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FF9とインターネット


ファイナルファンタジー9についてです。
はぁ?関係ないやんと思う人もまぁ、そんな堅いこと言わずに。
でも、パソコンやインターネットと関係あるんですよ。
やってない、とかFF嫌いな人、ごめんなさい。

もう1ヵ月半になりますね、発売されて。
今回は、雑誌に攻略を載せないよう坂口さんが働きかけたそうです。
その真意とは何かについて、
とずいぶん前の雑誌にインタビューがのっていました。

いわく、昔はわかんなくかったら、友達に聞いたりしたでしょ。
攻略本を見ながらじゃなくて、いちど何もなしに冒険してほしい。
分からなくなったら、プレイヤー同士がコミュニケーションをとってほしい。
今はインターネットなんて便利がものがあるじゃないか。
やりのこすことに不安を感じるかもしれないけど
攻略本で分岐点について正解と不正解が見えてしまう。
そうじゃなくて、そこで考えてほしい。

…ちょっと、安心しましたね、坂口さんがこう考えてくださっているなんて。
特に、FF7のときぐらいから大規模になっちゃって
なんかすごいお金儲けのことばかりが目についていました。
ひとりのFFファンとして、スクウェア大丈夫かぁ?
と思っていただけに、やはり捨てたもんじゃないなと思いましたよ。

坂口さんは、どうやらプレイ中に悩んで進めること、
分からなかったら友達に聞いてほしいこと、
ゲームをきっかけにコミュニケーションの輪を広げてほしいこと、
こんなことをユーザにお願いしたかったようです。
もしや、スクウェアの考えるネットゲームって、
こんな考え方が背景にあるのかもしれない。
それだったら、ネットゲームに期待できるかもしれません。
(ただし私の場合は行き詰まらなかったので、
クリアしてからのお楽しみの部分でネットを使いましたが)

個人的に満足したストーリーにも、
実はこの考え方が、関係しているように思います。
もし、まだプレイしているひとがいらっしゃったら
申し訳ないので、あまり内容に深く触れることはできませんが、
登場人物たちは、何かにとらわれているわけです。
特定の地位や信条にとらわれていて、
「自分」としてどうかという視点がなかったことに、
お互いから感じ取っていきます。

そしてやがて、自分で決めるということに
「自分」そのものを見出していきます。
たとえ、自分の存在理由が与えられたものであっても、
自分が自律的な存在として、決められるということ。
そして自分で決めたという証しを
次世代に伝えていくということ。
それが大事だと。

さて、前置きがかなり長くなりましたが、
やっとインターネットが関係してきます。
インターネットが、地縁でもなく、血縁でもなく、
社縁でも学校縁でなく、興味縁とでも言えばいいようなつながりを
もたせてくれるツールです。

そのことを考えると、
そういう便利なものがあるんだったら、
「自分」で進めていって、自分で楽しみを見つけて
わからなかったら、ともだちと話して解決してほしいということは、
ゲーム自体のテーマと重なって、
インターネットの時代をよく反映しているのではにかと思うのです。

興味という言葉で人をつなげるインターネットによって、
いろんな人の本音に接して自分を見つめて
みんなの力で「自分」の力をつくっていく…
そんな世の中になりそうで、
この暗いニュースが多いなか、
将来が楽しみになってきます。

確か、FF7のサントラの解説のなかで、
音楽担当の植松さんが、こんなようなことを言ってらっしゃいました。

スタッフの皆さんがあまりにやる気マンマンで取り組んでしまうから、
アイデアを詰め込みすぎて、なにがなにやら分からなくなって、
結局焦点のぼやけた作品になってしまう。

でも、植物のように伸びるだけ伸ばしておいて、
後からきれいに刈り取ってやればいいのではないか?

もうそろそろFFもそんな時期なので、
近い将来傑作と呼べるものを
皆さんにお届けできると思っている…

どうでしょう、私にとっては
この「傑作」こそがFF9ではないかと思うんですけどね。
今までFF6が一番のお気に入りだったけど、
6は首位の座をついに明け渡したなぁ、なんて思っている今日この頃です。

2000-8-1


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