125cc × 12気筒 = 1500cc だ〜!

 これが、彼の本田社長の大号令である。マン島TTレースで本田のバイク(125cc)が1勝を上げたから

といって量産4輪車が軌道にのる前だから、下々はスッタマゲタことだろう。でも前例が有るから慣れっこか。

 1950年以降、新しいグランプリの波は成熟していったが、火付け役はエンツォ・フェラーリである。

スーパーチャージャーに見切りをつけ高効率の多気筒自然吸気を採用し、クランク軸のボール・ベアリングを

プレーン・ベアリングに置き換える事で、複雑で重量のかさむクランク軸の軽量化に成功した。当時、例えば

クライマックス・エンジンなども、ケルメット(銅−鉛 合金)系のベースにインジュームのオーバーレイを

かけると潤滑に問題が無い限り8000 〜 12000 rpm の常用運転ならば充分に耐久した。

 にも関わらず本田社長の頭には例の「125cc × 12気筒 = 1500cc」の方程式が居座っていた

ようで、レース監督の中村 良夫 氏も根負けした。バイク・エンジンのトレンドだったボール・ベアリング式

クランク軸に拘ったために、「馬力は稼ぐが、複雑で重いエンジン」のお守りに終始した。

 

「エンジンの歴史は回転数の歴史である」という社長の格言どおり、ヨーロッパに大センセーショナルを

起こした。なにしろ60゚V型12気筒にも関わらず、1990年頃から市販車で流行りだしたツイーンカム4バルブ。

12000rpm 230馬力にして、たったの1500cc! この年のフェラーリはV型8気筒で200馬力。

 

 姿かたちといい、バイクのエンジンにしか見えないではないか。それを横置きに担ぐというのだから・・・

当初はクーパー・クライマックスのシャーシーを改造するはずだったが、エンジンの横幅が収まらなくて

新規作成したそうである。

 シャーシーの設計に平行して、東大の航空科で風洞実験を行い空力を考慮した。といっても今日の接地性を

制御するダウン・フォースは全く考えず、ひたすら空気抵抗の軽減を徹底した。その結果、サスペンションの

ダンパー・スプリング・ユニットをボディの中に作り込む事とし、エンジンにもカウルを設けた。(この時期の

クルマには翼が無いので、後ろから見るとドライブ・シャフトのユニバーサル・ジョイントなどの駆動系が

よく見える)しかし10%の空気抵抗を軽減するよりも整備性向上が先決である点は、実戦で思い知らされる。

 (Fulcrum 著)