ひかりへと続く扉B〜知らない男
ニイチャ ン
待って。待ってよう、兄ちゃん。
先に行かないでよ
『アル。こっちだ、こいよ!早く!』
だって転んじゃったよぅ。痛いよ兄ちゃん
『泣くな!オトコは泣いたらなめられんダぞ!』
血がいっぱいでてるんだもん。兄ちゃん、どうしよう?
『しょーがねえなぁ、なんでそんなに泣き虫なんだよアルは』
いたっ!痛い、痛いよ!ベロがぞりってするよ、にいちゃん。
『ショードクしてやってんだぞ。こうしないとバイキンが入って病気になっちゃうんだ。ガマンしろ』
うん。ちゃんとガマンする。
『よし!エライぞ、アル。イイコ、イイコしてやる』
えへへ・・・・
『ほら!もう痛くないだろ?いくぞっ!』
ホントだ、痛くないっ!すごいや兄ちゃん!兄ちゃん、すごいよ!
『ア―ル―!ちゃんとついてこいよ―!』
うんっ!うん、兄ちゃん!僕ちゃんとついていくよ!
兄ちゃん。
にいちゃん
兄さん・・・・・・・・・・。
「エドワード、私が分かる?」
ここは・・・・どこだ?
この声は知っている。出会いからしてインパクトが大きかったから、そうそう忘れることはないだろう。
マイラー=フォーグル。
あの人の恋人だった女だ。研究室にいきなり訪ねてきて“あなたのお兄さんとお付き合いしています”だなんて、オトコらしい爆弾発言かましやがったむやみやたらにガタイのいい、いいオンナ。
・・・・・あれ?アノヒトって、誰だっけ?いや、それに待てよ?“お兄さん”?そんなの俺にいたっけ・・・・?
胸の中に妙なざわつきを覚えながら目を開くと、すぐ横には良く見知った女の姿があった。
「エドワード?大丈夫?」
「・・・・・・マイラー・・・・」
「うん、良かった目を覚ましてくれて。・・・・待って、まだ起きない方がいい」
「ここ、どこ?研究所の医局じゃねえよな?」
「セントラルの軍施設内の病院。総司令官の指示で、君はあのあとココに運び込まれたんだよ」
「アイツは?俺と一緒にいたアイツは?あれから何日経ってる?アイツに会わせてくれマイラー!」
そうだ、アイツは今どうしてるんだ?
こんなところでゆっくり寝ている場合じゃないと、俺は傍らのマイラーの制止を無視して力の入らない両腕を突っ張り上体を起こそうとして、視界に入ってきたものに瞠目した。
右手に、確かに伝わる布を掴む感触。
左の腕よりも幾分青白くはあるけれど、見違えないようがない。これは紛れもなく、生身の血の通ったヒトの手だった。
「な・・・・・・んで・・・!?まさか・・・・・っ」
毛布を払い入院患者用の白い寝衣ごしに触れた左脚にも、肉の持つ柔らかな感触と暖かさがあって・・・・・・。
「俺、間違いなく2箇所撃たれてたよな?じゃあ、錬成は成功したって事か?でもアイツは?あいつ、どうなっちまったんだ?」
「エドワード・・・・・、少し落ち着いた方がいい」
必要以上に穏やかな声で話しかけてくるマイラーの様子に、俺の不安は逆に膨れ上がった。
「頼む!マイラー!!奴に会わせてくれ!あいつ、何処にいるんだ?今どうしてる?無事だよな?なあっ!?」
「分かったから、会わせてあげるから。エドワード、落ち着きなさい?」
勢いあまってマイラーの身体に掴みかかるような体勢になっていた俺は、両肩を大きな手でぎゅっと掴まれ、マイラーの透き通った金茶の瞳に覗き込まれた。
「平・・・気、だ。・・・・わりい。つい、取り乱した」
「まだ、肩に力が入っている。ゆっくりと息を吐いて・・・・・・・吸って・・・・・・。そう、もう一度」
「・・・・・・・・・・・・」
暖かいてのひらが項に当てられ後ろ頭を支えられながら、その声の言うとおりに目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返した。
本当だ。マイラーの言うとおりガチガチになっていたらしい身体から、力が抜けていくのが分かった。
そうしているうちに、数日前に頭の中で描いた構築式と錬成理論が明確に呼び覚まされ、その時起こった事実を改めて認識する事ができた。
そうだ・・・リバウンドの影響を極力等分させる為に、互いで互いを錬成しあったんだっけ。それで結果的に手足が戻ったんだ・・・。よかった、ずっと取り戻してやりたいと思い続けてきた願いが、ようやく叶ったんだ・・・・・。そうだ。あいつは?あいつは無事なんだろうか?リバウンドの影響を多く受けてはいないだろうか?
・・・・・・・・・・・?
「あいつ・・・・?あいつって・・・アル、フォンス・・・・・だよな?だって俺のこと、エドワードってお前呼んだよな?」
「・・・・・?君はエドワードだよ?大丈夫。何も間違ってない。きっと長い間意識を失っていたせいで、記憶が混乱しているのかも知れないね」
・・・・・この、“妙“としか表しようの無い不可解な感覚は何なのだろうか。そう思いながらも、それ以上に気になる事柄に向けて俺の思考は集中していた。
「どれくらい、俺は眠っていた?」
「今日で・・・・5日目。もう、落ち着いたみたいね?」
「で、アイツもまだ眠ってるのか?」
「実はさっきからそのドアの向うにいるんだよ。呼ぼうか?」
「え・・・・・?」
そこまできていながら何故最初から部屋に入ってこないんだろうといぶかしみながらも、早くそいつに会いたいがためにその疑問を脇に追いやり、少し隙間が開いていたドアに向かってよろめきながら近づき、声を掛けた。
「アル!アルフォンス!どうしたんだよ!そんなとこにいないで、はやく中に入って来いよ・・・・・」
あと2歩ほどでドアにたどり着く場所まで来たとき、そのドアがそっと開いて、見慣れた茶色いチェック柄のスラックスに綿のワイシャツ姿の背の高い人間が室内に入ってきた。
「アル・・・・・ッ!良かった!お前体なんともないか?どこにもリバウンド受けてないか!?」
何故か無言で立ち尽くす弟に構わず、その腕といい足といい体中に触れて一通り無事を確かめたところで、いやに室内の空気が重苦しいことに気がついた俺は、改めて弟の顔を見上げた。
「・・・・・アル・・・・?どうしたお前?なんでそんな変なカオしてんだよ?なんかあったのか?」
俺を見返してくる弟は、以前となんら変わったところはないように見えた。
でも、この違和感はなんだ・・・・?
「なんで、何も言わないんだ、お前?まさか声“持っていかれた”とか言うんじゃねえよな?」
「・・・・・エド、よかった。意識がずっと戻らなかったから、スゴク心配したのよ?」
立ち尽くす弟の後ろから、よく見知った幼馴染の姿が現れた。おそらく、軍の誰かから連絡がいったんだろうと察した。
「わりいな、ウィンリィ心配掛けちまったな。大体この前きてもらったばっかりなのに・・・。でもほら、もう俺たち心配ないから・・・・」
軽い口調で言う俺をまるで窘めるかのような厳しい表情で、ウィンリィはきっぱりと言った。
「エド。ちゃんとアルをみて」
「・・・・・・みたよ。リバウンドは、なかった」
「そう思う?」
言うな。言わないでくれ、ウィンリィ。
「アルが“持っていかれた”のは、声でも腕でも脚でもないわ」
「何も持っていかれてなんかいない!こんなにも変わらない姿でいるじゃねえか!」
殺風景な病室に響くその声は、発している自分でもあきれるくらいに白々しさを滲ませていた。
「・・・・・アルは、生まれてからあの日までの記憶の殆どを失っているのよ」
「そんなはずはない!!」
本当は、分かっていた。
部屋に入ってこない奴の様子に、最初から何かがあっただろうとは察していた。
俺に向けられるその目をみた瞬間、すぐに分かった。
アルフォンスなら、そんなふうに俺を見たりなんかしない。絶対に、しない。
あんな・・・・・まるで研究対象のサンプルを顕微鏡で覗き込むような、何の感情もこもらないただ観察するような目で。
「・・・ちくしょう・・・・っ」
強く握った両拳を顔にあてて、こみ上げる嗚咽を漏らすまいと耐える俺に、優しい・・・・・・優しいだけの、心の感じられないよそよそしい声が掛けられた。
「あの・・・・、大丈夫ですか?どこか苦しいんじゃ・・・」
「この人、入院しているのでしょう?僕、お医者さん呼んできましょうか?」
そう言って靴音と気配が離れていくのに、そいつが部屋の外に出て行こうとしているのだと分かった。
それでいい。出て行ってくれ。今は俺の近くにいないで欲しい。
「待ってよ、アンタこいつに見覚えはないの?少しでも何か、あるでしょ?ほら、ちゃんと見てよ!?絶対に何か覚えているはずよ!」
「・・・・やめてくれウィンリイッ!!」
情けない。たったこれだけのことで、こんな悲鳴みたいな声が口をついて出てしまう自分がどうしようもなく弱い人間に思えて、俺は幼馴染に向かって声を上げたことをすぐさま後悔した。
なんで、どうしてこんなことになった?
俺たちはまた、どこかで何かを間違えたんだろうか。
あのとき頭に描いた構築式に・・・・・何か足りないものがあったのか。どこかで式の順序が入れ替わってはいなかったか?リバウンド現象ではないから、おそらく代価が不足していたわけではないのだ。
だけど・・・・・・。
・・・・・・・そう、ひとつだけはっきりした事があった。
さっき覚醒してから今までの間、ずっと俺の中にあった妙な感覚の理由は、これで説明がつく。
「・・・・・わり。・・でも・・・そっか、よく分かった」
「・・・なによ、何が分かったって言うの?」
「さっき目を覚ましてからずっと、俺の記憶が混乱している訳が・・・・さ」
「・・・・・・・・・?」
「確かにあの生体錬成は、理論的にも、発動の手法もすべてが完璧だった。幸いリバウンドもなかった。あの逼迫した状況の中で、咄嗟にあれだけの理論を組み立てたアルは、天才といってもいいくらいだ」
「何言ってるのよアンタ?アルは記憶を失くしちゃってるのよ!?」
当のアルフォンスは、ウィンリイに呼び止められたまま、部屋から出たところで所在なさ気に立ち尽くし、きっとこの会話の意味すらも分かっていないのだろう。戸惑いの表情を浮かべて俺たちの方にその目線だけをむけている。
「マジで、リバウンドは、なかったんだ・・・・・・アルの記憶は“持っていかれた“わけじゃねえ」
「どういうこと?」
「エドワード!?まさか・・・・」
マイラーはさすがに俺のさっきからの言動をみていたから、そこで察したようだった。そう・・・・。
「アルから無くなった分の記憶な?ぜーんぶ、俺ントコに入っちまってるらしいんだ、どうやら」
「止めてよエド!へんな冗談言うの」
「あのな、こんな時冗談いってどうするんだっつの。じゃあ、お前とアルだけが知ってるはずの事、なんか聞いてみろよ?」
いくら錬金術という特殊な概念に対する距離が、普通の人間よりも比較的身近だったろうその幼馴染でさえ、ある人間の記憶が他の者の中に移り込んでしまうというその現象をにわかには信じることができないでいるようだった。もっともそれは、実際に体感してみないことには理解できる類のものではないのかもしれないが・・・・・。
しばらく戸惑うような素振りをみせたあと、ゆっくりと確認するように口を開いた。
「・・・・・・・・・あんたが初めて、女の子から誕生日のプレゼントもらった時のこと、覚えてる?」
「・・・・メアリーか?あのでっかい麦畑のある家の」
「そう。そのメアリーが実は同じ年のアルの誕生日にもプレゼントをあげたてんだけど、アルはもらったことすらあんたにはいってなかったはずよ。・・・・・アルが何をもらったのか、分かる?」
・・・・・確かに、そんなことがあった。そうか、弟より先に女からアプローチを受けて舞い上がっている俺の喜びに水を注さないよう、そんな年端のいかない頃から気を使っていたのか。なんてこまっしゃくれた子供だったんだろうな、お前。
「バースディカードと、緑色の毛糸で編んだ手袋・・・・・・だろ?ちなみに俺が貰ったのはピンクのハンカチだったけどな」
「・・・・・・アンタ・・・・・じゃあ、ホントなの・・・・!?それ、アルがアンタに絶対内緒にしてくれっていって私に預けたのよ」
「だよなあ。見ちまったら、いくら鈍い俺でも誰から貰ったんだ・・・・・って、なるよなぁ」
「・・・・な?分かったろ?これで」
「戻せないの?だってアンタの中に入ってるんでしょ?」
「今は何ともいえねえな・・・・正直、俺も原因が分からない以上、どう手を出したらいいもんか考えあぐねてんだ」
「・・・・・・・エド・・・・・」
こんな幼馴染の泣き出しそうな表情を見るのは久しぶりだったけれど、思えば昔も今も、俺たち2人は変わらずウィンリィや周りの優しい人達に心配をかけ続けているんだった。
こんなんじゃ、駄目だ。この俺が落ち込んでいる場合ではない、と自分自身を奮い立たせるように背筋を伸ばし、胸を張り、初めて正面からそこに立っている弟を見た。
姿かたちこそ以前のままだけれど、その眼差しはいかにも頼りなさ気で、ともすれば見る者に気弱な印象さえ抱かせるほどだ。きっと、一番不安な思いをしているのは、こいつに違いない。それなのに、これ以上俺までが不安そうな素振りを見せるわけにはいかなかった。
俺はその、縋るように頼りなげな眼差しを送ってくる“知らない男”に、出来るだけ穏やかに微笑みかけながら話しかけた。
「お前、身体なんともないか?」
「え・・・・はい。特に変わったところはないようです。あの・・・・・」
「分かってる。ココに来る前になんも聞かされてないみたいだな。でも自分の名前くらいは教えてもらってんだろ?」
「はい。アルフォンス・・・・・アルフォンス=エルリックと、いう名前らしいです。あなたは・・・・?」
その男の横で、あの気丈なはずの幼馴染が手を口元に当てて、その貌を大きく歪めている。
ゴメン、ウィンリィ。こんなとこ、本当はお前に見せるべきじゃないのは分かってるんだ。アルフォンスの奴、お前のことまで忘れちまってるんだろ?ホント薄情な奴だよなぁ。
「エドワード=エルリック、だよ」
「え・・・・・?じゃ、僕の家族・・・・・なの?」
そこでようやく堅苦しい言葉遣いを崩したようだ。自分と同じファミリーネームを名乗る者が現れたことで、明らかにその表情に安堵の色が差すのが見て取れた。
「そうだ。アルフォンス。お前は俺の、エドワード=エルリックの弟だ」
言った途端、その安堵の表情が今度は一転してあっけにとられたような驚きの顔に変わった。
「は・・・・・・?弟?僕が・・・・?君、ではなく・・・本当に僕の方が弟なの?」
おい・・・この場で、その反応をするか。
「・・・・・・・・・・お前、そのデリカシーのなさはマジで生まれつきだったんだな・・・・?」
本気でショックを受けている俺の後ろで、それまで殆ど口を挟まずにこの状況を見守っていたらしいマイラーが思わずといった体で噴出すと、それにつられるようにたった今まで泣き顔を浮かべていたはずのウィンリィまでもが笑い出していた。
「ウィンリィお前、何てひでぇカオで笑ってんだよ?」
「だって…・だって仕方無いじゃないの!こんな時だってのに、可笑しいもんは可笑しいのよっ!」
涙を拭いつつ言いながら、マイラーとともに笑い転げている。
「・・・・・ったく、しかたねぇなぁ・・・・ふ、・・・・・ハハハッ」
なぜだかそんな2人に俺までがつられて笑い出してしまい、ただひとりアルフォンスだけが、取り残されたようにあっけにとられた様子で立ち尽くしていたのだった。