小田原建築探偵〜大阪万博編      
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ラオス館part3〜2006ラオス館の今〜13  2006.09


昭和46年ラオス館昭和寺本堂、建立時の
写真。写真からも相当数の協力者の元、昭
和寺が建立したことが解る。

確認しにくいかも知れないが回廊の柱の
色が現在のオレンジでは無く黄色から黄
土色系の色をしている。これは万博会場
にあった時の色である。


昭和寺は特に宗教色の無い、そして檀家の
いない、もっぱら平和祈願のお寺で建立した
山崎氏も亡くなられ通常は無人の寺院であ
るが毎年7月海の日に戦没者慰霊平和祈願
の法要を行っている。

本堂に隣接する研修会館には本堂をバッ
クにした毎年の集合写真も残っている。
この平和祈願法要が現在唯一の活動と思
われる。

世界平和同願会の開祖、故山崎良順氏
は機関紙「同願」の中で昭和寺の建立に
ついて次の様に記している。

「私は明治五年の神仏分離を悲しむもの
で諏訪に夢殿を建て救世の悲母観音と
太子像を安置して人間の共生浄土教を
説く本拠にしたかった。然し無力者なので
なかなか捗らなかった。

ところが大阪万博のラオス館は四方に階段
と入口があるのを見て、これは観音の普門
示現の精神に合致すると気づき夢殿の代
わりに之を譲り受け霧ケ峰に移築した。

堂の片隅にあったラオスの名工の一本木
彫りの釈迦像を寄進して頂いたので本尊
左脇尊とし右には取敢えず合掌形太子像
を安置した。」とある。