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大歌堂の歴史  

 八幡市八幡地区は石清水八幡宮の境内町であり、交通の要所として繁栄したところである。
この建物は大正6年頃に、大阪道頓堀五座のひとつである弁天座の座主尼野貴之氏の別邸として、
建てられた。
 建物は放生川沿いに建てられ、安居橋の背景となって土蔵、西の間、大広間が連なり、大正時代の
旧状をよく伝えている近代和風建築である。

西と南の広縁の外側には一段低い小幅の縁を作り、男山の東山麓を借景とした庭が広がる。

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男山山麓の借景と庭園  

 近代書院の範疇に属する座敷建築である。南と西の二方に一間幅の切目張りの広縁を廻し、その内側に三畳の上段と踏込みの板床をそなえた十五畳の大広間である。
また西広縁の北側には三畳の書院の間がある。
 十五畳間の天井は吹寄桟の折上格天井、上段は鏡板天井、書院の間は折上の鏡天井である。

大広間