Voices & Comments
大村さんご本人及び大村さんにまつわる人達の発言集等。
大村雅朗氏ご本人
「松田聖子の魅力って、一度聴いたら忘れられない、声にあると思います。声質が良い。存在感がある。そして彼女独特の表現力も、大きな魅力のひとつです。デビューして、アイドルから始まって、自分のスタイルを創り出した、数少ない女性シンガーの一人ですね、松田聖子は。マイペースで、自分を持った歌手として、歩んで行ける人ですね。」
1987年「SUPER DIAMOND REVOLUTION」ツアーパンフレットより
大江 千里さん
「大村雅朗さんのアレンジは当時僕的には少しシンプルでクールすぎる気もしてたんですが、今聴くと隙間の空け方の見事さ、音色の細かい絵の具のまぜ具合とか、やっぱりすごい彼のアイデアに包まれるように僕の歌が守られながら存在してたんだということを感じます。
質のいい映画背景に感じる手触り、息使いみたいにな中に、たとえばカウボーイ映画に出てくる印象的な砂漠の音、市川昆さんの映画によく登場する深谷幽谷の山並にたくさんの葉っぱんの擦れ合う音がこだまする、そんな理屈を通り越したところに訴えかけてくる音、それがこのオケには存在するのです。「Bedtime Stories」とかもそうです。雅朗さんも今や鬼籍に入られましたが、僕がこんなに深く関わり合った人は彼だけです。個人的な話をすると、もっとテクノとかハウスをやりたいなんて言ってた大村さんですが、僕の歌世界とはぴったりの、押し付けがましくない情緒感があって、これははっきり言って時間を越えて染みます。
もっともっと大村さんと作りたかったけど、彼から学んだたくさんのことを、ひとつづつ音楽にいかしていけたらと思ってます。」

大江千里 アルバム「2000JOE」/遠く離れても・・解説より
大沢 誉志幸さん
「故大村雅明(編曲者)との最後の仕事になった作品。僕は彼と生前そんなにも親しくはなかったが、彼の作品に対する姿勢にはよく驚かされた。とくに、初期の作品ではことごとく僕の方向性とは食い違っていた。彼は仕事に対して嫌味な位、わがままなのである。彼のエゴイスティックな音楽的思想は、僕の音楽的哲学をはるかに越えるものだった。そして、彼に対する僕の嫌悪感と憧憬は、逆に僕自身にとてつもなく影響を与えた。自分の中の別の扉を彼が開いてくれたのだ。そのことに感謝しないわけにはいかない。
寝返りGET YOU BACKで、久しく何年かぶりに彼に編曲を頼んだとき、彼は以前のような頑固さはなく、僕の作ってきたDEMO TAPEのSTYLEで編曲をしてくれた。それは、ある物足りなさと彼と少し分かち合えたことの歓びが同居する不思議な体験だった。その後、彼は若くして、この世を去った。彼の才能に触れることができなくなった現在を悲しみ、彼の冥福を祈りたい」
作品『寝返りGET YOU BACK』コメント

この野蛮なビ−トは、紛れもなく松武さん(松武秀樹)の音である。初期の大村、松武コンビの白眉な作品。初期の作品は銀色夏生の詩先で作業が行われることが多かった。彼女の詩の断片から僕が曲をつけ、作品化し、再度、銀色が詩を書き足していく、そんな感じだった。この作品も今現在あらためて聴いてみると、ミステリアスでエロティックな作品だと思われる。
作品『ゲームを教えて』コメント
木下 愛郎さん
【木下さんと大村さんの音楽のワークで印象に残っている事】

@「僕がデモテープを作っていくと、よく「コードをつけるな」と言ってました。ベースラインがある。ボーカルがある。そこにリフ(オブリガード)がつけばもう三和音なんだ、他には付けてくるな、とよく言われましたね。逆にオブリが良いと、よく誉められました。歌詞については、あまりなにか言われた覚えがありません。」

A「コードをつけるな、という件は、色々理由はありますが、「オブリガードまでは作曲の責任だ」とおっしゃっていました。オブリをしっかり作れ、ということです。これは、いわゆる「歌モノ」、メロ+コードで作ってはダメだ、ということです。歌を作るんではなくて、楽曲を作ってこい、ということです。アレンジは空間を埋めることではない、という発想です。曲の間中歌い続けるようなものではなくて、歌も楽曲の一部であるようなものをやろう、ということでした。トータルな「音楽」を作ろうということですね。」

04/8メールにて/木下様、ご協力ありがとうございました
小室  哲哉さん

「渡辺美里さんへの提供曲「My Revolutionについて」
「あの曲の転調部分は自分のアイデアですけれど、転調直前のコードの使い方は大村さんのアイデアでした。キーは決まっていましたが大村さんのアイデアで曲調が明るくなりました。助けられた感じです」(「小室哲哉 深層の美意識」神山典士著より)

鈴木 智雄さん(RECORDING ENGINEER)
「大村さんとは多くの作品を作りましたが、一つ一つに思い出があると言っても過言ではありません。大村さんはアレンジの最終形が頭の中にあり、針の穴を通すような細かく正確なバランスを要求されていました。私はどの作品も大変緊張して録音していました。大村さんとの仕事で大きく成長できたと思っています。作曲に対しても、ご自身に大変厳しく妥協は全くなかったと思います。スタッフは毎回ご本人の苦しみとは無関係に大きな期待を持って新作を楽しみにしていました。「聖子ちゃん」・「まーくん」と呼び合っていた松田聖子さんに作った曲はどれも名作でした。

大きなプレッシャーの中で多くの名作を残してくれた大村さんは、音楽愛好家の中に生き続けていることを確認できました。」

「思い出したことがあります。大村さんとの出会いは編曲家としての初仕事、CBS/SONY時代にディレクター川端さんとでやりました。たしか、宝塚のスターの方だったと記憶があります。すでに完成された素晴らしいアレンジで、川端さんと驚いた記憶があります。」

※初仕事も鈴木さんとご一緒だったとは驚きでした。
04年8月、鈴木氏主宰のHP/掲示板への書き込みに対するご返事から、氏の了解を得て引用させて頂きました。鈴木様、ご協力ありがとうございました。
佐野 元春さん
「ハートのイアリング」は編曲を担当していた今は亡き大村雅朗氏が「サムディをリスペクトしてアレンジしたんだ」と言ってくれた・・・
林 哲司さん
「ボクも何作かアレンジしてもらっていますが、彼はすばらしいアレンジャーでしたね、残念です。アレンジを自分から依頼するのは、その人が自分にはない技とか個性をもっている場合の方が多いかな・・・・」
自身のHPより
松本 隆さん
「ぼくらは「まーくん」と呼んでました。たぶん「櫻の園」を聴いていちばん喜んでくれたのは、天国のまーくんでしょう。でもアレンジは自分でやりたかったろうな。」
自身のHPより

「大村雅朗君はぼくの弟みたいな存在だったんです。彼はわがままで有名で、スタッフ泣かせだったんだけど、ぼくの言うことだけは不思議によく聞いてくれたんです。夜中の3時頃、スタジオから電話がかかってきて呼び出されることもしょっちゅうでした。
彼と作った「真冬の恋人たち」と「スイート・メモリーズ」はぼくのフェバリット・ソングなんです。彼を失ったことは本当に残念でした。」
自身のHPより

「Sweet Memoriesについて」
「大村(雅朗)君が亡くなったと聞いた夜、ぼくは号泣してしまった。聖子さんのプロジェクトは彼と二人で作ってたようなものだから。彼はよく深夜の午前3時頃に「煮詰まったからスタジオに来てよ」と電話してきたんだ。そのたびにパジャマを着替えて車に乗って。どんなにスタジオでもめていても、ぼくが話すと理解してくれた。その彼の代表作。
最初は英語の部分だけCMで流れて、聖子さんが歌っていることは伏せてあったんだ。「蒼いフォトグラフ」の主人公と港の見える公園とか、元町とかでよくデートをしたんだ。でも、そのクラスメイトは「ロックミュージシャンなんて将来ゼロね」と離れていってしまった。そういう人と大人になって再会したらどうなるのだろう?と想像して作ったのが「Sweet Memories」。実際、同窓会で会ったら、その人はちゃんと”幸せ”になっていて。歌のモデルになったことも知らずに、「松本君の歌、歌ってあげる」なんて言って、カラオケでこの歌を売ったんだんだ(笑)。
「the 30th anniversary of songwriting works takashi matsumoto presents KAZEMACHI ZUKAN」 -MACHI SIDE- より
渡辺 美里さん
※04.8/24掲示板にご投稿されたA.N.様からの情報です。情報どうもありがとうございました。
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「(確か自分の記憶が確かなら)その年の大阪・西武球場でのコンサートで、大村雅朗さんが亡くなったことを美里さん自身が報告して、(西武では大村さんの名前は伏せていましたが)とても悔やんで涙を流している様子が印象的でした。そのときのコメントで、「仕事上の事で、しばらく距離をおいていたけれども、近々改めて一緒に仕事をしようと思っていたのに、こんな事になってしまって・・・(涙)これから歌う曲(※)はそのつもりでは書いたもの(歌詞)ではなかったけれども結果的にそうなってしまいました。(涙)(以下略)」など、大村さんを悔やむコメントがありました。(以下略)」

A2000年7月19日にリリースされたベストアルバム「Sweet 15th Diamonds」には、Special Thanksの欄に「天国にいる大村さん」というコメントあり。

※「ランナー」。1997年7月30日にシングル「夏の歌」のカップリングに収録されていた曲。1998年7月1日にリリースされたアルバム「ハダカノココロ」にも収録されている。
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※ちなみに、美里さんと大村さんは仕事上の行き違いからしばらく距離をおいたご関係になっていて、そのまま大村さんがご逝去されてしまったようです・・・