天才ミュージシャン 故大村雅朗氏に捧ぐ In memory of and dedicated to Mr.Masaaki Omura | ||||||
2018.2.28 ついに『Seiko Memories Masaaki Omura Works』が発売されました! ・このCD3枚組は、単なる音楽CDの一カタログではなく、大村雅朗さんへの多くの方々の熱い想いが詰まった特別な盤だと思います。また、リアルタイムで大村雅朗さんをご存じない方々にとっては、大村雅朗さんの軌跡を辿るための、松田聖子さんを通じた分かり易いインデックスのようなアルバムだと思います。これに続く大村雅朗作品集がリリースされることを願って止みません。 |
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大ニュースです! ついに、悲願だった大村雅朗作品集がリリースされます!2018年2月28日 発売。 詳しくはリンク参照下さい! 『Seiko Memories Masaaki Omura Works』 品番:MHCL-30498-500 価格:\4,200+税 ■ボーナストラック:「櫻の園(rearrange version)」槇原敬之リアレンジ ■松田聖子・松本隆・槇原敬之 特別寄稿 ■松田聖子×大村雅朗 作品リスト ■高品質CD Blu-spec CD2 ■2018デジタル・リマスタリング |
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本の発売後、Amazonの本のJ-POPチャートでは、雑誌と競いながらも2位を獲得!素晴しい反応です。この成績であれば、『大村雅朗作品集』のコンピレーション・アルバムも、そう遠くない時期に実現されるものと期待しています。追記:2017/9/10 重版が決定致しました! | ||||||
2017年6月29日・・・ | ||||||
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大村さんが1984年1月に聖子さん等とTBS系の「ザ・ベストテン」に出演した時です。(この動画についてはメニューから動画のページへ) |
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<はじめに >2004年7月 | ||||||
2004年7月 大村雅朗(おおむら まさあき)氏。1951年5月8日生まれ。1997年6月29日没。享年46歳。 2004年7月・・・氏が亡くなって既に7年になる。だがあれほど素晴らしい作品を残し、多大なる貢献した音楽業界に於いて、氏をリスペクトする動きが全く見えない・・・ 大村氏は、まだ「歌謡曲」や「ニュー・ミュージック」と言ったジャンルがあたかも"ベルリンの壁"のごとく?音楽業界に立ちはだかっていた時代に、「良質の音楽」という翼を持って高い壁を飄々と飛び越えて行った。これは日本の音楽史上の「エポック」である。先駆者である。何せ、あの佐野元春と松田聖子を並行して担当したのである(ほんの一例)。それはアレンジャーという立場だから可能だったのだろう。自作派も作家派にも関係なく素敵な作品を沢山残していった。そして、氏の登場以降この"ベルリンの壁"は意味のないものになり、音楽の壁(意味のないジャンル分け)はどんどん崩壊へ向かっていった。でも、こんな素晴らしい方の作品集とかの話を聞いたことがない。トリビュート・コンサートの話も私は聞いたことがない。いったいどういう事なんだろう・・・?私は一音楽ファンとして大いなる疑問と、そしてやり場のない憤りのような感情を抱いています・・・。 今サイトを検索してみると、氏を悼む声は多数あれど氏について深く掘り下げたサイトは見当たらなかった。だから無力だけど、一音楽ファンとして自分が始める事にした。でも私は所詮一音楽ファン。作業には限界がある。それでもなんとか充実したサイトにしてみたい。そして大村さんに心から言いたい・・・ 「沢山の素晴らしいサウンドをありがとう。あなたの事、そして素敵な音楽は決して忘れません」 私は大村雅朗氏へのリスペクトが高まり、再評価の機運が高まることを念じて、ここにこのHPを開設致します -04/7/19- |
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「編曲家作品集」について考えた2004/08 | ||||||
彼の作品集がないのは、彼のメイン・フィールドがいわゆる「編曲家」だったせいであろう。作曲家の作品集は数多い。作詞家もいくつもある。でも「編曲家」の作品集なんて聞いたことがない。もし無いのであれば、彼こそ最初の「編曲家」作品集を出すに相応しいアーティストなのだ。 70年代までは「メロディ」の時代だった。この時代の楽曲は、極論すればオケが無くても歌手が歌えば成立できた時代と言えよう。一方、時代が進んで、彼が一番活躍した80年代はバッキングも含めた「(トータル)サウンド」の時代と言えよう。 シンセや各種エフェクター等のデジタル時代を迎え、既に「詞」+「曲」+「アレンジ」が三位一体で分離不能の時代となった。スネアの音も重要だが、それだけではなくエフェクト(リバーブや秒単位で設定されるデジタル・エコー)や、サンプリングさえも楽曲の一部となった時代であった。メインのボーカルでさえ楽曲の一要素に過ぎないような作品さえ登場した。だから、80年においてはオケのない楽曲は元のニュアンスを再現出来ない場合が多い。つまり、従来の「作詞+作曲+歌手」に加えて、「編曲家/Sound Producer」の存在が楽曲の構成において初めて同列の存在になった時代だと思う。 リスナー(私個人)においても、(旧くさい呼び方であるが)「編曲家」のクレジットでレコード/CDの購入を決めた事も少なくなかった。それほど「編曲家/Sound Producer」の存在は大きいのだ。そんな事みんな知っているのだ。だから作品集はあって当然なのだ。何より大村雅朗さんなのだ。今すぐにでもリリースして頂きたい・・との気持ちでいっぱいです。 |
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「レコード会社への提言(のようなもの)」2004/09/02 | ||||||
「大村雅朗作品集」のCDが実現するには、余程の「トリガー」となる事がない限り難しいのかな・・・と正直思う。多岐に渡るレコード会社とその調整から始まり、素人でもハードルは沢山あると推測される・・・。そこで、だからこそ各レコード会社にお考え頂きたい事がある。それは、現在、業界的にサクセス・ビジネスモデルを模索しているはずの)「ネット配信」の件である。このシステムで、ニッチな(廃盤等)楽曲を扱うメリットについてである。
各レコード会社は、新譜やヒット曲を中心にネット配信楽曲数を増やそうとしているように私には見受けられる。でもそれは基本的に、どこでも手に入るような曲ばかり。それって発想が「逆」じゃないでしょうか?と私は思う。 今のレコード会社に対するユーザーの潜在的・普遍的な不満は、過去のカタログが「死蔵」されている事。それが入手できない事である。全く売れなかった作品でも、誰かにとって強い思い入れがあるであろう事は普通に想像できる。そんな曲が入手できないと諦めているユーザーは膨大な数のはず。これが集積されれば膨大なビジネスになると言える。 つまり現状では、レコード会社は大事な「財産」を最初からビジネスにせず、倉庫に埋もれさせて「死蔵品」としていると言うことであると私は思う。レコード会社の方、この矛盾に気がつきませんか?この「廃盤曲」は、「ネット配信」では最上の「コンテンツ」だと断言できます。ネット配信では、廃盤曲は大きな「財産」に変える事が出来ます。何故なら、「ここにしかない」商品なのだから。ネット配信においてこれ程強力な「コンテンツ」はないと言える。 今までの音楽ビジネスはメディア(CD等)を介した商売だったから無理だったかもしれない。でも、ネットであれば「多品種・少数販売」が可能。ネット・ビジネスの特長でもある。だから「死蔵曲」もビジネス=「財産」に変えられる可能性を秘めている。 もし「廃盤曲」が手に入るとなれば、大きなニュースになるであろう。膨大な潜在ユーザー(経済的に余裕がある中高年層中心)の掘り起こしと、その積み上げは膨大なビジネスに必ずなるはず。また、今までわざわざ「ネット配信」なんて意味が無いと思っていたユーザー(私もそうですが)も積極的に利用するでしょう。何故なら、繰り返しになるが「ここにしかない」ものなのだから・・・ (以下、ここへ続く→ EVENTページ) |
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「私的大村雅朗論」 | ||||||
流れ的には唐突ではあるが(将来的にはページを整理します)、ここでは大村さんの音の秘密を自分なりに探ってみたい・・・
氏のプロになっての初期のワークであり、私の大好きな曲に、山口百恵さんの「謝肉祭 作詞:阿木燿子作曲:宇崎竜童(1980年シングル/下記参照)」という曲がある。この曲で、大村氏による、詞の内容に沿ったフラメンコを想起させる複雑でかつ壮麗なオーケストレーションが聴ける。この曲では実に多彩な楽器が参加している。またコーラス毎にアレンジが微妙に異なるという、贅沢で複雑な作品でもある。私は(一例であるが)この曲に氏の本質を思う。 以下、大村雅朗氏の希有な才能を浮き上がらせるために、このオーケストラ然とした「謝肉祭」とは180度作風・趣が異なる「バンド・サウンド」を例に述べてみたい。 大沢誉志幸さんや吉川晃司さんの楽曲で聞くことが出来るバンドスタイルのサウンドは、流して聴くと見逃されがちであるが、良く聴くと、実は余分な音(数)を削ぎ落とした、でも実に緻密な音世界を「構築」している事がトレースできる。つまり、「バンドスタイル」と言うアーティストや時代の要求に即した編成を踏襲しつつ、実は音の構成そのものはその時代の沿った「オーケストレーション」だと感じる。 彼の頭で鳴っているのは、オーケストラほど楽器数や音数こそ少ないけれど、あくまで「緻密に練られたオーケストレーション」なのだ。ここが、普通のバンド(アマチュアで3コード上がりが多い)のアレンジ/サウンドとの決定的な違いだと思う。YAMAHA合歓出身でもあるし、基礎があっての「バンドサウンド」と思う(これはもちろん、ほんの一例であるが・・・) 無駄なリフなんてなし。多すぎるオブリガードもフィルインもない。全てが「必然の音」で埋められている。更に必要な多彩な「音の色」もちゃんと描けて、(マニュピレーターを通じて)シンセで表現している。それだけ構成が緻密に組み立てられているのだと感じる。もちろん氏にそういう意識があったかどうかなんて確認できるはずもないが、私は常々そう感じるのである・・・ では氏の、この新しい「オーケストレーション」を紡いだ核となる糸はなんだったのだろうか・・・? 私はそれは「リズム」の一言に尽きると感じている。音楽の一要素としての「リズム」があるのは当たり前であるが、その「リズム」ではなく、(また、リズムそれ自体のスピードに拘わらず)「官能に訴えるグルーブ/ドライブ感」みたいな「律動(リズム)」が、氏のワークの楽曲一曲一曲に綿々と流れているように感じる。多くのバンド・サウンドの場合には、更に「疾走感」も加わる。だから、氏の担当した楽曲のパーカッションやスネアのタイミング一つ一つに、アドレナリンが分泌されるような、悦び(敢えてこの字を使います)を覚えるのです。 きっと、氏の中では、休符でさえもちゃんとした「間(ま)orタメ」と言う音符だったからかしれない。詰め込みすぎないから、リズムのショットがとても効果的であった。 書きながら思いたが、氏のサウンドには必ず「官能」のツボ、快感を感じる音色や、フレーズ、メロディ、パーカッション、リズム(ショット)が散りばめられているように思う。だから氏の手腕が多くの人に求められていたのだろう・・・。 大村雅朗氏については、どうしても松田聖子に代表される「アイドル歌謡」フィールドにおける貢献を語らずにはおられない。 大村さんの「アイドル歌謡」でのアレンジは、とてもカッコ良い。それは、それまでの「アイドル歌謡」が持つお約束系の「ゆるいアイドル歌謡」ではなく、洋楽にインスパイアされた洗練された"ノリ"、ビート感、そして"アイドル物"という既成概念にとらわれない、妥協のない音の構成、更に新しい事へのチャレンジが感じられたから。でもそれらは、一歩間違えば"アイドル置いてきぼり"寸前のギリギリの絶妙のバランス感覚であった。加えて”アーティスト"然とした、自身のテイストを押し出し独りよがり的なものではなく、「大衆音楽」としてのバランス感覚でもあった。 その絶妙なバランス感覚と自身の才能がいつもサウンドにミックスされていたと思う。それが、従来の歌謡曲ファン以外にも評価され、徐々に「アイドル歌謡」の制作方法論にまで影響を与えていったのだと思います。 (未完、続く) |
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