「双星深海 後編」
著者:コブンのおばけさん
前編

黒い檻(おり) @

 崩壊というゴールまで近づいていく足音のように、 静かで、重々しい振動が空気をふるわせて伝わってくる。 「悩んでいる時間は無いわね。一気に突破するわ」  そうつぶやくと、グレープは扉へ向かって歩いてゆく。 「…分かった。気を付けろよ。扉の先には右への曲がり角が2つある通路があって、 その先に部屋が広がってるんだ」  扉の前に立ち、グレープは深く息を吸う。  扉が開いた瞬間、彼女は疾風のように中へと飛び込んだ! 不気味なほどに静まりかえった通路を駆け抜けていく!  と、不意に上下左右の至る所から黒い雲のような物体がしみ出してくる! 「モーラス! 黒い雲のような物が出始めたわ!」  それを跳び越し、くぐり抜けながら走るグレープに、 突如として黒い雲が巨大な手となってつかみかかって来た!  瞬間、光の剣が風を切り、手を付け根から一直線に斬り払う! 「黒い雲だって?」 「ええ、金属ではないわ。斬った感触がゼリーのような…」  言いつつグレープが角を曲がると同時に倒れ込む! 頭上を黒い波がさらっていったのだ。  素早く起きあがり、 すでに黒い物体にほとんどを覆(おお)われた通路を走り抜ける! 「そんなリーバード、聞いた事がないぞ! ひょっとしたら、新種かも…!」  手や剣となって襲い来る物体を避け、斬り落としながら、 グレープは第2の角を曲がる! 「斬り離しても、また元に戻ってしまうわ! どうすれば…」  焦る彼女の肩を黒い何かがかすっていった! 「とにかく、早く部屋を抜けるんだ!」  ついに部屋の入口までさしかかったグレープが、 急ブレーキをかけたように立ち止まる。  部屋の天井と床に黒い物体がスキ間なく敷き詰められ、 その中心にギルドの飛行機ほどもある大きさの黒い柱が立っていたのだ。

黒い檻 A

「どうした? グレープ」  無線の声に反応するかのように、柱の中で何かが、ゼリーを押し分けて 動いているような音が聞こえ、その中心に巨大なリーバードの瞳が現れた。 (目…! 攻撃が効くとしたら、あそこね…)  黒い何かが背後から迫ってくる気配を感じて、 グレープはきゅっと歯をかみしめると、 ブレードアームを全開にして足元へ突き立てる!  一瞬の沈黙のあと、床の黒い物体を切り裂きながら グレープが走り出した! 津波のように左右から襲いかかってくる黒い何かをくぐり抜け、 ほとんど顔に柱が突き当たりそうになった時に跳躍と共に斬り上げる!  巨大な目のほんの数センチ前までを剣が深くえぐっていった! (しまった!)  目まで斬りつけるだけの勢いをつけることができなかったのだ。  次の瞬間、グレープは全身で黒い柱の中に飛び込んでしまった!  ブレードアームがおびえたようにふるえ始める。 徐々に、エネルギーを奪われているようだ。  体中の熱が奪われていくのを感じながら、 彼女は水に落ちた木の実のように沈んでいく。 かすみそうになる目を必死にこらして上を見上げると、 雨雲の中のような視界の奥で、 あの巨大な目がぴたりと止まったまま浮いているのが見えた。  骨の芯まで凍るような寒さに震える体を無理矢理に動かして、 グレープは床に降り立つと、 ブレードアームを再び全開にして、腰を深く沈め、巨大な目を見すえた。  その顔が、なんとも言えない苦しさにおおわれている。 (コーヒー味かな、と思っていたのに、すっぱい鉄のような味がする…)  グレープが体の動きを止めたあとも、彼女の動きが流れとなって 黒い柱の中で蠢いている。  と、彼女の足が力強く床を蹴る! 大砲のような鋭さで、巨大な目に剣が突き刺さった!  柱全体が波立ち、目が激しく振動する! すかさずグレープは左手で巨大な目を抱えこんで、 剣を押し上げる!  剣が刺さった所からトゲのような光があふれ出し、 巨大な目が、狂ったようにもがき始めた!  グレープの、ぱっちりしていた目がうつろになり、肩から力が抜け始めた時、 ついに巨大な目の動きが止まり、その奥の光が消えた! 同時に黒い物体が一気に蒸発し、グレープは床に叩きつけられる。 「グレープ! おい! どうしたんだグレープ!」  敵の内部にいた時には聞こえなかったモーラスの声が、 届かなかったうっぷんを晴らすように部屋に響き渡る。  返事をする体力すら残っていないグレープは、 しばらく、黒い髪を床に振り乱しながら、目を閉じて寝転がっていた。

痕跡(こんせき) @

「グレープ。きっと、あと少しだ。頑張れ」  さきほどの部屋から続く、長い下り坂の通路にモーラスの声が響いた。 かれこれ20分は歩いているだろう。 踏みしめる床のザラザラとした感触が、 グレープの重くなった足を通じて伝わってくる。  不意に、古い空気を震わせて振動が起こった。 (ここまで深い場所にまで振動が伝わるという事は…。 次の崩壊は、確実に遺跡全体へ広がるわね…)  疲れのたまった体と、考えている事の深刻さとは裏腹に、 彼女の意識は聖水のように静かに透き通っていた。  この先に、大切な何かが待っている。 そんな、何の根拠もない確信が、彼女の心に太陽のように射しこんでいるのだ。  生まれつき、そういう性格なのかもしれない。 あるいは、この遺跡の空気がそう感じさせるのか。  と、色あせた天井、床、壁に、妙な模様が浮かび上がってきた。 壁紙の貼り違いかしら、とグレープが近寄ると、 笹の葉が撒き(まき)散らされたかのように、壁が切り刻まれているのが分かった。 「モーラス。壁にたくさんの傷跡があるわ」  その1つを指でなぞりながら、グレープはつぶやいた。 「傷跡? さっき崩壊した時のひび割れじゃないのか?」 「いえ、違うわ。これは剣で切りつけた跡よ。…それも、ものすごく強力な剣で」  しかも、大・小と、大きさの違う剣2本以上で。 グレープはそう確信する。  少し先の壁に、大の男がすっぽり入ってしまうような大きな傷跡があった。 まるで、この坂になっている天井から剣が飛び出したかのような急角度である。  ブレードアームを使って戦っているグレープは、それが何を意味するのかが分かる。 振り向きざまに、ほぼ頭の上から剣を切り下げたのだ。  しかし、そうだとすると、信じられない威力である。 グレープのブレードアームでは、同じように切っても、傷跡は彼女の腕一本ほどの 大きさが精一杯だろう。  その凄まじい破壊力を思って、グレープは思わず体をぶるっと震わせた。

痕跡 A

「で、でも、何でいきなりそんな傷跡が…?」  不規則に続く模様を眺めながら、グレープは歩き出す。 瞬間、ぞくりと不思議なイメージが頭の中に浮かんできた。 「…追いつかれたのよ。この傷跡が始まる場所で」 「追いつかれた? …誰に?」  歩きながら、グレープは目を閉じる。 見上げた、この坂の通路の後ろから、何者かが猛獣のように駆けてきて、 大剣を持った者に襲いかかったのだ。 「…分からない」 「第一、何でそんな事が君に…」 「待って! 何かが思い出せそうなの!」  頭に、霧のようにまとわりつく謎をつかもうとするかのように、 グレープは額(ひたい)に手を当て、歩き続ける。  そう、追撃者は両手に腕と同じくらいの長さの剣を持っていた。 右、左と連続で突いて来たのをはずし、 大きく横に切り返したのが始まりだった。 狭い場所でも自由に動ける小剣に苦戦し、 押されていくうちに広い部屋に出たのだ。 その先は…。その先は…。 「ダメ…。思い出せない…!」  と、グレープが髪をにぎる手を強くにぎりしめた、その時! 「グレープ! 巨大なディフレクター反応だ! やった! 助かったぞ!」  希望に満ち溢れた(みちあふれた)モーラスの声が無線から飛び出した。

水界 @

 長かった通路の扉を開けると、久々の大きな空間が広がった。 「この先、そうだな…。1、2kmのところに反応があるな。 その部屋は、どうなってるんだ?」  そうね…、とつぶやいて、グレープは、 部屋の中には端から端まで横一直線に並んでいる柵があり、 その真ん中に、パネルの付いた、足元の板しかないエレベーターがある。 その先は深い段差になっているみたいだから、下降用らしい、 と説明しつつ歩き出した。 「エレベーター? う〜ん、ディフレクターはグレープと同じ深度にあるって、 モニターには映ってるんだけどなぁ…」  とモーラスが言っているうちに、グレープはエレベーターの上に立ち、 下をのぞいた。 グレープの身長の2倍ほど下に、水晶のように透き通った水が 波紋(はもん)ひとつ起こさずに満ちている。 「え、水があるって? 何でエレベーターがあるのに水がたまってるんだ? …底は見えるかい?」  目をこらして見つめてみても、水は奥に行くほど青色が濃くなり、 その先の眺めを隠している。 「見えないわ。…とにかく、降りてみましょう」 「そうだな。水には何もしかけは無いみたいだが…。気を付けろよ」  グレープは、ふと思いついて、水に小さなゴミを放り投げた。 水面に、見えないバリアでも張ってあるのではないのかと疑ったのだ。  かすかな音を立てて、ゴミは沈んでいく。  用心のしすぎかしら、と少し苦笑して、 グレープはエレベーターを下降させた。

水界 A

 ちょうど足元にまで水面が迫ってきた時、 グレープは鼻をつく匂いに気付いた。 「モーラス。この水は海水よ」 「海水だって? じゃあ、どこかから流れ込んでるのかもな」 「調べてみるわ。もしかしたら、水の入口から脱出ができるかもしれないわね」  そう言うと、グレープは、 装備からブレスユニット―水の中でも息ができるパーツ―を取り出すと、 歯ではさみ、静かに水の中へと入っていった。  心地よい、冷たい感覚が、疲れを溶かすようにして体をつつむ。  向こう側の壁まで見えるほど透明な水の中を、 エレベーターはゆっくりと降りてゆく。  グレープの長髪が、肩まで浮かび上がってくる。 (今の所は、異常無し、ね…)  1分、2分…。そんな細かい時間を気にしないかのように、 エレベーターは、近付くと透明になる青色の中へ沈んでいく。  ふと、グレープはブレードアームのエネルギー残量を調べた。 (この量…。あと1回、戦闘をすれば無くなってしまうわね…)  その時、不意に彼女の視界の端に岩が浮かんできた。 はっ、と顔を上げると、右側の壁を頂点にして、 山のように岩が下まで積み重なっている。  グレープはエレベーターから離れ、 髪をなびかせながら岩に泳いで近付いていった。  かすかに水が流れ込んでいる場所を見つけたが、 両手でも半分も抱えられないほどの巨大な岩が、 そこを完全にふさいでしまっていた。 (ディフレクターのエネルギーを使えば、何とか壊す事ができるかしら…)  そう思いつつ、彼女は岩の山肌にそって泳いで降りてゆく。

水界 B

 しばらく、たちこめる青に顔をくぐらせるようにして泳いでいくと、 ほぼ半分を岩の山に覆われた床が見えてきた。 (誰かが壁を壊して、海水が流れ込んで来たのね…)  恐らく、あの傷だらけの通路で戦っていた大剣の使い手の 仕業(しわざ)だろう。 グレープはそう想像しながら、 目の前に広がる、部屋と同じ幅の通路を泳いでいく。 (でも、私達、人間の武器では、 これほどの深海の水圧に耐えられる遺跡の壁を破る威力は出すことはできないわ)  職業が職業だけに、グレープは現代の兵器について、深い知識を持っている。 (やはり、この遺跡で戦った2人は、古代人のようね…)  海水が流れ込んだ後の、岩に埋もれた穴を左右の壁に見つけながら、 彼女は先へ進む。 (古代人、か…。本当にそうだったとしたら、なぜ私は、 その2人が戦ったことを知っていたのかしら…)  漠然(ばくぜん)と心に浮かんでいた疑問が、言葉になって表れてきた。 しかし、それは、はるか数千年前に起こった出来事。 答えを知る手がかりは、全て時間にさらわれてしまっているだろう。  しかし、最後まで答えが分からないまま、 この命が終わってしまっても、かまわない。  そんな気持ちが、どこかにある。  過去に、彼女がどんな存在だったのか分からなくても、 今、現在、彼女を認めてくれる仲間たちが周りにいるからだろうか。  そう、グレープが、自分の心の中を探っていると、 いつの間にかに、前方を覆いかくす青色の中に、 ほの白くエレベーターが浮かび上がってきた。

静寂(せいじゃく)

 エレベーターを上昇させると、数分後に、水中に開いた通路の前で止まった。 壁が破壊されてできたものではなく、ちゃんとした工事で作られたものだ。 (なぜ、こんな、壁の真ん中の位置に作ったのかしら…?)  坂になっているその中を泳いで進むと、 頭上に水面が見えてきた。 バシャバシャと水音を立てながら、グレープは水中からぬけ出て、 よどんだ空気の中で深いため息をつく。 「こんなに長く泳いだのは、久し振りね…」  すっかり水を吸った髪をしぼると、大きな水滴(すいてき)が、 体からしたたる小さな水滴と混じって落ちてゆき、雨のような音を出した。 「モーラス。水から上がったわ」  暗い通路を見渡しながら、グレープは水中での事を説明する。 「ふむ…。その段差は、敵を少ない数ずつしか 進ませないようにするための工夫だな」  グレープの説明を、黙って聞いた後、モーラスが声を出した。 「とすると、この先には、ディフレクターの他にも、 何か重要なものが眠っているのかも…」 「そう…。ディフレクターまでは、あとどれくらいの距離があるの?」 「もう100mほどしかないよ。次の次あたりの部屋だろう。 あと、ひと息だ」  グレープは、まだ生乾き(なまがわき)の体で歩き出す。  不意に、強い震動が伝わってきた。 足がバランスを崩しそうなほどの揺れである。 (もう、崩壊まで秒読み段階ね…)  グレープは、そう直感した。

残生(ざんせい) @

 ほとんど歩かないうちに突き当たった扉を開いて、 グレープは、ディフレクター反応のすぐそばの部屋に入った。 途端にブレードアームを発動させる!  身長がグレープの2倍もあろうかという巨大なシャルクルスが、 部屋の中心に人形のように座り込んでいたのだ。  しばらく剣を構えていたグレープだったが、 敵がピクリとも動かないのを確認して、ふっ、と剣をオフにした。 「モーラス。大型のシャルクルスが1体、座ったまま止まっているわ」 「大型シャルクルス? エネルギー反応は、何もないけど…」  少し近寄って、グレープはシャルクルスを観察する。 両肩と頭に、今までには見た事がない鋭い角がついている。 しかし、それ以上に目をひいたのは、 右肩から左の腰にかけて斬り下げられた後だった。 「誰かと戦って、倒された後なのかしら…?」  グレープが言い終らないうちに、 突然シャルクルスの腕がドリルのように突き出されてきた! とっさにブレードアームで防いだが、 衝撃で壁に叩きつけられる! 同時に、向こうに小さく見える扉が電磁波に覆われた! 「モーラス! 動き出したわ!」  体に鈍い痛みを残しながら、彼女は敵へ向かって駆け出した! と、ある事に気付く。 シャルクルスの体が透けて、向こう側が見えているのだ。 「動いた? エネルギー反応は無いままだぞ?」  振り下ろされてくる敵の腕を剣の腹で受け流し、 そのまま胴に斬りつける! 鉄を鉄ではじいたような感触を残して、シャルクルスは上を向いて倒れ込んだ! 「反応が、無いの?」  すぐさま跳ね起きたシャルクルスの突きを叩いて踏み込み、 斬り上げに連続して激しく突く! 起き上がろうとした頭を横に斬り払い、 床から持ち上がって来るような敵のラリアットに交差するように 身をひるがえして斬り上げる!  相討ちとなってお互いに反対方向へ吹っ飛んだ! 「そうだ! 反応が無いんだ!」 「で、でも、実際に、あいつは今、動いているのよ?」  肩の痛みで、グレープはうめくような声に変わっている。

残生 A

 息つくヒマもなく、シャルクルスが餓えたライオンのように迫ってくる! (逃がしてくれる、なんていう気は、さらさら無いみたいね…!)  パッ、と立ち上がり、相手の突きをはね上げ、 すれ違うようにして斬りぬけ、よろけた敵の背中を 思い切り斬り下げて地面に叩きつける! 「どんな風に切りつけても、斬った、という手ごたえが無いの! まるで鉄で鉄に攻撃しているみたいだわ…!」  言っているうちにも敵の地面からのアッパーをかわし、 その腕を斬り倒し、勢いをつけたまま回転して体に斬りつける!  ものともせず敵は倒された腕を再び振り上げる!  ほとんどしゃがむようにして避け、立ち上がる勢いを使って 相手を地面からすくうように斬り上げた!  ガン! と、まるで受け流されたかのような感触が走る。 「手ごたえが無い…?」 「それと、敵の体が半透明に透けているわ!」  瞬間、相手の突きを避けきれずに、危なく剣で受けて 跳ね飛ばされる!  すぐさま顔を上げると、シャルクルスが跳躍して頭上に飛びかかって来ていた!  起きると同時に円をえがくように剣を振り上げ、敵を鋭い突きごと斬り飛ばす! 敵が地面に着く前に斬り上げ、再び空中に浮いた敵を 渾身(こんしん)の力で斬りつける!  相手は、5・6回もんどりうって、はるか向こうに倒れた。 「これだけ攻撃しても、少しもこたえていないなんて…!」  軽々(かるがる)と立ちあがったシャルクルスを見て、 荒い息をつきながらグレープがつぶやいた。  既に、ブレードアームのエネルギーが尽きかけている。

残生 B

「攻撃が効かなくて、体が半透明…。 ひょっとすると…」  相手の鋭い突きを抱えるようにして持ち上げて足払いで転ばせ、 斬撃を頭上から相手の腹へと叩き込む! 「心当たりがあるの?」  起き上がりの突きをとび下がってかわし、 着地と同時に突進して胸に貫くような突きを呉れる(くれる)! 「このスタールー島の周りの遺跡では、 物質の存在する空間をずらす研究をしていたみたいなんだ」  グレープが避けた突きが壁に激突し、金属音が耳に突き刺さる! 「存在する空間を、ずらす?」  スキを見せた相手を左右に連続で斬り払い、 最後に脳天から叩きつけるように斬り下げる! 「今、君が戦っているのはヌケガラで、中身は他の次元にあるんだ! だから、いくら攻撃してもダメージを与えられない!」  突きを転がって避け、剣をはね上げて両足を払う! 「じゃあ、その違う次元に攻撃をすればいいのね?」 「ああ。でも、どうすれば…?」  現実に、敵に1撃、斬り下げた跡があるのだ。 そのダメージで1度は機能を停止したものが、 何かの拍子(ひょうし)―恐らくグレープの生体反応―で復活したのだろう。 (誰だかは知らないけれど、意地悪な人ね。 完全に倒してもらいたかったわ…)  敵の突きを踏み台にして跳躍し、 宙返りのような回転をつけて斬りつける!  何か、手があるはず。 相手を地面に叩きつけたわずかな時間の間に、 グレープは必死で考える。 (空間が、ずれている?)  片足を軸(じく)にして背後に回りこんで斬り倒した瞬間、 彼女の目に、さきほど入ってきた扉が映った。 (空間…!)  はっ、と彼女は気付いて、相手の突きの反対側に跳び込んで 思いきり斬り飛ばし、扉へと走る!  狂ったような金属の足音と、空気を切り裂く突きが、 獲物を追うサメのように近付いてくるのを感じる!  グレープは振り向きざまに斬り下げ、 剣と突きが交差する衝撃で背中から扉に激突した!  ゆらめく視界を、きっ、と持ちこたえさせて、 左手を壁につける。  効果があるという保証はない。 しかし、考えつくのはこの方法しかなかったのだ。  グレープは、口をきゅっ、と結んでシャルクルスを見つめる。  つうっ、と汗が流れた。

残生 C

 グレープの汗が、地面に落ちるのと同時に、 シャルクルスが猛獣のように駆け出してくる!  突きが目と鼻の先に来た瞬間、 扉を開いて彼女は中に転がり込んだ!  坂にいきなり飛び出したシャルクルスはバランスを崩す! そのスキをグレープは全力で斬り上げ、 浮かび上がった敵に突進して雨のような連続突きを繰り出した!  あまりの突きのスピードに周りの空気が炎となり始め、 吹雪のように流れてシャルクルスを押し飛ばしていく!  と、シャルクルスが水面に派手な水しぶきを上げて突っ込んだ! 瞬間、稲妻のような光がまわりに満ちて、その体が太陽のように輝く!  グレープは、突きから引いた腕を後ろに伸ばしきって、 大きく振りかぶり、体中の力をこめて斬り下げる! その斬撃は水面上のシャルクルスの体に刻み込まれ、 深くえぐりながら、水面下の腹にまで斬り進む!  しかし、突然、剣の光がホタルのように淡く(あわく)なり、 消滅してしまった! (エネルギーが、切れてしまった…?)  大きく目を見開くグレープに向かって、 シャルクルスが腕を振り払う!  グレープが水面に倒れ込んで避けると、 最後の力を出し切ったシャルクルスは、 小さな水しぶきをあげて、腕を水の中へと叩きつけた。  活動を停止した瞳で天井を見つめながら、 水の底へと、ゆっくりと、坂をなめるように沈んでいく。  その姿は、はるか昔に海底に眠った仲間たちを追っていくようにも見えた。 (危ない所だったわね…)  口に海水の味を感じながら、 グレープは疲れきった体で浮かび上がり、 半身を水の張っていない床に寝転がして、 荒い息をつきながら目を閉じた。 (古代人さん、感謝するわ…)  はるか昔の戦いで流れ込んだ海水が、 空気とずれるように設定されていたシャルクルスのプログラムに、 異常を起こさせたのだ。  古代人の戦いが、はるかな時間を超えて、この戦いの決め手を作ったのである。

解明

 まるで、先ほどのシャルクルスの怨念(おんねん)が のしかかっているかのように重い体を、足で持ち運ぶようにして、 グレープは封じられていた扉を開ける。  深海のように、ひときわ暗い空気の中に、その体が入りこむ。  しだいに目が慣れてくるにつれて、 グレープは部屋がスタジアムのような形をしている事に気付いた。  火山の火口のような広さの中心へ、まっすぐ伸びた階段の先には、 巨人の首のような柱が立っている。 「この部屋が、遺跡の中心部のようね。 見た事も無いくらい大きな柱があるわ」  無線にそう話しかけると、彼女は足を杖のように動かしながら、 影のように黒い階段をくだってゆく。 「たぶん、ディフレクターはその柱の中だ。 もう少しだぞ、グレープ」  と、グレープは、ある事に気付く。  この階段の両側にそびえている、クマが並んだような丸い影。 それは、人が数人は入れそうな巨大なカプセルの影だったのだ。  部屋を見渡すと、満員の観客のように、そのカプセルたちはぐるりと スタジアム全体を埋めつくしている。 「モーラス。この部屋は、何かの倉庫だったようだわ。 カプセルが、林のように並んでいるの」  カプセルだって、というモーラスのつぶやきを聞きながら、 グレープは目の前のカプセルに手を当ててのぞき込む。  中には、見覚えのあるリーバードの硬い輪郭(りんかく)が見てとれる。 「これは…シャルクルス? でも、形がおかしいわね…」  あるはずの右腕の影が、見えない。 階段を降りながら、他のカプセルを探ってみても、 まともな形をしたものは何ひとつ無かった。 「そうか、分かったぞ。 この遺跡は、リーバードの工場だったんだ!」 「工場…?」 「そうだとすると、強力なリーバードが防御に配置されてるのも、 構造が、敵の侵入を難しくするしくみなのも、納得できるんだ。 工場を占領(せんりょう)されたら、大変だもんな」  工場を管理するには、巨大なエネルギーのディフレクターが必要である。  本当に、なんとかなるかもしれないぞ、と、 希望にあふれたモーラスの言葉を聞きながら、 グレープは静かな闇の中を、巨大な柱へとくだっていった。

邂逅(かいこう) @

「さあ、ついにディフレクターのお出ましだぞ」  はずんだ声が、黒い竜巻のような柱の前に立った、グレープの耳に届いた。 「ええ…」  暗闇が包もうとするのを、 持ちこたえているような白さの扉の前に立ったグレープは、 期待と不安の入り混じった、複雑な心境(しんきょう)で答える。  何かが、この中で待っている。 強く、そう直感しているのだ。  この遺跡に入ってから、さまざまな幻覚が彼女を襲ってきた。 今までとは、比べ物にならないほど、はっきりと。  その謎の答えが、この奥で呼吸している気がする。  不意に、故郷に帰ってきたような懐かしさがこみ上げてきた時、 思わずよろめくほどの激しい震動が起こった。  時間がない、急がなければ。 そう決意して、グレープは扉を開き、中へと入っていった。  海のように濃い青の部屋の中心に、 雪のように白い、グレープほどの大きさのディフレクターが浮かんでいる。  まるで海底に沈む宝石のような美しさに、 彼女が立ちつくしていると、 「…いらっしゃい」  ささやくような女性の声が、部屋にこだました。 その響きにはじかれるように、ディフレクターから黒いオーロラが放たれ、 部屋全体を包み込んでゆく。

邂逅 A

 星の無い宇宙のような漆黒の中で、 白い太陽のように輝くディフレクターが、 ゆるやかに下降し始めた。  それをまっすぐ見つめ続けるグレープの瞳に、 ディフレクターが形をアメーバのように変えていくのが映る。  それが地面に降り立って、輝きが消えた時には、人の形になっていた。  グレープとほぼ同じ体格で、 上が黒、下が青のローブ。 白い肌に、女優のような整った顔立ち、 青みがかった黒の長髪を後ろで結んだポニーテール。  グレープが、驚きを押さえつけたような声で話しかける。 「あなたは…」 「そう。あなたは私。私はあなた。 ふふ、こんがらがる話よね」  もう1人のグレープは、 少し、うれしそうに目を細めて笑いかけた。 「きっと、あなたがここに来ると思ってたわ。 自分の正体を探してね」  グレープは、黙って相手を見つめている。 「私はロックマン・リヴェラっていう名前なの。 今が、どれくらい後の時代かは分からないけど、 多分、ずっと遠い昔の人間よ」  2人きりの、闇の世界の中で、リヴェラはさらに続ける。 「この星の近くにある、ヘヴンという星で、 一等粛清官(いっとうしゅくせいかん)という仕事をしていたわ。 犯罪者の始末、って言えば簡単かしらね」  リヴェラが言葉を切った後、グレープが口を開く。 「なぜ、私と同じ体なの?」 「…そうよね、それがいちばん、気になるわよね。 私、ヘヴンから逃亡して来たのよ。新しい生活を求めて。 でも、この遺跡で追撃者と相討ちになってしまって…。 ふふ、跡が残ってるわね」  グレープの喉の傷跡を、リヴェラは見つめる。 「その時、思ったのよ。もっと、たくさんの未来を生きたい、って。 だから、私の体を赤ん坊の時にまでリセットして、 小さなディフレクターに封印して、この施設の入り口の近くに設置したのよ」  不意に傷口からそれて、リヴェラの視線はグレープの視線と合わさった。 「その赤ん坊が誰かに発見されて、未来へ歩いていってくれれば…。 私の心は、このディフレクターの中で眠ったままでもいい。 そう思ったのよ」  すっ、と、透明なまなざしをグレープは投げかける。 「…そして、私がその赤ん坊の…」 「そう、成長した姿。 どう? 幸せにやってる?」 「ええ。幸せよ…」  お互いに恥ずかしくなるようなやりとりに、 2人は微笑み合った。 「じゃあ、私が見ていた夢や幻覚は、 少しだけ残った、記憶のかけらだったのね…」  綿(わた)のようにやわらかな微笑をうかべて、リヴェラはこくりとうなずく。 「そうね。急いでたから、記憶のリセットが完全じゃなかったのかも。 …何か、他に聞きたいこと、ある?」  グレープは、静かに首を左右に振った。 「いいえ。私の秘密を知ることができた、それだけで十分よ」  その顔には、ほっとしたような笑顔が浮かんでいる。 「じゃあ、最後にひとつ、伝えておきたい事があるの…」  そう言って、リヴェラは光の帯となり、 彗星(すいせい)のように流れてグレープの胸の中に入りこんだ。  グレープは、ゆっくりと目を閉じる…。

空夜(くうや) @

 浮かび上がってきたのは、 線路のような光の上をリヴェラが歩いてゆく、 あの光景だった。  その後ろから追いかけてくる足音が、 「リヴェラ!」  という叫びに変わる。 振り向くと、リヴェラと同じ格好(かっこう)をした、 少し幼さを感じさせる、目のくっきりとした青年が息を切らしていた。 「トリッガー…」  寂しそうな声で、リヴェラはその青年の名前を呼ぶ。 「何で…何でこんな無茶をするんだ!」  トリッガーと呼ばれた青年は、 荒い息の中から怒りを押し殺したような声を出した。 「ほとんどの通路をロックした上に、たくさんの粛清官を負傷させて…。 捕まったら殺されてしまうぞ!」  わずかな、沈黙が流れる。 「…ねえ、トリッガー…」  リヴェラが、目を伏せながらつぶやいた。 「私、前から言ってたでしょ? 未来のある生活が欲しいって。 何もない所から、自分のできる事を見つけていきたいって」 「だからって、僕達の、一等粛清官という任務を裏切っていいという事には…!」  ばっ、とリヴェラが顔を上げる。 「創られた(つくられた)時から決まっている仕事なんて、 機械にやらせればいいじゃない! 私達には、思う事ができる心があるわ! 誰にも、束縛なんてさせない!」  しかし、と言いかけて、トリッガーは、ぐっと言葉を詰まらせた。 追いつめられたような悲しい瞳で、リヴェラがまっすぐに見つめてきているのだ。 「私はもう、こんな、同じ心を持った人を殺していく仕事が嫌なのよ! この、心を凍らせる星から出て、デコイ達と一緒に暮らしたい…!」 「リヴェラ…」 「だからね、ここを脱出しよう、そう思ったのよ…」  そして、その思いの結果が、今の状況である。 コントロールルームを制圧したリヴェラは、 ヘヴン全体を停電させ、ほとんどの通路を閉鎖した。  そして、地球への小型船の発着場に続く通路の上で、 トリッガーに追いつかれたのだ。

空夜 A

「…分かった。もう僕は止めない。 ただ、1つだけ約束してくれ。 必ず、これからの追撃から生き延びるって…!」  トリッガーからのまっすぐな視線を、リヴェラもまっすぐに受け止める。 「まかせて。絶対、新しい未来をこの手につかんでみせるわ!」  しばらく、温かい沈黙がその場に流れた。 「それじゃあ、急がないと…」  うつむいたトリッガーの言葉を、 「待って」  リヴェラがさえぎった。 「あなただけが私に追いつけるように細工したのは、 別れのあいさつをするためだけじゃないのよ」  顔を上げるトリッガーを前にして、 しばらく、リヴェラは青白い非常灯(ひじょうとう)の上でためらっていたが、 不意に、何かを決心したかのように口を開いた。 「私、あなたが好きだったのよ」  思いがけない告白の言葉に、 トリッガーは青白い光の上で立ちつくした。 「…本当は、この日が来る前に言おうと思ってたんだけどね。 …何だか、なかなか言えなくって」  光に照らされたお互いの頬(ほほ)が、かすかに赤くなっている。 「でも、どうしても伝えておきたかったのよ。 もしかしたら、一生、言えなくなるかもしれないし…」  リヴェラは、そっと目を伏せた。 「どう? びっくりした?」  その言葉に、トリッガーが真っ赤になった顔を左右に振る。 「リヴェラ…。僕も…」  次の言葉をトリッガーが言いかけた時、 突然、後ろの通路から人々や機械が駆けてくる音が割れるように響いてきた!  はっ、と2人はその方向を見やる。 「もう、お別れの時間ね…」  リヴェラは、少し駆けて、トリッガーに近づき、 その首に抱きつく。  唇と唇が、重なった。  突然の事に、言葉を失うトリッガーに、 「じゃあね…」  そう言葉を残して、リヴェラは光の線路の上を、 発着場へと駆け去っていった。 次々と、目からあふれてくる小さな光を振り払いながら。  2人が、これから先、再会する事も、お互いの状況を知る事もできないまま、 それぞれ孤独に戦って死んでいく運命にあるのを、誰が知っていただろうか。

事実を打ち砕く真実

「この記憶が、最後に伝えておきたい事…?」  グレープが、少し赤くなりながら微笑する。  クスッ、と心の中でリヴェラの笑顔が揺れた。 「そうよ。誰かに、こういう気持ちがあったんだなって、 覚えておいてもらいたくて」  リヴェラの言葉が響き終わった後、 遺跡全体が、怪獣に襲われたかのように激しく震動し始めた。 「何? この揺れ」 「あなたが、扉のロックのために、無理矢理にディフレクターを設置したから…」 「エネルギーのバランスが崩れて、遺跡が崩壊する?」  ええ、と答えるグレープの心の中で、 リヴェラがぽっかりと口を開けた。 「私と違って、悠長(ゆうちょう)な人ね。 早く言ってくれなきゃ困るわよ!」  震動が、ますます大きくなってゆく。 「あなたの宿っていたディフレクターのエネルギーを、 使いたいのだけれど…」  グレープの言葉に、その心の中でリヴェラはウインクを返す。 「それなら、もっと良いものがあるわよ。 私からの、最後の贈りもの」  その言葉が響き終わった途端に、グレープのブレードアームが砕け散る!  はっ、と見つめたその右腕に、 新たに2mはあろうかという漆黒の剣が、湧き上がるように装着された。 「私が使っていた剣なの。とんでもない威力だから、意識で調節してね」  剣の腹の右側に、赤い古代文字が刻まれている。 「この文字は、何と読むの?」 「『事実を打ち砕く真実』よ。私が刻んだの」  いい言葉でしょ? と、リヴェラは寂しさを押し隠したような、 明るくて影のある声で問いかける。 様々な思いが、この言葉に込められているのだろう。 「ええ、ありがとう!」  最後に、パッと輝く笑顔を残して、 リヴェラは、彼女の記憶とともに、グレープの心の中から消えていった。  最後にひとつだけ残った、前世の恋人との別れの記憶を抱きしめて、 まるで懐かしい友達に会った後のような嬉しさと寂しさを感じながら、 グレープは遺跡の中を駆け戻っていく。 「グレープ! グレープ! どうしたんだ! いきなり無線が途絶えて(とだえて)…」  次元を超えたシャルクルスと戦った部屋に駆け込むと同時に、 大慌てに慌てたモーラスの声が無線から飛び出してきた。 「少し、天国へ行っていたのよ」 「ええっ? どういう事だ?」  巨大シャルクルスの沈んでいった水面に体を滑り込ませた瞬間、 ついに最後の崩壊が始まった!  落ちてくる、雲のように大きな岩を避けながら、 グレープは昔、リヴェラが最初に砕いた壁の跡へと泳ぎついた。  姿勢を低くして、新しい、黒い剣をかまえ、 じっ、と跡に重なる岩々を見つめる。  大丈夫、あなたと、その剣ならできる。 そうリヴェラが肩を押してくれているような気がした。  心の中で渦巻く様々な物事を、目を閉じて断ち切り、 グレープは、巨大な稲妻のような突きを繰り出した!

暁光(ぎょうこう)

 遺跡の壁へ、剣が突き刺さった衝撃を肩に感じた直後、 塗りつぶしたような漆黒が彼女を包んだ。  豊かな黒髪が、頭上からの風になでられて闇へ溶けこんでいく。  まるで、剣がどこか遠い場所へ連れていってくれているような気がした。  徐々に黒が、グレープの髪のような青みをおび、 映画が終わりを告げた時のように周りが明るくなってゆく。  いつの間にか、頭上にはベールのように優しく揺れる光の雲がたゆたい始めた。  安らいだグレープの視界の中で、 剣の切っ先(きっさき)がベールに到達した瞬間、 周りが白い煙幕へと変貌(へんぼう)する!  突然、浮遊感に包まれたグレープの瞳に、 水しぶきをまとった、ほの赤い朝日が映った。  海から、飛び出したのだ。  そう理解した時には、再びグレープの体は顔をひっこめてゆく水の柱とともに、 青い海中へと舞い戻っていた。  少し、冷たすぎる海中から顔を出して、光の満ちた世界を見まわす。  木の板のように浮かぶ、彼女の右腕の黒い大剣の向こうに、 さまざまな濃さのこげ茶をした岩肌と、日光をいっぱいに受けて並び立つ緑が並ぶ スタールー島が、どっしりと腰を落ちつけていた。  遺跡の崩壊する震動に驚いたのか、鳥たちが薄い金色の空へと次々に飛び立ち、 明るい影となって朝日にまぎれこんでゆく。  モーラスに声を送った。  踊りあがるような返事がかえってきた。  救助の飛行機を待つあいだ、グレープは、深海の水圧すら切り裂いた、 過去の自分からの贈り物に抱きしめるようにつかまって、 深い青の中に浮かんでいた。  帰ってきたのだ。  そう考えるには、あまりにも重大な思いが多すぎた。  遺跡の中で出会った、全ての経験をたどってゆくうちに、 目の前に突然、やわらかいハシゴがたれ下がってくる。  冷たい体をひっかけるようにして登り、薄い金の空にとどまる飛行機のドアから 差しのべられた手をつかんだ瞬間、持ち上げるようにして引き寄せられ、 久しぶりの暖かさに抱きしめられた。  モーラスの腕の中で、グレープが目をぱちくりさせるのと同時に、 並ぶ座席に座りもせずに彼女を待ちこがれていた学者たちから、 大歓声(だいかんせい)が巻き起こった。 「ギルド長も、もうダメじゃあ〜、って心配してるんだ。 早く帰ろう、グレープ」  優しいモーラスの言葉をかみしめて、 いつもきっちりと折りたたんだようなグレープの姿勢が、わずかに崩れる。 「ええ…帰りましょう…」  彼女の帰りを待つ、あの場所へ。 見なれた景色、慣れ親しんだ人々の、輪の中へ。  朝日に照らされた飛行機は、 その光を追いかけるかのようにスタールー島を後にした。  窓から見えるその姿が、どんどん小さくなってゆくのを見つめながら、 疲れきったその体を座席にあずけたグレープが、何かをぽつりとつぶやいた。  自分と同じ体の中で、はるか古代の時間を過ごしていた魂。  グレープの他には、誰もその存在を知りはしない。  そんな、孤独なもうひとりの自分へ送った言葉は、 すでにこの世から消え去ってしまっている届け先をめざして、 静かな軌道をえがいて朝焼けをかけめぐっていった。

エピローグ

「グレープ。夕日がきれいだぞ。見にこんか?」  ギルド長からの電話で誘われ、 グレープはエレベーターで屋上へと昇っていく。  2つの、違う星で生まれた魂が、 太陽の光すら届かない深海で出会ってから、1ヶ月が過ぎた。  今でも、彼女を助けに来た時のモーラスたちの、 涙と笑顔でくしゃくしゃに満たされていたあの表情を思い出すと、 くすっ、と微笑が湧きあがってくる。  遺跡から帰ってきてから、それまで見つづけてきた夢たちの代わりのように、 様々な思いが、飛行機の窓からの景色のように、 彼女の頭をよぎっていった。  その中から、1つだけ、彼女は自分の答えを探し出したのだ。  エレベーターの扉が開き、グレープは黒い上着とスカートをかすかに揺らしながら、 ゆっくりと歩いて、屋上への扉を開ける。 「わぁ…」  とても絵では表せない鮮やかな朱い(あかい)空と太陽が、 グレープの頬に当たり、その全身を照らし出した。  ギルド長は、モーラスと一緒に正面から夕日を眺めていた。 「グレープ、そろそろ、何があったのか教えてくれないか?」 「…内緒」  顔をしかめるモーラスを見て、グレープはクスクスと小さく笑う。 「…たぶん、良い経験だったのじゃろう。 目が、あれからイキイキしとるわい」 「2人とも。女の子の心を探索(たんさく)するのは、野暮(やぼ)ですよ…」  そう言いつつ、グレープは、夕日へ向かって身を乗り出した。 これから、夕日が沈んで、様々な輝きを放つ星空がやってくるのだろう。 (ロックマン・トリッガーとリヴェラの住んでいた星は、見えるかしら…)  グレープは、朱い風に髪をなびかせながら、これからの未来へ思いをはせる。 ―この体が、どんな心を昔に宿していたのだとしても、 今、私の心は、こうして風と光、私の心の流れを感じているのだ。 これからも、数え切れないほどの経験に私は出会っていくのだろう。 しかし、どんな事があっても、 私は、私と同じ時間を生きている人々と共に、私の心のままに生きて行こう―  彼女が見上げる空には、彼女を見守るかのように一番星が輝き始めた。


transcribed by ヒットラーの尻尾