ひかりへと続く扉〜interval

 

 

 

 

 

 

 

目を開けたとき最初に見たのは、薄水色の空と煉瓦色の建物の壁らしきものの一部だった。頭の横で大勢が行き来する足音と振動があって、自分が地面に寝かされているのだと分かる。


 ここは、どこだろう?

何故自分は、こんな場所にいるんだろう?


 そんなことを言葉としてではなく漠然と思いながら、まるで地面に縫い付けられているかのような重い身体の感覚に、そのままじっと空を見ていると、間近で大きな声がした。


 「アルフォンス!気が付いたか!?オイ、身体どっかおかしくないか?」


 まったくなんて大きな声だ。何も関係のない人間がこうして近くにいるのに、遠くの人間に向かって大声で話し掛けるなんて、周囲に対して余程無頓着な人間なのだろう、この声の主は。


 「おい?聞こえてんだろ?アルフォンス!おい!コラ!こっち向けっての!!」

その声がさらに大きくなり、誰かの大きな手が僕の頭を乱暴なしぐさで鷲摑みにして強引に向きを変えさせる。

「・・・・・・・・?」

「おい?マジで平気か、お前。気分悪いのか?救護班呼ぶか?呼ぶぞ?呼ぶからな!?」

立て続けに聞いてくる青い制服を着た(おそらく軍人だろう)その人は、心配そうに身を屈めてこちらを覗き込んでいた。もしかすると、さっきからの大きな声での問いかけは、この僕に向けられていたものだったのだろうか。


 「僕、どうしたんでしょう?事故か何かに巻き込まれたとか・・・・?」

そう何気なく僕が尋ねた途端、その金髪碧眼の人の表情から色が消え、今度はいきなり肩を掴まれて揺さぶられた。

 「アルフォンス!?オイ!しっかりしろよ!混乱してる場合じゃねえって!いくら錬成が成功したからって、お前の兄貴、まだホントに大丈夫かどうかは分かんねえんだぞ?お前がそんなんじゃ、大将になんかあった場合一体誰が対処できるってんだよ!?」

 

 

 アルフォンス・・・・・・・?それは、僕の名前なんだろうか?聞いたことがあるような気もするし、無かったような気もする。

 ・・・・・“兄貴”?僕には兄がいるのか・・・・・?

 “れんせい“?・・・・・それは、何?耳慣れない言葉だ。

 それに自分が一体何者なのか、それすらも・・・・・・・何も、分からなかった。

 

 

けれど、頭のどこか一部分に厚い雲の層のようなものがあって、何かを考えようとするたびにそれが膨張して思考を強制的に止めてしまい、同時に抗い難い、強烈な眠気が僕を襲ってくる。



 眠い、眠い、何も考えずに、今はただ、眠ってしまいたい・・・・・。

 


 
 まだ、さっきの人の声が聞こえていたけれど、僕の意識は引き摺られるように、その眠りの闇へと堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お〜い、アルフォンス、そこのコーヒー豆が入った缶、こっちに放ってくれよ」

「はい。これ・・・・・・ですね?」

「そうそうわりいな・・・ってお前よ?放れって言っただろうが。わざわざくそっ丁寧に手渡しなんかしなくていいって!」

「すみません。でも、何だか人にものを放り投げるのに抵抗を感じて・・・・・」

「ああ、ああ、分かった分かった。お前、昔っから兄貴と違って育ち良さげだったもんなぁ」

 

 

 

ここは、例の研究所のある場所から車で15分ほど行ったところにある簡素なアパートメントの一室だ。どうやら記憶を失ってしまったらしい僕の身を、親切にも一時的に預かってくれているこの男性の名は、ジャン=ハボックという。そしてこの雑然とした空間は、そのひとの住む部屋なのだった。

 

彼は聞くところによると、セントラル軍の特殊部隊に所属するバリバリの武闘派軍人ということだが、どうしてなかなか物腰の爽やかな親しみの持てる好人物だという印象を僕は持っていた。

どういう事情かは分からなかったが、中央軍の総司令官直々の命令により、数日の間僕の身の回りの世話と護衛を兼ねての任務を言い渡されたということだった。当初、“護衛“という言葉に引っかかりを感じていた僕だったけれど、この3日の間何事もなくのんびりとこの部屋で過ごしているうちに、それは一人前の男に向かって”面倒を見る為“とは言い難かったその人が、辛くも紡ぎだした名分だったのかもしれないと思うようになっていた。

 

そんな人物との奇妙な共同生活は意外な程に快適で、最も相手は記憶を失くす以前の自分をよく見知っていたらしいから、初対面という訳ではにないにしろ、不思議に違和感なくこの数日を過ごすことができていた。

それは恐らくこの人が、記憶を失くした僕に対してのスタンスを、以前の僕に対するそれと変えることなく接してくれた事が多く起因していたのだろう。こんな風にごく自然に、かつての自分がどうであったか、そして(今はある事情でここにはいないらしい)僕の“兄“という人がどういうひととなりをしていたのかという事を、さりげなく僕に教えてくれるのだ。そして、おそらく意識的にそうしているのだろう。会話のところどころに度々”アルフォンス”と、“僕”に向かって呼びかける言葉を入れてくることで、今ではすっかりそれが自分の名前として定着している事実に気付かされ、その巧妙さにはいっそ畏敬の念すら感じてしまう。

 

この3日の間、僕が彼から聞かされたり、その態度から憶測したりして得た情報を組み立てると、おぼろげながら以前の自分がどのような生活をしていたのかということが分ってきた。

 

僕は23歳の、錬金術という分野の研究をしている人間で、数日前爆破事件があったというセントラルの錬金術研究所に勤務しているらしい。そして、その同じ研究所に所属するひとつ年上の“兄”と、2人で暮らしているという事だった。その他の家族について彼が言及することはなかったが、不思議なことにそのあたりの記憶は不完全ながらも僕の中には存在していて、両親が既に鬼籍の人となっていることは理解していた。そうなのだ。記憶をなくしたとはいえ、すべてが綺麗に消失していたわけではなく、その名前を思い出せないながらも、生まれ故郷のものだろう美しい平原や、緑色に覆われたなだらかな丘の風景は、僕の心の内壁にこびり付くようにして残っているのだった。しかし、会話の中で時々触れられる“兄”という存在に関するものの一切は、細かな破片すら残す事無く消え去っていて、自分に兄がいた事実を何度聞かされてもそうと納得することはできなかった。

 

 

 

「アルフォンス。実は俺さ、噂ですこ〜し聞いてたんだけどよ」

 

夕食の下準備でも、とジャガイモの皮を剥いていた僕の方をみて、にんまりという表現がぴったりの笑いを浮かべてそのハボックさんが声を掛けてくるのに、僕は少々うんざりした気分でなんですか、と返事を返した。この人は、どこかぼさっとした雰囲気を持ちながらも、他人に対して意外なほど細やかな心遣いが出来る大人の男だ。しかし如何せん、やはり人間にはそれ相応の難点というものも必ず存在しているわけで。そうこの場合、オトナのオトコ、ここが問題なのだった。何故こうも、いわゆるシモネタの類を好むのだろうかこの人は、と一時僕が頭を抱えたくらいにソノ手の話題を振ってくるのだ。

 

「お前結構お盛んだったらしいじゃねえの?エルリック兄弟の弟の方はとんでもないテクニックとご立派な一物の持ち主だとあちこちで噂ンなってたんだぜ〜。なあなあ?ちょっとは憶えてんだろ?そこらへん、ホントのトコ、どうだったんだよ〜お?」

 

わざわざご丁寧にも丸めた新聞を拡声器代わりにしてそんなことをいってくる相手に、僕は既視感を覚え、不覚にも懐かしさと嬉しさのようなものまで感じてしまい、もしかすると自分は以前からこんな風にシモネタを振られやすい類の人間だったのだろうかと肩を落とした。

 

「・・・・知りませんよ。本当に憶えてないんですって」

「それにしたって恋人のことくらいは、チョットでも憶えてんじゃねえの?」

 

「えっ!?」

 

『恋人』という単語に僕の心臓が必要以上に反応したことに、自分でも驚きながら手を止め、咥えタバコで視線を寄越している人に目を向けた。

 

「・・・・・憶えてないンか?」

一瞬にして、さっきまでのちゃかした表情をどこかにしまいこんだ相手に、そんな労わるような口調で尋ねられ、自分の心の中をゆっくりと探ってみるのだけれど・・・・・。

 

「・・・・・分からないんです。いたといえば、そんな存在がいたのかもしれないし、いなかったのかもしれないし・・・ただ」

「・・・・・・・?」

 

恋人とか、友人とか、家族とか、そんなカテゴリーに当てはまらない、何か特別な存在がいたような気がしていたのだけれど、そのことをどんな風な言葉で表現すればいいのか分からずに、僕はただ口を噤んだ。

 

そんな僕に、やはりその人は無理な追求をしてくることは無く、

 

「・・・・・そっか、早く思い出せるといいな?その相手の為にも、よ?」

と、いいながら、手にしていた筒状に丸めた新聞で、ぽこんと僕の頭を叩いたのだった。

 

 

 

 




A願い←     テキストTOPへ  →B知らない男