小田原建築探偵〜大阪万博編      
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ラオス館part3〜ラオス館の今〜16  2007.06

1971年6月6日南信日々新聞の八面観より

書かれている事は前述の記事と同様だが朝刊
のコラムでもラオス館の移築がとりあげられ昭
和寺の世界平和への貢献が期待されている。
叉短歌のコーナーには昭和寺を詠んだ歌が掲
載されている。

短歌に詠われている様に実際に昭和寺ラオス
館を訪れてみれば、その朱塗りの建物はかなり
印象的である。

「霧ケ峰中観山昭和寺の落慶開山式は五日ラ
オス王国のチャオニットノカム駐日大使ら約三
百人が列席して行われた。ツユの合間霧ケ峰
高原には初夏の日が明るくふり注いでいた。ト
ンガリ帽子の赤い屋根、周囲をめぐらす黄色い
柱が目にしみるようなカラ松の緑に映えてエキ
ゾチックな雰囲気を構成していた。

この寺の建物は昨年開かれた万国博覧会のラ
オスパビリオン。仏教国ラオスの好意でそのまま
霧ケ峰に移築。家庭幸福と世界平和の理想を掲
げた仏の殿堂として世界永遠の平和を呼びかけ
る事になった。

もともとラオスにある寺院の書院で数世紀前に
建てられたものだという。そうした意味では建物
そのものに信仰がこもっていると言えよう。左右
対立の二童子が慈母観音の大慈悲に救われて
戦争の泥沼から這い上がろうとする姿を観音像
に表徴したのは35年の事だった。

それから11年、これと同じ観音像が海外の各地
に喜び祭られているそうである。信仰とは縁遠い
門外漢であってもその精神はよく理解できるの
で同慶の至りである。

ラオス大使の「この寺を建てた事により日本とラ
オスの友情はいっそう深まったと思う。昭和寺を
中心にみなさんの仏教心をいっそう高めていただ
きたい。そしていっしょに世界平和を祈ろう」の言
葉も素直に頷けた。

信州が山国である関係からか諸外国とくに東南ア
ジア諸国との交流が希薄のように思う。こんな機会
に友好関係を結ぶ事も意義がありそうだ。ラオス隣
国のベトナムでは泥沼の戦争が続いている。平和を
希求する思いは深刻なものがあろう。平和は宗教
以前の問題である。

昭和寺の建立は諏訪市にとっても喜ぶべき事だ。
霧ケ峰にひとつの名所が生まれた。しかし大衆に
喜ばれるか否かは今後の運営にかかっている。」


注:駐日大使のお名前はノカム氏とノーカム氏の
二種の記載がありますが各紙面の記すまま書き
ました。外国語をカタカナ表記したものなので、ど
ちらも正しいと言う事だと思います。