コラム:噛み合わせと身心
  
  いま何かと噛み合せ症候群といって話題になっている噛み合せが原因といわれる全身症状や不定愁訴。
 果たして噛み合せ(咬合)が本当に全身に影響を及ぼすものだろうか?
 歪んだ咬合が引き起こす骨格と筋肉の歪み。確かに咬合の歪みが首の骨の湾曲に影響を与えることは実験でも明らかになっています。また犬の動物実験でも片側の歯を3ミリ削ったところ後ろ足が弱ったり、骨盤がねじれて後ろ足が内側に曲がり正しい姿勢で座れなくなった個体がいたり。中には体を斜めにして歩くようになったり、自律神経障害になったりする個体もあったようです。ほとんど全ての個体に影響があったそうだ。まあ突然歯を片側削ったら影響無いほうがおかしいとは思いますが。
 どんな障害や病気でも必要なことは人間の本来もっている自分の身心を最適な状態に維持する能力を呼び覚ますことであると考えます。私はその状態を「しなやかできめ細かいクオリティーを持った身心」と呼びます。ではそれを獲得するにはどうしたらいいでしょうか。当然、身心両面からのアプローチが必要でしょう。以下そのことについて述べたいと思います。         
                                                          
しなやかできめ細かい身心を持とう
噛み合せが悪いと病気になるって本当?
気にしすぎるは良くない。本末転倒な噛みあわせ神経症。
 咬合の歪みがある程度ざまざまな全身疾患に影響しているのは確かなようです。ただどの程度影響しているかは個人差があります。影響受けやすい人もいれば受けにくい人もいるしまったく受けない人もいるのです。ただ咬合の不具合を改善すると様々な病気の症状が軽減すると主張する歯科医もいるし、実際咬合を改善したらアトピーや腰痛が改善したという報告があるのは確かなようです。
 その分野はほとんど全てと言えるほどで、整形外科から皮膚科、婦人科、精神神経科領域など多岐にわたるという。もしいろいろ治療しても改善しなかったら咬合のことも考えたらいいでしょう。
 だだ噛み合せのことに神経過敏になりすぎるのは良くない。専門的にみても正常な噛み合せなのに自分は異常だと思い込み  噛み合せ症候群ならぬ噛み合せ神経症になってしまっている人もよく見受ける。噛み合せに過敏になりそこに注意が集中してしまうがゆえに自分で病気をつくり出してしまうのだ。そんな人はしかるべき専門家にカウンセリングを受けることをお勧めする。
   ひどい噛み合せでも健康そのものの人もいる。顎が極端に左右にずれていても、あるいは片側でしか噛んでいなかったりしても、まったく健康に支障のない人も現実には存在しま す。また背骨が左に湾曲して立ち姿が極端に左肩下がりの人を知っているが90歳まで元気溌剌で水泳やスキーなどのスポーツを 苦もなくこなしていたのをまのあたりにしました。そんな人の性格は楽天的であまり細かいことを気にしない人であることが多いようです。背骨が多少曲がっていたり歪んでいたりしても元気溌剌な人がいるということを考えると。
かみ合わせの歪みとか骨格の歪み以上に健康に大きな影響を与える何かがある気がします。
気にしない・こだわらない・心配しない・くよくよしない・力まないことが大切。
内向きの意識を外向きにシフトしよう。(自分の中心にいることが大切)
 精神的に内向的な人はウツ的身体症状や身心症を引き起こしやすいといわれています。例えば学校の遠足や旅行の前に必ずといっていいほどお腹がいたくなったり具合が悪くなったり。人前に出なくてはならない直前に下痢になったりドモリや震えがとまらなかったり。学生時代を振り返っても必ず1人や2人クラスに居た記憶があるでしょう。そういう人は意識が内向きで自分のことを考えるのが好きでいろんなバッドイメージが定着してしまっていると考えられます。
 
   そして内面のちょっとしたことをどんどん拡大して自分の不幸の原因を理由付ける身体症状や精神症状を作りだしてしまいます。Aが欲しいとかAに成りたいとかAがしたいのに出来ないということの言い訳としてBという障害があるからだめなんだと自分で逃げ道や壁を作ってしまうのです。勿論無意識のうちにですけどね。
 
   ではなぜわざわざそんな障害を自ら創り出してしまうのでしょうか。それは何かのきっかけで自分がなりたいAという状態に
自分はふさわしくないという
隠された信念が形成されてしまったからです。それはある罪悪感から自らを罰していたりとか、誰かへの復讐であったりとか、幼少期の家庭での心的外傷により自己や他者や物が破壊されたり傷つけられたりすることに安住・安心する心的フォーマットがなされていたりです。

 人間関係でも物でも自分の体でも、まるで積み木を崩すように
破綻させる傾向にある人っていますよね。そういう人は自分のもっているセルフイメージが割れた花瓶のように歪んでいたり崩れていたりするので自分の体や物をそのイメージと相似形にすることで潜在意識レベルで安心しているのです。要するに怪我や事故を繰り返したり、わざと人間関係を壊すような言動を
繰り返したりして自分の壊れたセルフイメージを確認しているのです。
 
   問題なのは自分のことばかりあれこれとかんがえたり、気にしたりすることです。例えば包丁で大根を切る時自分の手や包丁を見たり、自分の腕や肩の筋肉の動きをジーッと見たり考えたりする人はいないでしょう。必ず自分が切りたいと思っている大根の部分を見たりイメージしたりするものです。車を運転するときも同様で、運転する時にハンドルをジーッと見つめたり車の内装のことをああだこうだと考えたりブレーキやアクセルを見つめたり、進行方向の後ろを見続けたりはしないものです。
 
   
「生きる」ということは自分の進行方向をしっかり見て自分がどちらに進むべきか、今どちらにハンドルを切るべきかどのくらいアクセルを踏むべきか、いつブレーキを踏むべきかを考えそれを実行することです。いままでの道程の思い出にひたっていたり車の内側を見つめそこに気をとられていたら事故を起こしてしまいます。
 
 
意識を外に向けましょう。外に向けるためには自分の中心にいなくてはなりません、主体は自分自身です。自分のことをあれこれ考えるのは現実でもなんでもなく妄想です。そしてそれは癖になるとどんどん膨らんでバッドイメージを形成します。
 
 
同時に今に意識を向けましょう。そのためには地に足をしっかりつけることが必要です。過去は記憶の中にしか存在しないもので過ぎ去ったらどこにも存在せず、それをあれこれ考えるのは妄想でしかありません。過去を考えるのもやはりバッドイメージを形成します(それが良い思い出でも)。大切なのは今・ここ・に自分・がいて生きているということを精一杯楽しむことです。