天才ミュージシャン 故大村雅朗氏に捧ぐ In memory of and dedicated to Mr.Masaaki Omura
本の発売後、Amazonの本のJ-POPチャートでは、雑誌と競いながらも2位を獲得!素晴しい反応です。この成績であれば、『大村雅朗作品集』のコンピレーション・アルバムも、そう遠くない時期に実現されるものと期待しています。追記:2017/9/10 重版が決定致しました!
 2017年6月29日・・・
大村雅朗 


2017年6月29日・・・。今日は大村雅朗氏の20年目の命日である。

今年は、亡き大村雅朗氏及び氏の知己(しりあい)の方々にとっては特別な年だと思う。もちろんそれは、この拙いファン・サイトを開設している私にとっても同じだ。それは没後20年という節目の年と言う事もあるが、何より、来月7日に氏の生涯を辿った本 『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』が刊行されるからである。

左記画像:『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』DU BOOKS (2017/7/7) 2,700円。 (DU BOOKS=ディスク・ユニオン・ブックス)

”編曲家”は作詞家や作曲家或いはプレイヤーとは異なり、多くのリスナー(一般大衆)にとっては通常あまり深く意識をする事のない”スタッフ”だ。そのスタッフ・サイドの人物、それも個人にスポット当てた本が出版される。これは実に画期的で、日本の音楽界にとってはある意味”事件”とも呼んで良いような出来事だと思う。とても感慨深い・・・。

思えば、このサイトを開設したのは、最初は強い憤り・・・、次に怒りにも似た感情によるものからだった。氏が亡くなったにも関わらず、巷で話題にさえなっていないという現実を前に。松田聖子さんを例にとるまでもなく、ヒット・チャートやアルバムのクレジットにあれ程名前を見掛けた「編曲:大村雅朗」なのに、楽曲を集めたコンピ盤とか、追悼コンサートとか、雑誌で話題になるとか、そのような一般的に認知される形でのリスペクトが一切見られなかった・・・。

もちろん、世界のリーダー的重要人物でさえ、或いは大事な身内が亡くなっても世の中は何事もなかったようにいつもの朝を迎え、一日を辿り、夜に流れる。次の日もまた同じ日常が続く。これは、誰でも知っている厳然たる事実だ。でも、音楽マーケットの場合は、作詞家や作曲家の場合は通例として、編集盤が出たり追悼コンサートやライブがあったりと、その業績・功績へのリスペクトからのイベントがあるのが通例だと思う。

でも、編曲家のような(最近では”まっつあん”事、松原正樹さんのような)音楽界に多大なる貢献をしてきたミュージシャンでさえ、世間のリスペクト意識は私の認識より遥かに低いようだった。その事への失望は、当初は強い憤り、次に怒りにも似た感情になり、2004年7月、このサイトの立ち上げに繋がったのだ。

そして、今年、同じような認識、価値観を持つ方によりこの本の刊行に至る。このサイト的に言えば、13年目でやっとその思いが遂げられる時が来た事になる。とても感慨深い・・・。
あとは、この本が池に投じた飛礫となり、水面の波紋が大きく拡がり、更なる大きなムーブメント、つまり大村雅朗氏へのリスペクトの機運が更に高まる事を願うばかりだ。


2017年6月29日(木)

『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』 梶田昌史 (著), 田渕浩久 (著)
単行本: 316ページ 出版社: DU BOOKS 2017年7月7日発売 ¥2,700

大村さんが1984年1月に聖子さん等とTBS系の「ザ・ベストテン」に出演した時です。(この動画についてはメニューから動画のページへ)
<はじめに >2004年7月 
2004年7月

大村雅朗(おおむら まさあき)氏。1951年5月8日生まれ。1997年6月29日没。享年46歳。

2004年7月・・・氏が亡くなって既に7年になる。だがあれほど素晴らしい作品を残し、多大なる貢献した音楽業界に於いて、氏をリスペクトする動きが全く見えない・・・
大村氏は、まだ「歌謡曲」や「ニュー・ミュージック」と言ったジャンルがあたかも"ベルリンの壁"のごとく?音楽業界に立ちはだかっていた時代に、「良質の音楽」という翼を持って高い壁を飄々と飛び越えて行った。これは日本の音楽史上の「エポック」である。先駆者である。何せ、あの佐野元春と松田聖子を並行して担当したのである(ほんの一例)。それはアレンジャーという立場だから可能だったのだろう。自作派も作家派にも関係なく素敵な作品を沢山残していった。そして、氏の登場以降この"ベルリンの壁"は意味のないものになり、音楽の壁(意味のないジャンル分け)はどんどん崩壊へ向かっていった。でも、こんな素晴らしい方の作品集とかの話を聞いたことがない。トリビュート・コンサートの話も私は聞いたことがない。いったいどういう事なんだろう・・・?私は一音楽ファンとして大いなる疑問と、そしてやり場のない憤りのような感情を抱いています・・・。

今サイトを検索してみると、氏を悼む声は多数あれど氏について深く掘り下げたサイトは見当たらなかった。だから無力だけど、一音楽ファンとして自分が始める事にした。でも私は所詮一音楽ファン。作業には限界がある。それでもなんとか充実したサイトにしてみたい。そして大村さんに心から言いたい・・・

「沢山の素晴らしいサウンドをありがとう。あなたの事、そして素敵な音楽は決して忘れません」

私は大村雅朗氏へのリスペクトが高まり、再評価の機運が高まることを念じて、ここにこのHPを開設致します -04/7/19- 
「編曲家作品集」について考えた2004/08
彼の作品集がないのは、彼のメイン・フィールドがいわゆる「編曲家」だったせいであろう。作曲家の作品集は数多い。作詞家もいくつもある。でも「編曲家」の作品集なんて聞いたことがない。もし無いのであれば、彼こそ最初の「編曲家」作品集を出すに相応しいアーティストなのだ。

70年代までは「メロディ」の時代だった。この時代の楽曲は、極論すればオケが無くても歌手が歌えば成立できた時代と言えよう。一方、時代が進んで、彼が一番活躍した80年代はバッキングも含めた「(トータル)サウンド」の時代と言えよう。

シンセや各種エフェクター等のデジタル時代を迎え、既に「詞」+「曲」+「アレンジ」が三位一体で分離不能の時代となった。スネアの音も重要だが、それだけではなくエフェクト(リバーブや秒単位で設定されるデジタル・エコー)や、サンプリングさえも楽曲の一部となった時代であった。メインのボーカルでさえ楽曲の一要素に過ぎないような作品さえ登場した。だから、80年においてはオケのない楽曲は元のニュアンスを再現出来ない場合が多い。つまり、従来の「作詞+作曲+歌手」に加えて、「編曲家/Sound Producer」の存在が楽曲の構成において初めて同列の存在になった時代だと思う。

リスナー(私個人)においても、(旧くさい呼び方であるが)「編曲家」のクレジットでレコード/CDの購入を決めた事も少なくなかった。それほど「編曲家/Sound Producer」の存在は大きいのだ。そんな事みんな知っているのだ。だから作品集はあって当然なのだ。何より大村雅朗さんなのだ。今すぐにでもリリースして頂きたい・・との気持ちでいっぱいです。
「レコード会社への提言(のようなもの)」2004/09/02
「大村雅朗作品集」のCDが実現するには、余程の「トリガー」となる事がない限り難しいのかな・・・と正直思う。多岐に渡るレコード会社とその調整から始まり、素人でもハードルは沢山あると推測される・・・。そこで、だからこそ各レコード会社にお考え頂きたい事がある。それは、現在、業界的にサクセス・ビジネスモデルを模索しているはずの)「ネット配信」の件である。このシステムで、ニッチな(廃盤等)楽曲を扱うメリットについてである。
各レコード会社は、新譜やヒット曲を中心にネット配信楽曲数を増やそうとしているように私には見受けられる。でもそれは基本的に、どこでも手に入るような曲ばかり。それって発想が「逆」じゃないでしょうか?と私は思う。

今のレコード会社に対するユーザーの潜在的・普遍的な不満は、過去のカタログが「死蔵」されている事。それが入手できない事である。全く売れなかった作品でも、誰かにとって強い思い入れがあるであろう事は普通に想像できる。そんな曲が入手できないと諦めているユーザーは膨大な数のはず。これが集積されれば膨大なビジネスになると言える。

つまり現状では、レコード会社は大事な「財産」を最初からビジネスにせず、倉庫に埋もれさせて「死蔵品」としていると言うことであると私は思う。レコード会社の方、この矛盾に気がつきませんか?この「廃盤曲」は、「ネット配信」では最上の「コンテンツ」だと断言できます。ネット配信では、廃盤曲は大きな「財産」に変える事が出来ます。何故なら、「ここにしかない」商品なのだから。ネット配信においてこれ程強力な「コンテンツ」はないと言える。

今までの音楽ビジネスはメディア(CD等)を介した商売だったから無理だったかもしれない。でも、ネットであれば「多品種・少数販売」が可能。ネット・ビジネスの特長でもある。だから「死蔵曲」もビジネス=「財産」に変えられる可能性を秘めている。

もし「廃盤曲」が手に入るとなれば、大きなニュースになるであろう。膨大な潜在ユーザー(経済的に余裕がある中高年層中心)の掘り起こしと、その積み上げは膨大なビジネスに必ずなるはず。また、今までわざわざ「ネット配信」なんて意味が無いと思っていたユーザー(私もそうですが)も積極的に利用するでしょう。何故なら、繰り返しになるが「ここにしかない」ものなのだから・・・


(以下、ここへ続く→ EVENTページ)

「私的大村雅朗論」
流れ的には唐突ではあるが(将来的にはページを整理します)、ここでは大村さんの音の秘密を自分なりに探ってみたい・・・
氏のプロになっての初期のワークであり、私の大好きな曲に、山口百恵さんの「謝肉祭 作詞:阿木燿子作曲:宇崎竜童(1980年シングル/下記参照)」という曲がある。この曲で、大村氏による、詞の内容に沿ったフラメンコを想起させる複雑でかつ壮麗なオーケストレーションが聴ける。この曲では実に多彩な楽器が参加している。またコーラス毎にアレンジが微妙に異なるという、贅沢で複雑な作品でもある。私は(一例であるが)この曲に氏の本質を思う。
以下、大村雅朗氏の希有な才能を浮き上がらせるために、このオーケストラ然とした「謝肉祭」とは180度作風・趣が異なる「バンド・サウンド」を例に述べてみたい。

大沢誉志幸さんや吉川晃司さんの楽曲で聞くことが出来るバンドスタイルのサウンドは、流して聴くと見逃されがちであるが、良く聴くと、実は余分な音(数)を削ぎ落とした、でも実に緻密な音世界を「構築」している事がトレースできる。つまり、「バンドスタイル」と言うアーティストや時代の要求に即した編成を踏襲しつつ、実は音の構成そのものはその時代の沿った「オーケストレーション」だと感じる。
彼の頭で鳴っているのは、オーケストラほど楽器数や音数こそ少ないけれど、あくまで「緻密に練られたオーケストレーション」なのだ。ここが、普通のバンド(アマチュアで3コード上がりが多い)のアレンジ/サウンドとの決定的な違いだと思う。YAMAHA合歓出身でもあるし、基礎があっての「バンドサウンド」と思う(これはもちろん、ほんの一例であるが・・・)

無駄なリフなんてなし。多すぎるオブリガードもフィルインもない。全てが「必然の音」で埋められている。更に必要な多彩な「音の色」もちゃんと描けて、(マニュピレーターを通じて)シンセで表現している。それだけ構成が緻密に組み立てられているのだと感じる。もちろん氏にそういう意識があったかどうかなんて確認できるはずもないが、私は常々そう感じるのである・・・

では氏の、この新しい「オーケストレーション」を紡いだ核となる糸はなんだったのだろうか・・・?
私はそれは「リズム」の一言に尽きると感じている。音楽の一要素としての「リズム」があるのは当たり前であるが、その「リズム」ではなく、(また、リズムそれ自体のスピードに拘わらず)「官能に訴えるグルーブ/ドライブ感」みたいな「律動(リズム)」が、氏のワークの楽曲一曲一曲に綿々と流れているように感じる。多くのバンド・サウンドの場合には、更に「疾走感」も加わる。だから、氏の担当した楽曲のパーカッションやスネアのタイミング一つ一つに、アドレナリンが分泌されるような、悦び(敢えてこの字を使います)を覚えるのです。

きっと、氏の中では、休符でさえもちゃんとした「間(ま)orタメ」と言う音符だったからかしれない。詰め込みすぎないから、リズムのショットがとても効果的であった。

書きながら思いたが、氏のサウンドには必ず「官能」のツボ、快感を感じる音色や、フレーズ、メロディ、パーカッション、リズム(ショット)が散りばめられているように思う。だから氏の手腕が多くの人に求められていたのだろう・・・。



大村雅朗氏については、どうしても松田聖子に代表される「アイドル歌謡」フィールドにおける貢献を語らずにはおられない。

大村さんの「アイドル歌謡」でのアレンジは、とてもカッコ良い。それは、それまでの「アイドル歌謡」が持つお約束系の「ゆるいアイドル歌謡」ではなく、洋楽にインスパイアされた洗練された"ノリ"、ビート感、そして"アイドル物"という既成概念にとらわれない、妥協のない音の構成、更に新しい事へのチャレンジが感じられたから。でもそれらは、一歩間違えば"アイドル置いてきぼり"寸前のギリギリの絶妙のバランス感覚であった。加えて”アーティスト"然とした、自身のテイストを押し出し独りよがり的なものではなく、「大衆音楽」としてのバランス感覚でもあった。

その絶妙なバランス感覚と自身の才能がいつもサウンドにミックスされていたと思う。それが、従来の歌謡曲ファン以外にも評価され、徐々に「アイドル歌謡」の制作方法論にまで影響を与えていったのだと思います。

(未完、続く)


「謝肉祭」補足

(追補足)'05-5-25発売の「コンプリート〜山口百恵」にて、萩田光雄氏のリメイク・バージョンにてこの「謝肉祭」が目出度く複刻されました!これから下の内容は、それ以前の「封印時代」に書かれたものですのでその旨、ご留意下さい。今は、一刻も早くオリジナルの大村雅朗バージョンの複刻される事を願うばかりです・・・


謝肉祭
「謝肉祭」山口百恵

作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童
編曲:大村雅朗
@この曲の中の言葉が差別に繋がるとの民族団体からの指摘を受けて、SONY MUSICはこの楽曲の入ったCDを回収しその後リリースを中止している。そのため、最近なかなか耳にする機会が少ない。私はこのSONYの対応に大いに疑問を感じる。CDを回収した言うことは、SONY MUSICは「差別的意図」を持ってこの単語を使用していたと認めた事と同義である。そうとられても仕方がないではないか。後ろめたさがなければそんな措置は必要ないはず。

言葉というものは、例えば「馬鹿」という言葉を例にとれば、怒った口調での「馬鹿!」と女性が甘えた口調で耳元でそっと囁く「バカ・・・」では意味が正反対のニュアンスがある。要は言葉は使う側の心の問題なのだと思う。差別は言葉そのものに内包されているとは必ずしも言い切れない。

この詞/楽曲に侮蔑的なニュアンスなんて微塵も感じられない。百恵さんをはじめ制作に関わった方々も同じであると思う。この単語については、少なくとも大多数の日本人にはそんな侮蔑的意識は全くない。でもSONY MUSICは回収措置をした。なぜ?理解不能だ。確かにこの言葉に関しては地域によってニュアンスが変わるので、中部ヨーロッパおける対応ならそれも意義があると思う。でも、日本国内の、それも過去の作品まで遡って封印するのは事なかれ主義過ぎてあまりに安易だし、作品に対する見識が低いと私は思う。自分たちの仕事に対する「誇り」を放棄したような印象さえある。厳しく言えば、この曲を封印すると言うことは、この曲を制作した方々やこの曲を愛する全ての人を一方的に貶める行為でさえある。

だからもし仮にSONY MUSICが「差別的意図」を持ってこの単語を使用/制作していたなら、その理由でこの曲を封印したなら、まずこの楽曲の愛聴者である全てのファンに謝罪して頂きたいものである。(でももちろんそんな事はないことは明白であるが)

先日見かけた河出書房の新刊書籍には、『この中には差別語が含まれているが、作者には差別の意図がないのが明白でありそのまま使用してある・・・』旨の但し書きがあった。私はこの対応をした河出書房の姿勢に尊敬の念を覚えた。これが本当に文化を担う者としての真の姿だと思った。一方のSONY MUSICのこの姿勢はどうであろうか?最初から「逃げ腰」で、面倒な事を避けようとしているだけではないか?本当に差別問題や会社としての文化的な責任を真正面からとらえているかさえ疑問に感じてしまう・・・

SONY MUSICはソフトを提供している会社だからこそ、毅然としたスタンス及びポリシーを持って頂きたいと思う。外圧に一方的に迎合するのではなく、自己のアイデンティティを明確にしてすべきだ。そうでなければ、全て「言ったもん勝ち」「主張した者勝ち」の「言葉狩り」を助長するだけだと思う。これはみんなにとって不幸な事態だ・・・。そしてそうでなければ、本当の意味での社会的な信頼は得られないと思う。

※なお、「Momoe Premium」において歌詞のみ複刻されております。念のため補足いたします。
※中森明菜さんで同じ言葉を使用した楽曲は普通に発売されています。この対応の違いも、メーカーが異なるとは言え、一消費者としては納得できません・・・

Aこの曲のカップリング曲(B面)の「イントロダクション・春」も大村雅朗氏編曲。

B大村さんは生前「この曲の最初のアレンジにダメ出しが出て、やり直した」と語っておりました。多分ボーカルが入る前かと思いますが、何れにしても「別バージョン」が存在したと言うことになります。聴いてみたかったなぁ・・