小田原建築探偵〜大阪万博編 | |||
HOME | INDEX | ←BACK | NEXT→ |
ラオス館part3〜ラオス館の今〜12 2006.09 | |||
万国博会場から霧ケ峰への移築。 50万円の礼金でラオス館を譲り受ける事にな ったが山崎氏の資金難は続く。解体運搬費用 だけでも少なくとも300万円の資金を集めるの に奔走したそうだ。檀家も無く資金にも乏しい 昭和寺は山崎氏の熱意によって本堂建設に 進んでいく。 万博会場に近い豊中不動寺の住職とは親しい 月下旬には本堂最後の塗装工事が仕上がり 新緑の落葉松林の中に紅色の三層の尖塔を 載せた南方仏教の美殿が見事に出来上がっ た。梅雨の中で重い観音像をデレンデから堂 内に苦労しながら安置し6月5日、500名以 上が集まり大法要が営まれた。 本尊の造立、万博安置、本堂建立の事業には 四千数百人の浄財によって成し遂げられた そうだ。 こうして万博会場にあったパビリオンは長野霧 ケ峰に移築され第二の人生を送り始める事と なったが檀家も無い為資金難は相変わらずで 住職の住む場所も無く隅の三畳間に防寒天井 を張りその上は物置にし内面はガラス戸と厚 いカーテンで囲い電気こたつと石油ストーブで 暖をとりひとり用の炊事用具を備えて本堂の隅 で零下十数度の霧ケ峰の冬を過ごした。 その後土地の問題等の紆余曲折を経て昭和 47年国際学生ゼミナールと幼少青壮老人の 研修による社会教育を事業目的とする財団法 人を設立し資金の一部を万国博記念協会の助 金で補い本堂の隣に研修会館を建設するに 至ったそうだ。会館の落成式にはラオス及び ネパールの駐日大使も列席して行われた。 |