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「あれ……ローザの声だわ!」
チャムはうなずき、洞穴の入り口に向かって走り出す。あたしはその後に続いた。
あたしたちがシファーと話している間に、外に残してきたローザたちに何かが起きたんだ。それもあの叫び声からして、よほどの緊急事態。
あたしたちの嘘がばれて、兵士たちに捕まったの? それとも……。
洞穴の入り口にたどり着くと、外に待ち受けていたのはぞっとする光景だった。
そこで見張りをしていた二人の兵士は、ずたずたに切り裂かれた死体となって転がっていた。そして、ローザたちは大勢の敵と必死に戦い続けていた。
あたしたちが前に出会った骸骨や死体が数十体。でも今回は、それだけじゃなかった。人間よりもはるかに大きな、真っ黒な身体の人型がいくつか。幽霊みたいな半透明の影が数体。そして、一番後ろには、闇を固めて作られたような真っ黒な巨大な獣が、血の凍るような咆哮を上げていた。
《こ……こいつら、何よ?》
『あの黒い巨人は、ディノクラに仕える「闇の巨人族」だ。影は幽鬼。骸骨や死体と同じ不死の者たちだ。そして、後ろの黒い獣は「闇の精霊」に違いあるまい』
《つまり、全部闇の仲間ってわけ?》
『そうだ。ランセムが差し向けたとみて間違いないだろう』
二、三体の死体を相手に戦っているローザが、あたしたちの方を振り向いて、わずかに安心した表情を浮かべた。
「ああ、フレイン様! ご無事でしたのね。この者どもが突然現れて、見張りの兵士たちを斬り殺してしまったのです。あまりに相手が多すぎて、わたしたちだけではとても立ち向かえません……」
周囲にはすでに、倒された骸骨や死体が何体も転がっていた。ローザ、シルファス、それにゼバスは、戦えないエレジーを守るように取り囲んで、必死に戦っていた。
シルファスは敵に向かって弓を連射し、ゼバスは近くに来た敵に斧を振るっていた。ちょっと見ただけで、二人の腕前は相当のものだということがわかった。
シルファスの両腕がすばやく動き、立て続けに弓が放たれる。その弓は一本も狙いたがわず、離れた敵に命中していく。そしてゼバスは何体もの骸骨を相手にして、小さな身体で敵の振りかざす剣をかいくぐってふところに飛び込み、正確な斧の一撃で相手をし止めていた。
でも、敵の数があまりに多すぎる。三人とも額に汗がにじみ、疲労の色がはっきりと見えていた。
チャムがあたしの肩に飛び乗ってささやいた。
『行くぞ、フレイン。よいか、骸骨や死体は雑魚だ。問題は他の相手。だが、まずは「太刀風」で、雑魚の数を減らすのだ』
あたしは、「太刀風」の印を作り始めた。先日初めて使い、うまく扱えずに宿屋まで壊してしまった魔法だ。でも、今度は……大丈夫。
魔法を発動させると、あたしの作り出した無数の風の刃が周囲からいっせいに飛び立ち、あたしたちを取り囲んだ敵に襲いかかる。骸骨や死体はその刃を受けて、身体じゅうを切り裂かれ、次々と倒れていく。
でも、闇の巨人たちは身体じゅうから血を流しながらも、あまりこたえた様子もなく立ち続けていた。幽鬼や闇の精霊にはまったく効いていなかった。風の刃はその身体を素通りしてしまう。
『よし、あとは雑魚にかまうな。巨人と幽鬼を相手にするのだ』
《でも、まだ残りがいるわよ?》
『あれだけ数を減らせば、後は他の者たちでなんとかなる。だが、巨人や幽鬼は普通の武器では倒せぬ相手。奴らはそなたが相手をするしかない』
《……わかったわ。で、どの魔法を使えばいいの?》
『「風の弓」を使え』
あたしは、「風の弓」の印を作る。
魔法を発動させると、あたしの前方に風が吹き込む。そして風は細長い渦となって留まり、固体になった。曲がった棒の形、そしてまっすぐの線。
純粋な風で作られた弓が、あたしの目の前にできあがった。
左手で弓を握り、右手で弦を引きしぼる。弓と弦の間にできた空間に新たな風が吹き込み、固体となって風の矢を作り出した。
『よし、その矢を射るのだ』
《でも、あたし弓なんて使ったことは……》
『その弓は普通の弓とは違う。風の魔力が矢を導く。射さえすればよい』
一番近い巨人を狙って、矢を放った。矢は狙いをそれて巨人の脇をかすめる……と思いきや、その矢は空中で突風を受けてくっと曲がり、巨人の胸に深々と突き刺さった。
巨人は苦痛の声を上げてよろめく。
チャムは小さく笑った。
『これはな、魔術師が武器で戦わねばならないときのための魔法なのだ。魔力で導かれるから、武器を扱えない魔術師でも敵に命中させられる。しかも、普通の武器が通用しない相手でも倒せるのだ。さあ、次だ!』
あたしはまた弦を引きしぼった。さっきと同じに風が吹き込み、新しい風の矢がそこに生み出される。
たてつづけに矢を射た。最初の巨人は四発目の矢を受けてばったりと倒れ、息絶えた。二体目、そして三体目。闇の巨人は次々と倒れていった。
後ろに控えている闇の精霊が、さっきとは違う、言葉のような吼え声を上げた。骸骨や死体は攻撃をやめて後退をはじめ、幽鬼と闇の精霊がこちらに向かって前進してきた。
『雑魚では相手にならぬと見て、みずから戦う気になったようだな。奴らは手ごわいぞ』
《今度はどうすればいいの?》
『奴らには実体がない。純粋な闇に近い存在だ。風の攻撃は実体のない相手には効果がない』
《それじゃ、どうやって倒すのよ?》
『闇に対して有効なのは光の攻撃。ここはローザの魔法が最も向いている。……だが、ローザの力だけではあれを倒すには不足だろう……』
チャムは前足を組んでちょっと考えてから、口を開いた。
『よし、「聖句」を使おう。相手が弱ったところで、ローザにとどめを刺させるのだ』
《「聖句」ね。わかったわ》
「聖句」の印を作る。目前に迫ってきた幽鬼の一体に向けて魔法を発動させ、同時にあたしは叫んだ。
「闇に生きるものよ、闇の生命の道は地上にあらず! おのれの属する元素に戻れ、祝福から分かたれし魂よ!」
魔物、特に闇の生物は、特定の「神聖な言葉」に弱い。伝説で、吸血鬼は十字架を恐れるっていうのがあるけど、あれと同じようなもの。
「聖句」は、その神聖な言葉を風に乗せ、魔物の魂に直接叩き込む魔法。いうなれば、魔物だけに有効な精神攻撃だ。
聖句を叩き込まれた幽鬼は、身体を痙攣させて絶叫を上げた。人間には絶対に出せないような、耳鳴りがするような高音の悲鳴だった。
「ローザ、そいつにとどめを!」
あたしの言葉ではっとしたローザが、杖を振り上げて短い呪文を唱える。
ローザの杖が白く輝き、ローザはその杖を幽鬼に投げつけた。杖は光の帯を描いて飛び、幽鬼の中央に突き刺さった。
幽鬼は声にならない悲鳴をあげ、霧のようにばらばらになって消えていった。
いける! あたしは残りの幽鬼に対してたて続けに「聖句」を放った。
幽鬼どもが揃って絶叫をあげた。もう一体を、ローザが杖で倒す。残りの幽鬼は同じ方法で倒されるのを恐れて、遠くに後退した。
『来るぞ!』
今まで後ろで控えていた闇の精霊が突進してきた。真っ黒な身体を持つ豹のような姿。だけど、その大きさは象くらいもあった。
『「聖句」を……、いや、まず「風の鎧」でみなを守れ!』
あたしは「風の鎧」の印を作り始めた。だけど、遅かった。目の前に精霊の巨大な姿が迫り、飛び掛ってきた。あたしはとっさに地面に伏せる。
闇の精霊はあたしの身体を飛び越え、後ろにいるローザたちに向かって走り続ける。
あたしは、振り返ってローザに叫ぶ。
「ローザ、『光の天幕』を!」
たけど、ローザの魔法も間に合わなかった。精霊はそのままローザの脇を走り過ぎ……
その進路の先に立っていたのは、エレジーだった。
『いかん!』
あたしたち全員がエレジーを救うために走り寄った。その目の前で、精霊はエレジーに飛びかかり、その身体が溶けるように形を失い、真っ黒な霧となってエレジーを包んだ。
『闇の精霊は人の生命を吸い取る。早く彼女を助けるのだ!』
あたしは「聖句」の印を作り始めた。同時にローザも、光の魔法をかける動作を始める。
だけど、精霊は突然、苦しんでいるような様子を見せ始めた。エレジーを包み込んだ雲のような姿が、内側から強く押されているようにぴくぴくと膨れ上がった。
精霊の姿がばらばらの帯のように割れ、その中にいるエレジーの姿が見えた。
そして、彼女が腕をさっと一振りすると、精霊ははじかれたように彼女の身体から飛ばされた。
『なにっ……?』
チャムが驚きの声を上げた。予想もしなかった事態に、あたしたち全員がその様子を呆然として見つめていた。
それから、はっと気が付いたローザが、中断していた魔法を完成させた。
ローザの杖から赤い光が吹き出し、滝のように精霊にほとばしる。その光を受けて、闇の精霊は薄れ、そして消滅した。
親玉が倒されたのを見た残りの敵は、あたしたちの方を見ようともせずに逃げ出した。
終わった……。
あたしたちは、ぐったりとその場にへたり込んだ。
疲れきったあたしたちの間で、エレジーだけが平然と立っていた。
「エレジー……。大丈夫だったのですか?」
ローザの問いに、エレジーはこともなげに答えた。
「なんともない……。あの黒いものに飲み込まれた。でも平気だった。……あっちへ行けと思ったら逃げていった」
それから、彼女はわずかに微笑み、あたしの腕を両手で抱きしめる。
「……フレイン、みんな、無事。よかった……」
あたしの肩の上で、チャムが考え込んでいた。
『これは……どういうことなのだ?』
《なによ。エレジーが無事だったのが不思議なわけ?》
『うむ、おおいに不思議だ。闇の精霊というものは、人間や他の生物、つまり光の生命を持つものを包み込み、その生命を吸い取るのだ。包み込まれた者は、わずかな時間で死亡してしまう。彼女が無事でいられたはずがないのだ。……しかも、あの様子は、精霊の方が彼女に、その、なんというか、拒絶されて跳ね返されたという感じがした』
《う〜ん。でもまあ、無事だったんだからいいことにしましょ》
『いったい、この子はどういう……?』
チャムはまだ不思議がっていた。あたしは、話題を変えることにした。
《それで、これからどうするの?》
『あ、うん。シファーに告げられたとおり、急いでソルバの町に行かねばならぬ。ここからは浮き船で行くことにしよう。確かここから二日ほど行ったラガンの町に船着場があるはずだ』
そう言ってから、チャムはまた考え込んでしまった。
『しかし、この魔物どもはなぜここに来たのだろう?』
《こいつらもランセムが送り込んできたんじゃないの? この間もターナスの村で同じような奴らに襲われたじゃないの》
『いや、この間の敵は明らかに、わたしたちがどこにいるのかを手分けして探していたのだ。しかし、今度は違う。よいか。骸骨や死体は雑魚だから、闇の魔術師ならばどんどん作り出すことができる。だが、今相手にした幽鬼や闇の精霊は、おいそれと呼び出せるようなものではないのだ。それを送り込んできたということは、相手はわたしたちがここにいるとはっきり知っていたということになる』
《なるほどね。そうすると……》
あ。
あたしたちがここに来ることを知っていたのは……。
《ヤクザ? あいつが一枚かんでたってこと?》
『十分に考えられることだ。いや、直接こいつらを送り込んだのはランセムに違いあるまい。だが、もしもヤクザがランセムと通じていて、わたしたちの行き先をランセムに教えたと考えれば、話のつじつまが合う』
《なるほどね。そういえばあいつ、最初に見たときから悪人顔だって思ってたわ。やっぱ、あ〜ゆう顔してると性格も悪くなるのね》
『いや、そう人を外見で判断するな……』
《だ〜って、実際悪人なんでしょ、あいつ?》
『……もういい』
チャムは、あたしの肩の上で吐息をついた。
『なんにしても、早いところここを立ち去るとしよう』