「光霧の騎士 プロローグ」
著者:みどりこさん
――プロローグ
獅子の鏡

ジャキンッ
蒼空を無数の銀光が刺し貫いた。
銀の光の正体は磨きぬかれた鋼の、太陽を照り返すその眩しいきらめきであった。
儀礼用の長剣を抜刀し、刃を天に向けて構えた形でおよそ20人ほどの少年少女が堅い表情で立ち尽くしていた。
彼らはだいたい十六歳〜二十歳。若いもので十四、五歳くらいだろうか。
みな、ぴかぴかした傷一つない鋼の鎧に身を包み、早春の風に真っ白なマントを揺らがせている。
しかし、それはつまるところ彼らがいまだ鎧に傷をつけるような戦いを経験したことのない、下級の騎士であること。
さらに、白いマントに騎士団紋をつけることを許されない見習い騎士たちであることをあらわしていた。
白い頬をチョークの色にして、唇をこわばらせている何人かなどは、
鎧を着たことすら初めてなのではないだろうか。
…そういえば、長剣の重みに腕を震わせている者もいる。

(私もかつてこのようだったのか。懐かしい…と、言うべきかな)

彼ら若い見習い騎士を正面から見おろし、彼は心のなかで苦笑した。
だがしかし…表情には表わさない。騎士長である自分に失笑されては、
彼らの透明で純度の高いプライドはこなごなになってしまう。
笑う代わりに、光霧の騎士団・騎士長ルディ・ウォーゲンは余裕のある動作で片手を差し伸べた。
「ご苦労。みな、楽にしなさい」
布のこすれる音と金属がふれる音が一瞬だけ響き、
若い騎士たちは全身をこわばらせたまま、剣を下ろした。
剣は鞘に戻さず体の脇に引きつけて切っ先を地につけている。
壮年の域からやや老年にさしかかったルディ・ウォーゲンは、髪と瞳が明るい褐色で、
威厳のある獅子に似た面持ちに恐ろしげな髭面といった外見だった。
黙って立っていればそれだけで人を威圧できる。
しかし普段は柔らかな笑顔が顔の造作の恐ろしさを補い、
彼は対面者に余計な心労をかけるのを避けていた。
今も彼はガチガチの騎士見習い生たちに柔らかい笑みを向けた。
「緊張せずとも良い。…と言っても無駄だろうな。まあよいだろう。
 みな、本日は知ってのとおり年に一度の『試し』の日だ」
ルディは振り返り、自らの後ろに深く暗く口を開いた洞窟を目線で示し、口の端を引き締めた。

「あれが『獅子の鏡』洞窟。…名前だけなら知っているな」
無言のまま、騎士見習い生たちはうなずいたり、まばたきをする。

その洞窟の名はあまりにも有名で、同時に最もその場所を秘密にされた洞窟だった。
理由はごくごく簡単。
その場所こそが、世界最強と謳われるエンティーヴ国の守護者・『光霧の騎士』生誕の地だったからに他ならない。
ここで新たな光霧の騎士は生まれ、そして死体はここに安置される。
…いや、正確に言えば、死体は『安置』されはしない。
光霧の騎士は死ぬと遺体を遺さないからだ。
代わりに、遺品の入った棺のみが薄藍色の静寂の中、安置されている。

ここに辿り着くのには、最も近い人里から騎獣に乗って山道を6日。
入り口はよほど注意しなければ見つからないように、巧妙に植えた木々でかくされ、
さらには屈強なガーディアンによって守られていた。
光霧の騎士以外が近づけば、例外なく痛い目をみるだろう。
そうまでして他国に渡したくない、隠さなければいけないものが、ここに存在している。

「知ってのとおり。ここにはクリスタル・レオの核が置かれている。今現在は一つ。
 …ここ10年間一人も適合者はでておらん。
 さあ、一人ずつ自らの運命を試しなさい。期待しているぞ」
ルディの言葉に、不安げに顔を見合わせた彼らは律儀に年齢順に、列になってそろそろと動き始めた。
(クリスタル・レオ…か。初代様が出会わなければ、今、この国はなかった)
目を細め、彼らを見送りつつルディは遥か古に思いをはせた。
さわさわと周囲をつつむ森がつぶやき、洞窟を抱く岸壁が、低く風にこすれる音を立てる。

エンティーヴ国の領土は、けして大きくなく取りたてて目立った産業もない。
貴金属の鉱脈もなければ、輸出で稼げるほどの農地や牧草地もなかった。
ただ、点在する森と峻険な山脈のみが目立つ弱小の国だったのだ。
遥かな昔、この場所で偶然に初代様がクリスタル・レオと出会わなかったら。
エンティーヴは山を越えた隣大国バスタージュか、
大河を挟んだ向こうの(小さいが魔法に恵まれた)リンド国にあっさり吸収されていたに違いない。
エンティーヴにもう少し魔獣が生息していたなら、合成術士がいたならやはり、話は違っていたのだろうか。
この世界には、普通の獣の他に『魔獣』と呼ばれる生き物達がいた。
魔法としか言いようのない不思議の技を用いることのできる生き物を総じてそう呼ぶのだが、
残念な事に人間はその能力を持つことができなかった。
ある天才が、合成技術を発見するまでは。
かれは魔獣どうしを特殊な方法で合成することで、人間の命令に従順な合成獣が作り出せることを発見した。
合成獣は小さな頃から育てると、育てた人間に素晴らしく忠実になり人間の指示するままに魔法を使ってみせた。
たちまち、国力のある国々がこぞって研究者を派遣し、
まもなくその技術をものにしていった。
…強力な合成獣に乗った戦闘集団を作り上げてゆく競争があちこちで始まり、
そして、エンティーヴはそれに乗り遅れた。
国力もなく、国土に強力な魔獣は住んでいず、強力な合成獣を買おうとすればとんでもない金額を提示される。
『初代様』と呼ばれた人物は、当時なんとか強い魔獣を自国で得られないかと、辺境を巡っていたという。
…そして、この山のこの場所で、クリスタル・レオと出逢った。
・・・極めて特殊な生態の、最強の魔獣と。

光霧の騎士・騎士長ルディはふと、視線を宙に向けた。
そこには、キラキラと日に照らされて煌めく光の霧があった。
霧はふわふわとまるで生きているように漂いながら彼の体全体を包み込んでいるはずだ。
これこそ、光霧の騎士が『光霧』の騎士と呼ばれる理由。
「どうかね?『銀嶺』今年こそはいけると思うか」
虚空に話しかけたルディに応じて、どこからともなく獣の咆哮が響いた。
もっとも巨大な弦楽器の一番低い音のような、背骨が震える音。
「・・・そうか」
ルディは満足げにうなずいて、金色のあごヒゲをしごく。
「そうなればいいな」
いつの間にか彼の頭上には、透き通った結晶体で出来た巨大な獅子の首が浮いていた。
獅子の首は、調子を合わせるように、目を細めてもう一度うなりを上げた。

――クリスタル・レオ

その魔獣は、他の追随を許さない破壊力を持っていた。
巨大なその体は透明な結晶体で出来ていて、
望めば数ミリ程度の微細なカケラに自ら分かれることが出来たし、
わかれたカケラを敵の内部にこっそり忍び込ませて内側から引き裂く事ができた。

そうでなくとも、剣も槍も、火も水も通じないその巨体から繰り出す鉤爪や牙の攻撃は充分恐ろしい脅威だった。

・・・しかし、悲劇的なことに彼らはそのような巨大な力を持ちながらも、
他の生物と融合しなければ生きていけない寄生生命体だった。
結晶体の体では彼らは物を食べて消化し、エネルギーにする事が出来ないのだ。
そのうえ、高度な精神を持ってしまったがゆえに、
融合する相手は自分の精神とぴったり沿うものを厳選しなければならなかった。
もし選択を誤れば、そこには宿主とクリスタル・レオ双方の死が待っている。

あまりに効率の悪い生き物。
…だから、『初代様』が山中で出会ったクリスタル・レオは最後に残った、
たった一頭だった。

そのクリスタル・レオは砕けて塵になる寸前に衰弱していた。
目の前に現れた宿主をなにがなんでも逃すわけにはいかなかった。

今は『初代様』と呼ばれる名を忌まれたその人は、当時のエンティーヴ女王だった。
目の前の強力な魔獣を、なにがなんでも味方に引き入れねばならなかった。

利害は一致した。彼らは相談し、魔獣はいくつかの誓約を誓い、
彼女は人間であることを半分手放した。

…そして。たった一人で数千の軍勢を退けた『初代様』は伝説になった。
彼女の体の周囲を包む『光霧』は実はクリスタル・レオの微細なカケラで、
常に宙に浮いて彼女をありとあらゆる物理攻撃からまもり、
それは宿主が意識のない間も守護しつつけた。
誰も、もう彼女を傷つけることはできなかったのだ。
王家から除外され、歴史から名を消されても。
彼女とクリスタル・レオのおかげでエンティーヴは小国ながら何者にも侵略される事は無く、
今日までずっと、世界最強の名を冠している。

そして今、
騎士団を形成するまでになったクリスタル・レオとその宿主の集団に新たにもう一人、
加わるか加わらないかの『試し』が行われていると、そういうわけだ。
…と。そのとき
「ルディ様っ!!」
始めの方に洞窟へ入っていった見習い騎士がひとり、転がるように走り出てきた。
「何事か」
まるで血の気のない青年の顔を見下ろして、しかしルディはゆっくりと言った。
肩でぜいぜい息をしながら、その青年は震える指で洞窟を指し示し、
かわいそうなぐらい怯えた目を見開く。
「か、…核が。クリスタル・レオの核が消えました!!」
「・・なに!?」
並んでいた他の騎士見習いの少年たちがどよめき、ルディすらはっと息を飲む。
「目の前で、宙に溶けてしまいました!…僕は、どうしたら…!!」
頭を抱えてうずくまるその肩を軽く叩き、励ましてやってからルディは周囲に一喝した。
「皆、即座に洞窟じゅうを探索せよ!それでもなければまわりの山一帯を!」
バッと騎士見習たちが洞窟内に駆け込んでいった。
(どういうことだ。…こんなことは今まで無かったぞ!)
表情に出さぬまま、ルディは心中でつぶやいた。前代未聞の、何かが起ころうとしている。





transcribed by ヒットラーの尻尾