ひかりへと続く扉2-N〜終息
俺を含む10人の追加要員は今、目的地に程近い岩場を黙々と進んでいる。ここに来るまでおよそ一日半を要したが、俺はその間中アルフォンスのことばかりを考えていた。
俺の目を真っ直ぐに見なくなったアイツ。俺はただ単純に、アルフォンスが自分の心変わりに後ろめたさを感じて俺と距離を置くようになったのかと思っていたけれど、ナターヤの言葉を信じるならば原因はそれではないのだ。ナターヤが俺に好意を抱いたことを知り、俺の知らないところで自分の身を危険に晒すような交換条件を飲んでまで俺からナターヤを遠ざけようとしていたアルフォンス。目があうと、ポーカーフェイスのはずのその表情が一瞬強張るのを、この数週間の間何度目にしただろう。いつでも俺の為になるのならいくらだって上手に嘘を吐いて騙すアイツが、何故今度に限ってはそれが出来なかったのか・・・・・・・・・迷っているからだ。
もしかしてアルフォンスは、俺に向けるナターヤの想いを遮る行動を取りながらも、俺がいつも奴に向けて言う『真っ当な人並みの幸せ』というものを俺に与えるべきかと思い悩んでいたのかも知れない。
『真っ当』とか、『普通』とか、『人並み』とか・・・・・・。俺はいつも、あまり考えもせずにそれらの言葉を弟に向けてはいなかったか。過去に禁忌を犯したことを後悔するあまり俺は無意識の内に、本来の自分の意思とは必ずしも一致しない『常識』と言うものに縋ることで心の平安を得ようとはしていなかったか。
弟には、普通に結婚をして穏やかな生活を送り、そしてその血を残す。そんなごくあたりまえの幸せを味あわせてやりたい。
何時でも俺の心の隅にはそんな想いが消える事無く燻っていたけれど、所詮それは弱い俺が手放せないでいた最後の逃げ道を、あたかも兄の愛情であるかのように体裁良く整えて見せていただけだったのだ。
俺という唯ひとりの人間に向けられるアルフォンスの愛情。その奇跡のような幸せを、俺は今まで自らの手で手繰り寄せ、育み、愛おしんで来ただろうか。いつでも言葉で、身体で、この眼差しで、仕草で。お前を愛しているんだと、心から伝えていただろうか。
俺の弱さが、アルフォンスを迷わせた。いつでも与えられるばかりで、自分からは何もしなかった俺が、アルフォンスを不安にさせてしまったのだ。愛想を尽かされて当然だ。でも、今の俺の気持ちだけはアルフォンスに会って伝えなければならない。例え既にアルフォンスの気持ちが離れていて、それが取り返せないのだとしても、これだけは。
地図で現在地を確認して、この少し先にある谷間がそのポイントなのだと知った俺たちは襲撃を受けずにここまで辿り着けた事に、安堵した様子で目線を交わした。しかし次の瞬間、今しも辿り着こうとしている谷の方角から爆音がしたことでその表情が一変する。
まさか、採掘現場が襲撃されたのだろうか。
逸る気持ちを抑えきれず、俺は自分の背負っていた装備を後続の人間に押し付けるとそのまま足場の悪い岩の上を飛び移りながら現場へ急いだ。
谷間にある岩壁の一部に大勢の人間が大声をあげ群がっていた。事前に受けていた定期連絡の報告によれば、採掘ポイントは岩壁に横穴を開けた30ヤード先だという事だったから、恐らくあの場所がそうに違いない。周囲は爆風で巻き上がったらしい煙や砂塵で極度に視界が悪く、余程近寄らなければ状況を見極めることが出来そうになかった。俺は騒然とする男達の中に軍の見知った人間の姿を見つけ、そちらに向けて駆け出そうとしたが、ふと不自然な動きをする複数の人間に気がついた。皆が崩れ落ちた洞穴の入り口に視線を向けているのに、その3人だけはそれに構う事無く、全く違う方向へ向かって移動しているのだ。明らかに不審であるのにも関わらず、混乱した状況の中、誰一人としてその3人の動きを気にする者はいない様子だった。
「とりあえず、アレを逃がすのは上手くねぇよなぁ」
俺のいる位置からその三人までの距離は20ヤード程度。大きな岩が折り重なるようにしている岩場を目指す三人の後ろに素早く近付いたところで、両手を合わせそれを地面に叩きつける。瞬間発したのは、不自然に中途半端な青白い錬成光だった。またか、と思った。あの例の、錬金術の効力を阻害する石をこの連中の誰かが持っているに違いない。
石で堅牢な檻を錬成し三人を閉じ込めようとしたが、実際に出現したのは歪で巨大なオブジェだった。しかしそれが上手い具合にそれぞれの足元をすくう形になり三人が地面に転がった隙に、一人目の鳩尾を踏みつけ、起き上がろうとした二人目の下あごに渾身の蹴りを食らわせ、背を向けて走り出そうとした三人目には跳び蹴りをお見舞いしてやった。地面に這い蹲りうめき声を上げる三人の身柄の確保を後続の人間に任せ、崩れ落ちたと見られる採掘場所へと駆け寄ると、そこではチェルニーがエクサンドル語で周囲の男達に指示を飛ばしていた。普段は温和なその男が切羽詰った様子で大声をあげているのを見て嫌な予感を胸に湧き上がらせながらも、ざわめく群衆の中にアルフォンスの姿を探した。
崩れ落ちた瓦礫を退かす者、土砂を次々に堀り出す者、何がしかを叫び身振り手振りで指示を出す者、崩れ落ち塞がった穴の内側に向けて大声で呼びかけている者・・・・・・。その騒然とした光景の中に、アルフォンスの姿はなかった。
「エドワードさん・・・・・ッ!」
俺の到着に気付いたらしいチェルニーがやや青ざめた顔で駆け寄ってくるのを見て、アルフォンスがあの中にいるのだと知る。思わず震えてしまう膝に力を入れ、こちらからもチェルニーに近づき抑揚の無い声で聞いた。
「怪しいのを3人、向うで捕まえてある。中にいるのは何人だ?」
「掘削の作業員5人と・・・・主任です。すみません!こんな事に・・・・」
「お前の所為じゃねえし、謝るヒマがあったら頭を働かせろ!手を動かせ!俺が指揮するがいいな?お前は通訳だ」
「了解しました」
短いやり取りをしながら、崩れ落ちた洞窟の状況を見極める。錬金術で落盤防止の為の処置は施してあるといっても、流石に人為的な爆発の衝撃を想定にいれてはいないはずだ。爆発物が仕掛けられたとみられるのは、穴の出入り口に比較的近い場所だった。爆発する直前まで、この場所にいる殆どの人間が坑道の中にいたが、アルフォンスの指示で皆外に出たのだという。この坑道の一番奥にある地下へと掘り進む場所まで掘削作業の人間を呼び戻しに行ったアルフォンスは、いったい穴のどの位置で爆発の衝撃をその身に受けたのか・・・・・・・。
絶望的な方向に行きかける思考を無理やり引き戻しながら、冷静になれと自分に言い聞かせる。
余計な事は考えるな。信じろ。アルフォンスは死んだりなんかするものか。
アルフォンスは錬金術を取り戻しているのだ。そして記憶を無くしているとはいえ、その身に染み付いているはずの危機的状況に対処する術が、きっとアルフォンス自身を守っている。とにかく今の俺に出来るのは、一刻も早くこの瓦礫の山を撤去し、中にいる弟達を救出する事だ。
男達が懸命に瓦礫と土砂の除去作業をしている横で、俺はチェルニーから坑道の内部の寸法や岩石の構成物質のデータを聞き、慎重に構築式を組み立てていく。錬金術で全てを破壊するのは簡単だけれど、内部のどの位置に人間がいるのかさえ分からない状態なのだ。坑道をこれ以上破壊しないよう崩れた瓦礫だけを砂状に分解しつつ、落盤を起こした部分の天井を持ち上げ補強しなければならない。
式が組みあがったところで、その場所から人間を遠ざけ、俺は瓦礫の前で手を合わせた。
・・・・・・アルフォンス。どうか、生きていてくれ。それだけで良い。もうお前の命以外には何も望まないから・・・・・・!!
錬成光が消え去るのも待ちきれず、俺は真っ暗な坑道の中に駆け込んだ。その俺の後ろから沢山の明かりが穴の奥へと差し向けられ、その光りを頼りに足場の悪い中、目を凝らしつつ進む。
やがて漂ってくる臭気・・・・・・それは紛れもなく、人の血液から発せられるものだった。
直ぐ後からやって来た男達が手にするランタンや電燈の光りに照らされた壁際に、折り重なるようにして複数の人間が倒れているのが見える。皆それぞれ程度の違いはあるが負傷し、頭部や手足から血を流していた。その脇にある、明らかに錬金術で作ったと見られる不完全な形の岩の防御壁が、襲い来る爆風と瓦礫の破片から辛うじて彼らを守ったのだろう。そして、その防御壁の直ぐ横にうずくまるように倒れている人間がいた・・・・・。
「アル・・・・・アルッ!?アルフォンス・・・・・!」
その身体を腕に抱き、手のひらで触れた頬に温もりを感じた瞬間、俺はこれまで存在を信じたことなど無かった神にさえ感謝した。
数人がかりで気を失ったままの弟を仮設テントまで運び込むと、ひとまず掘削中の現場に戻り、錬金術でその入り口に蓋をした。仕掛けられた爆発物は一つとは限らなかったから、その確認が出来るまでの間、人の立ち入りを避ける為の暫定的な処置だ。幸い5人の男達も命に別状は無く、順次意識を取り戻しては口々に爆破の様子を語った。縄梯子を登りきり、出口に向けて坑道を歩き出した直後に突然爆発に巻き込まれた・・・・と。しかしそれとほぼ同時に目前に現れた岩壁に救われたのだと、皆一様にアルフォンスへの感謝の言葉を口にした。
夕刻の定期連絡で爆発事件の一件を軍に報告すると、依然採掘計画は続行するものの一時作業を中断し現場待機との指示を受け取った。捕らえた3人は未だ口を割らないが、ドラクマから油脈の採掘計画妨害の依頼を受けたアンソニー=ストーの手の者であることはほぼ間違いなかった。チェルニーが潜入した不審者に気がつかなければ、今頃この現場の人間は最悪全滅していたかも知れない。
恐らく中将は今回の件で、より規模の大きな人員派遣を実現する為、エクサンドルの旧体制派と結託し油脈の採掘をする『計画がある事』を上層部に報告し、エクサンドルの地中に膨大な資源が眠っている事実を公然のものとし、その掘削にアメストリスが協力していることを周辺各国に知らしめようと目論んでいるのだろう。
“見込み”とはいえ資源の保有を明らかにすれば、世界中の国々がエクサンドルとドラクマの国力が逆転したと解釈する事は明白だ。それにより、ドラクマと手を結んでいた多くの国々は、こぞってエクサンドルの下へ流れていくに違いない。これまで軍事力主体だった力関係の構図が一気に経済重視のものへと移行していき、軍事力のみを頼みに勢力を保っていたドラクマの大国としての地位が失墜するのも時間の問題だろう。つまり、これに伴いアメストリスが長年抱えていた最大の軍事的懸案であった北部の問題も、事実上の解決へとつながっていくはずだ。
要するに、俺もアルフォンスも・・・・そして軍の上層部も、強いては北の国々でさえ、全てがロイ=マスタングのチェスボードの上で動かされていたのだろう。そう、全てが・・・・・・だ。
今回のエクサンドルへの特殊編成チームの派遣は、中将の権限内で行われていた。ならば当然、それと引き換えに撤回された俺の北への前線配属命令も初めから上層部からの命令などではなく・・・・・・・・。
俺としたことがそんな単純な事にも気付かずに、一喜一憂し、すっかり振り回されてしまった。アルフォンスとの間に隙間が生じただけで、ここまで自分を見失ってしまうのかと我ながら呆れるしかない。
夜、今後の計画や諸々の作業についての打ち合わせを終えた俺は、アルフォンスが寝かされている2、3人用の小さなテントに戻った。大多数の人間が大型のテントで雑魚寝をしているのだが、意識が戻らないアルフォンスの為にチェルニーが気を利かせ、取り計らってくれたのだ。
任務に追われアルフォンスの無事を喜ぶ間もロクにないまま、たった今迄外を駈けずり回っていた俺は、一つ息を吐き、シュラフに包まれ寝かされている弟の横に座りその顔を覗きこんだ。
飛んできた瓦礫が当たったらしく額やむき出しの手から出血が見られたけれど、他に大きな怪我はないようだった。気を失ったままの弟の身体に両腕を回し埃っぽい首筋に鼻先を埋め、ぎゅっと抱きしめた。アルフォンスの匂いを間近に感じた途端、何の前触れも無く視界が歪み、鼻の奥がジンと熱くなった。
張り詰めていた気が抜けた所為で、これまで抑えていた感情が俺を押しつぶそうと一気に湧き上がってきたのだ。
温かい。耳元には確かに呼吸が感じられ、合わせた胸はゆったりと上下を繰り返し、生を紡いでいることを教えてくれる。
懸命に、考えないようにしていた。アルフォンスがいなくなってしまう事など、俺には堪えられないから。けれど・・・・・。
怖かった。アルフォンスの居なくなった世界で、俺は一体どんなふうにしてその先を生きて行けばいいのか、皆目見当がつかなかった。アルフォンスの存在は、そのまま俺自身の存在意義となっていたのだ。
「ふ・・・・・う、ヒ・・・・・・ック・・・ア、ル・・・・・・」
抑えきれない嗚咽が漏れ、壊れたように流れ続ける涙が弟の襟元を濡らした。これから夜が深まるにつれ、まださらに冷え込むのに、これでは弟の身体を冷やしてしまう。俺が何か拭うものをと、身体を起こしかけたその時、優しい囁き声がした。
「どうして、泣いているの・・・・・・?」
「アルッ!?」
目を覚ました弟が、不思議そうな表情で此方を見上げている。やや緑がかった金の双眸が、優しい光りを湛えながら自分に向けられているのを、俺はただ見返すことしかできなかった。