His Profile
故人の名誉配慮して、プライベートに関しては差し支えない範囲でのみ記載しておるつもりです。  (もっともプライベートに関しては殆ど存じ上げませんが・・・)
何分情報が少ないのでもしかしたら誤った内容があるかもしれません・・・。その節はご指摘/ご連絡をよろしくお願い致しますm( )m。
80年代は皆さん良くご存じだと思いますが、反面、90年代については意外と情報が少ないため80年代を重点的に記述してあります。
年・月・日 昭和 年齢 TOPIC 備考
1951年5月8日 S.26年 誕生 福岡にて誕生。詳しい家族構成は不明ですが、お兄さまがおられるそうです。 E,W&Fのフィリップ・ベイリーと同じ
1956年 S.31年 5歳 福岡市内の自宅近くの幼稚園入園 ※これらの情報は、大村氏を良く知る方より06/3に情報を提供して頂きました。K様、本当にどうもありがとうございました。心より感謝申し上げますm( )m
1958年 S.33年 7歳 同 小学校 入学
1964年 S.39年 13歳 同 小学校 卒業。市内の中学校入学。吹奏楽部入部。
1967年 S.42年 16歳 福岡大学付属大濠高校入学。九州交響楽団 クラリネット奏者坂口氏に師事。
1969年 S.44年 18歳 福岡大学付属大濠高校吹奏楽部のキャプテンとして 坂口氏指導の下、吹奏楽コンクール全国大会出場(4位?)
1970年 S.45年 19歳 ヤマハ合歓音楽院 バンドディレクター科 入学
1972年 S.47年 21歳 福岡大学付属大濠高校吹奏楽部を指導。
福岡ヤマハ・ウィンド・アンサンブルにて、主席 アルトサックス担当。
福岡ヤマハ・ ヤマハ・ボーカルスクール にて、編曲を担当。
かなりお若い時期に、ストラビンスキーの「春の祭典」(*)にとても感銘されたというお話があり、もしかしたら、氏の原点に近い作品かもしれません(推測)。

(*)ロシアが生んだ大作曲家、イゴール・ストラビンスキー(1882-1972)の代表的作品。20世紀における野心的な音楽の筆頭に挙げられる。原始民族が大地礼賛のために乙女を生贄にする儀式をモチーフにしたバレエ音楽で、大胆なハーモニーやメロディラインからは、前衛的な手法も多く認められる作品。JAZZ界でも採り上げられている(ちなみにHUBERT LAWS(フルート)/CTI盤が有名)。
(修正・加筆しました)
(不明/調査中〜情報を募集しております)
1975年 S.50年 24歳 (財)ヤマハ音楽振興会本部研究室の第一期生研究員となる。 ご卒業時は首席だったそうです。
1975年9月22日(月) S.50年 24歳 (財)ヤマハ音楽振興会インターナショナルエレクトーンコンクール '75 グランプリ大会審査員(合歓の郷ミュージック・ホール)
1976年9月5日(日) S.51年 25歳 (財)ヤマハ音楽振興会主催13回エレクトーンコンクール全日本大会 審査員(つま恋エキシビション・ホール)
1976年9月20日(月) S.51年 25歳 (財)ヤマハ音楽振興会インターナショナルエレクトーンコンクール '76 グランプリ大会 審査員(合歓の郷ミュージック・ホール)
1976年10月3日(日) S.51年 25歳 多分あまり知られていない事実だと思いますが、第12回ポプコンのグランプリ曲「鐘」by.ホワイトハウス(西田恭平&ホワイトハウスII)に参加しています。
※この曲のシングルをある人が氏にお見せしたときに、盛んに照れていらっしゃいました(笑)

ちなみに西田恭平さんは現在も福岡で音楽活動をされておられます。最近では福岡出身の「うたいびとはね」を発掘されて、デビューへ導いておられます。
「鐘」「鐘」
1977年9月18日(日) S.52年 26歳 (財)ヤマハ音楽振興会 第14回エレクトーンフェスティバル全日本大会審査員(つま恋エキシビション・ホール)
1977年10月10日(月) S.52年 26歳 (財)ヤマハ音楽振興会インターナショナルエレクトーンフェスティバル '77審査員(合歓の郷ミュージック・ホール)
1977年12月 S.52年 26歳 福岡市にある西南(せいなん)学院大学応援指導部吹奏楽団の、77年12月の定期演奏会用に「VIVA! SEINAN」という校歌をアレンジしたマーチを作曲。この曲は現在でも吹奏楽団の定期演奏会や硬式野球部の応援の時に吹奏されています。
(1976年4月〜78年3月まで、同大学応援指導部吹奏楽団の常任指揮として指導されていた)
(投稿頂きました情報より)
1977年 S.52年 26歳 スタジオ・ミュージシャン(コーラス)としてずっと一緒に仕事をされていた、木戸やすひろさん(ミュージシャンのページ参照)のソロ・デビューアルバム「Kid」で3曲アレンジされています。右はそのアルバム・ジャケット(KITTYより発売) 「Kid」「Kid」
(プロデビューは、CBS/SONY(当時)で、宝塚女優さんの曲だったとの証言有り。詳細不明。'76-'77辺りだと推測されます。情報お待ちしております)
1978年7月5日 S.53年 27歳 筒美京平さんと(リリース順で見て)初めて組んだシングル作品『サンゴ礁の娘』リリース(東芝/Express ETP-10439)。この曲は、久米宏さん司会のTBSラジオ土曜ワイドのテーマ曲「ラブ・アドベンチャー」(曲・編:筒美京平)のB面だった。ちなみに作詞は阿久悠さんで、71年に発売されたマモル・マヌーさん(元ザ・ゴールデン・カップス)のカバーであった。
1978年9月5日 S.53年 27歳 「出世作」となった『みずいろの雨』(詞:三浦 徳子作曲:八神 純子ディスコメイト DSF-125)発売。なお、当然ながら、YAMAHAの流れでの依頼だと思われる。 「みずいろの雨」『みずいろの雨』
1978年12月 S.53年 27歳 石川ひとみさんのアルバムに楽曲を提供。作曲家としてもかなり早い時期から活動されていました。右はアルバム「くるみ割人形」。これに「雨に誘われて」(作詞:三浦徳子さん)が収録されています。ちなみに同年8月の、あ・の・ゴールデンハーフ・スペシャルのシングルのB面でも名前を発見! 「くるみ割り人形」「くるみ割人形」
1979年 S.53年 28歳 松本隆さんとの(リリース順で見て)最初の作品は、アイドル相本久美子さんの「お熱いのはお好き?」(松本隆/ 穂口雄右/大村雅朗)c/w「飛んで火に入る夏の恋」(松本隆/ 穂口雄右/大村雅朗)CBS/SONYでした。 「お熱いのはお好き?」c/w「飛んで火に入る夏の恋」「お熱いのはお好き?」
80年代に入ってからもYAMAHAポプコン(1969-1986年)出場者の編曲は継続に行っていました。
80s(作業中) (作業中/調査中〜情報を募集しております)
1983年8月1日 S.58年 32歳 COMPOSERとしての代表作「Sweet Memories」が当初「ガラスの林檎」のB面としてリリース。その後ジャケットを差し替えられA面としてリリースされた。右が「Sweet Memories」としてのジャケット→

またこの年の日本レコード大賞で「編曲賞」をこの曲で受賞。
「ガラスの林檎 c/w SWEET MEMORIES」
1983年8月25日 S.58年 32歳 「カラベリ・プレイズ聖子」カラベリ・グランド・オーケストラ」〜プロデュース&編曲:大村雅朗・カラベリ発売 
1983年12月27日 S.58年 32歳 松田聖子さんの武道館コンサート"Seikoland"に、音楽監督兼KEYBOARDプレイヤーとして参加。他のメンバーもレコーディング時のミュージシャンで、超豪華。映像商品前提の布陣だと思われる。よってこの模様は、ビデオ等で発売された。(ちなみに私は見に行きました)。
【特報!】05/6/8に発売された「25th Anniversary Seiko Matsuda PREMIUM DVD BOX」のDISC2〜Seikoland・武道館ライブ'83〜にて大村雅朗さんの姿を確認しました!ステージ後方中央、客席から見て中央直ぐ右でキーボードを演奏し、時には指揮をしているのは紛れもなく若き日の大村雅朗さんですっ!未だ大村さんのお姿をご存じない方は要チェックです。このステージの音楽監督兼KEYBOARDプレイヤーでしたので映っているかな?と思って見ていたら結構映っていました(^^)他にも超豪華メンバーがずらりです(スタッフの詳細は超充実の聖子さんFanサイト「Music Review and Opinions」さんをご覧下さい)。
Seikoland Seiko Matsida DVD BOX
VIDEO「Seikoland」
1983年12月 S.58年 32歳 河合奈保子さんシングル「エスカレーション」がレコード大賞金賞受賞(83.6.1 売野雅勇/筒美京平/大村雅朗) 「エスカレーション」「エスカレーション」
1985年 S.58年 32歳 「YOU GATTA CHANCE」 〜Original Motion Picture Soundtrack by MASAAKI OHMURA発売
1985年 S.60年 34歳 フジTV系「夜のヒットスタジオ・デラックス」へのリニューアル時に、数回、指揮者としてTVに登場。
1986年 S.61年 35歳 第一回ゴールドディスク大賞で、大村さん編曲の渡辺美里さんの「MY REVOLUTION」がベスト5シングル賞受賞
(作詞:川村真澄 作曲:小室哲哉 編曲:大村雅朗 1986.01.12 Release/EPIC SONY)
「MY REVOLUTION」「MY REVOLUTION」
渡米(N.Y.)。現地の英語学校にも通っていたらしいです。
この頃は松本隆さんとは殆ど連絡を取っていなかったようです。松本さん自身「音信不通」と表現されています。
また一時松田聖子さんの「NYの恋人」と女性週刊誌に書かれたりしました(これは事実無根)。
1988年 S.63年 37歳 株式会社 ロックオンカンパニー 所属となる

(不明/調査中〜情報を募集しております)
90s(作業中) 帰国時期は不明ですが、この頃帰国されたと思われます。徐々に活動を再開。
1991年 40歳 「LOVER'S DAY〜double happiness〜/氷室京介インストゥルメンタル作品集」発売
薬師丸ひろ子さんアルバム参加
1992年 41歳 篠原利佳さん作品参加/鈴木雅之さん作品参加/島田歌穂さん作品参加
くま井ゆう子さんアルバム「まばたき」('92.12.02/Sony Records))にプロデューサー&アレンジャーとして参加。全10曲担当(写真)。
松岡英明さんのアルバム「シェリーと夏と僕」2曲参加。
まばたき「まばたき」
1993年 42歳 篠原利佳さんアルバム「Hurry Love」参加/東野純直さんアルバム「Actor&Actress」2曲参加/小泉今日子さん「優しい雨」他参加/観月ありささん作品参加。辛島美登里さんアルバム「BEAUTIFUL」4曲参加
1994年 43歳 奥井亜紀さんアルバム「Lost Melodies」4曲参加。 東野純直さんアルバム「Breath」1曲参加。
遠藤 京子さん作品参加。  高橋 由美子さんアルバム参加/辛島美登里さんアルバム「NIGHT&DAY」1曲参加。
裕木奈江さん松本隆プロデュース・シングル、アルバム「水の精」3曲参加。ちなみに松本隆さんとは生前最後の作品となった(写真)。
くま井ゆう子さんアルバム「ガール」('94.02.21/Sony Records))にプロデューサー&アレンジャーとして参加。全10曲担当(写真)。
浜地たけし さんのアルバム「COMPLEX JUNGLE」3曲参加。
西脇唯さんアルバム「いちばんやさしい風はあなたが持っている」1曲参加。

eye's(仁科かおりさん&水野幸代さん)アルバム「Fish&Bird」2曲参加。
Birthday Suit( 東芝EMI/男性二人のユニット〜佐木伸誘・松崎真人)のアルバム「Home and Away」(7.20発売)2曲参加。
「水の精」「水の精」
ガール「ガール」
1995年 44歳 奥井亜紀さんアルバム「Wind Climbing」3曲/ 「Voice of Hallelujah」3曲参加
辛島美登里さんアルバム「In You Eyes」2曲参加.
辛島美登里さん「愛すること」〈東芝EMI〉が第37回レコード大賞優秀作品賞受賞(作詩作曲:辛島美登里/ 編曲:大村雅朗/プロデューサー:辛島美登里)

本田美奈子 さん(現:本田美奈子.)のアルバム「晴れときどきくもり」に1曲(「幸せ届きますように。」)参加。
西脇唯さんアルバム「恋していた時間が忘れるための時間」1曲参加。
染谷俊さんサードアルバム「僕の両手」5曲参加。
Birthday Suit(同上)のアルバム「R.」3曲参加。
「愛すること」「愛すること」
1995年4月5日 44歳 筒美京平さんとはコンビ最後となる作品発売=内田有紀の2ndシングル「明日は明日の風が吹く−作詞:岩切修子/作曲:筒美京平」(1995カルピスウォーターCMソング/オリコン最高順位:3位 登場回数:7回) 「明日は明日の風が吹く」「明日は明日の風が吹く]
1996年 45歳 奥井亜紀さんアルバム「You're the only melody」3曲参加
辛島美登里さんアルバム「恋愛事情〜reasons of love〜」6曲参加
萩原慎太郎さんアルバム「WALK THE WALK」(FHCF 2289:1996/05/22)2曲参加
染谷俊さんアルバム「君の両手」参加
片桐智幸さんシングル「遙か」参加(ANB系「料理バンザイ」テーマソング)1996/12/16:TMC TMDN-29
恋愛事情「恋愛事情」
1997年 46歳 奥井亜紀さんアルバム「Straw Color」(=既発曲Best+α)4曲 「Straw Color」「Straw Color」
最後のワークは、木下 愛朗さんの作品。
1997年6月29日(日) 46歳 肺不全で都内の病院で没。享年46歳。
1997年6月30日(月) 親族による密葬
1997年7月、8月 渡辺美里さんがステージ上から大村さんの死去を報告(於大阪、実名/於西武、仮名)。シングル「夏の歌」のc/w『ランナー』は(本来そのための詞ではなかったが)、結果的に追悼の意味を持つ曲になった。
※下段のスポニチの記事は、今考えるとこの発言の追っかけ記事だったのかもしれません・・・
1997年8月22日(金) スポーツ・ニッポン紙で氏の死去が記事になる。
1997年 秋 業界関係者による「お別れ会」が品川の天王洲にて開催される。/TBS系『報道特集』でお別れ会?が採り上げられたとの情報有り(未確認)。
1998年5月25日
1998年7月25日
木下 愛朗さん「これが愛」(MAXI/イーストウエスト・ジャパン)発売
木下 愛朗さん「幸     福 」(MAXI/イーストウエスト・ジャパン)発売
1999年1月25日 木下 愛朗さん「Life is Real」(MAXI/イーストウエスト・ジャパン)発売 「Life is Real」「Life is Real」
1999年12月18日 松田聖子さん、松本隆さん、(スタッフ)による事実上のレクイエムであり、大村さん没後発表曲『櫻の園』を含む松田聖子さんのアルバム「永遠の少女」発売。松本さんはもちろんこの曲も含めて、全10曲中8曲の作詞を担当。
(*このアルバムに関しては私の補足&推測もご参考になさって下さい)
永遠の少女「永遠の少女」
2000年7月19日 渡辺美里さんのアルバム「Sweet 15th Diamond」の"Special Thanks欄に「天国にいる大村さん」とのクレジット。
2000年12月18日 日本テレビ系『スーパーテレビ』の「20世紀わが心の歌!愛と悲しみの歌姫伝説今明かす秘めた真実」で“歌姫伝説”として松田聖子さんを特集。大村さんの事にも触れる。実家で特別に保管された「Sweet Memories」の楽譜も紹介。
2002年7月24日 井上陽水さんのアルバム「カシス」リリース。氏の作品『恋のエクスプレス』有り(初出)。なかなか良い曲です。
  作詞/作曲:井上陽水 編曲:大村雅朗
  (Keyboards:大村雅朗 Programming:石川鉄男 A.guitar:井上陽水/Record & Mix by 宮崎一哉/録音日時不明)
『カシス』「カシス」


福岡の某墓地に眠る。合掌。