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礼拝堂に並べられた椅子の隅にある一つ、明かりが届かない影に人影が座っているのがかすかに見分けられた。その人影は立ち上がり、あたしたちに向かって歩み寄る。
「……ヤクザ! なぜここに?」
影の中から現れたその姿は、グランの町で会ったヤクザのものだった。あのときは、「炎のヤクザ」なんて呼び名に思わず笑ってしまったけど、今の状況ではそれを思い出してもとても笑う気分にはなれなかった。
ヤクザは立ち止まり、あたしの姿を見つめてにやりと笑った。
「おまえを待っていたのだよ、フレイン」
「わたしを……? それはどういうことだ。いや、そもそもここにわたしたちが来るとどうしてわかったのだ?」
「おまえがシファーの聖地に行ったのは知っていたしな。どうせその目的は、ディノクラと契約しているランセムをどうにかする相談だろうとあたりをつけたのだ。とすれば、遅かれ早かれランセムのいるここにやってくるだろうと思って、網を張っておいたのよ」
「すると、わたしたちがここに来るなり衛兵に捕まりそうになったのも、そなたの差し金だな?」
「いかにも。魔術師らしき一行を見つけたら問答無用で逮捕するよう命令して、衛兵を見回らせておいたのだよ。もっとも……」
そこでヤクザは言葉を切り、またにんまりと笑う。
「おまえならば、衛兵などに捕まったりせずにここまで来ると思っておったがな」
なるほどね。このソルバの町にこっそり入り込んだのに、いきなり見つかった理由がそれで納得がいったわ。……ん? ちょっと待って、てことは?
「……すると、そなたはやはりランセムと通じていたのだな!」
そうじゃなければ、あたしたちの目的がランセムだと確信できなかったはず。それだけじゃなく、ヤクザがよその国の衛兵に指図できるわけもない。
ヤクザはあたしの詰問に無表情で答える。
「そのとおりだ、フレイン。わしはランセムに味方し、ザンジアの状況を奴に流していた」
「ならば……!」
ランセムの前に、まずこのヤクザを倒さなくちゃならない。
あたしは風の印を作ろうと手を上げた。ローザや他のみんなも、戦いを予期して身構える。
だけど、ヤクザは戦おうとする様子は見せず、両手をだらりと下げたまま話を続けた。
「まあ待て、フレインよ。わしはおまえと戦うために、この場で待っていたわけではない」
「……どういうことだ?」
あたしの問いに、ヤクザはあいかわらず手をぶらりとさせたまま、無表情で話を続けた。手をだらんと下げているのは、魔法使いにとって戦闘意思がないことの表示。手を使わなければ、魔法はかけられないから。
「わしを信用しろとは言わん。だが、まずは話を最後まで聞いてからにしてもらいたい。その後でわしと戦いたいというのならば、相手してやってもよいぞ」
「……わかった。まずは話というのを聞こう」
あたしは振り上げた手を降ろした。あたしの左右で、ゼバスとシルファスも構えた武器を収める。
ヤクザはそのことを見届けてから、祭壇の横に歩いて行き、あたしたちに振り返って話を続けた。
「わしはだいぶ前からランセムと組んでいた。もともと奴はザンジアとロイグリードを憎んでおってな、なんとかその二つの国を征服したいと思っておったのだ。そもそも、奴が身寄りのない孤児の身から宰相にまで登りつめたのも、その憎しみがあればだったのかも知れん。おそらく、裏ではなりふりかまわぬことをやって地位を得たのだろうな。
だが、ランセムはザンジアとロイグリードを征服するため、ディノクラと手を結ぼうとした。わしは、それだけは止せと言ったのだがな、奴はぜひとも必要だと言いおった。まあ実際、今のゼインダンの兵力だけでは二つの国を征服するのは無理だった。わしならディノクラと契約するくらいならば征服をあきらめるがな、奴はそうしなかった。しかたがない、奴にとってはザンジアとロイグリードに復讐するのが生きる目的のようなものだったからな。
おまえもよく知っているように、精霊王との契約は割に合わないもの。まして、その相手がディノクラとなればなおさらよ。わしはディノクラが契約と引き換えに何をランセムに要求したのか、それだけが気がかりに思っていた。
そこで、わしはランセムの行動をしばらく見張っておった。そして、つい今朝のこと、奴はこの王宮から姿を消した。奴が後に残した資料を調べていたところ、こんなものが見つかったのだよ」
ヤクザは自分の服のふところに手を突っ込み、中から細長く巻いた紙を取り出し、あたしに渡した。
「それを見てみろ。おまえなら、それが意味するものがわかるだろう」
あたしは紙を開いてみた。そこには、魔法で使われる複雑な文字で、何か長い文章やいくつもの図形が書かれていた。で、それが意味するものは。
う……わかんない……。
《チャム、あなた分かる? これ》
チャムは肩の上から紙をのぞき込む。しばらく文字を眺めてから、チャムが息をのんで愕然とするのが感じ取れた。
『これは……! とんでもないことだぞ!』
《いったいなんなの、これ?》
『この紙に書かれているのは、「世界の核」の封印を解く方法なのだ』
《世界の核? なにそれ?》
『詳しいことは後で話すがな、「世界の核」とはこの世界の中心にあって、この世界そのものを支えている魔法の水晶だ。もしもそれが破壊されれば……この世界は消滅する』
《……消滅? 世界全体が?》
『もともとこの世界は、八大元素界のはざまに浮かんでいるもの。「世界の核」が八大元素のバランスを取っているから存在できているのだ。もし「世界の核」がなくなれば、周囲から押し寄せる元素の力によって、この世界はばらばらになり、元素界の中に消えてしまうのだ』
あたしの顔から血の気が引いた。この世界が……消える? 世界の危機って言葉はチャムから何度も聞かされてたけど、それがどんなことを意味するのか、たった今まで漠然としか理解してなかった。でも、いまこうやってはっきりと目の前に突きつけられると、事態はあまりの大きさにめまいを感じるほどのものだった。
「ヤクザよ。ランセムは……、『世界の核』を破壊するつもりだというのか」
「ランセムは、というよりも、ディノクラが、と言うべきだろうよ。ランセムの奴がディノクラに操られているのは明らか。奴は心の中に深い憎悪を抱えていた。憎悪、そして破壊の衝動こそ、ディノクラの最も好むものだ。奴はそこを利用され、ディノクラに心を支配されたのだろうよ。ま、理由は何でもよい。ランセムは今朝、王宮から姿を消した。今ごろは『世界を支える樹』に向かっているところだろうな」
ヤクザはしばらくあたしを黙って見つめてから、ためらいがちに次の言葉を継いだ。
「率直に言おう、フレイン。わしはおまえが嫌いだ。それに、ザンジア魔術師ギルドの次期ギルド長を目指すには、おまえの存在自体が邪魔でもある」
「たしかに率直なものの言い方だな、ヤクザよ」
「だが、個人的な感情はこの際棚上げにする必要があろう。『世界の核』が破壊されれば、この世界は消滅してしまう。ギルド長の地位などで争っている場合ではなかろう」
ヤクザは祭壇を降り、あたしに歩み寄ると、鋭い目であたしを見つめた。
あたしはその目にはっとして、たじろいだ。今まで鈍そうなオジサンとしか思ってなかった彼の目に、燃えさかる炎が見えたのだ。いま彼は、人を圧する炎の圧力を備えていた。
……「炎のヤクザ」か。確かに、その名前はただのはったりじゃないのね。
「フレインよ……。わしは確かにランセムと手を組んでおったし、ザンジアがゼインダンに征服されても別にかまわん。もともと、ザンジアが好きだったわけではないしな。だが、この世界を消し去ることなど断じて望んではおらんのだ。ランセムは止める必要がある」
「当然だ」
「そうとも。それが、わしがここでおまえを待っていた理由よ。おまえに真相を話し、手遅れにならぬうちにランセムに追いつけるようにな」
「わかった。では一緒に行こう、ヤクザよ。ランセムを止めるのだ」
だけど、あたしが握手しようと差し出した手を、ヤクザははねのけた。
「勘違いするな。わしはおまえの味方になったわけではない」
そう言って、彼はあたしに背を向け、礼拝堂の出口に向かって歩き出す。
「わしは、わしのやり方でランセムを止める。おまえはおまえのやり方でやれ、フレインよ」
その言葉を最後に、ヤクザは礼拝堂を出て姿を消した。
あたしたちの間に、しばらく沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは、チャムがあたしにささやきかけた声だった。
『ヤクザは……おそらく自分の力でランセムを止めるつもりなのだ。これまでランセムと手を組んでいたのは自分自身。ランセムを止める責任も自分にある。そう思っているから、彼はわたしたちと行動を共にせず、一人で行く気なのだろう』
《でも、それならなぜあたしたちに事情を話したのよ?》
『ヤクザは、自分の魔力ではランセムに勝てないと思っているのだ。だから、自分が失敗したときにはわたしたちが引き継いでくれ、そう言いたいのだろう。それでも、大嫌いなそなたと手を組む気はないらしい。まあ、彼は昔からそういう男だったからな』
それって、要するに意地っ張りってことかしらね。
でも……、ヤクザも最初に感じたほど悪い人じゃなかったんだな。あ、でもランセムと裏で手を組んでたってだけで十分悪い人か。
ま、とにかくやらなきゃなんないことははっきりした。
《でも……、今からランセムを追っても間に合わないんじゃない?》
『いや……。「世界の核」の封印を解くにしても、破壊するにしても、即座にできるわけではない。「封印よ解けろ、ポン!」というわけにはいかないのだ。こういう大規模な魔法を執り行うには、何時間も、もしかしたら何日もかけて儀式を行う必要がある。だから、今からランセムを追えば、儀式が完了する前に追いつける可能性は十分にある』
《それじゃ、とにかく急いでランセムを追うしかないわね》
あたしはローザや他のみんなを見回し、話しかける。
「みんな、ヤクザの言ったとおりだ。ランセムは『世界の核』を破壊する気だ。もしそれが破壊されれば……この世界は終わる」
ローザがびくっと震えた。他のみんなも、事態の深刻さに青ざめた顔をし、落ち着かなげに身体を動かしていた。
「それを防ぐには、ランセムに追い付いて、彼を止めるしかない。行こう!」
って、あれ?
《ねえチャム、それで『世界の核』ってどこにあるわけ?》
チャムはあたしの肩の上でちょっとこけた。
『……知らないで言ってたのか?』
《だって、聞いてなかったんだもん》
『まあいい。「世界の核」は、「世界を支える樹」の中にある。この世界の中心に生えている巨木だ。だが、地上からではその樹の中には入れない。入り口は天上界にだけ開いているのだ。天上界には、「天への滝」からのみ行くことができる』
《結局、その『天への滝』へ行くしかないわけね?》
『そのとおりだ。ランセムも同じ道をたどって「世界の核」に行くはず』
《それで、そこまで行く方法はどうするの?》
『この街のはずれにある船着場から、ドナンの村まで浮き舟で行くことができる。「世界を支える樹」に一番近い村だ。そこからは歩いて四、五日の道のりだ』
《それじゃ、まずはここを出ることね》
あたしはみんなに向き直り、質問を投げかけた。
「みんな、ランセムを止めるために一緒に行ってくれるか?」
ローザ、エレジー、シルファス、ゼバスはすぐに同意したけど、リーラは悲しげに首を振った。
「あたしは……一緒には行けないよ」
「そうか……。もちろん、無理にとは言えない。そなたの事情もあろう」
そう言ったけど、リーラはまだいいわけするように言葉を継いだ。
「そりゃ、世界の一大事だってのは分かったよ。でも、あたしはこの町を離れるわけにはいかないよ。どのみち、あたしが行っても役に立たないと思うけどさ……。でも、とにかくこの町は離れられないんだ」
まるで、一緒に行きたくてたまらないのに、行けないのだと自分に言い聞かせているみたいだった。
肩を落としてうなだれるリーラにローザが歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「わかります……。守るべき人がいるのですね、あなたには」
ローザの言葉にリーラはびくっとする。
「な、なんでそれを……?」
ローザは彼女に慈愛のこもった笑みを向けた。
「わかりますとも。あなたはあれだけお金に執着して、昼も夜も働いている。きっと、相当のお金をかせいでいるのでしょう? それなのに、あなたはそんな継ぎだらけの古ぼけた服を着て、穴のあいた靴をはいています。あなたは、自分でかせいだお金を誰か、あなたにとってとても大事な人のために使っているのでしょう? あなたがそんなに必死でお金をかせいでいるのも、その人のためなのでしょう?」
リーラは愕然とした表情でローザの顔をまじまじと見つめる。それから、やれやれというように首を振って話し始めた。
「そうさ……、あたしの母さん、病気なんだ。もうずっと……」
一度口を開いた彼女は、せきを切ったように自分の事情を話し始めた。
「なんていう名前か知らないけど、めったにない珍しい病気で、魔法でも治せないんだ。お医者にかかってるけど、目の玉が飛び出るくらい高い薬が必要なんだ。それでも、治るわけじゃない、生命を延ばせるだけだって……。毎月の医者代と薬代をかせぐために、宿屋のウェイトレスの仕事くらいじゃとても足りないんだ。だからあたしは何年も前から、裏の仕事に首を突っ込んで、お金になるならなんでもやってきたのさ……」
彼女は顔を上げて、訴えるようにあたしたちを見た。その顔は流れ出た涙でぐっしょりと濡れ、彼女は手の甲で顔をぬぐってから、絞りだすように大声で叫んだ。
「でも、あたしは母さんに生きていて欲しいんだ! たとえ治らなくても、母さんにできるだけ長く生きて欲しい! だから、あたしは母さんの薬代を稼ぐためならなんだってやってやる! 裏の仕事だろうとかまうもんか! たとえ捕まったっていい、母さんのためなら」
それから、自分の感情を吐き出して気がすんだのか、落ち着いた声で彼女は続けた。
「だから……わかってくれよ。あたしは母さんを放って行くことはできないんだ。……でも、でもさ、あんたたちが成功することをずっと祈ってるよ。うまく行ったら、いつかまたこの町に来てくれよ。そんときは、もっと楽しい場所をいっぱい案内してあげるよ」
意外だった。最初に会ったときから、とにかくお金のことばかり口にしていたから、リーラのことはお金のことしか考えない、欲の皮の突っ張った人間としか思ってなかった。その態度の裏にこんな事情があったなんて。
ひどくばつの悪い気分で、あたしは彼女に話しかける。
「……どうやら、そなたのことを誤解していたようだ。すまなかった」
あたしの言葉に、彼女はもっとばつが悪そうに言い返す。
「い、いいんだよ。こんなこと、普段なら誰にも話したりしない。い、言ってもどうなることでもないしさ……。だから、そんなにかしこまったりしないでくれよ。こっちが困っちゃうし、さ」
リーラは話題を変えようとするみたいに、急いで続ける。
「と、とにかくここにいてもしょうがないだろ? もう行こう。町外れまでは案内してあげるよ。そこでお別れだ」
あたしたちは王宮をこっそりと抜け出し、夜の街路をリーラの案内で歩いた。町を囲んでいる城壁にある隠し出口を抜けたときは、ちょうど東の空が白み始めたところだった。「それじゃあ……さよなら。いつかまた会えるといいね」
リーラの言葉に、あたしたちも口々にお別れの挨拶を返す。
それが終わると、彼女は城壁を抜けて街に戻り、あたしたちは出発した。
「世界を支える樹」、そしてその入り口の「天への滝」を目指して。