「光霧の騎士 エピソードI」
著者:みどりこさん
―――同刻・光霧の騎士、騎士団駐屯地バルドー

王都エベリアより北に、徒歩でまる一日。
騎獣(種類による)で半日の場所にあるバルドーは、
そこそこの大きさをもった町の様相を呈していた。

町の中心部に大きな石造りの建造物が何棟か。
飾り気のない木製の建物がさらにその周囲を囲み、
角張った塀がそれらを囲んだその外に、他と変りのない町が広がっているといった具合だ。
王都の守護を目的とした駐屯地ではあるが、そこに人が住む限り物の流通は欠かせない。
光霧の騎士たちの剣や槍、鎧や馬具を作ったり修理したりするのにわざわざ都から人を招いていたのではとうてい手が足りない。
戦はともかく、騎士たちが針仕事も得意だったりするわけではないし、
小麦粉をこねて美味しいパンをつくることなどは、そこらの主婦以下だったりする。
新しい家を建てようと思っても、石材の加工なんか、騎士たちにとっては未知の領域だ。
しかし、生活はしなければならない。

そこで、駐屯地バルドーが作られる際に石工や武器屋や金物屋。
はてはパン屋やお針子娘の志願者が集まり、
バルドーは今や駐屯地というより、一個の町といった方が早い状況になっている。
また、定住している者たち以外にも、流れてきた商人たちが市を開いたりして、
とても活気のある、いい雰囲気の町となっている。

しかし、町をぐるりと囲む堅牢な石の隔壁と、防衛のための巨大な扉は
間違いなくここが戦うものたちの町であることを沈黙のうちに告げているのであった。


「まー。武器屋や鋼を加工する店が多いのも、騎士団駐屯地ならではって感じだけどな」
目の前をスプーンが行ったり来たりするのを、彼はほお杖をつきながら目だけで動きを追った。
「ご高説どーも。ひとつ聞いていいか?ナット」
「ん?」
スプーンの動きがぴたりと止まり、今までとうとうとバルドーの成り立ちを語っていた友人は、
話にあわせて振り回していたスプーンをスープ皿の中に戻した。
「俺、こう見えても光霧の騎士団員なんだけど」
半眼で告げると、友人・ナットこと光霧の騎士ナルティア・バンスはきょとんと青い目を丸くした。
「でも、バルドー駐屯地は初めてだろ?」
「そうだけど、王都に住んでりゃバルドーのことは結構耳に入ってくるんだよ。そんな何もかも教えられなくても知ってるさ」
光霧の騎士団は王都の住民、いや、エンティーヴ国民なら誰でも憧れる英雄だ。
当然駐屯地が近い王都では、彼らの噂は日々絶えることがない。
駐屯地がどんな所かくらいなら、そこらの子供でも知っている。
「いやいや、ルイス、お前がめでたく光霧の騎士団に入れた、
 え〜と、なんていうかな、通過儀礼としてさ。先輩としては、
 いちおうひととおり案内するのが礼儀じゃないか」

…そうだろうか。
ルイスは、緋色に近いほどの赤い髪をくしゃくしゃとかきまわして眉をしかめた。
なにか違う気がする。案内ってのは、
もっとこう…その場その場をつれて回って紹介することで、
こういう風に昼食の合間に歴史を語られるのとは、違うような気がするのだけど。
「それはそうと、ルイス。お前って、何歳だっけ?騎士団に入るにしちゃ、
 ちょっと年齢が行き過ぎてないか?」
この男は、何かしながらでないと話せないのだろうか。
ナットは今度はスープをとりとめなくかき混ぜながら聞いてきた。
だまってつっ立っていさえいれば、この騎士は溜め息が出るほどの美形なのに。
淡い金の髪は長く、瞳は夜明けの空のような青藍。
白磁の肌はとても剣を扱う者のそれには見えないほど。
顔はどこか異国の神像のように整っている。

…のだが、二つの理由でナットはあまり女性にもてない。その一つの理由が、
どうにも言動が顔に似合わず粗雑すぎること。
「ウォン家の掟(おきて)でね。騎士の修練は朝から晩まで毎日積まされたが、
 騎士団に入るのは成人してからでなければならないんだとさ」
溜め息をついて、ルイスは自らもスープを口に運んだ。
…悪くない。さすが、これだけの設備を持っているだけのことはある。
今二人がいる食堂はかなり広く、石造りで厨房も立派なものだ。
王都にもそうそうない規模である。
「ふ〜ん。普通は12歳前後で騎士団に入るのが、ま、通常だよな。
 ルイスの家はそうとう変わってるぞ?」
「同感だよ。普通は12歳で適性テストを受け、従者として入団。
 従者を何年もこなして修練を積んでからやっと騎士になれる。
 …それでも、本物の『光霧』の騎士になれる可能性は極めて低い」
「…これだろ?」
めずらしく真面目な表情で、ナットは片手を挙げて自らの周囲を指した。
彼の周囲を輝きながら包み込む、『光霧』がそこにあった。
それを見ながら、ルイスは無言でうなずく。

光霧の騎士団総員は、精鋭3万騎と言われている。もっと多いかも知れない。
…しかし、その中で本物の『光霧の騎士』はごく少ない。
そう、クリスタル・レオと融合している者は実にたった20人なのだ。
それがために、『光霧』をもたない騎士たちは『霧の騎士』とわざわざ別称されている。

騎士団紋である獅子の紋章も、『光霧の騎士』は漆黒に銀の飾り糸が入るが、
『霧の騎士』達のものはただの漆黒。
ナットの背を覆う白いマントの獅子紋は、漆黒に銀の刺繍入り。
ルイスのものは、まだ糸も新しい黒獅子だ。

「時々この光霧がさ、結構重荷に感じるよ。
 …こればっかりは…相性だってわかってるけど」
目に薄い光を浮かべ、ナットはわずかうつむいた。
食堂には他に何人も昼食を取っている騎士や従者がいたが、
ナットの光霧は嫌でも目立ちまくる。
向けられる視線は…羨望と尊敬ばかりではない。
「選ぶのはクリスタル・レオの核だ。ナットはなにも悪くないだろ」
笑ってみせ、ルイスはぺしぺしと彼の肩を叩いてやった。
「あっはっは、がらにもなく暗くなっちまった。悪い悪い。
 …今日は年に一度の『試し』の日だからさ、やっぱり僕も神経質だね。
 しかし、残念だったな。ルイスももう一週間入団が早けりゃ行けたのに」
人の悪い笑みを浮かべたナットを、軽く見返して彼も笑う。
「俺は来年行くよ。お気遣いどーも」

…と、二人が顔を見合わせ苦笑を交わした瞬間。
それは起こった。

――ズンッ!!

胃を底から突き上げるような振動が来て、
直後、爪先から髪の先端まで一気になにかとてつもない衝撃が走りぬけた。
(…なんだこれはっ!?)
思わず身を屈めるルイスの目の前で、食器が倒れて中身をぶちまけ、
あちこちでガラスの破砕する音が響いた。
同じ食堂にいた騎士たちの悲鳴も混じる。ルイスは、片手で額を抑えた。
まさか、地震か!?
激しい衝撃は最初の一発だけだったが、こまかい振動がまだ続いている。
こめかみの裏がかゆくなるような感覚がずっと終わらない。
おかしい。地震は、こんなふうな揺れ方はしない。…たぶん。
「…ナット、これ、ただの地震じゃない…っ!!?」
警告の叫びを上げかけて、ルイスは動きを止めた。
正面の席から立ち上がり、呆然と立ちすくむナットの表情が普通ではなかった。

恐怖と驚きと困惑が入り混じり、その度合いは後者になるほど強い。
大理石の神像と日頃うわさされる美貌は、今や本物の石の色に近かった。
――そして。
「…おい!?お前の『紅(くれない)』どうしたんだよっ!?」
ルイスはナットのクリスタル・レオ『紅』の様子に気付いて立ち上がった。
いつものように「霧」の状態ではなくなっている。
自ら発光しながら、何万もの蛍群れのごとくナットの周囲を乱舞しているのだ。
そうだ、「舞い」という言葉がふさわしい。
重力を無視して、ルイスには聞こえない音楽にのって華麗な舞を踊っているように見える。
一瞬この事態を忘れてしまいそうなほどに美しい光の乱舞ではあるが、
そうも言っていられない。
「おい、ナットっ!!」
「あ?…ああ、すまない。あまりのことにぼーっとしてたっ!」
はっと目に光を取り戻したナットが、ぎらりと青い目を輝かせて食堂の一点を指差した。
「あれだ。まったく、自分で自分の目を疑いたいぜ!」
真っ白な頬に冷汗を浮かせた金髪の騎士を見上げてから、ルイスはその指差す先を目で追った。
石造りの食堂は一瞬前とはうってかわって凄まじい状況だった。
天井からぶら下がっていた明かり用のシャンデリア
(装飾の意図はないので小さくシンプル)がいくつも落下していて、
運の悪い者が何人か直撃をうけたらしく、うめきながら床の上で血を流している。
木製の食卓は倒れているものもずれているものもあり、
食器はほとんどが倒れたり壊れたりしていて床に欠片と食べ物が散乱しているといった具合だ。
騎士の何人かは問うように『光霧の』騎士であるナットを見つめ、
また何人かは呆然自失し、さらにごく少数は、
ナットと似たような表情で同じ方向を注視していた。
(何だ?)
…彼らが見つめる先。そこにあったのは…ほんの、
両手で包み込めるほどの大きさの球体だった。
ただし。
宙に浮いている。そしてついでに光っている。
「な、なんだあれは!?」
ナットがきょとんとこちらを見た。
「知らないのか?」
残念ながら、ルイスには宙に浮かぶ謎の発光球体と面識はない。
「知るわけないだろう!…新手のキメラかな」
黒水晶の色をした瞳に困惑の光を浮かべ、ルイスはうめいた。
…くそっ。まだ地震の余韻で額の裏側が揺れている気がする。

「あー。そっか。ルイスはまだ見たことはないんだっけ」
ごくりとのどを鳴らし、ナットは続けた。
「あれがクリスタル・レオの核だ」
「あれが!?…でもしかし、核は『獅子の鏡』洞窟に安置されてるんじゃ…」
クリスタル・レオの核は卵のようなものであり、
騎士とその核が融合して初めてクリスタル・レオは獅子の形を表わす。
以後はその核が『光霧の騎士』の心臓がわりとなり、いくつかの例外を除いて、
これを直接砕かない限り騎士を殺す方法は無い。

核は休眠状態で親となるクリスタル・レオから生まれ、
(彼らは分裂増殖)自らの前に適合者が現れるまで、沈黙を守る。
…そして、核むきだしの融合まえのクリスタル・レオは彼らの一生のうちで一番無防備な期間だ。
誰かがこのバルドー駐屯地に持ち出してくる理由も無ければ、
どこかの国に出し抜かれて盗まれたのだったら、よけいにここにあるわけが無い。
―― 一体どういうわけだ!?
「…『紅』が言うには、こいつは間違いなくクリスタル・レオの核で、
 ルディ・ウォーゲン騎士長殿が行っている『獅子の鏡』洞窟に安置されてたやつに
 間違いないそうだ」
「じゃあ何でここにあるんだ!?アレには手も足もないんだぞ!?誰かが持ってこなきゃ…」
なおも言いつのろうとしたルディを制して、ナットはこわばった笑みを浮かべた。
「ショッキングなニュースがもうひとつある」
彼はじりじりと、核に近寄りながら続けた。
「こいつは、もう目覚めている。
 …信じられないことだが、こいつ空間をひん曲げてここに来たんだ」
「なっ…!?」
思わず言葉を失った。
化け物中の化け物といわれたクリスタル・レオであっても、
核であるうちに力を示した話など聞いたことも無い。
これは、ニワトリが卵のうちから飛ぶようなものだ。

…ありえない。
しかし、現実だ。ルイスは、いまだに続く眉間の不快感を振り払うように、頭を振った。
目の前の現実だ。いつまでも凍りついてるわけには行かない。
「自分のパートナーを求めて来たんだろ。
 …誰か!駐屯地中を捜せ!核はもう活性化してるんだ。
 このクリスタル・レオの主人に決まったやつがいるはずだ!!」
ナットの叫びを聞いて、尻を叩かれたように何人かが食堂の外へ走り去った。

「…でもナット、どうやって捜す?」
ルイスはきょろきょろと周囲を見回した。それっぽい奴はいない。
まあ、外見でわかることでは無いのかも知れないが。
「核に選ばれた者は、クリスタル・レオの語りかけを受けているはずだ。
 しかし、本来触れていないと声は聞こえにくいものだから。
 …そうだな、そいつは今額の裏側あたりに振動のようなものを感じてるはずだ」

―――は?

ルイスは、額を抑えたままだった手を、恐る恐る外した。
…とたん、不快感というか、振動感が一気に強まる。
(うわっ!)
あわてて手を額に戻すが、心臓がたちまち早鐘のように打ち始める。
(なんで…地震の余韻じゃあ、無いのか!?)
「しかし、そいつ苦労するぜ。こんなわけわからんくらい力の強いクリスタル・レオと融合した日にゃ絶対…」
「ナット」
ルイスは、真珠色に蒼に紫に、くるくる光を変えながら輝く核を見つめながら、低くつぶやいた。
「…他に、特徴は」
「核は適合者の目にだけ、輝いて見える。
 …とりあえず今はそれらしい奴を引っ張って来て一人一人に核を見せるしかないな」
長い金の髪を、まいったな。と言ってかきあげたナットはふと動きを止める。
「どうした?ルイス、顔色悪いぞ?」
――なんてこった。
あらゆる神よ!俺は恨みに思うぞ!!
ルイスは天を仰いだ。
前々から心の準備ができる、『試しの日』で光霧の騎士になるのはまだいい。
こんなわけのわからない場所で、いきなり光霧の騎士になるなど。
正直を言えば、怖いのだ。
人でなくなるのも、自分でない何かと融合するのも、クリスタル・レオという存在も。
しかしきっと…選択肢は他にないだろう。
「ナット…きっと俺だ」
「なに?」
冷汗を流し、やっとのことで引きつった笑いをどうにか浮かべて。
「はじめっから、俺にはあの球体が光って見えてた」
騎士ナルティア・バンスの返答はなかった。
彼は、驚きに目をむいたまま、その場に凍り付いていたのだった。





transcribed by ヒットラーの尻尾