観心寺
大阪府河内長野市寺元475
観心寺 楠木正成像
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 大宝年間(701〜704)役小角が開創、霊心寺と称したが、弘仁年間(810〜824)弘法大師が再興して観心寺と改め、天長四年(827)大師は高弟 実恵に譲り、実恵は大いに興隆に力を尽くしたという。しかし、元慶七年(883)の「観心寺縁起資材帳」によると、弘法大師の弟子 実恵とその弟子 真紹が天長四年(827)に創建したという。
 観心寺は、南朝との関係が深く、後醍醐天皇は天皇親政の建武の新政がなるや、楠木正成を奉行として金堂を再建、また塔頭中院は楠木家菩提寺で、延元元年(1336)湊川の合戦で戦死した正成の首級は中院に葬られた。正平14年(1359)12月、後村上天皇は金剛寺から移り、本寺の塔頭総寺院を行宮とし、翌年正月、禁裏の本尊愛染明王を賜い金堂に安置、永代の勅願寺となしたという。正平23年、後村上天皇は住吉行宮(大阪市)に没し、本寺に葬った。檜尾陵と称する。
出典:「観光と旅 大阪府」(人文社)







 楠木正成ゆかりの観心寺であります。
 楠木正成銅像あり、楠木正成首塚ありで、正成ファンにはたまらない場所でしょう。また、正成の妻 ひさ が、こちらで出家したとも伝えられていますし、まさに楠木家ゆかりの地ですね。
 しかし、私は楠木正成関連のものはもちろん見てみたかったのですが、こちらで顕家の妻も出家したと「吉野拾遺」に書かれているということで、ぜひ行ってみたかったんですね。
 「花将軍 北畠顕家」(北畠顕家公顕彰会)では、顕家の妻は日野資朝の娘と書かれているのですが、「伊勢 北畠顕家一族」(新人物往来社)では、吉野拾遺に書かれている内容を述べた後、“どのような女性であったのかいっさいわからない”と書いてあるので、本当のところは、よく分りません。今のところ私は、日野資朝の娘を妻と思っているのですが。→吉野拾遺の記載内容
 なお、奥州には、顕家の愛妾として“松代の方”という女性がいたようなのですが、この方についても、詳しいことは分りません。(ご存知の方は、情報提供お願いします!→掲示板へ)
 観心寺は、桜の名所になっていますので、桜の時期がお勧めです。