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小郡〜秋芳洞〜広島〜大阪


早朝のバスに乗って、秋芳洞に向かう。
バスで、40分ほど。片道1,200円程度だ。

到着しても、お店はまだやっていなかったが、
別に何を買うわけではなく、
洞窟を目指して奥へ進んでいく。

最近は、こういう旅先でのお土産に
物欲を刺激されることが少なくなった。
結局、家で置いておくだけに
なってしまうのが分かりつつも、
置物の類を買ってしまうことがあったが、
どうも最近、それがない。

ひょっとすると、土産物で連想するものしか
土産物として、売っていないからかもしれない。
土産物に、驚きがないのだ。

驚きのある土産物、それがあるだけで、
観光地として注目されると思うのだが…

閑話休題。
洞窟の前には、洞窟から流れてきた水が、
川となって流れてきている。
暑いのに、相当冷たい。
すこし奥に入ると、洞窟の入り口付近が
工事中のようだった。
なにを工事しているのかよく分からなかったが、
あまり自然を壊すようなものでないとよいのだが。

洞窟に、いよいよ入る。
入ったとたんに空気が変わる。
手元の携帯は、相変わらず夏ですと、
8月7日を示していたが、
この中だけは、夏という季節を知らないようだった。

少し進むと、秋芳洞冒険コースなるものがあった。



「小さな勇気で、大きな感動」
とあったが、怖いとか怖くないの勇気ではなく
この年になってやるのかい、あんたは!
という別の意味での勇気が試される。
結局、こういう勇気はからっきしで、
やらずに終わってしまった。

以前行ったときは、百枚皿くらいしか
覚えていなかったのだが、
結構、奥が深く7〜800m位はあるのではないだろうか。
また、洞窟というのは写真を撮るのが難しく、
デジカメが悪いのか、腕が悪いのか
(おそらく後者だろうが)
ほとんどまともな写真が撮れなかった。
照明の具合で非常に幻想的な画になる場所とか
いっぱいあったのだが、写真に撮れず非常に残念。

一番奥まで行くと出口になるが、
ここから出ると再入場に100円かかる。
なので、そのまま引き返し、入り口から出ることにした。

あまりに涼しいので、出たくなかったのだが、
そうも言ってられずに、やむなく出ることに。
そうすると、入るときには気づかなかったことが、
「秋芳洞」という碑があるのだが、
その隣にもっと古い碑が…
そこには、「秋芳村瀧穴」。



そんな身もふたもない言い方をするなんて…。
昔は、そんな洞窟の名前になんて
こだわりがなかったのだろうか。

さて、バスで小郡に戻った後は、
近くの中華料理屋でカレーラーメンを頂く。
別にここだけのものではないのだが、
珍しかったので、頼んでみた。
意外と違和感なかったが、
カレーうどんと大差ないような気もした。

この後は、もう帰るだけである。
この時点で12時。ほぼ12時間かけて大阪に戻る。
パソコンでスケジュールを調べてみると、
岡山で2時間ほど時間が取れそうなのだが、
どこに行こうかと考えていた。

ふとして目覚めると(また寝てたんか!)
岩国を過ぎたところだった。
どうせ、降りるなら広島がいいな、
ということで急きょ広島で降りることに。

もちろん、このままでは大阪に当日中に帰れないので、
岡山まで新幹線に乗り、乗るはずだった電車に
追いつくことにした。
広島滞在は、3時間。その間に、広島城・原爆ドーム・
紙屋町の量販店(名古屋に続き、またか!)を見る。

広島は、大都市の中でも路面電車が
発達している都市で有名。
というわけで、市内の移動は、
路面電車ですべて移動した。

しかし、はじめはどのように切符を買って
どのように乗ればいいのか、ちょっと分かりにくい。
たまたま地下から出たところが、
電車に乗るのではなく、路面電車の乗り場を越えて、
通り過ぎるための通路だったらしく、
よく分からない札を渡され、向こう側に行ってください、
と言われる。

何のことか分からず、「向こう側」に言って、
事情を説明すると、駅員にすごいまくし立てられた。
「○※〒×△〜!」
という感じで、何を言ってるのかサッパリ。
「お客に何ゆうとんじゃ、しばいたろか」と
噛み付いてもよかったのだが、
なにせ時間がないので、相手にしていられず、
はぁとか力なく応えて、違う駅員に聞いたのだが。

紙屋町西駅で降りて、量販店を見た後、
広島城に向かった。
かの大大名、毛利輝元の築城した城なので、
さぞかし大きいのかと思っていたら、
あまりの小ささにビックリ。



また、あまりにも城壁や城門が
復元されていなくてビックリ。
最も外側にある城門とほんの一部の城壁、櫓、
それに天守閣のみが復元されていた。
しかもその天守閣も、福知山城と変わらないくらいの
小さなものだった。

毛利氏とはいえ、所詮は一大名なのか
という感じだった。
徳川の息がかかっていない城でも、
熊本城・弘前城・松本城などよい城があるのだが…

猛スピードで、城内の展示を見た後、
こんどは早歩きで原爆ドームへ。
ほんとに壊れたままになっていて、
残骸もそのままだ。
裏から見ると、中に螺旋階段があったこともわかる。



時間がなくて、原爆ドームしか行けなかったが、
言ってみれば、建物が壊れた後があるだけのスペースだ。
しかし、戦争を知らない世代の人間にとっては、
これだけでもかなりのリアリティをもって、迫ってくる。

もうひとつ驚くことは、150mほど離れた場所に、
爆心地を示す碑がある。



こんなに近くにあった建物なのに、
完全に跡形もなくなってしまうのではなくて、
原爆ドームのような形で残るのだ、
ということは、逆に印象深かった。

この後、広島駅に戻り新幹線で岡山へ。
岡山からは、姫路行きの普通電車と
姫路発米原行きの新快速に乗って、大阪へ。
広島を出たのが、午後7時30分くらいで
大阪に着いた頃には、11時を回っていた。
金を節約しようとすると、時間がかかるな。

今回の旅では、あまり深く考えずに
あっちこっち行ってみた。
やはりこういう旅は、非常に気分転換になる。
今の状況は、何も旅に出たからといって
直接的に好転するわけではない。

ただ、つまらない世の中なんてなく、
つまらなくしているのは、自分の心なのであって、
つまらない世の中を面白く見るには、
気分転換が必要なのだと改めて思った。

2003年、この年は最悪だったと年末に言うことがないよう、
残り4ヶ月で好転させるようにしていこうと思う。

2003-08-31


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