家の近くでヘリから降ろしてもらって、あたしは家に帰った。
 この任務を引き受けてからというもの、行き帰りはヘリで送ってもらってる。落ち着かないけど、なんかVIPにでもなった気分。まあ確かに、あんな山奥まで車や電車で通うわけにもいかないから、当然なんだけど。
 ここ数日、学校にも行ってない。なんか政府から学校によく話しとくから、心配ないようにとか言われた。いったいどんな話が行ってるのかしら。どのみち、もう卒業間近で学校に行っててもろくに授業もないからよかったけど、ほかの人たちは大丈夫なのかしらね?
 そういえば、たしかハリーやソフィアは、家が遠くて帰れないからあそこに泊り込むって言ってたっけ。
 家に着いて、鍵を開けて入る。
「帰ったわよ、お母さん!」
 声をかけると、家の奥からママの声がする。
「お帰り」
 ママの声はそれだけ。ここ数日あたしの帰りが遅いし、学校に行ってるんでないことは分かるはずなのに、あたしの行く先についてろくに聞こうともしない。
 そういうママだから慣れてるけど、ちょっと寂しい。
 冷蔵庫にあったケーキをコーヒーと一緒に食べて、食器を片付けてから、お風呂に行った。服を脱いでバスタブに身体を沈め、大きな吐息を一つ。
 ふう。
 バスタブの脇にあるタッチパネルに指を触れて、プログラムの起動コマンドメロディーをハミングする。
 洗い場の空間に、海底の立体映像がぱっと映し出された。海底に藻がゆらめき、海中には小魚の群れが泳ぎまわり、下のほうでは平べったいおっきな魚が海底を這うように動いている。
 今夜のランダム映像は、海中の光景か。
 この立体映像装置、じつはあたしが頼んでお風呂に取り付けてもらったもの。一年くらい前にネットで見かけて、すっかり欲しくなってパパに買ってもらった。まだ新しい商品でけっこう高価なんだけど、パパが会いに来たときにたのんだらOKしてくれた。うん、パパ感謝。
 なんだけどな……。
 でも、パパがいつも一緒にいたらいいのに。そりゃあ、ママとパパが離婚した事情はいろいろと複雑なことがあるんだろうし、あたしがとやかく言えることでもないんだけど。 またタッチパネルに指を触れて、もっといろいろな映像を呼び出す。
 バスタブの上の空中がふっと暗くなって、星空が現れる。その星空を人工衛星や、宇宙ステーションがゆっくりと横切っていく。バスタブのお湯の中には、ニューヨークの夜景が映し出され、無数のライトがきらきらと輝く。こういった映像のほとんどは、たったいまカメラで撮影されている映像が、インターネット経由でリアルタイムで流されているもの。
 映像以外のデータも呼び出してみよう。バスタブの水面に、ランダムデータを映し出してみる。今年の小麦収穫量のグラフが水面にゆらゆらと漂う。それが消えると、モーツァルトの交響曲の楽譜が流れる。超音速旅客機の設計図。東京付近の光ファイバーノード図。それから……。
 どれもあたしには関係ないデータだけど、こうやってデータに囲まれていると、なんだか安らいだ気分になる。
 立体映像装置を使って、いろんなデータをお風呂の空間に投影しながらゆっくりとお風呂につかる。この楽しみ方、あたしの考案。名付けて、情報浴<データ・バス>、かしら。
 データ・バス?ふふっ、なんだか変な名前。
 バスタブを出て、身体を洗ってシャワー。まわりはまだ海中の映像が動いている。立体映像は半透明だから、海中の映像と、実際のお風呂の内部、シャワーのお湯が重なって見える。魚の群にシャワーのお湯がふりそそぐ。もちろん映像だから、ほんとうに魚たちにお湯がかかるわけじゃないけど、急に魚たちがあわてたような気がした。
 のんびり、シャワーを浴びてから、またバスタブにつかる。
 このお風呂で映像に囲まれてると、つい時間を忘れて、のぼせるまでお風呂に入っちゃうのが欠点。だって、あんまり気持ちいいから。
 でも、今日はほかの用件がある。
 時計を見る。よし、ちょうど時間。
 タッチパネルに指を触れ、コマンドメロディー。周囲の映像が消え失せる。お風呂の照明も消すと、周囲は真っ暗やみになる。
 さて、今夜のチャットのはじまり。
 真っ暗やみの中で、なにかが動いた。それはぼんやりとした光のかたまりからしだいに形をとり、大きなウサギになった。
 ウサギは手に持った懐中時計を眺めると、
「遅れる、遅れる!チャットに遅れるぞ!」
 あたし、ウサギさんに話しかける。
「こんばんわ、ボビー!」
 ウサギはあたしの方を向いて、右手を前に出し、大げさなおじぎをする。
「おお、これはエミリー!ボビーのゲームチャットにようこそ!」
 彼がこのチャットのシスオペ、ボビー。彼自身もゲーム狂で、「フィールド・エンジェル」も相当やりこんでいる。
 そうそう、もちろんこのウサギの姿は彼がチャットで使ってるアイコン。チャットではこうやって、自分の姿の代わりに、自分を示すキャラクターをアイコンとして使うの。チャットに参加しているほかの人には、自分の姿の代わりにアイコンが見える。
 あたしのアイコンは、トランプの女王。本当はアリスのアイコンが使いたかったんだけど、もちろんそんな人気アイコンは、先に取られていた。
 ウサギの姿のボビーは言う。
「今夜はまだ君と僕の二人だけだ。でもすぐにみんな来ると思うよ」
「今日のステージはなあに?」
「今夜はね……これさ!」
 ボビーが手に持った杖をさっと一振りすると、真っ暗だった周囲が一変し、中世風のお城の広間に変わった。石造りの壁、ぴかぴかに磨かれた大理石の床。窓の外には薄暗がりの中、雪がちらついている。
「きれい……」
「十六世紀イギリスの再現映像さ。ついこの間公開されたデータだよ」
 そう話すボビーの後ろに、大きなシルクハットが出現する。そのシルクハットは空中でもぞもぞと動き、その中から背の低い老人がポンと飛び出す。
 老人は自分が出てきたシルクハットを胸の前におろして、おじぎをする。
「やあ、エミリー!ボビー!今夜も来たよ。ほかのみんなは?」
 そのシルクハットから飛び出したのは、太った猫を浮かべたにやにや笑い。
「あいかわらず忙しそうね、パル。仕事はどうなの?」
「やあ、サラ!いや、仕事はいつも忙しいんだけどね……」
 まもなく、かなりの人数がチャットに参加し、広間は歩き回り、踊るアイコンのキャラクターでいっぱいになった。
 しばらくは、なじみのメンバーや、知らない人とのご挨拶が続く。あたしも、みんなの周りを歩き回って(といっても本当は3Dの視点を変更するだけで、あたし自身はバスタブにつかったままだけど)、ひととおりの挨拶をすませる。
 それから、チャットは本題に入る。
 ジャンタクルーガの新しいコースの話題が出た。昨日までのコースレコードが三分四十六秒九で、これ以上のタイムを出すにはどうすればいいのか、という話。
「あのコースは、水上と空中をどう使い分けるかが鍵だと思うぞ。ジャンタクルーガは、もちろん水中よりも空中の方が全然速いけど、あのコースは水中を使うと大幅に距離が短縮できるようになってる。そうすると、最速に一周できるコースを計算するには……」
「でもなあ、空中から水中への突入には操作ペナルティがあるぞ。突入直後には操作が効かなくなる。結局、突入回数を減らしたほうがレースでは有利じゃないか……」
「コースより、どの機体がいいと思う?FD8からDX9に乗り換えてみたけど、なんかスピードはあっても反応がにぶい気がするし……」
 そんな会話が続く。あたし、ジャンタクルーガはプレイしてないからこの話題はパス。うんうんと返事しながら、少し待ってみる。
 で、話がちょっと切れたのをみはからって、目当ての話題を出してみる。もちろん、例の『フィールド・エンジェル』の謎について。
「ところで、みんな『フィールド・エンジェル』はやってる?あれのゲームの謎のことなんだけど」と、切り出した。
 シスオペのボビーが、すぐに話を引き取る。
「ああ、あれね。もちろんやってるさ!でもあのゲームのことなら、ここにいる中で一番詳しいのは君だろう?」
「あ……、いえ、普通のゲームの話じゃなくて、例の謎のことなの。ほら、うわさのトゥルーエンドの手がかりってやつ。誰か知ってるかなって思って」
「いるかも知れないけど……、急にどうしたのかな?」
 ちょっと答えにつまった。なにしろ、ゲームの裏にある政治的事情については絶対に明かさないように、ショウや田中さんからきつく言われているから。
「えっと、やっぱりゲーマーとしては、謎があるとなれば放っておけなくてさ。最後までクリアしないと気がすまないのがゲーマーじゃない?」
 なんとか、ごまかして答える。ボビーはいちおう納得してくれたみたい。
 『フィールド・エンジェル』の話と聞いて、数人の参加者が近くに集まってきた。ボビーはちょっとおせっかいを焼いて、あたしが「日本に数人しかいない、エキスパートプレイヤーの一人」だって紹介してくれた。おかげで、集まった人たちにいろんな質問攻めにあって、しばらく記者会見状態。
 ゲームのことはまだしも、「学校どこ?」とか「彼氏いる?」とかいう質問はなんだっつ〜の。まあ、むこうもかるい冗談のつもりなんだし、怒らない怒らない。
 お風呂の中からチャットしてるって言ったら、「見てぇ〜」なんて誰かが言うから、
「ただで見せるかっ!」とか言い返しとく。
 しばらく話してから、ようやく肝心の話題に移ることができた。
「それで、ゲームのトゥルーエンドについての手がかりが知りたいの。知ってたら教えて?」
 あたしの質問に、
「う〜ん、手がかりね。僕が知ってるのは……」
 て調子で、何人かが知ってることを話してくれるけど、誰の言うこともすでに何回もあたしたちが検討済みのことで、新しい情報はない。
 ふう。やっぱり、ここでも手がかりを見つけるのは無理かしら。
 あたしが考え込んでると、誰かが
「そう言えば、『フィールド・エンジェル』について妙なうわさを聞いたっけ……」
って話しだした。
「うわさって?」
「なんでも、『フィールド・エンジェル』のエキスパートプレイヤーが、最近急にゲームに出なくなったとかいうんだな。それも一人や二人じゃなく、ほとんどが。それに、サテライト社のゲームサーバーにハッキングがあったとか。これまた一回や二回じゃないんだってよ」
「そういえば、『マスタークラッカー』まで出たらしいな」
「え、あのマスタークラッカーか?」
「ほかに誰がいるんだよ。なんでもうわさでは、ゲームに関連してなにか極秘情報があるとかいって、クラッカー連中が面白がってハッキングしてるらしいぜ。どうも、ゲームの裏でなにか起きてるみたいな」
 その会話に、あたし、ギョッとする。
 そうか。この一件で、世界中のエキスパートプレイヤーが集められて、ゲームの謎を解明するために働いているんだった。考えてみれば、うわさが立つのが当然。
 一度うわさになったら、ネットを流れるのはあっという間。ヨーロッパで出たうわさが、十分後には日本で流れてるのだって珍しくない。
 これ、結構マズいんじゃないかしら。
 そのとき、ボビーが、
「エミリー、君なにか知……」言いかけて、はっとしたように止める。
 カンのいいボビーは気が付いたんだ。あたしがなにか知ってる可能性が高いってことと、でも知ってても話せないだろうから、聞いてもあたしを困らせるだけだって。
 でも、彼ほどカンのよくないほかの人が、その言葉を続けてしまった。
「エミリーさん、知ってるんじゃないの?エキスパートなんだし。もしかして、ゲームの謎について知りたいって、その関係なの?」
 うわ、まずい。どう答えよう?
 あたしが答えにつまっているとき、会場の向こうで別の話をしてたライオンとユニコーンが、のんびりとこっちにやってきた。
「なんの話してる?」ライオンが聞いた。
 そばにいた白騎士さんが、話題を説明する。
「ふーん……。『フィールド・エンジェル』の手がかりかぁ。そういえば、あのゲームの謎を研究するのが趣味な学者っていう人を知ってるけど」ユニコーンが言った。
 あたし、思わずそのユニコーンに詰め寄る。
「ねえ、その人の連絡先知ってる!?教えてちょうだい!」
 ユニコーンは驚いて立ちすくみ、
「え?まあ、知ってるけど……」と言葉を濁した。
 ふと気が付くと、まわりのみんながあたしの方を、物問いたげに見つめてる。
 しまった。もっとそれとなく聞くんだったわ。ますます注目を引いちゃったじゃない。
「やっぱり、なにか知ってるんでしょ、エミリー?教えてよ」
 そう言われて、あたし、
「ごめんなさい、言えないの!」
 言ってから、はっと気が付いた。
 大失言!これじゃ、あたしが秘密を知ってるって答えたのと同じじゃないの。
 えい、もう仕方がない。
「教えて!その人の連絡先!」
 ユニコーンさんから、その学者の連絡先を聞き出すと、ボビーに駆け寄り、
「ボビー、お願い!なんとかごまかしておいて!」
 そう耳打ちして、あたしはチャットを抜けた。

 ふう。
 映像が消えて、もとの光景に戻ったお風呂場で、大きな吐息を一つ。
 あぶなかった。みんなにどこまで悟られたかしら?
 ボビー、うまくごまかしてくれるかしら?それにしても、今の聞き方は失敗だったな。当分あのチャットには行かない方がいいかも。
 それにしても、ゲームのことがもううわさに上ってるのか。みんな、うすうす事情に気が付いてるみたいだし、もしばれたらどうなるだろう?
 ……ま、考えてもしかたないか。それより今は、やっと見つけた手がかりを活かすこと。
 またタッチパネルに触って、暗号通話をかける。教わったショウの番号。
 画面に出たショウは、こっちを見つめてから、
「君の顔が見えないけど……故障かな?」と、わざとらしく言った。
「カメラ、つけてないのよ!お風呂の中だから」
「風呂の中から通話するのかい?それじゃ……」
「見せて、なんて言わないでよっ!」言われる前に、そう言っておく。
「……いくら出したらいいかな?」
「んもうっ!」
「冗談だ」と言って、ショウは笑った。
 ふう。
 ここ数日、ショウと一緒にいて分かったこと。彼って外見はクールっぽいくせに、性格は意外とお茶目なのよね。
「ま、それはともかくとして、手がかりが見つかったのよ。ゲームの謎を研究している人が……」あたし、教わった学者の連絡先をショウに話す。
 それから、『フィールド・エンジェル』の裏話についてのうわさも。
 ショウはあたしの話を聞くと、真剣な顔に戻って言う。
「よし、その学者にすぐ連絡を取ってみよう。きみは今日はもういいから、明日予定通りに来てくれ」
「ネットに流れてるうわさのことは?」
「うわさが立つのは仕方がない」とショウは答えた。「世界中でエキスパートプレイヤーが、この件で動いているんだ。どうしたって、ほかのプレイヤーも気が付く。ネットの人間がはっきりとした真実を知らない間は、大丈夫だ。もっとも、この一件はなるべく早くケリをつける必要があるな。それより……」
「それより、なに?」
「フランスで、俺たちと同じようなチームがシャングリラを探索しているという情報が入っている。他の国でもやっていると見るべきだろう。どこの国も、できれば自国だけで超光速エンジンを独占したいと思っている。これから先、このエキスパートのチーム同士で争いが起きる可能性がある。覚悟しておいてくれ」
「え?それって、ほかのチームの天使<エンジェル>と闘うかもしれないってこと?」
「そうだ。今後、敵はゾガードとヌールだけとは限らない。人間同士での対決も起きることになるだろう」
 そう言って、ショウは通話を切った。
 なんてこと。
 本来味方同士の人間プレイヤーたちが、互いに闘うことになるなんて。
 しかも、それは本来ゲームとは関係のない、現実の国家対立のためだなんて。
 ただのゲームだったはずなのに。いつの間にか、これはただのゲームじゃなくなってしまった。もう、何がなんだか……。
「へっぷしょん!」
 気が付くと、ずっとバスタブにつかっていたあたしは、すっかりお湯にのぼせてしまっていた。

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