ドナンの村に向かう途中で、チャムはこの世界の成り立ちと、「世界の核」について話してくれた。

 伝説によると、はるか昔はこの世界は存在せず、風、地、火、水、光、闇、精神、時の八つの元素界だけが存在していた。今の世界にある神や精の多くも生まれていなかった。

 そのとき誕生したのが「平衡の神」ルシフィーラだった。彼女は八つの元素界のはざまに、魔力で「世界の核」と呼ばれる水晶を作り出した。その水晶は周囲の元素界から元素の力を引き出し、形のある物を生み出す能力を備えていた。

 長い時間が過ぎ、「世界の核」を中心にして一本の巨木が生長した。そして、その木を支える大地が生まれ、空が生まれた。こうして、この世界が誕生したのだという。

 その巨木は今でも世界の中心にあり、「世界を支える樹」と呼ばれている。そして、その中には今も「世界の核」があり、世界に流れ込む八大元素の力を均衡させ、世界の安定を保っている。

 ルシフィーラ自身は、その後いくつもの姿といくつもの名前を持って何度となく転生し、自分の生み出した世界を見守り続けているのだという。

『「世界の核」は本来なら、「世界を支える樹」の奥深くに埋もれていて、何者も近づくことはできない。だが、ヤクザの見せてくれた文書によれば、ランセムはその封印を解く方法の研究に時間を費やしていた。そして……方法を見つけたのだろう』

 チャムはそう言った。

《じゃあ、ランセムがそこまで行けば……『世界の核』は破壊されちゃうってこと?》

『うむ……、たとえ封印が解けて、「世界の核」に行くことができたとしても、それを破壊すること自体が容易ではないはずだ。なにしろ、世界に流れ込む八大元素の力を制御しているものなのだからな。だが、ランセムはおそらくその方法も見出したのだろう。準備ができたからこそ、王宮もザンジアの征服も放り出して出立したのだろうからな』

《でも、そもそもどうしてランセムは『世界の核』を破壊しようなんてするのよ? 世界がなくなっちゃったら元も子もないでしょ? 自分がザンジアとロイグリードを征服しようとしてきた準備も意味がなくなるのに……》

『忘れるな。世界の消滅を望んでいるのはディノクラだ。ランセムではない。わたしたち人間にとって、この世界はすべて、唯一わたしたちが生活できる場所。……だが精霊王たちにとって、この世界は広大な八大元素界のはざまに浮かぶ小さなものでしかないのだ』

《そりゃ、精霊王にとってはそうなのかも知れないけど……。ランセムは人間でしょう? どうして、『世界の核』を破壊することに同意したのかしら》

 あたしの疑問に、チャムは悲しげに首を振ってみせた。

『おそらく、ランセムは同意したのではなく、操られているのだ。彼が心の奥に秘めた憎悪を入り口として、ディノクラは彼の心に入り込んだ。そして、こんな世界など消滅させてしまえばいいのだという考えを、徐々に彼の心に植えつけて行ったのだろう。精霊王にとってはたやすいこと。だが、ランセムは自らが操られていることさえ気付いてはおらぬだろうな』

《なんていうか……。精霊王と契約したら恐ろしい結果になるっていう意味がやっとわかってきたわ》

『まあ、ランセムの事情はこのさい重要ではない。肝心なのは、彼が「世界の核」を破壊しようとしていることだけだ。なんとしても、儀式が完了する前に彼に追いつかねばならん。そして、彼を見つけたら……覚悟する必要があるぞ、フレイン』

 それって、つまり……ランセムを殺さなきゃならないってことよね。でなきゃ、あたしたちが彼に殺されるか。

《うん……わかった》

 たぶん、あたしの顔が青ざめていたんだと思う。チャムはなぐさめるように、前足であたしの肩をもんだ。

『落ち着かないのはわかる。だが、やらねばならんのだ。そなたがランセムを倒さねば、この世界は消滅する。そなたはそのためにこの世界に呼ばれたのだからな』

 それから、考え込むように付け加えた。

『できるだけ急ぐとしよう。こういうときは、考えるほど不安になるものだ。いざ彼と対決するときまで、そのときのことは考えないほうがよかろう』

 

 ドナンの村で最小限の休息と買い物をして、そのまま先に進んだ。ふだんならもっとゆっくりと歩く道を急ぎ、夜も眠る時間以外は歩き続けた。

 山を越えると、その前には大きな平原が開けていた。一面に草が茂り、ところどころに小さな林があり、人の住んでいる形跡や、手の加えられた様子はまったくなかった。

 そして、前方には「世界を支える樹」が見えた。

 それは、とてつもなく大きな樹だった。幹の太さは百メートルはあって、周囲に伸びている根はその何倍もの半径に広がっていた。幹の高さは天に届き、雲よりもはるか上に伸び、頂上は見えない。幹の周りに伸びた枝と茂った葉は、宙に浮かぶ島かと思えるくらい。

 そして、そこから少し離れた場所に大きな湖があり、そこに「天への滝」はあった。

 さらに近づくと、それが「天への滝」と呼ばれる理由が見えた。

 湖の岸辺近くにある一本の滝。でもそこには滝壺もないし、滝が落ちる崖もない。ただ、一本の水の柱が水面からまっすぐに天に向かって伸びているだけ。

 そう。この滝は、水が上から水面に落ちてくる滝じゃなくて、湖から天に向かって上に落ちていく滝だった。滝の周囲から水が渦を巻いて滝に押し寄せ、そのまま一本の太い水の柱になって昇っていく。どこまで昇って行くのか、上の方はかすんでいて見えなかった。

 いったいどうして、水が上に向かって落ちるんだろうとか考えるのはとっくにやめていた。ここはこういう世界なんだ、そう納得する方が悩まなくて済むし。

 やがて、あたしたちは「天への滝」を間近に見る岸辺に到着した。

 チャムがあたしの肩でささやく。

『ここで、もう一度みんなに確かめるのだ。本当に、ランセムを止めるためにこの先に進む覚悟があるのかどうか』

《どうして? みんな、なにもかも知ってて一緒に来たのよ。いまさら引き返すなんて、言うわけないじゃない?》

『そうだが、それでもみなの覚悟を確かめる必要がある。ここから先は、後戻りができないのだ。ランセムを止めぬ限り、二度と戻ってこられなくなる。それに……この上に広がるのは天上界だ。本来なら人間の立ち入るべき世界ではない。どんな危険が待ち受けているのか、このわたしにもはっきりとはわからん』

《そう……ん、わかったわ。みんなに聞いてみる》

 あたしは仲間たちを順に見回して、口を開いた。

「みんな、聞いてほしい。この滝を昇れば、天上界に行くことができる。『世界の核』にはそこからしか入れないのだ。だが……、天上界は人間の世界ではない。何が起きるのかわからないのだ。この先に行ってしまえば、もう引き返すことはできない」

 それから、あたしは重大な一言を付け加えた。

「生きて帰れる保証はない。……それでも、一緒に行ってくれるか?」

 あたしの質問に最初に、迷いなく答えたのは、思ったとおりローザだった。

「フレイン様が行かれるのならば、どこへでもご一緒しますわ」

 杖を両手で握りしめ、決意の表情できっぱりと宣言した。

「ありがとう……ローザ」

 次に答を返したのはシルファス。

「名誉を得るために旅してきましたが、こんな話に関わることになるとは思ってもいませんでしたよ。世界を救ったら、僕の一族に末代まで語り継がれるでしょうね」

 そう言ってから、彼はいたずらっぽく笑った。

「こんな二度とない機会が目の前にあるのに、指をくわえて見てるわけがないでしょ? 行きますよ、もちろん」

 エレジーは黙って、だけどはっきりと首を縦に振った。

 それから、「行く」と一言だけ口にした。

 みんなの目が、黙ったまま考え込んでいるゼバスに集中する。

「ゼバスさん、あなたは……」

 ゼバスは目を閉じてしばらく黙り込んでいた。それから、まるで何かを思い出すかのようにゆっくりと口を開いた。

「なあ、あんたたち……。この年寄りの身の上話をすこし聞いてもらえるかな?」

「? いまは身の上話なんて……」

 言いかけたローザを、あたしは手で制した。

 ゼバスは、何か重要なことを言おうとしてるんだ。今はそれを聞いてあげた方がいい、そんな感じがしていた。

 彼はずっと昔の出来事を思い出すかのように、遠くを見ながらゆっくりと話し始めた。

「もう何年も前のことだ。わしは、ここから遠く離れた山の中にある小さな一族の長だった。気立てのよい妻と、働き者の子供たちに恵まれて、わしは幸せだった……。

 だが、デンザ……いや、名前はどうでもよい。一族の長の座を狙う一家がおった。きゃつらは金と地位のためなら、どんな汚いことも平気でやる連中だったのだ。

 一族の長の地位というのは簡単に得られるものではない。だが例外があってな、長がみずから引退し、後継者を指名すれば、指名されたものが新たな長になれるのだ。

 とにかくきゃつらは、自分たちの一家の者を後継者に任命するようにわしに要求した。むろんわしは拒否した。あんな一家に一族の長を任せたら、わしの一族は破滅だと思ったのでな。

 愚かなものよ。わしが拒否すると、きゃつらはわしの妻と子供を殺すと脅しをかけてきた。わしは妻と子供たちを村から逃がそうとした。だが、きゃつらはそのことも知って、罠を張っておったのだ……。

 わしらが村を出た、まさにそのときだった。わしの妻と子供たちは、林の中に隠れていた弓兵の放った矢によって射殺されたのだ。わしは気付いて警告しようとしたが、間に合わなんだった……」

 その言葉に、シルファスが愕然とした表情でゼバスを見つめる。

「……そうだったのですか。だから、あなたは弓を……」

「そうとも。それ以来、わしは弓というものを憎むようになった。……だが、シルファスよ、おまえには済まないことを言ってしまったな。おまえさんには何の罪もないというのに……」

「いえ……僕こそ申しわけありませんでした。あなたにそんな事情があったなんて知りもせず、勝手なことを……」

「もうよい。もうよいのだ……」

 ゼバスはかすかに微笑んで、また話を続けた。

「そうして、わしはすべてを失った。妻も、子供も、故郷も。絶望の底に落ちたわしは、故郷を離れて放浪の旅に出た。元の名前も捨て、ただゼバスとだけ名乗ってな。

 それからのわしは目的もなく、諸国をさまよい続けた。行った先で何でも仕事をやって日銭を稼ぎ、稼いだら飲んだくれて、その地に飽きたらまた旅に出る、そんな生活を続けておった。

 わしの生涯はもう終わったと思っておった。たとえ今日死んでも、別にどうということはない。わしにはもう何も残ってはいないのだから、とな。だが……」

 彼はそこでいったん言葉を切り、あたしたちに粗野な、暖かい微笑みを向けた。いまの彼はさっきまでの遠くを見る目つきじゃなく、あたしたちをまっすぐ見つめていた。

「だが、あんたたちと一緒に旅をしているうちにな、わしにもまだ、何かできることがあるのではないかという気がしてきたのだ。どうせもう捨てた命、何かの役に立てるのならば、喜んで差し出そうではないか。それがこの世界を救うためになるのならば、それもまた……わしの運命なのだろうよ」

 ゼバスの話を聞いたあたしたちの間に、重い沈黙が流れた。

 初めて知った彼の事情。彼がそんな過去を抱えているなんて思ってもいなかった。あたしだけじゃなく、ほかの皆も同じはず。みんな、彼が無愛想で偏屈なだけだと思っていただろう。でも、その裏には彼しか知らない深い理由があったのだ。

 けれど、そのゼバスはいま、ふたたび戦うことを決意した。思えば彼自身の言うとおり、こうなることが彼の運命だったんだろう。

 ううん、彼だけじゃない。

 ゼバス、シルファス、ローザ、エレジー、チャム、そしてこのあたし、フレイン。

 みんな、それぞれの過去を抱え、自分だけの目的を心に秘めている。

 そのあたしたちは今、この世界を守るという一つの目的のために、その力を重ねようとしている。生まれも育ちもまるでちがうあたしたちが出会ったことこそ、あたしたちみんなの運命なのかもしれない。

 そうか……。ならば、あたしが元の世界で死んで、この世界に転生したこともやっぱり運命なんだ。

 この世界で目覚めてから、あたしはチャムに言われるまま行動してきた。フレインの役を演じてきた。そう、世界を守るために戦うのはフレインという別人であって、あたしはフレインの演技をしているだけ、無意識にそう感じていた。

 だけど。たった今あたしは、はじめて自分の意思で戦うことを決意した。

 みんなで、この世界を救おう。それがあたしたちみんなの果たすべき宿命ならば。

 そう。もうあたしは、女子高生の小泉理奈じゃない。

 いまのあたしはこの世界の魔術師、フレインなんだ。フレインの演技をしているんじゃない。あたし自身が「風使いのフレイン」なんだ。

 あたしは全員を見回して、最後の質問を投げかける。

「みんな、いいんだな?」

 あたしの言葉に、全員がうなずく。みんなの目にはもう迷いはなかった。目の奥には、ひとりひとりの決意がはっきりと読み取れた。

 ゼバスが笑みを浮かべて口を開く。

「もし生きて帰れたら、みんなでビールで乾杯じゃな」

「いいえ……」

 シルファスは笑って首を振る。

「ワインで乾杯です!」

 二人は同時に笑い出し、それから手をしっかりと握り合った。

「行くか」

「行きましょう」

 あたしたちは全員の手を重ねた。チャムさえもあたしの腕に乗り、前足をみんなの手にちょこんと乗っける。

「よし、決まりだ。あの滝を昇って天上界へ、そして『世界の核』に行こう!」

 あたしはそう宣言して、「天への滝」に向き直り……。

 ………………。

《ねえ、チャム……》

『なんだ?』

《で、この滝どうやって昇ればいいの……?》

 チャムはずっこけてあたしの肩から落ちそうになり、あわてて前足であたしの肩につかまった。後ろ足がばたばたってあたしの胸を打つ。

『そなた、魔術師であろうが! こんなときに魔法を使わないでどうする気だ』

《だって……滝を昇る魔法なんて知らないわよ》

 記憶をたどってみたけど、滝を昇るための魔法なんてのはない。きっぱり、ない。

 チャムは前足を額に当てて、顔をしかめて見せてから、やれやれというように首を振った。それから、ため息を一つ吐き出して、また口を開く。

『そなたも少しは応用というものを学んで欲しいものだな。よいか、魔法というものは、教わった形そのままで使うばかりが能ではないのだ。魔法は印を組み合わせて発動する。その組み合わせを変えれば、また違った効果を作り出すことができるのだ』

《って言われても……、どの魔法をどう変えれば滝を昇れるわけ?》

『そなたに一から十まで教えていたら、そなたの修練にならんだろうが。……まあしかたがない、ヒントだけ教えてやろう。皆の身体を水から守り、滝のところまで移動することだけを考えるのだ。後は滝の勢いが天上界に運んでくれる』

《う〜ん……?》

 記憶にある魔法をいろいろと思い出して、その組み合わせを考えてみる。「竜巻」は使えそうにないし、「太刀風」は攻撃の魔法だし……。そうだ、「風乗り」ならあそこまで行けるわね。あとは水を防ぐにはどうすれば……。

《そうだ!『風の鎧』の印を変えれば、みんなの周りに風の繭を作って水から守れるわ。後は『風乗り』であそこまで行けばいいんだわ》

 チャムは満足げにうなずいた。

『よしよし、そなたも少しずつ魔法を理解してきたようだ。魔法の応用は無限だ。世の中には強力な魔法を覚えたからといっていい気になり、バカの一つ覚えで同じ魔法を使いまくっていっぱしの魔術師気取りの連中がたくさんいる。そういう手合いの真似をしてはいかんぞ』

《はいはい、先生》

 そして、あたしはみんなを円陣に組ませ、その中心で印を作る。

 周囲に風の力が巻き起こり、あたしたちを包み込んで球状の繭を作り出した。

 よし、次。「風乗り」の印を作る。

 風の繭はあたしたちを包んだまま、ふわりと浮き上がり、滝に向かって移動する。そして滝に触れると、上昇する水の勢いに乗って空高く昇り始めた。

 大地がしだいに遠のき、湖の周囲の草原、遠くの町や山までがくっきりと見えた。

 滝はどこまでも昇っていく。やがて地上は雲の下に消え、周囲は白一色で何も見えなくなった。

 そして、上のほうにさまざまな色の光の奔流が渦巻いているのが見え始め、あたしたちは滝ごとその中に落ちて行った。

第三章 ランセムと「世界の核」:3

第四章 風はわたしのために吹く!:1

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