、敵は待ってくんねぇぞ。錬金術は正確さとスピードが命」

ピクルスの瓶詰めで一体どんな敵と戦うのかと笑いながらも、煉瓦の上に迷いなく描いていく構築式の見事さはどうだろう。かつては天才と謳われた俺でさえ思いつかない発想や理論を用いて、合理的でこれ以上無くシンプルな構成で展開される式。ものの数ヶ月でここまで錬金術を極めてしまった弟こそ、天才といわれるに相応しい人間に違いなかった。

 

「はい、出来ました。どう?」

いつもの習慣でそう俺にお伺いを立ててくるけれど、本当はもうそんな必要などありはしない。今となってはそれを聞かれる俺のほうこそが、その式の見事さに息を飲むこともしばしばだからだ。

「合格」

言いながら俺が円状に描かれた錬成陣の脇に両手の平をつき術を発動させると、青白い錬成光が一瞬走り、復元された瓶詰めがそこに現れる。ほれと放ってやったその瓶を受け止める弟の笑みに隠しきれない憂いの表情を見つけ、その事が俺の胸にほんの少しだけ痛みを与えた。

 

 


 

あの事件が起きた冬の日から既に半年以上の月日が経過し、季節は今、夏へと移り変わっていた。結局俺自身の口から弟本人に、錬金術を発動する為に必要不可欠なインスピレーションを失っていることを告げはしなかったけれど、学んでいく道程でそれに気がついたのだろう。一時、弟が酷く考え込んでいる時期があったから、何も言わずとも分かった。弟はそれと知っていて口をつぐんでいた俺を恨みに思っただろうか。お前の努力は無駄なのだと、何をしても二度と取り戻すことは出来ないのだと、俺の口から言ってやるべきだったのだろうか。でもアルフォンスは、なにも言わなかった。そしてある日、やけにさっぱりした表情で俺に告げたのだ。

 

僕は、僕に出来る方法であなたを守る力を手に入れるよ・・・・・・・と。

 

そして弟は、それまで以上に寸暇を惜しんでひたすら勉学に励みつつ、毎朝俺を叩き起こしては組手に付き合わせ、ハボック少佐の口利きで特別に参加を許された軍で行われる銃器の訓練にも積極的に出向き、研究所では終業後俺の研究室に必ず顔を出し、「勉強になるから」と言っては何かしらの仕事をこなした。身内の欲目では決してなく、アルフォンスは実に優秀な“研究員”だったから、同じ部屋の人間達も終業時間後にやってくるアルフォンスを当て込んで、古文書に書かれている考案した本人にしか解読出来ないような複雑な構築式を簡素で合理的な構成に変換する作業(これは熟練の国家錬金術師でも逃げ出したくなるほど難解で厄介な作業だ)などを後回しにする始末だ。

 

 

 

 

 

「エドワード君、今日はアルフォンス君は他に用事でもあるのかね?」

 

他部署に比べ、高い年齢層の人員で構成されるこの研究室の中でも最年長の部類に入る研究員からそう声をかけられた俺は、壁の時計に目をやった。時刻は5時半を回り、いつもであれば弟がこの研究室にとっくに顔を出している頃だった。いつでも規定どおりの始業終業時間を守る総務部で珍しく残業でもあったのだろうかと思いながら、今日は弟に一体どんな無理難題を押し付けるつもりなのかとその研究員についぶっきらぼうな口調で尋ねた。

 

「いやいや、今日はね、アルフォンス君に頼まれていた本が見つかったものでね」

いつも図々しく厄介ごとを押し付けるだけの年寄りかと思っていた相手が苦笑しながら差し出してきた古めかしい本を、俺は少々ばつの悪い心持ちで受け取った。

「これを、弟が・・・?」

 分厚く重みのある、古びた布張りの表紙の本には異国の文字が箔押しされていた。この文字には見覚えがあった。その内容を読み取ることは出来ずとも、ぱらぱらと捲ったページの所々に見える図から、錬金術若しくはそれに関連する事が書かれたものだと分かる。

 

「エクサンドルの・・・・・錬金術書・・・ですか?」

  「私も詳しくは知らないんだが、古い友人が国外の珍しい書物を集める趣味を持っていてね。その友人から譲り受けたものなんだよ。先日アルフォンス君との話しの折にエクサンドルの書物について尋ねられた事があったから・・・・」

  

 元素・・・・・・結合・・・・・・・相転移・・・・・・・・化学変化・・・・・・物質の固定化・・・・エクサンドルの文字で綴られた文の中から分かる単語だけを拾い、図と照らし合わせながら内容を推測していく。これこそが、あの事件の始まりとなった例の蝋印に仕込まれていたものの正体なのだろう。錬金術で行われる分解と再構築の過程の根幹にある理論とはまるで対極に位置するような式の配列を見て、俺はそう直感した。

 

 「これはアメストリスの錬金術とは違うものですね。シン国の錬丹術とも違うようだ」

「やはり君には分かるんだねぇ。そうなんだよ。呼称は知らんが、アルフォンス君が言うには錬金術のように原子の結合を分解し組み替える類のものではなく、エクサンドルのこれは逆に結合を強固にしたり阻害したりするものなんだそうだよ」

 

アルフォンスはもともと医療系の錬金術や錬丹術を専門とする人間だったから、当然今もそれと同じ系統の分野を重点的に学んでいるものだと思っていた。だから俺は、その弟が実はこんな分野にまで知識を広げていたという事をまったく知らないでいた。

 

錬金術による物質の変化を阻害する術。物質を分解させず、再構築させない為の理論。この技術がもし既に確立されているとすれば、錬金術が軍事力の一端を担うアメストリス国軍にとって大きな負の要因となるだろう。だからアルフォンスがまだアメストリスの国の言葉では呼称さえ持たない他国の技術にいち早く着目し、この術に対抗する手立てを模索しているのは当然のことかも知れなかったが、この術の解明に乗り出しているのには弟なりの理由が他にもあると思えた。俺の知っているアルフォンスは、自分の記憶と錬金術を失う原因となったものの正体を暴き、その存在を意味無きものにしてやろうと考えるくらいには、負けず嫌いな性分を持った男なのだ。それだから当然、いずれこの術が使われる場面に出くわした時、それをまんまと無力化し相手に手痛いしっぺ返しを食らわせてやろうなどと企んでいるに違いなかった。今度の件は、余程アルフォンスの腹に据えかねていたらしい。弟は昔から、怒りの度合いが強ければ強いほど冷静になるという特殊な性質を持つ人間で、その冷静さはさらにそのまま仕返しの規模に反映される事を俺は知っていた。

ドラクマとエクサンドルのお偉方も、とんだドジを踏んだものだ。知らぬとはいえ、こんな恐ろしい男の逆鱗に触れてしまうとは・・・・・・・。こうなったらせいぜい、この先弟の行動が非道に走ることが無いように目を光らせることが兄としての俺の務めだろう。

 

その研究員とエクサンドルの未知の術について互いの見解を述べ合いながら今日の業務を片づけ終えた俺は、いつも通り弟が顔を見せない事を不審に思い1階にある弟の所属する総務部を覗いてみたけれど、そこには既に人影がなかった。最近は必ず弟が俺の研究室に寄って一緒に帰宅をしていたから、何か用事があるのなら自分で言いに来るか、誰かに言付けるかする筈だ。そんな事さえできないような事態が弟の身に起きているのではと思いながら、俺は研究所内の弟が足を向けそうな場所をひとつひとつ探して回った。しかし思い当たるいずれの場所にも弟の姿はなく、俺は次第に不安を募らせながら静まりかえった廊下をエントランスに向かって足早に歩いていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

どこからか話し声が聞こえてきて視線を周囲にめぐらせると、廊下の窓ガラスの外、芝を敷き詰めた中庭に二つの人影を見つけた。姿勢の良い背の高い後姿は弟のもので、その弟に何か必死な様子で訴えているように見えるプラチナブロンドの男の顔には見覚えがあった。
 チェルニー=ユリアノフ。
 俺の知る限りでは奴の髪は栗色だった筈だが、おそらく今の髪色が本来のものなのだろう。かつてはチェルニー=ハルトマンという名を騙り弟の下で研究員として働いていたが、しかし実はアンソニー=ストーが差し向けたあの事件の実行犯の一人だったという男だ。死亡した狙撃犯が残した証拠の数々からその事実が判明していながら、これまで軍はチェルニー=ユリアノフの消息を掴めずにいた。てっきり母国であるエクサンドルに戻っているものと思っていたが・・・・・。

とにかく、記憶を失くしているアルフォンスが危険人物であるチェルニーをそうと認識できる訳はなく、俺はその二人の下へと駆け出した。

 

 

「アルッ!そいつから離れろ!!」

 

走り寄りながらそう声を上げたものの、そこに近づくにつれチェルニーと弟の様子に違和感を強くする。研究データの横脱に失敗した為に国を追われでもしたチェルニーが、破れかぶれで玉砕覚悟のデータ奪取計画を実行しているのかと考えていた俺は、弟とチェルニーの間に立ちふさがった途端に拍子抜けした。何故なら、そのチェルニーの表情が情けなくなるほどに泣き崩れていたからだ。

 

「今更何の用だ。任務失敗の責任で国から命でも狙われて、今度はこっち側に泣きつくつもりか?」

まるで、弟が怒ったときに出すような冷酷な声が俺の口から吐き出された。

「違う!違うんです・・・・!すいません!俺、俺なんて取り返しのつかないことを・・・!」

 

あれだけの事をやっておきながら、泣いて許されるとでも思っているのだろうか。あの計画が思惑通りに進んでいれば、今頃ここにアルフォンスが生きて立っていることはなかったかも知れないというのに。俺は、自分の心臓の辺りが冴え冴えと冷えていくのを感じながら、両手の拳を固めた。今コイツを殴ったところで、何の解決にもならないことは分かっている。分かっていても、この心を覆い尽くしていく暗い怒りに抗うことはとても出来そうになかった。

 

「兄さん待って・・・!!」

今しも目の前の男に掴みかかろうとしていた俺の肩を、後ろから抱きかかえるようにして弟が引きとめた。

「この人の話をもう少し聞いてあげよう?理由があったんだよ、彼には彼なりの」

「何言ってるんだお前は!?理由も何もねえだろうが!下手すりゃお前殺されてたんだぞ!?こんな人間の言い訳なんざ、聞いてやる義理なんかこれっぽっちだってあるもんか!」

「兄さん・・・・困ったなあもう。ね、少し落ち着こう?」

あくまでも静かな声で諭すように話す弟に後ろから抱きかかえられ暫くもがいていたが、あまりにも弟がその態度を崩さないことに、とうとう俺のほうが根負けした。

 

「わかった、分かったから放せ」

「本当に?放した途端に回し蹴り食らわせたりしない?」

「バッカ!しねーよ。いいからもう放せって」

疑り深く聞いてくる弟の言葉に思わず笑いながら答えてやると、ようやく俺は解放された。

 

しかし・・・・・「しない」とは言ったものの、このガマンにも限界がある。ここは早いトコ吐かせて、俺が殺意を押さえていられる内にふん縛って軍部に突き出すことにしようか。

芝に膝と両手をつき、壊れた玩具のようにただ謝罪の言葉を繰り返す男に向かって俺は聞こえよがしに溜息を吐きつつ声を掛けた。

「で?その理由とやらを早く話してみろよ。まあ、正直に話したからと言っても、事と次第によっちゃあ容赦なくボコるんだがな」

「兄さん、ガラ悪すぎ」

指の関節を鳴らす俺の肩をぽんぽんと叩き窘めると、弟はチェルニーに向かっていつもの穏やかな口調で先を話すように促した。

全てを鵜呑みにするわけではなかったが、その様子に嘘や誤魔化しが感じられなかったから、話しを聞いている途中から俺もチェルニーの言葉にはある程度の信憑性があると見はじめていた。

 

チェルニーの母国であるエクサンドルは、ドラクマに隣接した小国だ。嘗ては帝政が敷かれ、それなりに栄えた古い歴史を持つ国だが、現在は退廃の一途を辿り、軍事大国であるドラクマに追従しながらようやく国家としての体裁を保っているに過ぎないのが実状だ。もともとひどく排他的な思想を持つ国柄で、近年になってようやくドラクマと同盟を結ぶまでは、諸外国との交流を一切持たない閉鎖国家だった。だからエクサンドルの言語や文化はほとんど知られていないし、今でもエクサンドルの人間が自国から出るには亡命という手段を取るしかないともいわれている。そしてやはりチェルニーも亡命という形でドラクマを経由し、名と出自を偽りこのアメストリスにやって来たのだという。(“ユリアノフ”は、エクサンドルにしか存在しない名なのだそうだ)

 

そもそも、チェルニーが亡命という強行な手段をとってまでアメストリスに入国したのには理由があった。チェルニーの唯一の肉親である妹が、重い病に侵されこのままでは余命幾ばくも無いことを医師から宣告されたのだ。碌に諸外国との交流の無い国の医療技術ではとても手の施しようが無く、かといって病持ちの妹を密かに国外へ連れ出すのは不可能であり、また国外から医師を連れて来ることも何度か試みたものの全て失敗に終わった。そこで、もともとアメストリスの錬金術に興味を持ち独学で学んでいた事から、自らアメストリスで医療錬金術を身につけ妹の治療をしようと考えたのだ。しかしそんなチェルニーに対し、母国に残してきた妹の存在を質に取り、医療錬金術師アルフォンス=エルリックの部下という立場を利用して研究データを持ち出す事を強要してきた人物がいた。例の蝋印の、アンソニー=ストーだ。軍の調査通り、計画の目的はアルフォンスが取り組んでいた生体細胞の錬成に関する研究データの強奪、そしてその理論の発案者であるアルフォンスの暗殺だった。小規模な爆発を起こしたのは、アルフォンスに研究データをどこかに移動させる事が目的だったのだ。そのデータの場所を突き止めた後、待機している暗殺の実行役に射撃の合図を送るのがチェルニーに与えられた役割だった。しかしチェルニーは始めからデータの場所を聞き出した後も、アルフォンスを殺害するための合図を送るつもりはなかったという。データさえ持ち出してしまえば、殺害計画が失敗に終わったからといって咎を受けることはないと踏んでいたからだ。しかし思惑に反し、アルフォンスを狙っていたはずの狙撃者が自身の姿を目撃されたことで標的を俺へと変えるのを見たチェルニーは、それを阻止しようと狙撃者に向け発砲したものの僅かに間に合わず、結果あのような事態になってしまったのだ。

確かにあの後俺の耳に入った軍からの情報によれば、死亡した狙撃手は何者かによる銃撃を受けていて、その体内から摘出された弾丸は軍では使用されていない種類のものだということだったから、このことからもチェルニーの話の裏は取れる。

しかしその後チェルニーがアメストリス国軍の捜査網を掻い潜り自国へと戻ってみると、妹の行方が分からなくなっていた。アンソニー=ストーから妹の身に危害を加えるという強迫を受けてはいたものの、実際妹は国内の病院に入院し治療を受けている身だった。あらゆる手を尽くし妹の行方に関する情報を収拾した結果、何者かの手によって国外に連れ出されたらしい事を知ったチェルニーは、入出国が容易でないエクサンドルから国外へと行動拠点を移す事にしたのだ。 

 

「で、だからって何でわざわざこんなヤバイ国に戻って来たんだよ?軍に見つかったらただじゃ済まねえ事ぐらい分かってんだろ。馬鹿かお前は!」

 

膝を付き相変わらず泣きつづけながら必死に語り続ける様子に、俺もうっかり情にほだされてしまったようだ。そんな言葉が口をついて出てしまい、それに対して見せたチェルニーとアルフォンスの表情にしまったと思ったけれど既に手遅れだった。

 

「兄さん・・・!」

 

・・・ああもう、そんな嬉しそうな誇らしそうな可愛い顔をするなって・・・!!本意じゃないのについどうにかしてやりたくなっちまうじゃねーか!

そんな事を思いながらも頭の片隅では、チェルニーの身を何処に匿うか、その妹の行方についての調査にはどの情報筋を使おうか等と算段を立てている俺も、まったく呆れたお人よしのお節介野郎だ。

 

「言っとくが、この貸しは国家予算並みに高ェぞ?チェルニー」

 

アルフォンスの上着の内ポケットから抜き取ったハンカチをそのドロドロに泣き崩れた酷い顔に叩き付け、俺はニヤリと笑ってやった。

 

 

 

 

 

 

 





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 ***兄さんは絶対“ハンカチ持たない派”だと思う。弟のシャツの後ろとかで手を拭いてそう・・・・・・・20020216***