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ローザは呆然として、突然手の中で鳴り出した杖を見つめていた。
りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。
杖はなおも鳴り続けた。続いて、杖の上部に刻まれた紋章が光り輝く。鳥と剣をあしらった紋章、その鳥がまるで急に命を得たかのようにうごめき、白い光の鳥となって杖から飛び立つ。
光の鳥はローザの頭上高くに昇り、そして突然、まばゆく輝く光点に変化する。その光点は見る間に広がり、漠然と人間の姿をした、白く輝く光の塊となった。
ローザがはっと息を呑む。
「……ルミールよ」
ローザはひざまずき、手でルミールの印を作る。
「『エルディーヌの杖』で我を呼び出したのは誰か?」
ルミール……光の王の声が響き渡る。
ローザはびくっとして、答をためらう。
ルミールはそのローザが手にしている杖を見やると、かすかにうなずくような身振りを見せた。
「なるほど、おまえが杖を受け継ぐ者か」
ローザはその言葉に狼狽した様子で、おずおずと答を返した。
「な……なんのことでしょうか、光の王よ?」
「そうか……。おまえはまだ自分の宿命を知らぬのだな、『エルディーヌの杖』を受け継ぐ者よ。……まあよい、いずれおのれの正体を知るときが来よう。それで何を望むのだ、我が僕よ?」
ローザはようやく気を取り直し、ルミールに哀願するように杖をかかげ、訴えた。
「わ……わたしたちを、フレイン様をお助けください、光の王よ。ディノクラが……ディノクラに仕えるランセムが、『世界の核』を破壊しようとしているのです!」
ルミールは、ランセムと、その後ろに控えるディノクラをちらりと見やる。
「……ディノクラか。きやつが何かをもくろんでいることは我ら精霊王も感づいてはいたが……こういうことであったか。確かに、この世界が消滅することは我らとて望まぬ。力を貸そう。……だが、おまえにではない。残念だが、おまえの魔力ではディノクラの僕を打ち破るだけの力を振るうことはできぬだろう」
そう言うと、ルミールはあたしの方に向き直る。
「シファーの僕よ、おまえは我が信徒ではない。本来ならば、我がおまえに力を貸す理由はない。だが、この世界が消滅することは我ら精霊王も望むところではない。いまこの場でそれを食い止められるのは、どうやらおまえだけのようだ。我が力をおまえに貸そう。使うがよい」
身体に、これまでとは違う力が流れ込んでくるのが感じられた。風の元素の力とは違う、暖かい活力に満ちた力。
これが、ルミールの力……光の元素の力なのか。
ローザの持つ杖はなおも鳴り続けた。
りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。
杖が輝き、光が蒸気のように噴き出す。オレンジ、ブルー、茶色の光。そして、言い表す言葉のない、目に見えないひかりが二筋。
その光に呼応するように、新たな姿が出現した。オレンジの光からは燃えさかる炎が。ブルーの光からは波打ち跳ね回る水が。茶色の光からは土と石の巨人が。
火の王ガラード、水の王シターレ、そして地の王ジーだ。
「風の王シファーよ、光の王ルミールよ、我らもこの者に力を貸そう。この世界の存続は我らすべての関心事。そなたらだけの問題ではないからな」
「そのとおりです。この世界は、私たちすべてが長年にわたって育て上げてきたもの。それが破壊されようとしているのであれば、見過ごすことはできません」
「それに、『エルディーヌの杖』を受け継ぐ者もいるとなれば、なおさら放ってはおけぬな。我もこの者に力を与えよう」
さらに、それ以外の何者か、目に見えないものがこの場に来ていることが感じ取れた。見ることも、聞くことも、触ることもできないけれど、そこにいることが感知できるもの。
「すがたなき二者」、精神の王イーアと時の王キシーだ。
(我らも同じ。我らの長年の労力を無に帰さぬためには、いま我らの力を合わせる必要があろう。ふ……考えてみれば、こんなことは絶えて久しいな)
心の中に「すがたなき二者」の思いが伝わってきた。
ローザの杖は鳴り止んだ。まるで役目を果たして満足し、深い眠りについたかのように、ローザの手の中で動きを止め、ただの杖に戻った。
地の王ジー。
火の王ガラード。
水の王シターレ。
光の王ルミール。
精神の王イーア。
時の王キシー。
そして、風の王シファーと合わせて、七人の精霊王が今、あたしに力を貸してくれた。
七大元素の力が、同時に身体に流れ込んでくる。その莫大な力に、まるで身体が破裂するような感覚を覚えた。でも、あたしにはその力を操ることができる。それは頭がしびれるようなとてつもない力の感触だった。
いま、わかった。
あたしがこの世界に呼ばれたのは、まさにこのときのため。
ディノクラの野望をくじくこの戦いで、七大元素の力が必要になることを予知していた何者かがいた。そして、その力を操ることができる魔力を持つ者……つまり、このあたしは、その者の意思によって、次元を超えてこの世界に呼ばれたんだ。
理屈じゃなかった。あたしはいま、そのことを疑問なく感じ取った。
勝てる。
「行くぞ!」
あたしは誰にともなく叫び、ランセムにまた向き直る。
「風よ包み込め。我が敵のなすすべてを封じよ!」
手を振り上げて叫ぶ。ランセムの周囲に強烈な風の渦が無数に巻き起こる。風の渦は互いにからみ合い、風のロープとなってランセムを取り囲み、さらにその身体を縛り上げようとする。
ランセムは叫び、闇の刃を呼び出して風のいましめを切り裂こうとする。
でも、そんな猶予を与える気はない。
「地よ壁となれ。その力もて敵を抑えよ!」
ランセムの周囲に砂嵐が出現する。その砂は渦を巻きながらランセムと、その呼び出した闇にまとわりつき、見る間に互いに結びついて硬い石となり、動きを完全に止めてしまう。
「ぬおおおぉぉぉっっ!」
ランセムの声はもう絶叫に近かった。石に包み込まれた彼は、闇の魔力を結集してその石を砕こうとする。彼の闇の魔力を受けて、石に少しずつひびが入り、ぱらぱらと崩れて細かいかけらが落ちる。
石の縛めが砕かれる前に、さらに一撃!
「炎よ天を焦がせ。その舌にてすべてを焼き尽くせ!」
空中に小さな火球が出現し、それはまるで空気そのものを燃やすかのようにたちまち燃え広がる。あっという間に、ランセムは山火事のような業火の中に放り込まれ、その衣服が燃え始める。
炎の中で、ランセムがまだ手を動かし、魔力を振るっているのが見えた。彼はまだ生きている。自分の闇の魔力をふるって、炎に焼き尽くされるのを防いでいるんだ。
「水よ槍となれ。行く手をさえぎるものを貫け!」
炎がぱっと消えると同時に、上空から突如として豪雨のように水が降ってくる。その水は落ちてくる途中で細長い綱のようになり、先のとがった無数の水の槍を作り出す。
水の槍はいっせいにランセムに襲いかかる。ランセムは自分の周りに闇を凝縮させ、自分を守る鎧にしようとする。でも、さすがの彼の魔力も続けざまの攻撃で弱っていた。幾本もの水の槍が、闇の鎧を貫いて彼の身体に突き刺さる。水の槍は、ランセムの血を吸って淡い赤色に染まった。
『ランセムは、自分の限界を超えて魔力を使っておるぞ』
チャムがあたしの肩にしがみつきながら、耳元でささやく。
《限界を超えてって……どういう意味?》
『ランセムの身体が耐えられる量を超えた魔力を、ディノクラが無理やり彼の身体に送り込んでいるのだ。いまやランセムは、ディノクラが魔力を使うための道具に過ぎなくなっている。あのままでは、そなたが倒さなくとも彼は自滅するぞ』
《そんな……それじゃ、ランセムはまるで捨て駒じゃないの?》
これ以上……戦う意味があるの?
あたしは魔法を中断して、ランセムに呼びかけた。
「もうやめろ、ランセムよ! そなたの負けだ。これ以上続ければ、そなたは死ぬぞ!」
ランセムは答えず、無言であたしをにらみつける。
その目に、あたしはぞくっとした。それはもう正気を写してはいない、何かに完全にとりつかれたものの目だった。
だめだ。もうランセムはディノクラのあやつり人形になっている。自分の意思なんて残ってないんだ。
ランセムは戦いを止めるそぶりをまったく見せなかった。それどころか、あたしが魔法を止めた隙を見て、また反撃に移ろうとする。
「闇よ霧となれ。光を包み飲み尽くせ!」
ランセムの周囲に闇が広がった。夜の暗黒よりもさらに黒く見える、それは「真の闇」だった。それはまさしく霧のように周囲にたちこめ、彼が両の手のひらを突き出すと、その霧はさっと流れ出し、ローザたちを包み込もうとする。
ローザが杖を振り上げ、呪文を唱えた。ローザたちの前に、青く輝く光の壁が出現する。闇は光の壁に衝突し、行く手をはばもうとする光の壁と激しく押し合う。
でも、ローザの魔法で防げるってことは、ランセムの魔力もかなり弱っているってこと。もう勝負は見えているというのに、彼はどうしても戦いをやめようとはしない。
《くっ……まだやる気なの?》
『やむを得ぬ。ランセムにとどめを刺すのだ、フレインよ。いまやそれ以外に、ディノクラを止める方法はない……』
どうしようも、ない。ランセムを殺すか、あたしたちが殺されるか、どちらかの選択しかないみたいね。
「光よ闇を吹き払え。世界を照らし影を消し去れ!」
頭上がまばゆく輝く。まるで雨粒のように、光の粒が上から降ってきた。それはランセムの作り出した闇を中和し、消してしまう。あたり一面は色とりどりの光に包み込まれ、頭上はオーロラのように輝いた。
これで、ランセムの闇は封じた。
「精神よ押し寄せろ。我が敵のこころを打ち砕け!」
ランセムが絶叫した。彼は頭を両手で押さえ、その身体ががくがくと痙攣する。すがたなき元素……精神の攻撃を受けて、その力に苦しんでいる。
それは、近くにいるあたしにも、ローザたちにも感じ取ることができた。精神の元素の力が、絶望、恐怖、怒り……そういった感情の奔流となって心の中を通り過ぎていく。余波だけで吐き気がするような感情の攻撃を、ランセムはまともにくらっているのだ。
「お……の……れ……」
もう、彼の目には生気がなかった。ランセムは……すでに半分死んでいるんだ。
だけど、それでも彼はやめようとはしない。ディノクラが、彼を無理やりに動かしているんだ。
しかたがない……。やるしかないのか。
最後の、決定的な一撃。
「時よすべてを流し去れ。忘却のかなたにこの日を運べ!」
ランセムの身体が変色していく。皮膚が茶色に変色し、そして指先から、腕から、顔面から、ぼろぼろと肌が、肉が腐敗してくずれ落ちていく。
そして、かつてランセムだったものは、白い骨を組み合わせた骸骨でしかなくなり……乾いた音をたてて崩れ落ち、骨の山になった。