小田原建築探偵〜大阪万博編 | |||
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ラオス館part3〜ラオス館の今〜17 2006.09 | |||
昭和寺の参拝記念スタンプ。本当は御朱印 が欲しかったのだがどうも無さそうだった。 中観山同願院昭和寺というのがこの寺の 正式名。その下には万博平和観音として ある。これが3メートル金色の本尊の万博 会場での名前だったのだろうか? 開祖山崎氏のお孫さんにあたる串田さん の機関紙「同願」への寄稿文から昭和寺 に関する部分を抜粋してみる。 ラオス館が移築されてきた当時の様子を 伝える資料はあまり無さそうだ。大阪千里 丘陵から長野霧ケ峰にはるばるやって来 たパビリオン。例えばこの様な文章から想 像してみるしかない。 「毎年を兄、弟と一緒に過ごした諏訪の 思い出は尽きない。その霧ケ峰に祖父が お寺を建てたと聞いたのは小学校六年 も終わりの頃だったろうか。 前年の夏、大阪万博に出展された祖父 発願の平和観音像を本尊にしてラオス パビリオンを移築して昭和寺となった。 万博の庭に建てられた金色の観音像は バカデカイと思ったし真っ赤なラオス館は お寺らしくないと思った。しかし移築し終わ った祖父はとても幸せそうだった。 (次ページへ続く) |