<ブックデータ>
著者:中村明
出版元:中央公論社
ISBN:4-12-101199-6
価格:700円
初版:1994年
題名の『センスある日本語表現のために』というコトバから、
いわゆるハウツーモノを連想されるかもしれませんが、
これは、そういう本ではありません。日本語のセンスのよさの不可欠な「語感」についての話です。
それも、著者があとがきで、「漫筆 語感のはなし」と言っているように、
すっごくおもしろく読めます。ひとつ紹介すると、「時間」と「時刻」についてです。
この両者の違いは、と問われれば、
「時間」が時の幅を指し、「時刻」がある時の一点を指す、
と考えられているわけですが、そのことを具体的するために、
「時間割」が「時刻割」だったら、勉強しようと鉛筆を握っただけで、
「一時刻目」が終わってしまうじゃないか、
なんてことが書いてあります。また、「時間」と「時刻」が、そうはっきり区別されているわけでもないよ、
時の一点を指すのに「時間」って言ったりもする、という話では、
朝、母親が子供を起こすのに、「時刻ですよ!」なんて言わんだろう、と。語感というのは、分かっているつもりでも、
自転車の乗り方のように、体で覚える場合と似たところがありますから、
「ことば自体にしみついているある種の匂いのようなもの」
という著者の指摘通り、ことばの違いを超えたものがあるような気がします。文章を読んだときに、書き手の人となりや考え方が、
漠然と感じられることがよくあります。
そういうのを「にじみ出る」なんて言ったりしますが、
書き手が、同じような意味をもつことばなのに、
どうしてわざわざそのことばを選んだのか、
そういうときに、そのことばのもつ語感と
関係があるのかもしれません。余談になりますが、この本の中に、
とある人の創作したことばとして、
「生きのこす」ということばがありました。
本文では、生きるということに対する
積極性を表すためにつくったのだろうけれども、
いかにも作りましたという創作的な語感が出ている、
と書いてありました。
でも、そんなこととは関係なく、
なぜかこのことばが気に入ってしまいましてね。ことばが好きな人はもっとことばが好きになり、
あまりことばに拘るのが好きでない方も、
ことばのおもしろさが、垣間見えるのではないかな、
という一冊でした。