「花将軍 北畠顕家」(横山高治)の巻末に、北畠具教の子孫(つまり顕家様の弟 北畠顕能の子孫)と言われる北畠清泰さんの寄稿(?)があります。
その中で、顕家様が所持していた長刀について触れた文章があります。
長刀については、北畠清泰さんの生家である和歌山市にある長覚寺の「當山由緒記」に記載されているようなのですが、要約しますと、

・顕家が紀州 龍門山の戦いの時に所持していた志津の長刀が当山(長覚寺)にある。
・この長刀は開基 清光が勢州より林鴬山へ持って来た。
・その後、元和五年(1619)、慶清が芸州に建立した分寺へ引っ越す際、持って行った。
・天明四年(1784)二月七日、寺内(芸州の分寺 超覚寺?)より出火。建物が全焼し、長刀も焼けた。
・しかし、寛政八年(1796)六月五日、当山九世清雲が芸州の分家 超覚寺へ行き、同月十日、讃岐丸亀の金毘羅へ参詣。この時、焼身の志津の長刀を分寺隠居の清涼の譲り書きを添えて持ち帰り、178年ぶりに当山へ戻り、当山宝物となる。
・寛政九年三月、京都の鍛冶、伊賀守金道、焼き直す。


この焼き直された長刀が、戦前、北畠清泰さんの生家にあったそうなのですが、残念ながら、終戦後、占領軍に没収され、その後、長刀がどうなったかは分からないそうです。


顕家様の刀・・・一体、どんなものなんでしょうね〜。
気になりませんか?気になりますよね!?

ってなわけで、今はどこで、どうなっているのか分からない
顕家様の刀について、想像してみましょう!!