気がつくと、あたしたちは薄暗い洞穴のような場所に横たわっていた。

 立ち上がって周囲を見回す。周囲の壁はよく見ると、細長い木の枝が組み合わさったものだった。気がつけば壁だけじゃなくて、床も天井も同じで、大小さまざまな木の枝と、その枝についた葉が複雑にからみあっている。

 とてつもなく大きな木……そうか。ここは、「世界を支える樹」の枝の中なんだ。

 あの暴走した元素の渦の中で飛ばされて……たぶん、地上に見えていたあの穴から中に落ちたんだろう。

『う……う〜ん……』

 チャムが目を覚まし、あたりを見回す。

『助かったのか……』

《そうみたいね》

『よく……助かったものだ』

《……まったくよね》

 チャムに指摘されるまでもなく、あたしもだいぶ魔法の働きについて理解してきていた。あの暴走した光と闇の元素の力は、人間に扱えるレベルをはるかに超えていた。あの力をまともに受けていれば、あたしたちはたぶん跡形もなかったはず……。

 ローザが起き上がり、周囲を見回してにっこりする。

「はあ……どうやらうまく行ったようですね、フレイン様」

 ローザ……あなたお気楽すぎ。

 やっぱり、ここは言っとかないと。

「ローザよ、そなた自分のしたことがどれだけ恐ろしいことか分かっているのか? 言いたくはないのだが……、そなたの引き起こした元素の暴走で、わたしたちは九割九分全員死亡していたのだぞ」

「ぎくっ!」

「助かったのは、まったくの幸運に過ぎない」

「あ、あははははは……」

 ローザは引きつった笑いを浮かべる。その顔は真っ青。

「で、でもあのとき他に手が思いつきませんでしたし……と、とにかく、うまく助かったのですから。か、過去の過ちをあまりに責め立てるのは、ルミールの教えにかなうことではありませんわ」

 はあ……この性格、やっぱローザだ……。

 でも……変ね。たしかあたしたちは、あの元素の渦にまともに飲み込まれていたはず。どうして助かったんだろう……? たしか、意識を失う直前に、何かが光と闇の元素の力を吸い取って……中和してくれたような……。

「そ、それで、ここはどこなのでしょうか……」

「どうやら、ここが『世界を支える樹』の中のようだ」

「これが……樹の中……ですか?」

 ローザが不思議がるのはもっとも。これは、とても樹の中という感じじゃなかった。どっちかっていうと、生垣の巨大な迷路とでも言った方がいい。

 だけど、地上から見たこの樹はあれだけ途方もなく大きかった。枝の広がりが島のように見えたくらいだ。その中がこれくらいの大きさでも不思議はない。

 周囲をじっと見つめていたエレジーが突然振り返る。

「ここ……覚えている。ずっと前……いたような……気がする」

「え? エレジー……?」

「なにか……思い出せそう。なにか……大事なこと……忘れていた……なにか……」

 そう言って、エレジーは先に立って歩き出した。

「こっち……こっちの方に、なにか……ある……」

 あたしたちは顔を見合わせる。

「どうします? フレイン様」

「……どっちに行けばいいのかもわからないしな。とにかく、エレジーの行きたい方に行ってみるか」

 木の枝と葉がびっしりとからみ合ってできた空洞は、まさに迷路のように入り組んでいた。その中をエレジーは迷いもせずに歩き続ける。

 しばらく歩いていると、ローザが顔をしかめて口を押さえる。

「フレイン様……かすかですけど、闇の魔法の気配がします。それに、もっと大きな力の流れも感じます」

 闇の魔法の気配はあたしには感じ取れないけれど、その「もっと大きな力」の方は感じ取れた。周囲の樹の枝に八大元素の力が流れている。そして、その力はあたしたちが進む方向に向かって、しだいに強くなっている。

 ということは……この方向で正しいんだ。この先に、樹の中心が……「世界の核」がある。

 

 しばらく行くと、通路がいくつも突き当たって小さな部屋のようになっている場所に出た。

 そして、その中心に倒れている人影があった。

「ヤクザ!」

 あたしたちは彼に駆け寄った。

 彼の姿は無残なものだった。着ている魔術師のローブはずたずたに裂け、そこらじゅうで焼け焦げている。その裂け目からは、全身に火傷を負っているのがわかった。

 でも、彼が負っている火傷は致命傷ではなかった。彼を助け起こしてその顔を一目見るなり、あたしは……そしてローザも、青ざめて口を押さえてしまう。内心では顔をそむけたかった。彼の顔は、まるで粘土の人形みたいに不気味な緑色で、生きたまま腐敗し始めていたのだ。

 ローザは、まるで吐き気をこらえているような表情だった。

「フレイン様……これは闇の力です。闇の魔法に冒されて死んだ人は、こういう肌の色になるのです……」

 闇の魔法……ということは。

「やはり、彼はランセムに倒されたということか?」

「おそらく間違いありませんわ。これほど強力な闇の魔法を使える魔術師はそういるものではありません。ランセムでなければ、彼と同じくらい強力な闇の魔術師が他にもこの場に来ていることになりますが……たぶん、それはないと思います」

 そのとき、ヤクザはわずかに身じろぎし、目を開いてあたしたちの方を見つめる。

「……フレイン……なのか?」

「そうだ、ヤクザよ。そなた、ランセムと戦ったのか?」

 ヤクザは弱々しくうなずいた。

「そうとも……。わしは奴を止めようとした……。だが、奴にはもうわしの説得など聞き入れる余地はまったくなかった。そこで、わしは奴と戦った……。しかし、奴の力はわしの想像をはるかに超えていた。ディノクラの力を借りたとはいえ、まさかあれほどの力を奴が振るえるとは思わなんだ……」

 苦しげに起き上がろうとする彼を、ローザがそっと押さえる。

「じっとしていてください、ヤクザさん。いま、手当てをしてさしあげますわ」

 そうだ、光の魔術師は負傷や病気を治す魔法が得意なんだっけ。

 ローザは片手で杖を握りしめ、もう片方の手をヤクザの身体に当てて精神を集中する。

「ローザ……。治せそうか?」

 ローザはヤクザの体に沿って手を走らせてから、悲しげに首を振った。

「ダメです……。この人は、途方もなく強い闇の魔力を受けています。私の魔力では、とてもその闇の力を取り除くことはできません……」

 ヤクザは緑色に変色し、ミイラのようになった手でローザを制した。

「よいのだ、お嬢さん……。わしがもう助からんことは、自分でわかっている。わしは……フレインよ、おまえに一言だけ忠告するためにここで待っていたのだ」

「ヤクザ……」

「フレインよ……。ディノクラの助力を受けたランセムの魔力は信じられんほどだ……。おまえは、シファーに会って助力を願ったのか……?」

「うむ……わたしはシファーに会った。シファーは、わたしがランセムと戦うときにだけ力を貸すと言っていたぞ」

「そうか……よかった。シファーの助力なしでは、おまえに勝ち目はない。しかし、いまのランセムはあまりにも強いぞ……。おまえがシファーの助けを借りても、はたして奴に勝つことができるのか……わしにも……わからん」

 ヤクザは最後の力をふりしぼって上体を起こすと、あたしを見つめて言葉を吐き出した。

「フレインよ……。わしはおまえが嫌いだ。だが、あえて頼む……。ランセムを止めてくれ。この世界を救ってくれ……」

 あたしは、干からびた彼の手を両手で握りしめて答えた。

「約束しよう、ヤクザよ。わたしは必ずランセムを止める。そしてこの世界を守ろう……。この『風使いのフレイン』の名にかけて」

「ありがとう……フレインよ、いま始めて、わしはおまえに感謝するぞ……」

 ヤクザはほっとしたように、わずかに穏やかな表情となり、また横になった。

「ふ……。わしの最期を見とるのが、よりによってわしの大嫌いなおまえだとはな。なあフレインよ、最後に少しだけ言っておきたい。わしは本当は、おまえが妬ましかったのだよ。わしはおまえのように名家の生まれでもなければ、幼少のころから魔法の天才と言われてきたわけでもない。おまえは、わしの欲しかったものすべてを持っていた。だから、わしはどうしてもおまえに勝ち、ギルド長の地位をこの手にしたかったのだ……」

「………………」

「わかるか、フレインよ? わしとランセムは同じ境遇だったのだ。だから、わしはランセムと組んだ。だが、そのわしがランセムに負け、いまこうしてランセムを倒してくれと、おまえに頼まねばならんとはな。皮肉なことよ……」

「……ヤクザよ。そなたは……」

「もうよいのだ。すべてわしの私怨にすぎん。ただ、頼んだぞ……フレイン」

 そして、ヤクザは目を閉じ、その全身から力が抜けた。

 あたしの肩の上で、チャムが前足で祈りの印を作った。

『ヤクザよ……。知っていたとも。そなたが貧困の生まれからどれほど必死の思いをして魔術師となり、地位を得たか。だから、そなたがわたしを嫌っていても、わたしはそなたを嫌わなかった。そなたは気付いていなかったかもしれんが……わたしもそなたを羨んでいたのだ。すべての運命を自分の力で切り開いてきた、そなたの気迫をな……』

 あたしたちも同じ祈りの印を作り、ヤクザに祈りをささげた。

 それから、あたしたちは立ち上がった。

「行こう……。ランセムはこの先にいるはずだ!」

 

 エレジーの後について、中心らしい方向に向かってしばらく歩いていくと、前方にかすかな青い光が見え、同時に低い声で何かを唱えているのが聞こえた。

 呪文だ。

 ローザが顔をしかめ、口元を手で押さえる。

「フレイン様……強力な闇の魔法ですわ」

 さらに少し進むと、ぽっかりと大きな空洞に出た。周囲がからみあう木の枝におおわれた広い部屋。そして、その中心に「世界の核」があった。直径三メートルくらいの丸い、かすかに青みをおびた水晶。その表面には何本もの枝がつながり、それを空中で支えている。

 八大元素の膨大な力の流れを感じた。枝はただ水晶を支えているだけではなかった。その枝を通して八大元素の力は「世界の核」に流れ込み、制御されてまた枝を通して流れ出し、この巨木を、そして世界全体を支えているのだ。

 そして、その前に立って印を作り、呪文を唱える儀式を続けている、漆黒のローブを身にまとった人影。その横には、儀式に使うのだろう香炉やいろいろな香草、魔道書が置いてあった。

 間違いない。ランセムだ。

「止めろ、ランセム!」

 ランセムはあたしたちに振り返った。

 ゼインダンの宰相っていうからもっと年取った人を想像していたけど、実際にいま初めて目にした彼は意外なくらい若い男の人だった。あたし……つまりフレインとたいして年は変わらないだろう。多く見ても三十才を超えているようには見えなかった。

 背が高くほっそりした身体。白い肌に短い金髪。まるで王子様みたいな堂々とした風格を自然に身にまとっている。

 でも、彼の顔と目は、その風格を裏切っていた。彼の顔には憎悪が張り付いて離れず、目には狂気の暗い輝きが浮かんでいた。

 あたしの横でローザが、はっと息を飲むのを感じた。

「ま、まさか……」

 ローザがかすかな声でつぶやいた。

 ランセムはあたしたちを冷ややかに見渡し、感情のまったくない声で言い放つ。

「邪魔をする気か?」

 ヤクザも言っていたように、おそらく彼に対して説得は無駄だろう。そう思いながらも、あたしは呼びかける。

「ランセムよ、なぜ『世界の核』を破壊しようなどとする? それがなくなれば、この世界そのものが消滅するのだぞ。そなた、自分のしようとしていることが分かっているのか?」

「フレイン様の言うとおりですわ、ランセム……。世界をなくしてしまっては、あ、あなたの国ゼインダンも、あなたの目的もすべて費えてしまいます。ば……馬鹿げていますわ」

 ランセムはほんの少しの間、黙ってあたしたちを見据える。それから、今度は周囲に良く響く声で言い放った。

「逆に問おう、おまえたちに。なぜこの世界を守るのだ? この世界にそれだけの価値があるのか?」

「えっ……?」

「わたしを見ろ。わたしはもともとザンジアの生まれだ。子供のころに家族を失い、ゼインダンに逃れ、そこで育った。

 そなたも知っているだろう。ザンジアの現国王であるヘイン三世は十六年前に、自分が王となるために、対立する勢力の有力者を手当たり次第に抹殺した。そのとき、わたしの家族はヘインに対立するゲルド公爵に味方していると疑われただけでその標的となったのだ。

 わたしの父母はヘインの手の者により、わたしの目の前で殺された! わたしは命からがら逃れ、ザンジアを捨て、ゼインダンに逃れた。そこでゼインダンの王宮に拾われ、使用人の養子として育てられたのだ。ヘインは容赦なかった。もしもわたしの出自が知られていたら、わたしも生かしてはおかれなかっただろう。

 わたしはヘインが憎かった。それと、ヘインが対立する者どもを抹殺するのに手を貸したロイグリードもな。そして、わたしはザンジアとロイグリードに復讐を誓った。そのために闇の魔法を習得し、あらゆる手段を使いこの地位を得た。すべては恨みを晴らすためだった!」

 それからランセムは、哀しげに言葉を続ける。

「……だが、もうそれも愚かしくなった。わたしがザンジアとロイグリードを征服したところで、また新たな不幸が生まれ、またわたしのように復讐を誓う者が出てくるだけだろう。同じことの繰り返しだ」

「それなら、もう止めればよいではないか? 今はザンジアとゼインダンとロイグリードも平和を保っているのだ。もう……ここで止めれば、これ以上の不幸は起きない」

 ランセムは、あたしに嫌悪の目を向ける。

「いいや、それは今だけのことにしかすぎない。やがてまた同じような争いが起きるだけ。戦いをなくすために新たな戦いを引き起こし、不幸な者をなくそうとしてそのためにまた不幸が生まれる。それがこの世界の業だ。それなら、わたしがすべての不幸を消し去ってやろう。この世界ごとな!」

「そんな……結局はただの私怨ではないか! そのために世界を消し去ってしまおうなどとは、正気か?」

『無駄だ、フレインよ』

 チャムがあたしの肩で耳打ちする。

『あれはランセムの本心ではない。ランセムはただ、自分に不遇な環境を与えた運命を憎んでいるだけなのだ、おそらく。だが、その心の闇にディノクラが入り込んだ。世界の破壊を望んでいるのはディノクラ。ランセムは操られているだけだ』

 確かに、チャムの言うとおりだろう。今のランセムを説得するのは、やっぱり無駄だ。結局は……戦うしかないみたい。

 そのとき、横のローザが震えている気配に気付く。振り向いてみると、ローザは青ざめた顔でランセムを見つめ、手足をわなわなと震わせていた。

「そ、そんな……。ほんとう、に……?」

 ローザは愕然とした表情で、ランセムに話しかける。

「お兄様……。ステインお兄様なの……?」

 お、お兄様〜っ?

 あ……そういえば。ローザは幼いころに父と母を殺され、兄は行方不明になったって……。

 じゃ、じゃあ……。

 あたしは、ローザとランセムの顔かたちを見比べる。

 似てる。たしかに。

 もしも、ランセムがローザの兄なのだとしたら……。

 ふたりは十六年前に家族を失い、お互いに引き裂かれた。

 でも、家族を失っても愛情に包まれて育ったローザは光の道に進み、憎悪に囲まれて育ったランセムは闇の道に走った。思えば、運命のいたずらがふたりの道を分けたんだ。

 そのふたりがいまこうして戦うことになるなんて、なんて皮肉だろう。

 とまどっているローザを、ランセムは冷たい目で見返す。

「誰だ、おまえは?」

 びくっとしたローザは、ためらってからおずおずと答を返す。

「わ……私は……ローザです。クレシール家に生まれました。お父様はドゥガルド、お母様はマリーザ。この名前に……聞きおぼえはありませんか……?」

 ランセムはローザをじっと見つめ、しばらく黙り込み、それから突き放すように言い返した。

「知らんな、そんな名は」

「ほ、ほんとう……ですか……? あ、あなたは、ステインお兄様ではないのですか……?」

 ローザは明らかに迷っていた。そりゃ、そうよね。よく似た顔立ち。それに、自分とまったく同じ境遇。いくら否定されても、自分の兄じゃないかと疑うのは当然。

 ランセムはローザの当惑など知った顔ではなかった。

「どうせ消滅していく者たちと、これ以上の話は無意味だな」

 そう言い放つと、ランセムは両手をかかげて闇の印を作り始める。

『フレイン、ランセムを倒すのだ!』

《だ、だって……ローザが……》

 ランセムが自分の兄ではないかとローザが疑っている限り……彼女の目の前でランセムを倒すなんて……できない。

『ランセムの心はすでにディノクラに蝕まれている。彼を止めるには、殺すしかないのだ。ランセムが「世界の核」を破壊すれば、この世界は終わるのだぞ!』

 そうだ。ランセムを……あたしは彼を倒さなくちゃならないんだ。ランセムがローザの兄であろうとなかろうと。事実は問題じゃない。問題は、ローザをどうやって納得させるか。……どうやって?

『なんのためにここまで来たのだ、フレインよ? なんのためにこの世界に転生したのだ!』

 チャムがあたしの肩を前足でゆすって、必死に呼びかける。

「ローザ……」

「フレイン様……。わ……私は……私は……」

 ローザの手足ががくがくと震えている。

「わた……しは……」

 どうしよう? どうすればローザを決心させられるの?

 ……そうだ!

 あたしはありったけの演技力を思い起こして、ローザに叫びかけた。

「ローザ、迷うな! わたしを……わたしだけを信じろ!」

 あたしの言葉に、彼女はびくっとしてあたしを見つめる。

「ローザ! このわたしが信じられないのか? ザンジア魔術師ギルド随一の風の使い手、『風使いのフレイン』と呼ばれるこのわたしを!」

 はったり。自分でも分かってた。だけど……いまのローザを決断させるには、これしかない。いまの彼女に理屈は通用しない。それより……彼女があたしを、いや、フレインを心から信じているのなら……こう言った方がいい。

「……そ、そうでしたわね……フレイン様は、『風使いのフレイン』ですものね」

 ローザの顔に、わずかに微笑みが浮かぶ。

「私は、何が起きようとフレイン様を信じます!」

 苦しそうに、だけどローザはきっぱりと言い放った。

 よし! ローザが決意したなら、もう迷いはしない。

 あたしはランセムに指を突き付け、彼をきっと見据える。

「ランセム、わたしはそなたを倒す! わたしにはシファーの力がついている」

 あたしは風の印を作る。あたしの周囲に風の力が集中し、渦を巻く。

 ランセムとあたしは、同時に魔法を発動させた。

 ランセムの手から闇の波動が、あたしの手から疾風が吹き出す。闇と風はあたしたちの中間でぶつかりあい、渦となって混ざり合う。

 ランセムはそれを見ると、わずかにほくそ笑む。

「なるほど、『風使いのフレイン』か。ヤクザに話は聞いていたが、顔を合わせたのは初めてだな。ならば、わたしも本当の力を見せてやろう。闇の王ディノクラに与えられた我が力をな!」

 そして、ランセムはその手で印……ディノクラを意味する印……を作り、叫ぶ。

「闇の王よ、その力を我が元に!」

 その言葉と共に、ランセムの背後に漆黒の闇がにじみ出て、広がる。夜の暗闇よりもさらに黒い、「真の闇」だ。その闇は凝縮し、限りなく黒く輝く、コウモリのような羽を生やした巨大な人型……悪魔の姿を形作った。

『ディノクラだ……闇の精霊王だ』

「ディノクラ……」

 チャムとローザの口から同時に言葉がもれる。

 ランセムはローザを指差し、一言だけ叫ぶ。

「闇よ、我が敵を包め!」

 言葉と共にランセムの腕の周りに無数の闇の粒子が出現し、それは黒い水のような流れとなってローザたちに襲いかかる。

「!」

 ローザはとっさに杖をかかげて短い呪文を唱え、彼女の前に光の幕が出現する。

 でも、闇の流れはその幕をあっさりと突き破り、そのままローザの身体を包み込んだ。ゼバスが斧を振り上げ、ランセムに向かって突進する。シルファスが弓の狙いをつける。……そして、二人はランセムの腕の一振りで生み出された闇の波動を受け、遠くに吹き飛ばされる。

 ものすごい魔力……。

 しかも、ランセムはいま、印も作らず、呪文も唱えなかった。ただ掛け声だけで、まるで自分の一部のように闇を操った。

 ローザは杖の力でどうにか闇を追い払い、力が抜けたようにへたり込む。

『フレインよ、他の者を下がらせるのだ。この戦いは、そなた一人でやらねばならぬ。ディノクラの力を受けたランセムの前に、他の者たちは無力だ』

《ん……わかったわ》

 あたしは振り返り、ローザに向かって叫ぶ。

「ローザ……下がって、みんなを守っていてくれ!」

 ローザたちが後ろに下がり、あたしはみんなをかばうようにその前に立ちはだかる。ランセムの標的があたし一人なら……ローザの力でも、攻撃の余波くらいは防げるだろう。

『シファーを呼ぶのだ、フレイン! いまこそ、その助力を受けるときだ』

 あたしはシファーそのものを意味する印を作り、叫んだ。

「シファーよ、時は来たれり! 我、世界を消さんとするものに相対せり。今こそ汝が僕に力を貸したまえ、すべての風を統べる者よ!」

 ランセムは次の一撃を加えようと、自分の周りに闇を凝縮させる。

「闇の霧よ刃となれ。形あるものすべてを切り裂け!」

 彼のまわりに集まった闇が、剣の形に固まっていく。何十本もの漆黒の剣が彼のまわりを漂い、そしていっせいに動き出し、あたしに向かって飛びかかってきた。

 ……そのとき、あたしとランセムの間に竜巻が巻き起こる。それはランセムの生み出した闇の剣をものともせずに巻き込み、あっさりと消し去ってしまった。

「シファー!」

 その目に見える竜巻……風の王シファーから声が返ってきた。

「フレインよ、ついにこの時がきたのだな。今こそ我が力をそなたに貸そう。我とディノクラが直接戦うことは禁じられておる。そなたがランセムを倒すのだ」

 そして、シファーはふわっと浮き上がり、あたしの頭上に退いた。

 あたしの身体に、外部から力が流れ込んでくる。これは、元素の力……そう、純粋な風のエネルギーが、あたしの身体に直接注ぎ込まれているんだ。

 いまのあたしには、魔法を使うために印を作り、呪文を唱える必要はなかった。思い描くだけで、風の力をどのようにでも自在に操ることができる。風を起こすも鎮めるも、風の刃や槍を作り出すのも、すべてが思いのまま。いま、あたしは風そのものの一部となり、風のエネルギーを身体で直接感じ取ることができた。

 これが、シファーが直接力を貸してくれるってことなんだ。まるで、自分が人間を超えた何者かになったような気がした。ううん、実際そのとおり。いまのあたしは、風の王シファーの一部になっているんだ。

「風はわたしのために吹く!」

 ときの声を上げ、あたしは反撃を開始した。

「風よ刃となれ。我に仇なすすべてを引き裂け!」

 あたしの掛け声と共に、あたしの周囲に無数の風の刃が出現した。思念を集中すると刃は渦となって飛び回り、ランセムにいっせいに襲いかかる。

 ……でも、条件はディノクラの力を借りているランセムも同じことだった。

「闇よすべてを包み込め。その腕もて死と忘却を与えよ!」

 ランセムの声と共に、彼の周囲を包む闇が触手のように伸び、あたしの作り出した風の刃を飲み込み、消し去ってしまった。そしてその腕は伸び続け、あたしとローザたちに襲いかかる。

 ならば、これでどうだ!

 あたしはランセムの周囲に猛烈な風を生み出す。「烈風」の呪文をはるかに超える強力な風だ。離れたところにいるローザたちさえも風の勢いに吹き飛ばされそうになり、周囲の枝に必死にしがみついていた。

 烈風は渦を巻き、次第に小さくなり、竜巻となってランセムを包みこむ。

 もう一息。このまま竜巻を縮めて、ランセムの身体を引きちぎる。

 あたしの目の前で竜巻は次第に細くなる。その中心にいるランセムが腕を交差させ、なにかをつぶやくのがぼんやりと見えた。

 次の瞬間、竜巻を切り裂いて黒い刃が飛び出した。闇そのものから作り出された、何十本もの真っ黒な剣が飛び回り、たちまちあたしの作り出した竜巻をずたずたに切り裂き、消し去ってしまった。

 そして、その剣はそのまま、自分の意思を持つかのようにあたしたちに襲いかかる。

 ランセムが、あたしを見下したようにせせら笑う。

「風では闇を絶てぬ。おまえに勝ちはないぞ、風使いよ」

 やられるもんか!

「風よ網となれ。闇の刃を止めよ!」

 闇の剣に風がまとわりつき、風の網を作り出す。闇の剣は空中で止められ、悶えるように跳ね回った。

 ランセムは動じる様子もなく、その剣を指差して命じる。

「溶けて闇の霧となれ!」

 風の網に捕らわれた闇の剣がかたちを失い、黒い闇の粒子となって飛び散る。まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、それはあたしたちの周囲にまとわりついた。

 闇に包み込まれて、あたしは咳き込んだ。体から力が吸い取られていく。これは普通の暗闇じゃない。生物の生命を吸い取り、死をもたらす「真の闇」だ。

 風の力を振るってようやく闇を吹き払ったあたしは、満足に立っていられないくらい消耗していた。足の力が抜け、がっくりとひざをついてしまう。魔法をかけるのに必要な意思力がふるい起こせなかった。

 あたしの後ろでローザたちが、同じように消耗したようすで立ちつくしている。……ううん、よく見ると、エレジーだけは……平然としている。なぜ? なぜ彼女だけは平気なんだろう?

 ランセムが冷ややかにあたしを見つめてほくそえむ。

「どうした。その程度か、風使いよ?」

 信じられない。なんて……恐ろしい魔力。

 肩の上で、チャムが呆然としたようにつぶやく。

『ヤクザの言っていたとおりだ。ディノクラの力を借りているとはいえ、人間にこれだけの魔力が振るえるとは信じられぬ……』

 このままじゃ……あたしたちはランセムに負ける。

 どうしたら……どうすればいい?

「ああ……お助けください、光の王ルミールよ。どうか、私たちに力を……」

 ローザが震える両手に杖を握りしめ、ルミールに祈りをささげたとき……。

 りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。

 ローザの杖が小さく震え、高く澄んだ音を響かせた。

第四章 風はわたしのために吹く!:1

第四章 風はわたしのために吹く!:3

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