演習室06 近代日本の政治と技術

Seminar05 Politics and technology in modern Japan

※10/16/2000 第1稿 03/01/11 復刻

 

【テクスト】

 

畑野勇「戦時体制期日本の『政治と技術』をめぐる問題−軍人総長平賀譲研究の意義−」『東京大学史紀要』第18号(2000年3月)、45−59ページ。

 

【目次】

 

イントロダクション

本編

はじめに

1 戦時体制における技術の研究意義

2 先行研究の問題関心とその限界

3 「戦時体制と科学技術」の日本的特徴−平賀譲研究の独自性と意義−

おわりに

コメント

 

【内容】

 

イントロダクション

 

 近代日本に関する歴史的な研究は、政治・経済・社会・文化の各分野にわたってこれまでに数多くの研究者たちによって切り開かれてきました。そんな中である意味で盲点となっていたのが、政治と技術という問題関心だったと言えるでしょう。

 

 論文を書くときに簡単なのは「AのB」、「AにおけるB」といったスタイルの探求で、これはある意味でAという固定された枠組みの中でBの問題を取り扱う故に、対象に迫っていくことが比較的容易だといわれています。技術の問題も、そうした形で扱っている研究はこれまでもあったように思います。

 

それよりもさらに難しいのは「AとB」だそうで、これは両方の属性に加えて、両方の関係、相互作用、相互変容をも対象としなければならないことになります。畑野氏が試みようとしているのはまさに、そういったタイプの研究であるのではないかと思われます。

 

というわけで今回は、「最前線」でもお話していただいた畑野氏の研究の一端をご紹介しようと思います。

 

本編

 

はじめに

 

 ここでは、近代における技術が持つ政治的・社会的影響については多くの人々が関心を持ち、議論をしているにもかかわらず、そうした検討が歴史的な学術研究による基礎付けを欠いている、ということがまず指摘されています。平賀譲を中心にした歴史研究を進めていくことで、そうした欠落を補おうということになりますが、そのためには先行研究における問題点を踏まえて、研究史のものの足場をきちんと組んでいくことが必要になるわけです。

 

というわけで本論文は、研究史の整理と今後の氏の研究の方向性を固めていくことが課題となっています。

 

T 戦時体制における技術の研究意義

 

 まず「1 技術をめぐるCivil-Military-Complexの現代的考察」において、現代において進行している(1)軍事技術と非軍事技術の境界の不明確化、(2)技術をめぐる職分の不明瞭化が指摘されています。そうした状況は、文民統制という概念を、単なる民間と軍隊という二項対立的な様相ではなく、統制の対象としてのCivil-Military-Complex(以下CMC)という存在を念頭におかざるを得ないという方向へと変質させていくわけです。そして、こうした現象は日本においても例外なく進行している、ということになるでしょう。

 

 次に「2 Civil-Military-Complexの原型としての『軍産学複合体』」では、そうしたCMCの近代日本における歴史的起源として、「戦時体制期における軍部と産業界、そして研究機関の、技術開発をめぐる三者間の結びつき」としての「軍産学複合体」の存在を指摘しています。こうした結びつきは第一次世界大戦以降の世界に共通して見られる傾向であり、日本も例外ではなかったということです。しかも日本の場合、そうした結びつきと職能区分の不明瞭制が、昭和戦前期から大正・明治期にまでさかのぼって存在すると氏は論じています。

 

 そうした結びつきを考察するに当たって、「海軍−造船業−大学」という軍産学複合体に焦点を当てていこうというのが、畑野氏の議論です。海軍の役割に注目するのは、第一に常に対外的な危機意識を払拭することが出来なかった近代日本にとって、海軍は日本の実力や国際社会における地位の象徴であったということ、第二に海軍は、そうした事情から西洋の軍事技術にとどまらず、制度や思考様式を伝達し、媒介していく組織としての存在意義をもっていたことがあげられています。

 

つまり単なる軍事力の強化ということだけではなく、国家の学術や技術レベルの底上げ・制度的な再生産のシステムの確立,産業構造自体の強化といったことが海軍のまわりで追求されていくことになるわけで、こうした事情から海軍は、造船業・大学との緊密な関係を必然的に生み出していくことになるわけです。

 

そしてこれら三者によって作られた軍産学複合体は、他国のCMCのサブシステムとして組み込まれることで、例えばイギリスとの友好関係維持にも大きな役割を果たしていたということです。いわば国際的な軍需産業ネットワークの中に,日本海軍・造船業が一定の位置を獲得していくことになるということになるでしょう。

 

大学の観点から見ると、大学に工学部が設置されたのは、世界でも日本が最初といってよいということからもわかるように、海軍の要請から軍事技術の人材育成が意図的かつ積極的に行われたという点も無視できません(欧米では大学は国家より先に存在していたため、大学にそうした学科を設置することは容易ではなかった)。

 

こうして、日本の場合は近代化の当初から、三者の密接な結合が見られ、戦時体制期にはこれらの結合が進化し、職能の不明瞭化がすすみ、CMCと呼べるものが登場したということになるそうです。こうした「CMCの一形態」=「軍人・産業人・学者が、技術への共通した関心から職能を超えて融合したもの」を「軍産学複合体」と呼ぶことにするそうです。

 

U 先行研究の問題関心とその限界

 

 ここでは先行研究を整理しています。「1 人文・社会科学系分野(政治史・経済史・社会史など)」では表題のとおりの分野について言及されています。すなわち実証主義的歴史学の研究においては、「総力戦」「総動員体制」が実証的研究抜きに観念先行的に結論されている傾向があり、結果的に技術それ自体の影響を正面から扱うことは行われてこなかったということ、そして歴史社会学的な研究においては、テクノクラート研究などで一定の成果を出してはいるものの、歴史のダイナミクスがなく、近代における国家体制が平面的かつブラックボックス的にしか分析できていないと氏は述べています。

 

次に「2 自然科学系分野(科学史・技術史・軍事史など)」においては、当時の実態を国家と現代科学・科学者の関係、とりわけ国家に対する科学技術の自律性と社会的責任といったような現代的な関心を遡及していくことによってとらえようとする傾向があり、結局のところ「軍事目的主眼の技術研究・開発」=「日本における科学技術研究のゆがみ」=「日本戦時体制の非合理的側面」、というような平板な把握に終わっているということになります。

 

さらに「3 その他(人物史・団体史)」では、既存の研究の問題点を指摘しつつ、畑野氏の研究対象である平賀譲について言及がなされています。平賀は東京帝国大学工科大学(工学部の前身)造船学科出身で、主に海軍艦政本部や海軍技術件空所で優れた軍艦を作り、海軍の技術開発全般の責任者となり、同時に母校の教授を兼任し、海軍予備役となって以降は三菱造船株式会社の技術顧問となっています。さらに東京帝国大学の工学部長、1938年には東京帝国大学の総長となって戦時体制への移行を指揮するという人生を歩んでおり、まさに軍産学複合体形成のキーパーソンとなったわけで、ここに平賀研究の意義がある、ということになるわけです。

 

最後に「4 日本の戦時体制と技術の海外における研究」として、サミュエルズの研究について言及があります。ここでは、「テクノナショナリズム」という概念で一気に切ってしまっているサミュエルズの仮説の起伏のなさを批判的に補っていくという意味でも、歴史的把握の重要性を述べています。

 

V 「戦時体制と科学技術」の日本的特徴−平賀譲研究の独自性と意義−

 

 まず「1 平賀と『軍産複合体』の二面性」では、研究の手がかりとして、「ナショナリズムと国際性との両面性」について指摘があります。軍人である平賀は強烈なナショナリズムと持つと同時に、世界共通の軍事技術の専門家として国際的な友好関係の維持にも尽力していたというわけです。

 

次に、「2 日本の戦時体制の特徴 −技術者の役割変化−」では、軍産学複合体の形成を社会の変化に伴う技術者の役割変化、ひいては「技術」という概念自体の変化という観点からも平賀の活動を説明できる、ということが指摘されています。

 

おわりに

 

 最後の部分では、戦時体制期に最も重要であったのは、国体イデオロギーの非合理性ではなく、資本主義発達のための「合理性の追求」であったということ、その追求を支えたのが「軍産学複合体」であったということが指摘されています。

 

 そして、そうした軍産学複合体を含めて、戦時体制期における政治と技術の関係を考察することが、日本の近代化のあり方をトータルに評価していくことが最終的な目標となるであろうということが述べられて,論文を終えています。

 

コメント

 

 まず第一に、こうした実証的な研究自体がこれまで存在しなかった以上、平賀を中心とした軍産学複合体の形成過程を明らかにすることだけで、学術的な価値は十二分にあると思います。近代日本政治外交史研究における最後の未踏の分野の一つを遂に征服しようとするという意味で、この研究は研究史上画期的な意義を持っているということが出来ます。これを露払いにした博士論文の完成を一日も早く望みたいところです。

 

 なお、戦時体制期における「合理性の追求」という観点については、HP上に載せてある杉田敦氏の論文にも出てきます。

 

 さて、そうした位置付けを前提とした上で、さらに考えてみたいことについていくつかあげておきましょう。

 

 (1)CMCと軍産学複合体の関係について

 

 これは、簡単に言えば定義の問題なのですが、「CMC」と「軍産学複合体」の関係の首尾が今ひとつはっきりしないように思います。たとえば冒頭部分では、「戦時体制期における軍部と産業界、そして研究機関の、技術開発をめぐる三者間の結びつき」としての「軍産学複合体」はCMCの「歴史的起源」、「原型」(46ページ下段)として位置付けられていますが、定義の部分では「CMCの一形態」=「軍人・産業人・学者が、技術への共通した関心から職能を超えて融合したもの」を「軍産学複合体」と呼んでいます(49ページ上段)。定義自体も微妙に揺れており、またCMCと軍産学複合体の概念上の関係も不分明ではないかな、と思います。

 

 こうなっている理由の一つは、肝心のCMCの定義を置いていないことにあるように思います。あえて言えば「軍人と文民との機能的融合の所産」(46ページ下段)になるのでしょうが、だとするとCMCと「軍民統合(Civil-Mititary-Integration)」との関係をも含めて明確にしておくことが必要であるように感じます。

 

 基礎的な問題として、CMCという言葉、そして軍産学複合体という言葉が当時の日本で使われていたかどうか(たぶん使われてはいないのでしょうけれど)ということも含めて処理しておいたほうがよいような気がします。分析概念(吉川弘之氏流に言えば属性概念)と実体概念の位相差がまずあり、さらにCMCという他者由来の概念と軍産学複合体というオリジナルな概念との関係(両者は分析概念という点では共通しているわけですが)があるということだと思うので、それぞれのレベルでの概念の射程をこれからどこまでつめることができるのか楽しみです。

 

 まあ、実証研究が進んでいけば概念も磨かれてくるとは思うので、そのあたり期待したいところです。

 

(2)「二面性」について

 

 これは最後のほうで出てくるので、以下に引用して検討してみましょう。

 

 平賀が「軍産学複合体」のキーパーソンとして、政治的に台頭・活躍しえた理由は、人間としてはナショナリスティックだが、扱う高度な軍事技術は各国共通、という二面性にあると思われる。その二面性は、日本の「軍産学複合体」が抱えたジレンマを体現しているのである。すなわち国際的依存度が高くなければ、「軍産学複合体」は事実として成り立たないが、しかしイデオロギー的にナショナリスティックな要素も無視できないという、日本が抱えたジレンマである。(55ページ上段−下段)

 

 まず、平賀が二面性を持っていたということはそれ自体首肯できるのですが、そのことと日本の「軍産学複合体」の二面性とが相似形である、ということについては、もう少し検討材料がほしいところです。

 

 たとえば、平賀の人間の内面を問題とする場合、近代的に読み替えた伝統の追求(家族国家観の話など)という側面と、普遍主義的な科学者という側面とがどのように折り合いがついているのか、というような点への考察へと発展していく可能性があります。それは古典的には「伝統対近代」的に二項対立的に捉えられるのでしょうが、実際にはそうした両面が矛盾なく同居するのがむしろ普通であろう、近代的な人間を前近代的な価値観から100%離脱した人間として観念することは実態を無視することだ、みたいな話にもつながるように思います。

 

 「軍産学複合体」の二面性は、確かに表面的には平賀と共通しているわけですが、逆に言えば、上述のような方向へと接続可能なような平賀の二面性だけで、軍産学複合体の二面性を言い尽くすことはできないように思うんです。このあたり、「軍産学複合体」の形成・展開・消滅の一般的なモデルを考えていくこととも関係してくるのかもしれません。

 

(3)研究の重心について

 

 まずはっきりさせておくべきこととして、「平賀譲がどういう役割を果たしたか」ということを明らかにすることと、「CMC、ないしは軍産学複合体とは何か」ということを明らかにすることとは、作業の方向は正反対であって、それを同時進行させていくことが要請されているのではないか、ということです。前者はいわば事実を検討し、解釈していくわけで、個別的な事実の解明なわけですが、後者はむしろ一般的に妥当する原則の発見、概念の発見ということになるわけです。

 

 そうすると、どちらが主でどちらが従なのかによって、研究の重心も変わりますし、アプローチの仕方も微妙に違っていくるように思うのですが、本論文を読んだかぎりでまだ二正面作戦をしているような(それも、平賀論が悪い意味でCMC論に引きずられているような)印象もあります。

 

 もちろん、仮説演繹法などを引き合いに出すまでもなく、両方がバランスよく提示できれば最終的にはいいんですが、歴史的研究である以上はやはりあくまで平賀論がメインであって、CMC論というのはインプリケーションの問題であるように思います。現実のほうに豊かな知見があるはずで、むしろそちらがCMCや「軍産学複合体」というような言い方でとりあえずおさえてある全体像の把握自体を変更してしまうような可能性すら持っているように考えます。

 

たとえば、平賀論をつきつめてみたら、これは軍産学複合体などというものでは全くなかった。軍産学複合体という捉え方自体、あるいはCMCという形での現象の把握自体、ある重要な論点を見落としてしまうものであって、もっと別のある枠組みが必要であった、みたいな議論ができると非常に面白いのでは、などとへそまがりの私は考えてしまいます(笑)。

 

(4)ふたたび「軍産学複合体」について

 

 とすると、やはり焦点になるのは、第一に平賀とその周辺で起きたことを「軍産学複合体」と呼ぶことの妥当性とその意味、そして第二には近代日本における状況を「軍産学複合体」と呼ぶことの妥当性とその意味、というあたりになりそうです。

 

 第一の問題は、平賀論を徹底的に詰めて、その知見から「軍産学複合体」の定義を洗練していけば手続き上は問題ないように思います。しかし、それをそう呼ぶことの意味については、その先の問題ということになるでしょう。

 

 第二の問題に関して、あえて破壊的なことを言えば、わざわざ「複合体」という言い方をしなくても、近代日本というのは官民の立場を超越して、ナショナルな価値を団子になって追求していたのであって、軍・産・学に分かれていたものが複合する、というような概念はむしろ戦後的な価値観に過ぎず、それを戦前やまた明治・大正期にまで投影していくことは、むしろ実態とはかけ離れているのではないか、といってみることもできそうです(つまりその場合、戦前の複合体と戦後の複合体の差異を明確化していく処理が必要だが、そうなると複合体という概念の分析上の有効性や厳密性は低下する可能性がある=わざわざそう呼んだ意味がその分失われる)。

 

本来分かれているはずものがつながっていくというのが複合体のダイナミズムで、それを書いていくのは叙述の面白さになるわけですが、実は本来分かれているはずのもの、と考えること自体が先入観に過ぎなかった、みたいな批判はありうると思うのです(それが結論になってもいいくらいかもしれません)。

 

にもかかわらずあえて近代日本を「軍産学複合体」ということで追ってみることの可能性がどこにあるのか、それはもちろんやってみなければわからないことではあるものの、やはり最終的にはそれに対する答えを出してほしいなと思います。

 

あと、ついでに言えば冒頭で述べられていた、「近代における技術が持つ政治的・社会的影響」ということについても、研究の結果どういうことが言えそうか、大胆に議論してほしいな、と思うのはきっと私だけではないと勝手に思っています(笑)。

 

もう一つは、技術と政治・社会ということだけでなく、技術と「文化」という問題についても示唆を得られると思うので(例えば平賀や複合体の二面性を文化という観点からどう評価するのか)、その辺ももう少し議論を聞いてみたいところです。

 

さてと、というわけでいろいろな可能性がこの研究にはあるように思った次第です。この分野にこういう仕事が出てきたことを素直に祝福したいですし、さらなる研究の発展を願っています。

 

走り書きなので意を尽くさないところがたくさんあるのですが、まずは取り急ぎ。

 

(芝崎 厚士)

 

 

 

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