北畠顕家の妻の歌

顕家様の正妻については諸説あるようですが、管理人は日野資朝の女(むすめ)説を支持しています!
なので、このサイトで“顕家様の正妻”と言えば、日野資朝の女(むすめ)です(力説)!

管理人が把握している範囲では、顕家様の奥様のエピソードは、『吉野拾遺』にしかありません。
しかし、『吉野拾遺』は史実ではなく、後世書かれた物語なので、史料的価値は無いようです。
それでも、もしかしたら事実を語り継がれてきたことが反映されているかもしれませんので、本サイトでは『吉野拾遺』に描かれている顕家様の奥様のイメージで語っております。

なお、今まで散々、管理人が妄想する顕家様の奥様についてのイメージや妄想エピソード (「顕家様を取り巻く女性達」、「イメージソング3、10、11、15、16、19」参照)を語ってきましたので、これらを参考にして、以下をお読みください。

『吉野拾遺』の内容については、「ゆかりの地」>「観心寺」の中の別枠で少し書きましたが、この度は歌に焦点を当ててみたいと思います。
『吉野拾遺』に書かれている顕家様の奥様の歌は、以下の6首です。
表記については、資料によって漢字など違ったりするので、今回は国立国会図書館デジタルコレクション『吉野拾遺詳解』(大正14年 神保書店)に従いました。
@玉の緒の たえもはてなでくり返し おなじ浮き世に むすぼゝるらむ
Aそむきても 猶わすられぬ面影は うき世の外の ものにやあるらむ
Bいづくにか 心とゞめむ みよしのの よしのゝ山を いでてゆく身は
C別るれど あひもおもはぬみよしのゝ みねにさやけき 有明の月
Dなき人の かたみの野べの草枕 夢も昔の 袖のしら露
E後の世の 契のためにのこしけり 結ぶ亀ゐの水茎のあと
@の歌は、顕家様の戦死の知らせを聞いて奥様が気を失い、次の日に少し落ち着かれて詠んだとされています。
玉の緒の たえもはてなで くり返し
      おなじうき世に むすぼゝるらむ
古文が苦手なものですから(古文だけではないですが)、言葉の意味など調べもせずに、イメージとして
「何度生まれ変わっても、顕家様と結ばれたい」という歌なのだろうと解釈していました(^^ゞ

ところがネットで検索してみると、『吉野拾遺詳解』に、以下のように書かれているではありませんか!

「命が絶えてしまいもせず、また元へ生き返って、同じこの浮き世に苦しいこの思いを持って暮らすことになるのであろうか」

えー!!全然、意味が違う〜(T_T)/~~~

確かに、古語辞典を引いてみると

「玉の緒の」=「長き」「短き」「絶え」などにかかる枕詞。
「絶え果つ」=すっかり絶えてしまう。息が絶えてしまう。
「なで」=・・・してしまわないで
「浮き世」=定めのないはかない人生。現実社会。人の一生。当世風。
「結ぼほる」=結ぼるに同じ。結ばれて解けにくくなる。 気がふさいで晴ればれしない。 関係をつける。
「らむ」=今ごろは・・・しているだろう。 ・・・だろう。 なぜ・・・だろうか。 ・・・とかいう。

このように書かれているので、
「顕家様のいないこの世に、なぜ私は生きているのだろう」
こんな感じの意味でしょうか?

うーん、今まで思っていたのとは全然違った意味ですね。_| ̄|○
つまり、「生まれ変わっても顕家様と結ばれたい」ではなく、「顕家様のいないこの世から消えてしまいたい」ってことですよね。

しかし、最初に思っていた意味とは違っていても、奥様が顕家様を深く愛していたことは、確かですよね〜。