演習室17(2) 見田宗介『宮澤賢治』(第1章)

Seminar17-2 Mumesuke Mita, Miyazawa Kenji, Chapter 1

01/08/14 第1稿

 

【目次】

 

第1章 自我という罪

 一、黒い男と黒い雲−自我はひとつの現象である

 二、目の赤い鷺−自我はひとつの関係である

 三、家の業−自我はひとつの矛盾である

 四、修羅−明晰な倫理

 

【内容】

 

第1章 自我という罪

 

 一、黒い男と黒い雲−自我はひとつの現象である

 

 宮澤賢治は現代哲学のテーゼである、「自我ということ」が実体のないひとつの現象である、ということを鋭く自覚していた。彼は主体の問題、それも「主体」という存在の危うさにたいして鋭敏であったのである。そのことを考えていく上で、<雨>と<黒い男>というシンボルの持つ意味を解明してみよう。

 <雨>には両義性があり、それは<自我>の両義性でもある。ここで両義性とは、風景に浸潤されやすく、解体されやすい自我が不安と同時に恍惚を感じるという意味である(恍惚については第3章で検討される)。

 いっぽう<黒い男>は、「実在するようなしないような視線」の象徴である。ここには視線の転回がある。すなわち賢治は、主体の視界の透明を脅かし、<私>を対象化する他者のまなざしを常に意識していたのである。こうして<雨>と<黒い男>は、透明な主体としての自我の究極の限界を示している。それらは死と他者として、自我を限界づけると同時に解体するものである(恍惚の側面を入れる場合、物と他者として、自我を支えると同時に解体する)。

 

 二、目の赤い鷺−自我はひとつの関係である

 

 「業の花びら」における<鷺>は賢治自身であると考えられるが、それはどのような意味においてなのか。それを検討することによって、賢治の自我が関係としての自我でもあることが明らかになる。

 賢治にとって世界は、眼に満ちた空間であり、<見られている自我>という感覚を彼は強く持っていた。また賢治は、さまざまなエピソードに見られるように、「生きられる間身体性」を強く持っていた。彼にとって他者は、<自己であるような他者>なのである。

 こうして賢治の自我は、「複合体としての自我」である。自我は自分一人によって構成されているのではない。あらゆる声やまなざしの複合体として、他者を自我の内部に住まわせることによって形成される自我なのであり、主体は常に複数制を持っているのである。そのことは賢治作品における自由な主体転換や<自己否定的脱出>といわれる激しい推敲過程にも現れている。彼は他者としての自分をどんどん取り込んでいく。そして、直接的な関係性を批判する客観性としての関係性の空間を自分の中に張り巡らせていくのである。

 

 三、家の業−自我はひとつの矛盾である

 

 かくして自我は、複合体としての自我として把握することが出来る。その構成要素が相乗している限りにおいては、自我は調和していることになるが、その構成要素の間に相剋が起こることが実際にはほとんどであり、その際には人は自己の中に矛盾を抱え込むのであり、複合体として自我を構成する度合いが深い賢治において、その矛盾はきわめて深刻であった。そして賢治は、「<外からの声>の内化を通しての自己超出」を繰り返すことでその危機を乗り越えていったのである。

 賢治が自我に矛盾を抱え込んだ契機のひとつは、自分が花巻一帯を代表する大金持ちの御曹司として生まれ育ったということであった。彼は自分を「社会的被告」と形容し、貧しい人々のまなざしを痛みとして甘受していたのである。こうして賢治の自我は、矛盾としての関係をその中に抱え込む。その主観を通して純化された客観性を自我の中に住まわせるのである。

 こうした相剋の様相は、賢治が生きた時代においては近代日本における資本主義の浸透と徹底化による搾取・収奪として現れており、また生命世界全般においては、食物連鎖というかたちで徹底して貫徹されている。さらに現代社会においては、北の富裕な生活が南の人々の間接的な殺戮によって成り立っているということによって依然として続いているのであるが、我々はそれを外部化しており、また感受する力を失っているのである。

 こうして赤い鷺の眼は、「賢治の<関係としての自我>を、矛盾として構成する眼であった。すなわち関係の矛盾にたいして身を閉ざし、矛盾を自己の内部には持たず、矛盾がただその外部からだけやってくる貧しい自我から、関係の矛盾を自我の内部につつみこみ、<外からの声>に向かってつぎつぎとその自我を開くダイナミズムを内蔵し、その中に巨大な苦悩の空間を張ることのできる自我へと、賢治を解き放つまなざしであった。」

 

 四、修羅−明晰な倫理

 

 賢治は自己に対する比類ない明晰さを持っていた。その明晰さは、自分を規定してしまっている物をあまりにも明確に意識してしまうが故に、自身を幾重にも織りなす屈折へとたたき込むことになった。

 賢治にとって最大の戦いは、家業とのたたかいであり、それは<恩愛の両義性>に対するたたかいであった。裕福な家に生まれ育った恩、父の命がけの看病で命をつないだ恩。しかし家業を継ぐことを否定し、性的な禁欲主義を貫こうとする自分。恩愛はその性質にかかわらず抑圧であると同時に恩愛である。抑圧に抵抗するならば忘恩の徒として恨まれることになるし、恩愛におぼれるならば諂曲の徒に成り下がるのである。

 こうした矛盾と苦悩を抱え込む存在として賢治は自らを「修羅」と形容した。それはいわば「認識としての修羅」である。賢治は修羅として出発することによって、偏在する自己欺瞞からの解放を、自己自身の存在にまで透徹された明晰さを獲得していったのであろう。では賢治はそこからどう<飛騰>したのだろうか。

 

【コメント】

 

 

 

 

(芝崎厚士)

 

 

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