ひかりへと続く扉N〜“絶対”

 

 

 

 





 

その愛しい人は、今、僕の腕の中にいる。

 

僕はずいぶんと長い間、涙を止めるすべを探すことをあきらめた恋人の身体を腕の中に抱き込んで、いつまでも小さく震わせている背中や肩、滑らかな金の髪がすっかり乱れてしまった頭や、次々と新しい雫が流れる頬に、宥めるような愛撫を送り続けていた。
 そうしながら、思っていた。僕が記憶を失ってから今までの間に、どんなにか大きな苦しみがこの人の心を責め苛んでいただろう事を。

 

血のつながった者同士でありながらも敢えて選択した恋人という関係を、たった一人胸の中にしまい込んで、僕に普通の兄弟であることを偽り続けていたその心の中では、どれだけ沢山の血が流れていたのだろう。今なら、酔って帰ってきた昨日の兄が垣間見せた自暴自棄な振る舞いの理由が分かる。“恋人”の存在を失って絶望の中にいながら、それでも“弟”の為にその関係を取り戻すことを選ばなかった“兄”としての強い気持ちだけが、辛うじてこの人を支えていたに違いなかった。その事を思うと、自分の中でこれまでどうしても認める事が出来なかった“弟”という自分。そして“兄”としての彼の存在が、とても大切な、失くすことのできないものに感じられるのだった。

 



 その、大事な人に呼びかける。この世で唯一僕だけが、彼をそう呼ぶことができる、その呼び名で。

 

「兄さん」

「・・・・・・・・」

 

「兄さん、兄さん・・・・・・兄さん」

「アル・・・・?」

 

「兄さんなんだね?僕の、僕だけの兄さんなんだよね?」

「アルお前・・・・記憶もどった訳じゃねえよ・・・な・・?」

 

「ん、なんで?」

「・・・その、呼び方が・・・何か今までと違う気がするから・・・・」

 

鈍感なところがあるくせに、何故僕の事になるとこんな小さな変化までを如実に感じ取ってしまうんだろうか。

 

「あなたが僕の兄さんでよかったなって、思ったんだよ。兄弟という繋がりが、たとえこの先何があっても、あなたと僕を結んでいる・・・・これは不変の“真理”だよ。だから、あなたが兄さんでいてくれて、僕は嬉しいんだよ」


 すると、それまで僕の腕の中でおとなしくしていた兄が急に身を起こすと、その両手で僕の頬を乱暴な仕草で挟み込み、感極まった様相で声を上げる。そして・・・・・・・・また、泣いている。


 「アル・・・・・・アルだ!お前、やっぱりアルだ、アルフォンス!アル、アル・・・!」


 僕の頭を強く抱き込んで、涙で濡れそぼった頬を擦り寄せては、何度も僕の名を呼び続けた。
 夢中で僕の頬や瞼や唇に、幾度も唇を寄せてくる兄の耳の下から項にかけて両手を差し入れ、すっかり乱れてしまった髪をかき上げてやると、ビクリと肩をすくませて息を詰める。


 「・・・・・・ん・・・っ」

「感じた・・・・・?」

「バ・・・・・・ッ!くすぐったかっただけだ!」


 強がりを言う人の耳の下にもう一度両手を差し入れてまた同じようにしてあげると、仰向けの僕の胸の上でたまらず背を反らしている。


 「や・・・・・・・め・・・」

「くすぐったいの・・・ねえ?」

「お前、根性悪ィとこは、少しもなくなってねぇな・・・・・」


 僕の上にまたがったまま、まだ濡れている頬を上気させて毒突いてくる人の腰に両手を添えて、わき腹を滑らせ、肋骨の線を辿り、胸の飾りに親指で触れる。目を閉じて、浅い呼吸を繰り返し、僕の胸について身体を支えている両手を僅かに震わせているその人の喉が、こくりと小さな音をたてた。



 抱きたい・・・・・。

 

そう思った僕の心と同調しているかのようなタイミングで、吐息のような声が僕の上に零れ落ちてきた。

 

「・・・・ヤベ・・・・・何か、すげ・・・・・してェ・・・・」

 

その言葉を聞いた途端、視界が真っ赤に染まったかのような錯覚を覚えた。心臓が、皮膚を突き破って出てくるのではと思えるほどにドクドクと脈打つのを感じながら、見下ろしてくる熱を孕んだ金の瞳と視線を合わせると、その人の頬が赤く染まっている。今、自分の口から出た言葉に、さっそく羞恥をおぼえているらしい。

 
「何だよ!そんな・・・・・じっと見んな!」

 
 わざと乱暴な口調で言いながら僕の上から退こうとする人を、素早く上半身を起こして抱きしめた。


 「・・・・・・抱いていい?抱きたい」

 「・・・・・・・・・!」

  

「あなたが欲しくて、おかしくなりそうだよ。今だけじゃない。ずっとずっと、あなたが欲しくて仕方なかった。知らなかったでしょう?僕がいつもどんな気持ちであなたの傍にいたのか、少しでも気がついていた?」

 
 「アル?」

 
 「可笑しいでしょう?必死に弟の振りをしながら、心の中ではあなたをこの腕に抱くことばかりを考えていたよ。あなたが愛おしくて、欲しくて、自分だけのものにしたくて、気が・・・・・狂いそうだった。ずっと」


 「・・・・馬鹿ヤロウ。俺はとっくにお前だけの・・・・・・ん・・・・っ」

 
 最後まで言わせず、その唇に噛み付くようなキスをしかけると、拙い動きながらも素直にそれに応えてくれる。お互いにその表情が見たくて、二人とも目を閉じる事無くキスを繰り返した。熱っぽく潤んだ瞳が切なげに睫を震わせる様を間近で見たその瞬間が、それまで僕の中で出口を探して蠢動していた激情の波がほとばしるときだった。

 

 


 いつか夢で見たのと同じ光景。


 真っ白な波を打つシーツの上で、金の髪がさらさらと音を立てては次の瞬間にはまた新しい模様を描いている。

汗ばんで、薄っすらと赤みを帯びた愛しい身体が、震えながら、絶えず僕に快感を伝えてくる。首筋に、鎖骨に、肩の先に。甘く歯を立てるだけで逐一反応を返してくれる素直な身体が、僕の身の内に棲む、凶暴ともいえる雄の性を堪らなく刺激してきたけれど、きつく奥歯を噛み、その衝動に耐えた。


 もう二度と、この人を傷つけないと決めたから。


 ・・・・・それなのに。

 

 
 「アル・・・・アル・・・・そんなに、優しくしないでいい。酷くしたって、いい。全部、全部やるから、お前に。俺は、お前のものだから、好きにしていい・・・・」

 
 「黙ってて・・・・!そんな事言ったら駄目だ・・・・!ホント、に・・・抑え、られなくなる・・・」

 
 
先刻無理やり押し込んだその場所からは血が滲みだしているのに、そこに再び熱を受け入れているのだ。辛くないはずがないのに、なかなか動こうとをしない僕に理性を飛ばしてしまえと言わんばかりのセリフを吐いてくるのだから、堪らない。


 「ア・・・ル・・・・。ん・・・・ふ、うあ・・・・んっ!」


 「に・・・・さ・・・ッ!待って・・・・」


 やがてそんな僕に業を煮やしたのか、羞恥に頬を染めながら僕の下で自ら身体を揺らめかせる兄の姿は、眩暈がするほどに煽情的だった。もう、本当に勘弁して欲しいと、僕はいるとも知れない神に縋りたい気持ちになった。


 「お・・・れだって、オトコなんだ、ぜ・・・・・分かんだろ・・・辛いのは、お互い様ってコト・・ッ、変な遠慮してんじゃ、ねえッ!馬鹿ヤロウ!スットコドッコイ!」


 その乱暴でこの上もなくムードを無視した言動と、目前の殺人的なまでに艶めかしいビジュアルの見事なコントラストはどうだろう。


 「・・・・・・・・・っ!」

 「・・・・ンア・・・・ッ、ふ・・・・お前、なに、笑って・・・・やがる・・・っ」

「こんな、妙な雰囲気の、愛の交感なんて・・・ありえないよ、ね・・・?」

「ヘンな、言い回しっ、すんな・・・・!ヤラシー奴だな・・・ッ!」


 駄目だ・・・・・・なんだか場違いにも、声をあげて笑いだしてしまいそうだ・・・・。


 「・・・テメェ・・・ここまでやって萎えさせやがったら、ただじゃおかねぇ・・・・」

「ふ・・・ッ!色っぽいセリフだね、兄さん」


 物騒な表情で見上げてくるその人の唇に、そっとキスを落としてから、その両膝を肩にかけるようにした。


 「・・・・辛そうにしていたら、すぐに止めるよ。あなたが何と云ってもね」

「何時も辛くないとでも思ってンのか?アホウ!多少痛くてもそれより気持ち良ければ問題ねえだろうが?それともてめえ・・・・やり方まで忘れたんじゃねえだろうな?」

「兄さん・・・・本当に雰囲気壊すの上手な人だね?」

「おうとも。お前は忘れてるかも知んねえケド、俺はいつだってこんな奴さ・・・」


 もう黙っていてと、僕は兄の唇に甘く咬み付いて、そっと律動を始めた。途端にそれまでの男っぽい表情がなりをひそめて、頬を紅く染め、眉を寄せて唇を噛み締めるその人の変化には、戸惑うばかりだ。そう、あの必要以上に乱暴な言葉づかいや言動は、この人特有の照れ隠しでもあるのだろう。

 身体を浸食していく快感にその身を捩じらせては、切なく零す吐息の合間に僕の名を呼び続けるその美しい姿を、脳裏に焼き付けようと夢中で見つめた。


 「んんっ!ふ・・・・ふう・・・アル・・・・」

「に・・・・さ、ん」


 左手は僕の背に回されているのに、右手だけは震えながらシーツを掴んで離さない仕草は、きっとその人が機械鎧を装着していた時の名残なのだろう。無意識の内に人を、僕を、傷つけないようにと心を砕くその人のありようは、今と同じく、昔から変わらないものなのだと、もう今の僕は知っていた。


 「兄さん、平気だよ。もう、僕の背に、両手を回してもいいんだよ?ほら、その手で・・・・両腕で僕を抱きしめて?」

「アル・・・・・」

「うん。ほら・・・・ちゃんと・・・そうだよ」

「アル・・・・お前、温かい・・・・・」

「うん」

 

それでもやはり体勢に無理があったのか、ゆすり上げると苦しそうな声を洩らすので、一度動きを止め、肩にかつぎあげるようにしていた両足を自由にしてあげると、それまで閉じていた瞼をうっすらと開け、僕を熱っぽい視線で見上げながら時折身体を震わせていた。

ああ、これもまた、あの夢と全く同じ光景だった。

違うのは、その人の右腕と左足が生身のそれになっているという事。そして、長かった金の髪が、今では結ぶことができない程に短くなってしまっているという事だ。


 そっと、その背中に両手を差し入れて、あの時と同じように膝の上に抱き上げた。


 「ウアア・・・・ッ!!」


 やはり、苦しそうに声を上げて全身を大きく震わせるその人の肩を、腰を抱きしめて、食いしばっている唇に啄ばむ様なキスを幾度も送る。


 「お前・・・・は、すぐ、そういう・・・・・ウアッ・・・ふ・・・」

「ごめんね。でもこうすれば、僕の首に楽に腕を回せるでしょう?」


 いいながらその両腕をとり、自分の方へと導いてあげると、必死に首に腕をからめて僕の肩に額を摺り寄せてくるその人が愛おしい。


 「そうだよ。そうやって、僕にちゃんと掴まっていて・・・」

「うあ・・・・・アア・・・ッ!ク・・・・」


 「兄さん・・・・・エドワード・・・」

「ヒ・・・・ア・・・・アア・・・ッ!」


 余程の快感を覚えているのか、我を失ったらしいその人の手袋をはめたままの手が、僕の背や首を掻き毟る。その痛みさえもが、甘く、幸せな気持ちを僕にもたらした。


 

離さないでね。ずっと、いつも、いつまでも、たとえどんな事があっても。そうやって僕から離れないでいて、兄さん。


 

僕の膝の上で、愛されながら身悶えする愛しい人を、ゆっくりと、しかし確実に高みへと導きながら、自分もまた共に同じ場所を目指す。やがてその人が一際大きく身体をわななかせて、身の内に受け入れた僕の熱をこれ以上ない程の強さで絞めつけた。

 

 

 

その時。

僕の中で、あるイメージが降ってきたように不意に現れた。

 

 

 

真っ白な、何もない空間に、丈の高い、黒い色の扉がそびえている。

 

初めて見るようでもあり、また、目が慣れてしまうほど見続けていたような気もする、扉。

 

僕は、きっと、その扉の名を知っている。

その扉の向こう側に何があるのかも知っている。

 

扉の向こう側には、まばゆいばかりのひかりに満ち溢れた世界が広がっていて、僕の愛しい太陽のような存在の人が、手を差し伸べて僕を待ち続けていてくれるのだと、僕は知っている。

 

 

 

 

ああ・・・・扉が・・・・今、開くよ・・・・・・にいさん。

 

 

 

 

 

僕にその身を預け、全身を弛緩させて薄く瞼をとじているその人は、ほとんど意識を飛ばしているのか、僕の呼びかけに反応することなく、ただ浅い呼吸を繰り返していた。

まなじりに残る涙の雫を、そっと唇ですくい取り、そのままそこに口づけ、想いのままに抱きしめた。そうして、その耳には届いてないだろう言葉を、独り言のように、歌うように紡ぎだした。

 

 

「愛しているよ・・・・兄さん。これだけは、憶えていて」

 

 

たとえこの先、僕の記憶が戻ることがないとしても、この心だけは決して変わることはないのだから。

“絶対”なんて確実性のある事柄なんて、この世には殆どないというのがあなたの持論だけれど、それでも僕は胸を張って言うよ。

 

僕が生きている限り、この心が僕の中から消えることは、絶対にないのだ、と。

 

この命に懸けて今、僕はそれを誓うよ。

 

多分あなたの事だから、何かがあればすぐに“弟”にとっての最良の道を、自分の身を顧みることなく選び取ろうとするだろう。

 

でも僕は必ず、その度にあなたに問いかけるから。

 あなたは決して違えることなく、それに応えて欲しい。

 

 

 

 「あなたと僕だけの間にある“真理”を覚えている?」

 

 

 

僕は、憶えていたよ。

 

 

これは、僕たちを構成しているもの総てに刷り込まれている記憶なんだろう。

 

そう、これこそが。

 

この世に存在する数少ない“絶対”の内のひとつなんだよ、兄さん。

 

僕たちが、はじめからひとつなんだという事。

そして、その真理に組み込まれている、互いの間に通い合うこの心の形。

僕の、そしてあなたの身体のすべてに、遺伝子レベルの情報として深く刻まれているんだよ。


 

ねえ、兄さん。

目を覚ましたあなたにこれを言ったら、あなたはまた、泣きだしてしまうかな・・・・・・。





 

すっかり穏やかな呼吸を取り戻し、満ち足りた表情で目を閉じたまま、僕の胸の上で身体を横たえている人を幸せな気持ちで見つめながら、その頬を、指先でそっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ***191231  いえ、その・・・あの・・・・・ついイメージが降ってきたので…仕事中に書いてみたり。つか、これで終わりでいいのかな・・・***