ひかりへと続く扉D〜策謀

 

 




 

 

 

 

 

国軍の主力部隊をその配下に置くセントラル軍の拠点にあたるこの施設は、俺たち兄弟の勤務する研究所からほんの目と鼻の先、ゆっくりと散歩がてらに歩いたとしても五分とかからない距離にある。
 その巨大な敷地は9フィート程の高さの、見るからに頑強なつくりの鉄柵で囲まれていて、一歩その内側に足を踏み入れただけでそこにある空気が外部のそれとはまったく異質なものであることが感じられる。


 ここは法と規律のみで万事が回る、人間らしい情の介在が一切許されない厳格な世界だ。

 

でも、俺は知っている。そんな世界に身を置きながらも、心の奥底にいつでも暖かい灯を持ち、それを堅く守り続けている人達がいることを。だから俺はここに来る度に、まるで故郷に帰ってきたかのような妙に懐かしい、暖かい気持ちになれるのだ。


 

 

 

正規の軍人とは違い、一度入り口脇の受付で入館の手続きを取らなければならない俺たちが所定の書類にサインをしているときだった。多くの軍人たちが行き来する廊下の向うから見知った人物の声が掛けられた。

 

「よお大将!大変だったな〜オイ、出歩いちまって体大丈夫なんか?昨日退院したばっかだろーが」

相変わらずの、デカイ体にデカイ声、靴音も賑やかに、いかにも人のよさそうな物腰の士官が咥えタバコで歩み寄ってくる。


 「ハボック少佐。悪い、なんかまた心配かけちまったな、ホント」

意識が混濁していた所為で、この人物が数日前の銃撃を受けた現場に居合わせていたことを知らずにいた俺だったが、意識を取り戻した後付き添いのマイラーから、俺を病院へと搬送する手配や、錬成直後から意識のあったアルフォンスの面倒などを一手に引き受けてくれたらしい事を聞かされていた。そんな昔なじみに、まだきちんと礼を述べていなかった俺は、改めてその相手を正面から見上げ、姿勢を正した。

その俺の様子に「ん?」と目だけで問いかけてくる相手に向かい、率直な感謝の気持ちを伝えた。

「ハボック少佐。ウチの研究所のマイラーから聞いたよ。意識がなかった俺に代わって、記憶がないアルの面倒、色々見てくれてたって。それにこいつが持ってた研究データまで預かってくれて・・・・・。あと面倒な事後処理なんかも全部引き受けてくれたんだろ?ありがとう。すげー感謝してる。マジで助かった」

 

記憶を失くし右も左も分からない状況で、見覚えのない人間たちに囲まれた上、自分のことすら分からなくなっていたアルフォンスは、きっとひとりでとても不安な気持ちでいたに違いない。けれどこのどこか飄々とした人の好い笑顔を持つ男が側にいてくれたことで、その時のアルフォンスの気持ちがどんなにか和らいだだろうことは易く想像できた。研究データにしろ、万が一このどさくさに紛れ、他国の諜報部員の手などに渡る様な事になっていたら、弟の首一つでは済まない、のっぴきならない事態に陥っていたかもしれないのだ。

 

「オイオイオイ!よせよ〜。アルフォンスはよっぽどお前をカワイク錬成したらしいなあ。素直すぎて逆にひいちまうぞ?」

愛嬌のある目元にくしゃっと皴を寄せて大きな声で笑いながら、でかい手でガシガシと俺の頭を掻き廻し、他方の手ではアルフォンスの背中を力強く叩いている。そのアルフォンスの表情をみると、この数日ですっかり打ち解けていたらしく、にこにことしたいつも通りの笑顔で応えていた。

そんな和やかなやりとりをしているうちに、受付のカウンターの中からマスタング中将の執務室へ行くようにと事務的な口調で指示され会話はそこで中断となったが、別れ際、また頻繁に軍の方へ近況報告に来るようにと社交辞令でない言葉をかけられた俺たちは、温かい気持ちでその遠ざかる後姿を見送った。

 

 

 




 

 

 

 

「ああ、アルフォンスも一緒に来たのだね。まあ、そこに掛けなさい」

 

「・・・・・・・ここで、いい・・・・・・」

 

 

重厚な造りのドアに『総司令官執務室』という金のプレートが貼り付けられているその部屋は、訪れるたびに内部の様子をガラリと変えては来訪者たちに衝撃を与えることで、軍内部ではひそかに『趣味の部屋』と囁かれているとも聞く。その部屋のドアを開けるなり目の前に広がった、“覚悟していた程度”をはるかに凌駕するその光景に、すぐさま背を向け帰りたくなる衝動を押さえるのに精一杯だった俺は、窓際の執務机に鎮座するこの部屋の主の左脇に立つ、数日前の騒動の一件で散々世話になったホークアイ中佐にまともな挨拶をすることさえ出来なかった。

 

「遠慮などするものではない。立ってするような話でもあるまいし。いいから座りたまえよ」

「・・・・・・・・座るが、長居はしねえぞ」

 

再び畳み掛けるようにそう促してくる上司の言葉を無視するわけにもいかず、仕方なく俺はその無駄に華美なデザインの長椅子の隅に腰を浮かせ気味に座り、やはり唖然とした様子で部屋の光景を見渡していたアルフォンスに目だけで“お前も座れ“とサインを送ったのだが、その人間の口から飛び出した言葉に俄かに痛み出したこめかみをギュッと押さえた。

 

「とても・・・素適な執務室ですね・・・!」

そう言う弟の目は記憶を失って以来だろう自然な明るさを取り戻したようで、きらきらとした輝きを放っていた。

そうだった。確かにコイツはこういう奴だったと安心半分、残りの部分ではうんざりとしながら弟の趣味嗜好について思いをめぐらせた。

 

デカイなりをしているくせに、柔らかい物腰ながらも存外男っぽい性格をしているくせに、こいつは昔から好きな色といえば、薄桃色や淡いグリーン。好きな動物といえば、猫やウサギ。カーテンやテーブルクロスにレースやフリルが付くのは必須。旅を続けていた当時の俺が持ち歩く研究手帳のデザインについても飾り気が無いと口やかましく注文をつけた挙句『これをすればきっとステキだよ』などといいながら無理やり手帳にかぶせようとした入手ルートが全く不明な、ピンクの花柄に刺繍が浮き彫りのように散りばめられている布製のブックカバー様のものも、実は細かい作業が不向きな鎧の手で弟がせっせと手作りしたものだったという事を最近になって初めて知った。

 つまり、そんな弟の趣味にこの部屋の有様は見事に合致したようだった。

 

「中将が御自分で選ばれたんですか?あのコンソール、装飾がとても繊細で素晴らしいです・・・・・うわ、このキャビネットも猫脚のカーブ具合がなんとも絶妙ですね」

「おお!そうか、君にもこの家具達の素晴らしさが分かるか!やはり君は只の若者ではないと常々思っていたのだよアルフォンス君!!」

確かアルフォンスは中将に関する記憶もなくしていたはずだった。にも拘らず、同じ趣味嗜好を持つ者同士特有の連帯感の成せるわざとでもいうべきか。なにやら恍惚とした表情でロココ調の何たるかを論じ始めた2人を尻目に、これまた軍施設内で使用するには憚られるようなロマンチックなティーセットで紅茶を淹れ、それを俺の前においてくれるホークアイ中佐だったが、その表情はいつもの通り冷静そのものだ。


 「・・・・今度の模様替えもまた、トンでもねー事ンなってるけど・・・・よく許したよなぁ中佐も?」

そう同情のまなざしを送った俺に、当のホークアイ中佐はそのきりりとした美貌に柔らかな笑みをつくり答えてくる。

「一度でも執務中に逃走したら、私達部下の好きなように執務室の改装をしてくださるという条件なの。そろそろサボリ癖が出てもいい頃なのだけど、今回の模様替えが余程お気に召したようで3ヶ月にもなるのにまだ脱走する事無く頑張ってらっしゃるわ」

「・・・・・軍の上層部もよく黙ってんなぁ」

呆れ顔でため息を吐く俺に、それまでアルフォンス相手に嬉々としてこれらの家具を如何にして入手せしめたのか等を語って聞かせていた黒髪の上司が、すかさず口を挟んできた。

「何を言う。上層部どころか、先週視察に来られた大総統でさえいたくこの部屋をお気に召されて延々と三時間も居座られて大変だったのだぞ。そもそもこれらは総て私が自費でしているのだ!」

 

偉そうに胸を張りそう言い放ってくる人物の襟元には、燦然と輝くセントラル軍総司令官の地位を誇示する紋章があり、その背後の壁には恭しく国旗と軍旗が掲げられている。しかしそれに対して、窓際に垂れ下がっているゴテゴテとレースやらフリルやらがついた目障りなカーテンや、ピンクと白を基調とした乙女趣味な調度品の数々が所狭しと並べられた室内との落差が見事なほどシュールな世界を形成していた。

 

「軍当局がこんなんじゃ、この国もいよいよ平和国家への道程を歩み始めてるってことだよな。とりあえず喜ばしいことだと解釈しておくよ」

「うむ。まあ、そういう事だ。・・・・・・さて、それではそろそろ本題に入らせてもらっても良いかな?」

「是非にも」

ようやく俺がここに来た目的を思い出してくれたらしい相手にため息を吐いてしまいそうになり、代わりに目の前で冷めかけている花柄のティーカップに入った紅茶を一気に呷った。

 

 

「例のものを」と傍らの中佐に持ってこさせたパラフィン紙製の袋に入れられた書類のようなものを手渡してくるのに俺は怪訝な目を向けたのだが、その向かいのソファに座る上司は黙ったまま優雅な仕草で紅茶を楽しんでいる。“とにかく見ろ”ということかと、その薄く中身が透けて見える袋から入っているものを取り出し、俺は眉を顰めた。

中から出てきたものは、大きさの違う2枚の封筒だった。片方は小さな白い封筒で、その中には異国の文字で何かが書きつけられているメモが一枚入っているのみだったが、俺の目を引いたのはそのメモではなく封筒に付けられている蝋印だった。そしてそれより一回り大きいもう片方の封筒は、まさしくあの日俺が弟の目から隠すようにポケットに忍ばせたものだった。その茶色のクラフト紙には、今は乾いているが俺の流した血がべったりと赤黒く張り付き、その時受けた銃弾がポケットの中の封筒を貫通したのだろうと分かる穴が、赤い蝋印の一部を抉り取るような形で開いていた。

この二つの封筒の明らかな共通点。そう、あの不気味な版で押された赤い蝋印だ。

 

「白い封筒は、君を銃撃した犯人が所持していたものだ。中のメモはエクサンドル語で書かれたものだよ」

「これを持っていた奴は捕まえたのか?」

「逃走をはかり屋根から転落した。即死だった。そのおかげといってはなんだが、思いのほか犯人に関する情報が多く得られたのだよ・・・・それより、気がついたかね。鋼の」

「もう“鋼”の銘は返上したっての。あんたもいい加減慣れてくれ」

「そうだったな、エドワード。では、そちらの君の服の中にあった方の封筒の蝋印を良く見てみるがいいよ」

「・・・・・・・?」

 

必要以上の厚みで盛られた蝋印の裂けた断面に真珠粒大の窪みを見つけると、今度は中佐が何か小さなものを乗せた金属製のトレイを俺のほうに差し出してくる。「手に持っても?」と目線で確認してからそれを指でつまんで手のひらに乗せてみる。その大きさと形状、破壊され具合から、例の蝋印の中に埋め込まれていたものだと容易に察することはできたのだが、この黒くて小さな壊れた球状のものが一体なんなのか見当もつかない俺に、それまで断片的な説明に終始していた中将が、まるで演劇の台本でも読むかのような淀みなさであの爆発と銃撃事件の全容を語りだした。

 

「まず結論からいってしまうならば、今回の件はドラクマと、それと同盟を結ぶエクサンドルが結託して企てたものである可能性が大きいというのが我が軍の見解であり、私もほぼ間違いなくそうだろうと睨んでいる。今はまだ調査の段階だが、その計画の主旨は、アメストリス国随一の医療錬金術師であるアルフォンス=エルリックの暗殺と、その研究データの横奪にあったようなのだ」

「ちょ・・・・っ!ま、待ってくれ!」

「何かね?質問でも?」

「そうじゃない!だけど待ってくれ、これは別に記憶をなくしちまってるアルフォンスが聞かなくてもいい話だろ?そういうこみ入ったことは、俺一人が聞けば事は済むはずだ」

 

 

今や錬金術研究者達の間だけではなく、政府や軍の連中からみた医療錬金術師としてのアルフォンスの位置付けは、確かにこの国随一といわれて然るべきものだった。そのアルフォンスは自分の研究が周囲にもたらす影響の重大さを十分に自覚していて、だからこそ、その研究データを自分以外の人間が管理することを一貫して許さなかった。高度な医療錬金術が、戦時下に於いても敵対諸国に対し大きな優位的要因になりえると考えるのは何処の国でも同じ事だからだ。

それがどういうルートからか研究の存在が知られることとなり、結果、研究データを奪い、そのデータを再現出来る唯一の人間を抹殺することで他国に対してより優位に立とうと目論んだ者が放った凶弾が、誤って兄の俺に打ち込まれてしまったということなのだろう。

しかし、いくら記憶を失くしているとはいえ、元来人を思いやる心を過分に持ち合わせているアルフォンスの事だ。自分の所為で他の人間が犠牲になったと知れば、たとえ突然降って湧いたような存在の兄に対してであろうと等しく心を痛めるに違いないのだ。

 

「弟を気遣う君のその気持ちは良く分かる。だが今回の件は、この国最大の軍事的懸案に大きく関わっているから、いずれは誰もが耳にするはずだよ。ここで下手に隠さない方が、アルフォンスの為でもあるのではないかな」

諭すようなその言葉に、それでもすぐには頷くことを躊躇っていた俺の横から、きっぱりとした声が言った。

 

「中将。全て、包み隠さず事実を教えていただけませんか。記憶を失くしたとはいえ、僕自身が研究していた内容を巡って今回の事件が起きたというのなら僕にはそれを知る権利があるはずですし、それに対して出来うる限りの責任を果たす義務もあります」

「お前・・っ!何言ってんだよ!記憶失くしてるお前にそんなこと考える余裕はないだろうが!?お前は余計なコト考えずに、少しでも早くそのパーになっちまってる頭を元に戻すことだけ考えてればいいんだっての!」

 

「兄さん」

 

「・・・・・・・!?」

 

記憶を失くしてから決してそう呼びかけてくることの無かった弟の口から初めてそう云われたことで、俺は動揺した。記憶を失くしているくせに、まるで俺のすべてを分かっているかのようにそんな切り札を出してくる弟が憎らしくて・・・・・・。

 

「馬鹿・・・ヤロウッ」

 

たまらず口を噤んで視線を逸らすしかなくなった俺に、それまでなりを顰めていた強い意思を感じさせる口調で、穏やかな声が続けられた。

「あなたが僕のことを気遣ってくれているのはとても嬉しいよ。けれど、憶えていないとはいっても、全てをきれいに忘れているわけでもないらしいんだよ」

 

「え!?憶えていることも、何かあるのか?」

「研究についてのことで何か記憶は残っているかね?」

 

何か記憶を残しているらしいと申告した途端、二方向から同時に質問を浴びせられた弟は、困ったような笑顔を中将と、そして俺に向けた後、天井の方に視線を遣りながらぽつりぽつりと記憶の断片を話し出した。

 

昨日、あの事件以来初めて2人で家に戻って過ごしたけれど、そのあたりの事に極力触れたくなかった俺は、あえてアルフォンスの中にどれだけの記憶が残されているのか、まだ確認していないままだった。そして今、分かったこと。

 

残している記憶は、断片的な故郷の風景や、何らかの事情で両親が既に他界していること。大人になり、故郷から離れた場所で生活の基盤を築いているという事。知り合いや友人との、日常の他愛無いやり取りや会話の端々。軍に所属していたらしいという認識。そして昔なじみの人々の僅かな面影・・・・・・。



            それが、全てだった。

 
 

分かってはいた。何よりアルフォンスの中から消えた記憶は、そっくりそのまま俺の中にあるのだから。俺の中に“アルフォンスの持つ俺に関する記憶”がほぼ完璧な形で存在していることを感じていたから、当然アルフォンスの中にそれが残っているとは考えられない事は理屈では理解していた。だから、なにか僅かでも俺に関する記憶のようなものを残してはいないかと夢見がちに期待していたのは俺の勝手な事情だ。それなのに、改めてその事実を確認させられたことで、俺の心が受けた痛手は思いのほか大きかった。

 勝手に震えだす指先を周りに悟られたくなくて、思い切り強く握った拳をジャケットの両ポケットに突っ込んでどさりと背もたれに身を預けると、可笑しくも無いのに喉の奥から自然に笑いがこみ上げてきた。

 

「は・・・・・ははっ!あんなに懐いてたくせに、兄貴の存在を見事にキレイに忘れやがった。お前も結構ハクジョーモンだよなあ?アルフォンス。」

「・・・・・・・・」

 そういいながら隣に目を向けると、アルフォンスは寂しそうに僅かに笑いの表情をつくった後、ゆっくりと俺から外した視線を床に落とした。

 

記憶を失くしたことについて弟を責めるのはお門違いだと分かっていながら、それでも恨み言めいた言葉が口をついて出てしまう自分自身に嫌気がさす。言ったその口で、すぐさま押し寄せてくる後悔の念に唇をかみ締めた。その胸の中では、暗い色をしたどろどろの澱のようなものが蠢いて・・・・このままでは思ってもいない不用意な言葉で誰彼構わずに当り散らしてしまいそうだ。

ここは要領よく事件の全容を聞き出して早々に退散するに限ると、俺は気を取り直し中断してしまっていた説明の先を促した。

 

 

 

そして、先に説明を受けていた内容と、さらに中将の口からあらたに語られる詳細とを統合していくと、今回の事件のあらましがほぼ明らかになってくる。

 

アメストリスとその北方に位置する軍事大国ドラクマの間で取り交わされていた不可侵条約はとうの昔に形骸化し、一般市民にこそ知らされていないが、ここ数年その水面下では、一触即発のやり取りが両国の間で続けられていた。そんな折、そのドラクマと、やはり同じような軍事国家であるエクサンドルがアメストリスの優れた錬金術に目をつけたのだろう。今はまだ、ドラクマとエクサンドルが同盟を結んだところで、その軍事力はアメストリスに及ぶものではないが、仮にアメストリスの軍事力を支える主柱の一つである錬金術の技術を奪い手に入れることができれば、その力関係が逆転することは明白だった。

 そしてその二つの国から、アメストリスの錬金術研究のデータの持ち出しとアルフォンスの暗殺を依頼されていた人物こそが、件の封筒をアルフォンス宛に送りつけてきたあの“アンソニー=ストー”なのだった。もっともそれも、北方の軍事国家周辺を拠点に国際軍法違反の武器の密売や暗殺者の斡旋などをしている、所謂ブローカーのような人間が隠れ蓑として持つ複数の名前の内のひとつにすぎないらしいのだが。

 

 

 実行犯は二人。一人はアルフォンスの暗殺を、もう一人は研究データの横奪を、ということだったらしい。しかし犯人たちの計画が結果的に失敗に終わったのは、ターゲットであるアルフォンスが危機的状況に於いて冷静な判断を下し行動することに熟達している人間だと認識していなかったからだろう。普通の人間ならば、爆発が起きた時点で重要な研究データを他所に移動しようと保管場所を明かしてしまうところを、おそらくあの日のアルフォンスはそうしなかったのだ。それによってデータ持ち出しの計画は頓挫し、さらに屋根の上からは研究データの所在を聞き出した後、アルフォンスを射殺しようと狙い構えていた人間を運よく俺が見つけてしまったことで、犯人はその矛先をまず俺に向けてきたのだ。

 

そこで、かねてからの腑に落ちない点に尽きあたり、俺はまだ掌の上で転がすようにして弄んでいた物体を見るともなしに見ていたのだったが・・・・・・。

 

 「・・・・・・・ん?これは・・・・・記号か?」

 「ほう?流石だな、やはり教えるまでもなく気がついたかな」

 

 ひしゃげた球体の断面に、小さな文様のようなものを見つけた俺は、注意深くそれを観察した。小さな、とても肉眼では正確に読み取ることが困難なそれは、異国の文字と記号のようなもので円を描いているようだった。

 

「これは・・・・・・錬成陣か?でもこの式は俺の知らない組み立て方だ。初めて見る」

 「それこそが、今回の君たちの身の上に引き起こされた災難の大本だよ」

 

 成程、と。そのあたりでようやく術の発動が為されなかった原因にたどり着いた俺は、まだ傍で控えてくれていたホークアイ中佐の持つトレイにその欠片を返した。

 

「その錬成陣は些か特殊な効力を持つ、いわば結界のようなものでね」

そういう上司の説明を皆まで言わせず、その後を引き継ぐように俺は返した。

「大方、ある程度限られた範囲内で錬金術の発動を抑制するとか、その構築式の一部を無効化するとか、そういう類のものってコトだろう」 

 「御明察だ。あいかわらずの天才振りには痛み入るよ」

 「茶化すな。つまりは、コレをアルフォンスに身につけさせることで錬金術を使えなくしておいて確実に暗殺を実行するつもりが、そのアイテムを俺が横取りしちまったって訳か」

 

 この小さな石が、俺たち兄弟にもたらした影響はふたつ。

 一つは、錬金術の発動を抑制された俺があの銃弾を避けることが出来なったこと。そしてもう一つは、俺とアルフォンスが同時に行った生体錬成術の構築式の一部に誤差を生じさせたことで、本来アルフォンスに戻るべきであった記憶の大部分が俺の中にダウンロードされてしまったということだ。

 

 あの日の朝、自分の中で働いた勘に従って行動したことが、はたして正しかったのかそうでなかったのかは依然分からないままだったが・・・・・。もしあの時の俺が何も考える事無くこの封筒を弟に渡していて、もし俺があの現場でライフルを持った男に遭遇していなかったら、事態はまた全く違っていたものになっていただろう。さらにそれによって考えられた最悪の展開が脳裏をかすめ、俺は身震いをした。

 

俺の横に座り静かな面持ちでじっと話を聞いているアルフォンスは、その話の内容をもとに自分の中にある記憶の断片を必死で探っているようだった。研究に集中して深い思考に入り込んでいるときに決まってする、手のひらを首の後ろに持っていく仕草をしていたから、すぐに分かった。やはり当然の事ながら、記憶が無くても、アルフォンスはアルフォンスなのだ。

 

そうだ。だから、きっとこれで良かったんだ。

記憶を失くしても、アルフォンスはここにこうして、俺の隣で生きて、存在している。

 それ以上を望もうだなんて、貪欲もいいところだ。

失くした記憶を惜しむのではなく、アルフォンスの命が無事であることを喜ぼう。

俺の横で生きていてくれることの幸せを噛み締めよう。

 

それでいい、それだけで十分だ。

 

 

 「そうか。ありがとう中将。コレでよく分かったよ」

 

 その場を辞そうと、弟を促して席を立った俺に、そういえばと再び中将の声が掛かった。

 

「それともうひとつ。アルフォンスの処遇に関しては、記憶が戻るまでの間は一時軍籍から外すと上からは言ってきているよ。もっともエドワードがそれについて異論を唱えるとも思えないが、一応その旨伝えておこう」

 

 「・・・・・・・分かった。記憶が戻らない間は、コイツは一般市民の身なんだな?了解したよ」

 

 

 帰り際、ほとんど言葉を交わさないままで終わってしまったホークアイ中佐との再会に、次回はゆっくりと時間をとって甘いものでも食べながら話をしようと子供のような約束を交わし、執務室を出た。

 

 

 

 

 

          有り難い。これで弟は、一生軍とは無縁で生きられるということだ。

 

 

 何故正しく錬成が為されなかったのか。その原因が明らかになったことで、同時に、その記憶を戻す術を自分が持たないという事もはっきりと認識するに至ったのだ。 

 

 

そう、弟の・・・・・・アルフォンスの記憶が戻ることは、おそらくもう無い。

 

 

禁忌を犯したあの幼い日の出来事も、魂だけの存在となり果て、冷たい鎧の体に取り縋って生きながらえていた辛い日々も、長い苦しみの末ようやく生身の体を取り戻したときの喜びも、そして・・・・・・。

 

そして、同じ血肉を分かつ兄弟でありながら、あってはならない形の愛を芽生えさせ、深く結ばれてしまった罪の記憶も。


 

すべてはもう、俺一人の胸の中にしか存在しない。


 

でも、それでいい。

 

大事なのは、生きているという事。ただ、それだけだ。

 

 

俺は、アルフォンスがここに生きていてくれるという奇跡を、心から嬉しく思った。

  

 

 


来たときには柔らかな日差しが注いでいたポプラ並木の道も、今ではほとんど日が落ち薄暗く、肌寒い風が首筋をさらっていく。俺はジャケットの襟を両手でかき合せながら、後ろを歩く弟に声を掛けた。 

 

「アル、帰ろう。家に帰ろう」

 

振り向いて目をやる俺に、アルフォンスはいつもと全く変わらない、あの柔らかい笑顔を浮かべて頷いた。

 

 

 

 

 

 


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                 *******191110**********

 

 

 

 





        困ったよ・・・・こんなありえない展開になるなんて思わなかったよ・・・・(;;)続きドウシヨウ・・・