ひかりへと続く扉2-P〜家路

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 月明かりの中での攻防。この襲撃は、双方ともにリスクの大きい作戦だ。にも関わらず夜明けを待たずに攻撃を仕掛けてきたことで、この敵が相当追い詰められた状況にあることが窺い知れた。

 

 これは憶測だが、既にロイ=マスタング中将はこの地に眠る膨大な資源の存在を公表しているのだろう。そんな中、この捨て身ともいえる作戦を決行する彼らは、ドラクマとエクサンドルのミリタリズム推進派に切り捨てられた事実にさえ気付かずに上からの命令を遂行しようと躍起になっているに違いない。アンソニー=ストーの幹部は恐らく既に身をくらましているはずだが、しかし末端の構成員とはいえこの敵を生きて捕らえることが出来れば彼らを証人に、今崖っぷちにあるドラクマの地歩を突き崩し排斥する為の決定打にすることができる。

 

まだふらつく身体を引き摺り外を覗き見れば、皆驚いた表情でそれぞれのテントから飛び出していて、軍所属の人間達は銃を片手に応戦していた。暗がりで目視することは困難だったが、敵は30ヤードほど離れた岩場に潜んでいるようだった。しかし此方といえば、弾を避けるための岩さえないのだ。発砲音から敵の数はせいぜい4、5人程度だと知れたが、それでも圧倒的に不利な状況といえた。

兄はすかさず両手を合わせ防護壁を錬成しようと試みていたが、やはり敵は既にこの周辺一帯にあの例の石を大量にばら撒いていたのだろう。不自然な錬成光を発し、地面に僅かな凹凸が出来るのみだ。互いの場所をまともに目で確認することが出来ないままの攻防が暫し続いた。此方側の人間が数人被弾し地面に倒れこむ姿を見てテントから飛び出しかけた兄を引き戻し、自分の背後に押しやった。

 

 「アホッ!怪我人は引っ込んでろ!錬金術が使えねえんだ、蜂の巣にされるぞ」

 

 後ろで叫ぶ兄に構う事無く、僕は静かに両手を合わせた。今頭に思い描いているのは、先刻の爆発で気を失う直前、咄嗟に引用した構築式だ。

 

 

 記憶とともに錬金術を失った僕はその術を取り戻すべく、それこそ我武者羅に学び続けた。そしてそれと平行して、エクサンドルに古くから伝わるあの石に仕込まれた結界を構成する理論の研究にも取り組んでいたのだ。決して万能とはいえない術だけれど、それの存在は錬金術師にとって・・・・つまり兄にとって、この上なく脅威になると思ったからだ。そして理論上は、錬金術を無効化する結界をまたさらに無効にするための理論を組み上げた僕だったが、如何せんその時の僕はまだ錬金術を発動する為のインスピレーションを取り戻してはいなかったのだ。だから、実際にそれを構築式に組み込んで錬成を行ったのは先刻、あの坑道で爆発に遭遇した時が初めてだった。咄嗟に思いついた上に実際に使うのは初めての構築式だったから、錬成したものと理論の間にズレが生じ、完全に自分と彼等の身を守ることが出来なかったのだが・・・・。

 しかし今は一度錬成を行ったことで、その誤差が自分の中で修正されている。僕は唇の端を吊り上げ、振り向かずに兄に言った。

 

 「帰ったらさ、ふたり一緒にひと月くらいの休みを貰ってのんびりしようか」

 

 この逼迫した状況に全くそぐわない僕のセリフに、案の定兄は何を言っているのかと怒鳴り返してきた。けれど僕は意に介さず続けて言った。

 

 「ね?今の問題が全て片付けばいいでしょ。兄さんからもちゃんと中将と所長に頼みこんでよ」

 

 「あ・・・止せって!外に出るんじゃねえ!アル・・・ッ!!」

 

 

 テントから飛び出しざま手のひらを地面に触れさせた瞬間、周囲一帯が青白い光に満ちて・・・・・それがやがて消える。

 

 

 銃撃の音はまだ僅かに残っていたけれど、敵の潜む岩場とこのテントの設営場所の間には大人の背丈ほどの高さの岩壁が幅20ヤードに渡って聳え立ち、敵からの銃弾を跳ね返していた。

 

 

 「お・・・・おま・・・・・!?なんで錬金術発動出来んだよ!?あの石の影響は・・・」

 

 「それがねぇ、その効力をひっくり返す法則みつけちゃってさ。まだ完成とはいえないけど、まずまずってトコかな?さて、攻撃力を削いだところで捕獲といこうか」

 

 出血はなかったものの、瓦礫が当たって負傷しているらしい足に痛みを感じていた僕は、錬成した防護壁に向かってゆっくりと歩きだした。歩きながらざっと見たところこちら側の負傷者は4〜5名で、いずれも命に関わる様な重傷者はいないようだったから、丁度傍らにいた軍曹に応急手当てを頼み、彼らの治療は後でする事にした。

  

 

 防護壁の手前まで来たところで、その直ぐ向こう側で僕の錬成した檻に捉えられている筈の相手に向けて投降するよう呼びかけた。 

 

 「全員全ての武器を檻の外へ投げ捨てなさい。そうすれば悪いようにはしない。約束します。」

 

 「分かった!・・・・ほら!捨てた!捨てたぞ!」

 

 エクサンドル語での返事と同時に、金属製のものが硬い岩面に投げ出される音が複数した。僕の傍らで同じように壁面に身を寄せていた兄が、目を合わせながらひょいと肩をすくめる。勿論僕だってこんな返答を鵜呑みにするほどお人よしではない。

 

 「・・・さっさと投降すればいいのにねぇ。ああそれにしても今日の僕は今までになく絶好調みたい。無敵な気分だ」

 

 「ゲッ!?よせよ、その笑い!!何考えてるんだお前!あんまり意地悪な事すんな、アメストリスの錬金術師は根性悪だと噂が立ったらどうすんだ!」

 

 慌てふためく兄を尻目に、僕はパンと両手を合わせた。

 

 「そう・・・・・じゃあコレはどう?」

 

 言いながら錬成し、壁の向こう側にひょいと投げ入れたのは手りゅう弾だ。勿論ピンは抜いてある。途端に悲痛な叫び声が響き渡ったところで再度呼びかけた。

 

 「武器を捨てろ!」

 

 今度こそガシャガシャと乱暴に武器を投げ捨てる音が聞こえたところで、兄と2人壁の向こうへと足を踏み入れた。

 

 そこには、ほぼ僕のイメージしたとおりの形状で錬成された檻に閉じ込められている男達の姿があり、その周囲には銃やマシンガンの類が散らばっていた。男達は爆発を恐れるあまり既に戦意を喪失している様子で、口々に目前に転がる手りゅう弾を何とかしてくれと狂ったような叫び声を上げていた。

 

 

 「僕の錬成のリアリティは余程ハイレベルらしいね。フフフッ彼らの怯えようったら・・・!」

 

 そう、勿論手りゅう弾は、僕がそれらしく錬成した偽物だ。そんな紛い物に恐れをなして、中には涙さえ流して懇願する者までいる様子に気の毒な思いを抱きつつ、こみ上げてくる笑いを抑えきれずにいると、横から呆れたような声が言った。

 

 「・・・・・サ・イ・テ・イ。早く偽物だって教えてやれよ。あーあー、泣いてる奴までいるじゃねえか。大体、お前何なの、この場違いな装飾?余裕ありすぎだっつの!」

 

 兄が指さすのは、僕が趣向を凝らして錬成した石製の檻だ。檻の桟の部分には棘付きの薔薇の蔓が絡り、それは色さえ付いていれば本物と見紛う程の質感までが見事に再現されて、檻の上部には手に手に花籠を持った天使達が清らかな笑みを湛えながら舞っている。脳内に描いた映像どおりの出来映えにすっかり満足した僕は、兄に向かって得意気に笑いかけた。

 

 「優雅なデザインでしょう。う〜ん、我ながら自慢したくなるような出来だなぁ」

 

 「はー・・・・。こんな悪趣味な檻で捕獲されちまったコイツらには、マジで同情するわオレ」

 

 相変わらず物の造形に関する趣味が僕と合わない兄は、うんざりした顔で言いながら一人でさっさと今来た方へと歩き出している。こちらに向かって駆けてくる軍の人間とすれ違いざま軽く手を上げている兄の後姿を追うように、僕もそちらに足を向けた。

 

 

松明が焚かれ、電燈が灯され、昼間のように明るくなっている野営地は落ち着きを取り戻し、それぞれの人間が任務をこなす為に忙しく走り回っていた。あと丸一日も経たないうちに、エクサンドルへ協力するという名目でアメストリス軍が正規のルートから現地入りを果たすだろう。そうすれば油脈の採掘まであと数日もかからないに違いない。

 

 

 

 数日前までこの心を苛んでいた耐え難い痛みは、まるで嘘のように消え去り、今僕の胸にあるのは、只々穏やかなものばかりだ。決して誇張ではなく、あの時の僕の心は瀕死の状態だった。兄の愛を失うこと・・・・・それはつまり、僕の存在意義の消失を意味していた。彼と共にあること。彼を愛し、彼に愛されることこそが、僕の存在根拠なのだ。けれど。

 

 僕は、あの夜自分が兄にしてしまった暴行を一生忘れはしないだろう。自分を見失い、大切な人を自らの手で傷付けた僕もまた、相手にとって自分は果たして愛され得る存在なのかと思い悩む兄と同じ脆弱さを持っている。僕と同じ思いに駆られながらも、しかし兄は僕を傷付けるのではなく、逆にその痛みを自らの中に押し込め堪えながら只僕の幸せだけを想っていたのだ。

 

 いつもそうだ。

 僕と兄は、互いに護り、護られているのではない。僕は、いつでも兄に護られていたのだ。

 そんなことに、ようやく気付く。

 

 もっとこの愛を育てよう。深く、広く、大きく。この先どんな光の届かない深淵に陥っても、その人の幸せだけは守り抜ける強い自分でありたい。兄のように・・・・・・・。

 

 

前を行く兄の後姿にぼんやりとした視線を送りながら、ゆっくりとその後を辿っていると、ふと立ち止まり此方を振り向くその人と視線が合った。

 

「何で黙ってンだよ」

 

「え?」

 

ムスっとした表情で呟きながら此方の方へ戻ってくると、僕の大腿部を指差して文句を言い出した。

 

「足!お前ずっと気絶してたし出血もなかったから気付かなかったけど、傷めてんだろ?なんで直ぐ俺に言わねぇんだ?」

 

「あ、ゴメン。でも多分骨には異常ないだろうし、後で自分で直・・・・・・」

 

「ほらっ!」

 

言い訳めいた事を言い出した僕の脇に肩を入れ、ぐいと腕を引く事で傾いた僕の体の重みをしっかりと支えると、今度は歩調を合わせてゆっくりと歩き出す。本当はそこまでされるほど酷い痛みでもなかったけれど、その人のぶっきら棒な優しさが嬉しくて、僕はそのまま素直に甘えることに決めた。遠慮なく肩に腕を回し、ついでに少し低い位置にある頭に自分の頭をもたれ掛からせる僕に、手加減無しの頭突きで応じながら兄が言った。

 

「今回中将にはしてやられたぜ。お前、俺があのまま北のキャンプに飛ばされると思ってただろ?」

 

「うん、聞いたその時は。だって彼はそうハッキリ言ってたからね」

 

それにチッと舌打ちをしながら、ところがよ、と続けられた言葉に僕はやはりと思いつつも絶句した。北の前線へ向かう覚悟を固めていた兄は、上層部からの辞令がそう簡単に覆るものだろうかと疑問を抱いていたのだが、この地へ向かう道中、同行の尉官の口から、自分を含む若干名のチームが事前に組まれていたことは事実だが、その行き先は北は北でも前線などではなく軍の研修所であり、さらに用意されていた任務はそこで新米錬金術師の指導にあたる事だったのだと聞かされたらしい。
 結局、僕達はふたり揃って中将に担がれたという訳だ。今にして思えば、僕達ふたりの拗れた関係を悪化させようとも、逆に取り持とうとしていたともとれる中将の行動。その介入の意図は置いておくにしても、何故中将は自分達の拗れた状態を知り得ることが出来たのだろうかと、兄は首をかしげていたけれど、僕は一人胸中で大きく頷いていた。

 

あのマスタング邸の使用人がしきりに部屋の前をうろついて此方の様子を窺っていた理由が分かった。おそらく僕とナターヤ、そして兄の様子を知らせるようにと主人に言いつけられていたのだろう。

 

ナターヤの出現により僕と兄の間に隙間が生まれ、次第にすれ違い、それぞれが思い悩み、悲しみに暮れた。しかしその後中将の起こした行動によって僕と兄は自分の心と向き合い、結果、より強い絆を取り戻すことが出来たのだ。

 

「僕達はあの人に感謝するべきなのかな?」

 

「微妙だな・・・・・何だか、さらに裏があるような気がしてなんねぇ」

 

「同感」

 

顔を見合わせて笑いあったところで、見張りの人間が大声でアメストリス軍の先発部隊の到着を知らせた。予定よりも大幅に早い到着に、アメストリスとエクサンドルの上層部が早期に手を結んだのだと知れた。これもまた、ロイ=マスタング中将の先見の明と手腕に寄るものだろう。

 

「あ〜あ、コレでまた階級上るんだぜ。大総統になるのも、そう遠い先のことでもないかも知れねぇな」

 

「本当だよね。でも、これで晴れて僕達の任務は終了だね。さ、引継ぎをして・・・・早く帰ろう」

 

テントの前に辿り着き、支えてくれていた兄から身体を放そうとしたけれど、何故か僕の背に回していた手に力を入れたままじっとしている。目だけで問いかけると、くしゃっと顔を崩してなんともいえない笑い顔を向けてくる。

 

 

僕はその兄の表情で、彼が今何を思っていたのかを感じとる。

 

あの日。記憶をなくして間もない僕が兄とふたりで軍司令部を訪れ、そこで僕の中から殆どの記憶が失われていることを知り、さらにその記憶を取り戻す術さえないという事実に行き着いてしまった兄が、帰り際僕に言ったあの言葉だ。

 

 

『アル、帰ろう。家に帰ろう』 

 

 

その時兄は、深い喪失感や絶望、不安、怒り・・・・・・悲しみ。そんな感情の全てを押さえ込み、僕に微笑みながらそう言ったのだ。

 

一瞬にして恋人でなくなってしまった僕に、いや、兄弟という関係性までもが消え去り、赤の他人同然となってしまった僕に、彼はそれでも笑いかけてくれたのだった。

 あの、儚くも慈愛に満ちた美しく、そして悲しい微笑みを思い出す。

 

 

でも、今は違う。失われた筈の全ては、取り戻せる。もう兄一人の身にだけ、あの辛い過去の記憶を背負わせる事もしなくて良いのだ。

痛みも、悲しみも、幸せもすべてふたりで分け合えるように・・・・・早く。

 


「帰ろう、早く。ふたりで、あの家に帰ろう」

 

もう一度そう言う僕に、今度こそ兄は満面の笑みを向けてきた。僕の大好きな表情。この顔が、僕は見たかったのだ。あの日から、ずっと                      

 

 

 

 

「ん。・・・・・・俺たちの家に、帰ろう・・・・!」


 言いながら僕の指を握りしめてくるその指を、僕もまた強く握り返した。只ただ切なく胸を締め上げてくる熱い塊を、密やかに抑え込みながら・・・・・。







 

 

 

 

 

 

 

 

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