「なっ、何よっ?」

 突然響いた大音響に、あたしはぎょっとして叫んだ。

 気が付くと、さっき吹き飛んだのはこの部屋のドアじゃなかった。確かにドアが壊れた音だったけど、どうやらそれは一階にある入り口のドアだったみたい。

 続けて階下から悲鳴が上がり、同時になにかの生き物が歩き回る音や物の壊れる音が響いてきた。

 なんだかよくわからないけど、これはただ事じゃないわ。

「ローザ、これは一大事だ! 下でなにが起きているのか見に行こう!」

 わざとらしく言って、あたしは立ち上がってドアを開けた。

 ローザはしかたなく、脱ぎ捨てた夜具を身に付け、帯を締めなおす。

「……いいところでしたのに……」

 不満そうに後ろでつぶやくローザにかまわず、あたしは部屋を出た。

 階下の悲鳴や物音はますます激しくなっていた。急いで階段を降り、一階にある酒場に降りたあたしの目に、恐ろしい情景が映る。

 怪物が何体も、酒場の中で動き回っていた。そのうちいくつかは、骨……、そう、人間の骸骨そのものだった。手には錆だらけの剣と、ぼろぼろの盾を握っている。残りは肉が落ちてうじのわいた死体。こっちは武器も持たず、素手であたりの物を手当たりしだいにつかんでは放り出していた。

 つまり、よくお話に出てくるスケルトンとか、ゾンビっていうやつ。

 でも、その本物が目の前で暴れている光景といったら、想像したこともない恐ろしさだった。あたしは恐怖のあまりひざががくがくし、今にもその場にへたりこんでしまいそうになった。

『なにをしているフレイン! 敵だぞ、戦うのだ!』

 いつの間にか、チャムがあたしのそばに来ていた。

《た、た、戦うってどうやってよぉ?》

『そなたは魔術師であろうが! 魔法で戦うに決まっておろう』

 そう言ってから、チャムはあたしを落ち着かせるように言った。

『大丈夫だ。戦い方はそなたの身体が覚えている。魔法のかけかたを思い出したときと同じようにしてみるのだ』

 そ、そうか。あのときと同じにすればいいのね。

 あたしは、目を閉じて意識を集中する。

 でも、魔法を練習したときとは違って、近くで怪物が暴れ、ものすごい騒音が響いている状況では集中できなかった。

《だ、ダメっ! できないわっ!》

 骸骨の一体が近寄ってきて、あたしを見た。骨だけで歯がむき出しになったその口から、きしるような声がもれる。

「フレインダナ。ヨウヤクミツケタゾ」

 怪物があたしの名を呼んだ! その恐ろしさに、あたしは全身が凍りついたような恐怖をおぼえて立ちすくんだ。

 骸骨は右手に持った剣を振り上げ、あたしに向かって振り下ろす。

 うわああぁぁっ、もうダメ!

 そのとき、振り下ろされた剣が、目の前に出現した金色の棒で受け止められ、カキーンという音をたてる。

 あたしははっとして横を見る。いつの間にかローザがそばにいて、いつも手にしている金色の杖で剣を受け止めていた。

「フレイン様、いったいどうされてしまったのですか? ザンジア随一の魔術師ともあろうお方が!」

 ローザは杖から手を離し、両手をパンと叩いた。その手の間から光の矢が飛び出し、骸骨に突き刺さる。骸骨の中心で紫色の光の爆発が起こり、骸骨はばらばらに崩れて動かなくなった。

「フレイン様、早く! 戦ってください! 私一人だけでは、これだけの数は相手にできませんわ!」

 次の骸骨を相手にしながら、ローザが言った。

 わ、わかってるんだけど……。ど、どうやって戦えばいいの?

 ええいっ、とにかく魔法を使ってみるしかないわ。

 この三日間に、チャムからいくつかの魔法を教わっていたけど、安心して使えるのは最初に教わった突風の魔法だけだった。あたしは目の前に迫る死体に向かって印を作り、突風の魔法を発動した。

 部屋の中に風が巻き起こり、風を受けた死体はよろめき、一歩下がった。

 でも、それだけ。死体は何事もなかったように、また迫ってくる。

 チャムがあたしの肩に飛び乗って言った。

『ばか者! 突風程度の魔法を直接使って効果があるか! もっと使い方を考えるのだ!』

《つ、使い方ってどうすればいいのよっ!》

『よいか、風を直接相手にぶつけても敵は倒せない。だから、風をどう使えば敵に攻撃できるか、そう考えるのだ』

《お、思いつかないわ……》

『わたしの言うとおりにやってみろ。まず、あの棚にあるグラスに突風をかけてみろ』

《……わかったわ》

 あたしは言われたまま、カウンターの後ろにある棚に向かって突風をかけた。棚にあるグラスは強い風を受けて床に落ち、鋭い音を立てて割れて飛び散る。

『よし、次だ。竜巻の魔法をかけられるか?』

《や、やってみるわ》

 フレインから教わった別の魔法。あたしが印を作って魔法を発動させると、あたしの目の前に人間くらいの小さな竜巻が発生した。

『よし、そうしたらその竜巻を動かして、あのグラスの破片を舞い上げるのだ』

 あたしは竜巻を動かして、割れたグラスのところに持っていった。竜巻は破片を舞い上げ、空中に回転するグラスの破片の渦を作り出した。

『よし、後はそれを敵にぶつけるだけだ』

 あ、なるほど!

 あたしは破片を舞い上げた竜巻を、目の前の死体に思い切りぶつけた。グラスの破片は死体の肉を切り裂き、腐った肉が周囲に飛び散る。吐き気をこらえながらさらに竜巻を強める。やがて、死体は切り裂かれたずたずたの肉片となって崩れた。

『わかったか。魔法はこうやって使うのだ』

《なるほどね。わかったわ》

『風で敵を攻撃する方法はほかにもいくらでもある。急げ! 敵はまだたくさんいるぞ』

 そう言われてあたしは気を取り直し、次の敵に向かい合った。

 さて、どうしようかしら? 思ったとき、酒場の隅に置いてある油の樽が目に入った。

 そういえば、骸骨とか死体って、確か火に弱かったような。

 樽に駆け寄って、栓を抜いた。中から流れ出す油を、突風の魔法で吹き飛ばし、そこらの死体と骸骨にかけまくる。

「ローザ、そこから離れて!」

 一言叫んで、あたしは酒場の天井から吊ってあるランタンに竜巻をかけ、床に落とす。ランタンの火は、床に散らばった油に引火して燃え上がる。そして、あたしはその炎を風で飛ばし、死体や骸骨に引火させた。

 油をかけられた数体の死体と骸骨は炎に包まれた。

 あたしの肩で、チャムがにやりとした。

『それでいい。使える物はなんでも使うのが魔法のこつだ』

 それから真剣な顔で言葉を続けた。

『世の人々はよく誤解していることだが、優れた魔術師の条件は、強力な魔法が使えることではない。魔法は使い方しだいなのだ。優れた魔術師は、いつどの魔法を、どのように使えばよいのかを熟知しているものだ』

 ローザがあたしを振り向いて言った。

「ありがとうございます、フレイン様。どうなることかと思いましたわ」

 そういう間にも、彼女は残った一体の死体に光の魔法を叩き込み、その死体は崩れて灰になっていった。

 ふう……。

《それにしてもチャム、風の魔法ってちょっと地味じゃない?》

『そなたにはまだ初歩的な魔法しか教えておらぬからな。どの魔法でも、初級のうちはこんなものだ。だがいま見たように、初歩的な弱い魔法でも、使い方しだいでいくらでも役に立つものだ』

 死体と骸骨が燃え尽き、酒場の中には怪物がいなくなった。

『油断するな。外にまだいるぞ』

 チャムが警告する。あたしはローザと一緒に、壊れた宿の入り口から外を見た。

 うわ、ほんと。さっき酒場にいたのと同じ骸骨と死体が十匹以上、団体さんで外にお待ちかね。

《チャム、どうしたらいいの?》

『うむ……。中に入ってくれば対処のしようもあるのだが、外ではな……。せめて、そなたがもう少し強力な魔法が使えれば……』

 もう少し強力な魔法、か……。記憶をさぐってみた。

 あ、ある。この場合にぴったりな強力な魔法。

《チャム、『太刀風』を使うわ!》

『なに? それは無理だ。あれは危険な魔法だ。そなた、練習もしておらぬだろうが……』

《でも、このさい使うしかないでしょ!》

 あたしはチャムを放って宿屋から飛び出し、「太刀風」の印を作り始めた。

 突風とは比較にならないほど強力な魔法で、かけかたも非常に難しい。必要な十六の印を順に作り、呪文を唱えていく。急いで、だけど正確に行う必要がある。

 骸骨と死体の群れが包囲の輪を縮めてくる。まずい。間に合わない……?

 でも、魔法の動作を途中で中止するわけにはいかない。

 近くに寄ってきた数体の骸骨が剣を振り上げる。

 もうダメ! 悲鳴をあげたくなったとき、あたしの周囲にぱっと光のカーテンが降りた。骸骨はその光におびえてあとずさる。

「『光の天幕』で少しの間は食い止められます! フレイン様、早く魔法を!」

 いつの間にかあたしの横に走り寄っていたローザが叫んだ。

 よし! あたしは動作を続けた。印が一つづつ作られるにつれ、あたしの周囲に激しい気流が生じ、細かい渦を無数に作り出す。

 気流の渦によって真空の刃を無数に作り出し、その力で敵を切り裂く魔法なのだ。

 あたしは最後の印を作り、魔法を発動させた。

「ローザ、結界を解いて!」

 あたしの周囲に作られた風の刃はいっせいに動き出し、敵の群れに向かって突進する。

 骸骨や死体は不気味な悲鳴をあげ、身体のあちこちが切り裂かれていく。あたしは精神を集中して、その刃が敵だけに向かうように制御していた。

 だけど、その制御が思うようにならない。どれかの印が正しくなかったのかもしれない。制御しきれなかった刃が敵からそれ、近くの立ち木や宿屋の壁をずたずたに引き裂いていく。

 必死で制御しようとしても、ますます刃は目標からそれていく。

「ひっ!」

 ローザが叫んだ。風の刃がローザにまで襲いかかったんだ。

『魔法を打ち消せ、フレイン!』

 チャムの叫び声が聞こえ、あたしは自分の魔法を打ち消す印をすばやく作った。

 風の刃は消滅して、あたりには静寂が戻った。

「はぁ……」

 あたしはその場にへたりこんだ。気が付くと、死体や骸骨の姿はもうどこにもなく、ずたずたに切り裂かれた骨と肉塊が転がっているだけ。

 勝った、のか……。

 でも、被害を受けたのは敵だけじゃなく、近くの立ち木は枝がずたずたに裂かれ、宿屋の壁はぼろぼろになっていた。

 となりで荒い息をついていたローザが言った。

「危ないところでしたわ……。でも、さすがはフレイン様」

 チャムが走り寄ってきて、あたしの肩に乗った。

『やれやれ……。いきなり『太刀風』を使うなど、無謀だぞ。危険な魔法だということが良くわかったろうが』

《わかったわよ。だけど、ほかに手が思いつかなかったんだからしょうがないでしょ!》

 あたしが口答えしたとき、チャムがあたしの頬に触って注意を引き、前足で立ち木のところを指し示した。

『あれはなんだ?』

 立ち木の影に何かが転がっていた。ううん、よく見ると人間。

 あたしたちはその人に走り寄った。うつぶせに倒れていたその人を起こしてみると、それはまだ十才やそこらの少女だった。長い黒髪に端正な顔立ち。くすんだグリーンのぼろぼろの服をまとっていた。

『いったい、なぜ夜中にこんな場所に子供が……』

 チャムが不思議そうに言った。

 

 宿屋の中はさんざんな光景だった。

 そこらじゅうに死体と骸骨の残骸が転がっている。床やテーブルは焼けただれ、壁や天井はあたしの魔法でずたずたに引き裂かれていた。

 宿屋の主人はかんかんに怒っていた。そもそも悪いのは襲ってきた敵だということは主人もわかってるはずだけど、死体や骸骨から損害賠償が取れるわけがない。だから、必然的に怒りはあたしたちに向けられることになった。

 チャムは旅に備えてけっこうな額のお金を用意してたけど、さすがに宿の修理費を全部出すわけにいかなかった。結局、ザンジア魔術師ギルドの保証で修理費の一部を出すということでようやく話し合いがつき、あたしたちは落ち着くことができた。

『こういうとき、この世界にもクレジットカードがあればいいのにと思うぞ』

 チャムがぼやく。

《ないの?》

『あるわけなかろう』

 とりあえず無事なテーブルに付いて、気分直しに飲み始めたとき、さっき連れてきた少女が目を開き、周囲を見回して言った。

「ここは……?」

「あら、気が付きましたか? ここはターナスの村の宿屋ですよ。あなたはどこから来たのですか?」

 ローザが答えると、少女は茶色の目で彼女をじっと見つめ、そしてぼんやりと言った。

「わからない……」

 あたしたちはしばらく少女と話した。わかったのは、彼女は自分がだれなのか、どこから来たのか、まったく覚えていないということだった。

 たった一つ覚えていたのは、自分の名前がエレジーということだった。でも、これにしても覚えている名前はそれだけということで、本当に彼女の名前なのかは不明だった。

 宿屋の主人に聞いても、この村にこんな少女はいないということだった。小さな村だから、主人が知らないということも考えられない。

「この子……どうしたものでしょうか?」

 ローザがそう言うと、エレジーはあたしの横に歩み寄り、あたしの左腕を両腕で抱きしめる。

「フレイン……一緒に行く」

「まあ……。でもねエレジー、私たちは遠いところに旅しているのです。危険があるかもしれないのですよ。だから、あなたを連れて行くわけには……」

 ローザの言葉に、エレジーは首を振った。

「わたし……行く。行かなくちゃ……いけない。どうしてなのか……わからない。でも……絶対行く」

 困ったローザは、あたしに意見を求める。

「フレイン様、どうなさいますか?」

 あたしはエレジーを見つめた。彼女は澄んだ瞳でじっとあたしを見つめ返している。その瞳を見ていると、まるで吸い込まれてしまうようだった。

 あたしの口から勝手に言葉が出た。

「この子を連れて行くことにしよう。どうしてだか、そうしなければならない気がするのだ……」

「まあ、フレイン様までそんな……」

 ローザが不思議がるのはもっともだった。でもなぜなのか、それがどうしても必要なのだという思いがあたしの心を捉えていた。

 まるで、そうしろと誰かに命令されているみたいな気がした。

第一章 目覚めてみたら、ここはどこ?:4

第二章 風の木霊する洞穴:1

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