小田原建築探偵〜大阪万博編 | |||
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ラオス館part3〜ラオス館の今〜15 2007.06 | |||
1971年5月 ラオス館の移築がほぼ完了し建立式典が近い事を 伝える新聞記事。南信日々新聞より 霧ケ峰高原に万博ラオス館を移築 昭和寺の落慶大法要 「世界平和の祈願との意向で諏訪市霧ケ峰高原強清水に建立中の 中観山同願院昭和寺がほぼ完成、五日午後二時から落慶大法要 六日午後二時から中観会慰霊大法要を同寺で関係者を招いて行う。 霧ケ峰に平和観音像の計画を進めていた同寺発願者の山崎良順 氏、昭和寺造営奉賛会理事長河西保三氏が昨年の万博のラオス 館をチャオ・ニット・ノーカム駐日大使と再三交渉した結果、譲り受け た。万博が終わるとすぐに取り壊し霧ケ峰に移転、再現これを同寺 本堂とした。 内部には万博に展示人気を集めたブロンズ製純金箔貼りの平和 観音像やラオスから寄贈された国宝級の釈迦の説法像”あかつき を象徴した”木製のつり鐘や永遠の発展を祈る法輪を彫った円台 などが納められている。 ラオスパビリオンは1818年アヌ王朝の宮廷に建てられたワット シサケ図書館を模して作られたもので赤・黄などの原色で色どら れたあざやかな建物。これをまったく同じ建物が霧ケ峰に再現し た訳で新しく霧ケ峰の名物ともなろう。 総工費は約2500万円、納教供養、寄付で1600万円を残り を銀行から借り入れた。またこの計画に賛同した人々からも仏 具などが寄付され関係者を喜ばせている。 山崎氏、河西両氏は「皆さんの協力でこれだけ立派なものが建 立され本当に感謝している。ラオス大使にも無理な願いを聞き 入れてもらったのでこれからは友好を兼ね世界平和のシンボル ともなり将来の仏教文化の拠点となるよう努力したい」 |