長船刀剣博物館
瀬戸内市長船町長船966番地
長船刀剣博物館の詳細については、こちらのサイトに詳しく書かれていますので、ここでは省略させていただきます。→
令和5年(2023)夏に岡山県に行く用事がありましたので、足を延ばして、いつか行ってみたいと思っていた長船刀剣博物館へ行ってきました!

丁度、「戦乱と流行−南北朝時代の刀剣−」の展示中でしたので、「これは、顕家様がお持ちだったと伝えられる志津の長刀を作ったかもしれない「志津三郎兼氏」の刀剣があるかも!!と期待に胸を膨らませながら!!
(顕家様の刀についてはこちらをご覧ください→

JR赤穂線の邑久(おく)駅から瀬戸内市コミュニティバスの長船北線に乗車。(長船駅からも乗車できます)
コミュニティバスというものに初めて乗ったのですが、10人定員ぐらいの車(ト〇タのハイ〇ースだったかな)で住宅地をスイスイと走っていきました。途中、かなり細い道も通りましたので、「これは普通のバスでは通れないな〜」などど思って乗ってました。
バスに揺られること約40分で、備前長船刀剣博物館のバス停に着きました。
敷地内に停まるので便利ですね〜。
邑久駅前にある雪ん子の銅像 やってきました。長船刀剣博物館へ!
駐車場には大きな看板 入口
南北朝時代って文字を見ただけで
わくわくします〜(笑)

平日だからなのか、時間帯によるものなのか、見学に来られた方が少なかったので、ゆっくりと見ることができました。
ただ、管理人は刀剣についてはさっぱりわからないので、解説文を読んでも、どこのことを指しているのか、どう違うのかよく分かりませんでした(ToT)/~~~


そして、期待していた顕家様の刀を作ったと思われる志津三郎兼氏の作品ですが・・・・・
志津三郎兼氏自身の作かどうかは分かりませんが、兼氏の流派(?)である“直江志津”の刀はありました\(^o^)/

うわぁーい!!

顕家様が持たれていた刀と同じ刀匠(かもしれない)の作品
顕家様の刀もこんな感じだったのかな〜
などと、キャッキャッ!!と騒ぎながら見てました(笑)

写真撮影が禁止されていたので、解説本を販売していないかをお尋ねしたのですが、発行していないとのことでした。残念〜(ToT)/~~~
帰宅後、長船刀剣博物館のホームページを見ると、各刀に添えられていたものと同じ解説文がダウンロードできるようになってたので、すぐにダウンロードしました!
刀の写真は手に入りませんでしたが、展示されていた刀の解説文は手に入ったので良かったです。
ネットで検索すると、志津三郎兼氏の刀の写真が挙がってくるので、それを見て余韻に浸っております(笑)

そして南北朝時代の刀剣がテーマだったので、後村上天皇ゆかりの刀も展示されていました。
芦葉江(あしばごう)と呼ばれる刀で、後村上天皇が水無瀬神宮に納められていたもので、室町時代以降に鵜殿の住人が所持をしたと伝えられ、現在は高松市の所有となっているものです。
はぁ〜、後村上天皇の持ち物だったのなら、顕家様も見てたかしら〜と浸って見ていました(>_<)
しかし、この項を書きながらネットで検索してみると、『日本刀大百科事典』には、後村上天皇が奉納するのは不自然とか書かれているらしいです・・・(ToT)
「でも!でも!奉納はしてないかもしれないけど、後村上天皇の持ち物だったかもしれないし!顕家様も見てるかもしれないし!!」と気を取り直しています(笑)

長船刀剣博物館では、刀や鞘などを作る工程を見ることもできます。
今回はあまり時間がなかったので、さっと回っただけですが、できればゆっくりと時間を取って作業されている職人の方からお話を聞きたかったです。
“刀鍛冶になってみよう”というコーナーもあり、刀鍛冶になりきって写真を撮れるようになっていたのですが、平日なので、撮影をお願いできる方が近くにおられず、残念ながら写真撮影はできませんでした。また行く機会があれば、ぜひ“なり切り写真”を撮りたいと思っています!


“刀鍛冶になってみよう”のコーナー


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令和5年(2023)10.08

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