「観察日記 一章」
著者:みどりこさん
二章

1話

その日は朝から暖かい雨が降っていた。
全身を素通りしていく透明な雨粒ごしに、遠く蒼い輝きを感じる。腕を伸ばし、その場
所へ行こうと走り続けていた。
輝きは、やがて近く。
遠い約束を果たす為に、彼はそこへ辿りついた。


「やはり世界征服というのは難しいと思うか?」
彼は簡単な数式の答えでも聞くように、のんびりした口調で言った。女性がうらやみそ
うな白く形の良い手の上で、思索するようにガラス製のチェスの駒がもてあそばれてい
る。
「この世界をってこと?それともゲームや本の中のお話?どっちにしろボクは無理だと
思うけど」
カタン
彼の質問に答えて、小さなサル型のロボットがまん丸い両手で黒ガラス製の駒を盤の上
に置く。体が小さいせいで、そんな動作すらもつま先立って手をいっぱいに伸ばさなけ
ればならない。
良く言えば半球、悪く言えばドンブリ型のボディーも多分に動作の邪魔になっているの
ではないだろうか。
「私はそうは思わない」
さほど間を置かず透明な駒を盤上に滑らせて、彼は漆黒の瞳を細めた。
それだけで、よく整ったその顔は冷ややかな空気を帯びる。
「圧倒的物量、忠実なるあまたの部下、遠大で緻密な計画、それを実行する器。この4つ
さえあればできると思う」
ひとつひとつ指を折って数え上げる彼をよそに、次の駒をどうするかまだ決めかねてい
る風に駒を握りしめ首をかしげつつ、サル型ロボット―データがうめくように言う。
「そんなこと考えてるとは。よっぽど暇だね?カークス」
彼は…カークスは悠然と微笑してみせた。肉食の優美な獣がときおり見せる、超然とし
た余裕に似たものを思わせる微笑み。
彼は繊細な艶を見せて首筋にかかる、短めの翠緑の髪を軽く手ですいて柔らかに言葉を
つむいだ。
「当然暇だとも。…だが、その分思考をめぐらせるのは上手くなるな」
カタッ
ようやく駒を置いたデータの手がまだ戻りきらぬうちに、
カークスは鮮やかに次の一手を置く。
「さあ、チェックメイトだ」
「ぅげ!?」
黒いくるっとした目を飛び出さんばかりにして、データが盤をのぞき込んだ。
…しばらくその姿勢のまま停止していたかと思うと…ぼさっとその場に体ごと倒れ伏し
てしまった。

2話

「あー!また負けだよ〜。ボクロールちゃんにも勝つのにさ!…そりゃ勝った後が怖いからあま
り勝たないけど。カークスなんでそんなに強いんだよー!?」
床に転がったまま、悔しそうに盤をポクポク叩いて子供のようにわめくデータ。
「私は暇人なのでね。もうひと勝負するか?」
足を組みなおし彼が問うと、データは突然まじめな顔に戻ってひょこっと起き上がった。
「いや、やめとく。ロックがこっちくるみたいだし」
「そうか。では切り上げよう」
立ち上がり腕をさっとひと振りすると、チェス盤とガラス製の駒はもとからそこに無かったよう
に消え失せた。後には無機質な金属板打ちっぱなしの床があるきり。
しらじらと明るい人工の光が部屋の中を照らし出す。
部屋の持ち主は壁紙を貼る気も無いらしい。もとの地の壁そのままに灰色をした壁面は薄ら寒く
なるほど殺風景で、壁ぎわに押しつけられたような大きく背の高い柱時計がこちこち言う几帳面
な音と、どこか下の方から響いてくる体のかゆくなるような振動音(ここが飛空船の中だから
だ)が、聞こえる音のすべてだった。まあもちろん、それは誰もここにいないときの話だ。
しかし、ここの部屋の主は忙しいのか、あまりこの部屋に寄りつかない。いつもふわふわに整え
られたベッドと壁にぽつんと掛けられた小さな絵がもったいなく、常に寂しそうに感じられる。
ここの部屋の持ち主はカークスではない。かといって、床の上で能天気な顔をしているデータの
ものでもなかった。
…と、
バタンッ
廊下に足音が響いたかと思うと部屋のドアが開いて、一人の少年が飛び込んできた。
深い褐色の髪、光をたたえたエメラルドグリーンの瞳の活発そうな印象を与える少年は、多少驚
いたように下の方を見つめる。
「あれ?データここにいたんだ」
少年は、物々しく全身を青色のアーマーで包んでいた。…しかしそれは、世界のあちこちの遺跡
に眠るエネルギー結晶体‘ディフレクター’を発掘することを生業とするディグアウターの標準
装備である。それら太古の遺跡にはリーバードとかいう機械のような生物のような守り手がいる
のが普通で、生きて帰りたいのならばアーマーに加えて火器も必須の品だった。少年のアーマー
の腕部に物騒な武器が収められていることを、カークスは知っている。

3話

…彼がロック。この部屋の持ち主だ。
「これからカードンの森の遺跡に入るつもりなんだ。いつもみたいにサポート頼むよ」
凛とした口調で言いながら、少年はまっすぐにこちらへ…棚の前に立っているカークスのすぐ前に歩いて
きたかと思うと、何の躊躇も無く右腕を突き出した。
…スッ
漆黒の服に包まれたカークスの脇腹を、いきなり何の抵抗も無くロックの腕が突き抜けた。
はたから見れば非常に気色悪い光景だったのだろうが、カークスにとっては別に痛くもなんとも無い。そ
れどころか空気が通り抜けるほどの抵抗も無いのだ。
少年は棚の上に置いてあったエネルギーボトルをつかんで、またカークスの体を貫通して手を引き戻し
た。
ふと、床を見下ろしたロックの顔が疑問の色を浮かべる。
「…チェスの駒?データチェスやってたの?」
「うん、まーね」
そそくさと床に散った黒い駒を拾いながら、データは何気なく返事を返した。
「チェス盤も相手の駒も無いのに?変な奴」
ロックの目は一度も真正面に立つカークスを見なかった。彼は小さく笑って、またすぐにドアの外へ出て
行く。
「それじゃあ、先に行ってるよ」
…バタン
足音が再び遠ざかっていった。
「カークス〜。そういう、見ていてえぐい行動はできればやめて欲しいんだけどさ」
チェスの駒を適当にそのへんの道具箱に放り込んで、データが溜め息をついた。
「別にいいだろう。私に実体は無いんだから。…この姿だってよほど勘のいい者にしか見ることもできな
いんだし、なにより私自身は痛くもかゆくもない」
手を持ち上げ、天井からの光にかざすと白いその手はあっさりと光の中に透けてしまう。…カークスの体
に実体は無い。つまり、簡単にいえば幽霊のようなものなのだ。
「なんでもいいよ、とにかくもうしないでほしいね」
眉間にしわを寄せてうなったデータは、一つ溜め息をついてからカークスの手を下から見上げた。
「う〜ん。でも、いつ見ても不思議だなー。カークスはものが見られないのに、よくチェスなんかできる
よね」
「そうだな。私は光に対する感受性は無いに等しい」
カークスがわかるのは、明るいか暗いかだけだ。漆黒の闇の色をした彼の瞳には、鮮やかな風景は何ひと
つ映っていない。

4話

「しかし私にはそういった光による情報の代わりに、音と、電波や電気を読む力がある。別にお前が思うほどの不
自由は無いんだ」
視覚が無い代わりに、カークスは相手が発する脳波を読むことができた。
脳というものはきわめて微弱な電気的な信号を神経間でやり取りすることで思考を行っている。それを読むことで
間接的に色や光を知り、逆にカークスから相手の脳に電気的信号を送り込むことで、相手にカークスの実体があた
かもそこにいるように、また声が聞こえているように錯覚させているのだ。さっき出していたガラス製のチェスの
駒もチェス盤も、カークスによる『幻』。実際にはそこに無い物だ。
…簡単に言ってしまえばテレパシーのようなものだろうか。
しかし、カークスから送り込む方の力には相性のようなものがあって、たいていの人間はカークスがそこにいるこ
とも、なにを言っているかもわからない。
そのせいで、今のところ話し相手になれるほどの者はデータだけだった。
データ…ロボットの思考というのは人間よりも強くてわかりやすい電気信号だ。人間の脳波よりは扱いやすい。
「そういえば、お前達も不思議なものだ。意味の無い『ウッキー』とかいう音声言語と同時にロックにしか読み取
れない電気的言語を発しているなんてな。…そんなもの聞いたことも無い」
皮肉のつもりで彼は言ったが、なぜか得意げにデータは身をそらせて声を張り上げた。
「ま、ね。ボクたちにもいろいろ理由があるんだよ〜。…でもやっぱ最初は驚いた。ロック以外に聞こえるひとが
いるなんて思わなかったから」
言い終わってから、ああ、人じゃないんだっけと付け加える。
「ロックも、データの声が聞こえるくらいなのだから私の声が聞こえてもいいと思うが…」
不思議そうに言うカークスに、データはのんびりした声を向ける。
「どうだかね〜?ロックはああ見えて結構ニブいから〜」
カークスは壁にもたせかけていた背を離し、挙げた手をゆっくりと引き戻した。
「でも、やはり普通の人ではないようだぞ?たまに私が声をかけると振り向くことがあるから」
「ふーん。意外意外」
ぽん、ぽんと跳ねてドアの方へ近づいたデータは、ロックが聞いたら気を悪くしそうな意地悪い声で言った。
「…ところでデータ、今回のディグアウト、私もついていくわけにはいかないだろうか」

5話

「え!?」
見えない壁にいきなりぶち当たったように動きを止めたデータは、一瞬後輪郭がぶれるほどの勢いでこちらを降り向…。
「うきゃあっ!?」
ガシャンッ
勢いあまってその場ですっ転んだ。
「面白い動きだな」カークスは落ち着いて意見を述べた。
「物凄い冷静なカオで言わないでほしいな」
くたびれた様子で立ち上がったデータは、一回溜め息をついてから気を取り直して丸い手でバシっとカークスを指す。
「あのさ、カークスは実体が無いっていってもリーバードにはそこにいることくらいわかるんだよ!?ボクにだってわかるん
だ。アイツらだってわかるんだよ!それに、リーバードの中にはものすごい電気攻撃やエネルギー弾を放つやつらだってい
る。そんなのに見つかったら…いくらカークスでもバラバラにされちゃうね。」
凄い速さでそれだけまくし立てると、一息つき、データはこちらを指した手を怒りにまかせて床に叩きつけた。
「それに、ロックはカークスが見えない。あんたが死にそうになってても守れないんだよ!?…ボクはロックに誰かを見殺し
になんてさせたくない!」
…そんなことはわかっている。彼は穏やかに目を閉じ、またそれをゆっくり開いた。
彼の体は刀も銃弾も素通りさせてしまう。…だがしかし、高エネルギー弾や、高圧電気の攻撃をくらった場合、あっという間
に彼自身の体も人格も粉々になってしまうだろう。
カークスは電波やエネルギー波に対する感受性があまりに強すぎるのだ。
人間が、聴くことのできる限界以上の巨大音を聞いた場合、悪くすれば死んでしまうのと同じように。
「私は『ロックの』ディグアウトについていくとは言っていない。データ、私はお前について行くつもりだったんだが。…同
じ遺跡に行ってもデータの方が無傷の割合が高かったからな」
私だって何も考えていないわけではない、と言って笑うカークスをたちの悪い詐欺師を見るような目でにらみながら、
データが口をぽかんと開けた。
「えー!?ボクにぃ〜?」
予想外の宿題を出された小学生みたいな悲鳴を上げ、データはそのままがっくりと肩を落とした。
「悪いが、退屈ここに極まれり。ってやつだ。一度くらいリーバードと遺跡を見てみたかったし」
「…観光?」
眉を寄せ、やたら低い声でデータが言った。

6話

眉を寄せ、やたら低い声でデータが言った。
カークスはわざと首を傾け、しばし考えをめぐらせているフリをしてから、
相手のいらいらが最高に高まった瞬間を狙って、にこやかに頷いて見せた。
「よろしく頼むよ」
それを聞いたデータの表情はといえば、世界一苦手な食べ物を口いっぱいに含めと言われたかのような、
物凄い表情だった。

彼はずっと見守ってきた。…その飛空船、フラッター号ができた時から。
褐色の髪の少年、ロックの初めてのディグアウトの時も、彼は覚えている。
さんざんな目に遭ったにもかかわらず、大騒ぎしながら部屋に帰ってきたロックとデータが、
こっそり両手を打ち合わせ、嬉しそうにジャンプしていたこと。忘れてはいない。
空間にこぼれ落ちる彼等の脳波を読んで、カークスは思わず一緒に笑ったものだった。

ロックがディグアウターをしている理由の一つが、兄妹のように育ってきた金色の髪の少女、ロール・キャスケットの失踪した両親を探
すためだということも、その少女の祖父バレル氏が現役のディグアウターだった頃に、訪れた遺跡の深奥で見つけたのがなんなのかも…
カークスは知っている。
ロックと、ロールと、バレル氏と、データと。
家族とも言うべき彼等の輪の外側で、時に彼は会話の端々にのぞくそういった想いのかけらを意図せずに見聞きしてしまう。
ラジオが思いがけない局を受信してしまうように。
しかし、そういう予想できないこと以外では、カークスは決して彼等の心の奥底にあるようなものは読まないように努めた。
プライバシーの侵害は彼の望むところではないし、なによりそういう覗き見のような卑怯な態度は許せないたちだった。
あくまでも、ロック達が会話をするその内容以上のものは読まないようにしている。
(見守ること。それが私の望みだ)
…しかし。彼の漆黒の瞳がふとかげる。
最近、このカトルオックス島にフラッター号が不時着してから何かがおかしい。
ロックの脳波が、以前のようにやすやすと読めなくなってきているのだ。そして、見えないはず、聞こえないはずのカークスの方を『変
だな?』というような顔で見ることが多くなった。

7話

…どういうことだ?ロール、バレル氏、データ。彼等の心は相変わらずひろうことができるというのに。
ロックの心が、何かで覆われたように見えにくくなっている。
きっと、何かが起こっているのだ。得体の知れない何かが。
(遺跡に潜るのは、このメンバーの人間ではロックだけだ。では、遺跡になにかあるのでは?)
それがカークスの出した結論だった。遺跡に行きたいと言った本当の理由はもちろん、観光などではない。
データはしばらく前に用意があるからと言って部屋を出ていった。
鋼鉄の箱のごときこの部屋はたちまちしんと静寂に閉ざされ、柱時計が時を刻むこちこちいう音だけが響いていた。
時計の音というのは、なぜこうも響いて聞こえるのだろう。ただ静かなよりもずっと余計に、その音は静けさを呼び起こす。
「…この島は何だ?」
天井に目を向け、深く…静かにカークスはつぶやく。
勘は良いほうだと自覚している。ここには、計り知れないなにかがあるに違いない。
長い間この飛空船と人々には世話になっている。…もし、この島になにか災いがひそんでいて、知らぬうちにロックを蝕(むしば)んでいるのだと
したら、たとえその災いをはらうことは無理なまでも、何が起こっているのかを調べて警告してやるべきだろう。
彼らは、いまだにロックの異変にさえも気が付いていないのだ。気付いた自分こそが…動かなければ。


「ホントーに行くんだよね?カークス」
データは地面にペタリと尾を垂らして、自分の肩越しに後ろを振り仰いだ。
「何度聞いたら気がすむんだ?…もう5度目だそ」
翠緑の髪を風にそよがせ、ややうんざりした風にカークスが整った顔をゆがめた。
胸の前で軽く腕を組み、彼は目線で遺跡を示してみせる。
「もうロックは先に行っただろう?追わなくてはいけないんじゃないか?」
光に対する感受性は低い、と言いながらあまりに見事な幻だった。
周りの風速に合わせてなびく衣服、呼吸をしているかのようにわずか上下する胸のあたり。
…つまりはよっぽど暇なのだろうけど。

8話

「言っとくけどボクだって守りきれるかわかんないんだからね。後で文句言われてもダメだよ」
「覚悟がなければ、そもそも行くと言わない」
言って、微笑したその顔にはぞっとするほどの自信が隠れていた。たまにそんな表情を見せられると、データはますますカークスがわからなくなる。
(こいつの正体がアレだなんて、本当疑わしいよ)
カークスに悟られないように心の奥の下のすみっこのあたりでぼやいて、データはやっと尻尾を持ち上げた。
「うーん。ま、いっか。じゃあ行くからね」
「だからさっさと行こうと言っているではないか」
(うっ)
データは聞こえなかったふりをして遺跡のドアに手を伸ばした。
パシュー。
圧縮された空気が漏れるような音がして、ドアがひらく。
大平原の中にいきなり地面の中から突き出したような形の遺跡入り口は、周囲の風景から果てしなく浮いていた。
まるで、深い原生林の中に真新しい車があるような、かなりな違和感だ。
しかし、とカークスは首をわずか傾けた。『本当にそぐわない』のは平原の穏やかな風景だろうか、それとも地下に眠るという遺跡のほうか?
カークスには、島全体がそういった異様な違和感の源であるような気さえしていた。
(…今は考えても始まらないな)
頭を振って余計な考えを追い出し、彼はデータの後について遺跡の地下へと潜っていった。


薄暗い遺跡の中の空気は意外と澄んでいた。
地下ゆえの空気のよどみは一切無い。逆にきりと引き締まった涼しささえ感じる。
不思議な幾何学模様の刻まれた壁はぼんやりと白い光を放ち、視界に不自由することはないだろう。
目の前からまっすぐに伸びた天井の高い通路が、闇に消えてなくなって見えるほどずっと遠くまで続いている。
データにとっては見慣れた、お馴染みと言っていいくらいの風景。…が。
「…何だこれは!」
驚きと怖れの、鋭い意識がいきなりデータの頭につきささり、データは思わず飛び上がった。
「うわぁ!?…あーびっくりした。手加減しろよカークス〜!!!」
丸い両手で、同じく丸い頭をさすりながら、データは彼を振り返った。

9話

「?」
カークスは、何か嫌なものでも見たかのようにぶるっと頭を振り、
強いものの込もった瞳で天井を、壁を、床を…あるいはデータの見ることのできないどこかを見ているようだった。
「何なのさ?虫でもいた?」
冗談めかした言葉は、カークスのあまりに真剣な表情によって打ち消された。
「虫など…。ここには、人間以外、いっさいの生物は存在しない。
リーバードを生き物と言うなら、…まあ…生物に溢れているといっていいのかもしれないが」
「どーゆーこと?」
思いっきり疑問符を浮かべたデータに、カークスは片手を上げ、壁を示して見せた。
「壁がなに?」
「壁ではない。その内側だ。この遺跡の壁という壁、床という床…そして天井、
全てからごく微弱な力が放出されている。何の意図か知らないが、恐ろしい手間だ。
…その微弱な力は生物の精神に作用して…何だろう、何かを伝えようとしているような気がする」
データは呆然として天井を見上げた。さすがと言うべきか。
カークスはその気になればラジオやテレビだってそのまま聴いてしまえるほど、そういった感覚が鋭い。
「私には、この遺跡が通常にあるものでないと感じられる。…もっと危険な。…ああ、わかった!」
独り言のように呟いていたカークスは、ハッと目をまばたかせた。
「‘警告’だ。ここに眠る何かを…動かすな?いや、起こすなと」
「カークス…」
「ロックが最近私の“声”を聞きはじめた。やはりこの島の遺跡のせいだったのだな?
こうも始終まわりから声がしていたら、勘の良いロックのことだ、聴けるようにもなってくるだろう」
「カークス!」
いつになく激しい口調に、カークスは驚いてデータを見おろした。
データは黒く小さな目をせいいっぱい鋭くして、噛みつくように叫んだ。

10話

「それ、もしロックが本格的にキミと話せるようになっても言っちゃだめだ!絶対。
ボクは…少しカークスをみくびってたみたいだ。こんなにあっさり遺跡の秘密に気がつくなんて。
…そう、カークスの言うとおり、ここの島の遺跡は警告を発してる。メインゲートの最奥の主を起こすなと言っているんだ。
ロックはまだその囁きをメインゲートへの漠然とした不安くらいにしか感じていないはず。
…この島に降りたのは純粋な事故だったけど、ボクはいずれここと同じような遺跡にロックを行かせようと思ってた。
必要なことだったから。ロックには…もっと強くなってもらわないと困るんだ。
予定は少し早まったけど、これは予定通りのことで、今ロックがヘタに警告に気付いて余計な不安や恐怖を抱かせるわけにはい
かないんだよ!」
どとうのようなセリフをカークスは目を丸くして聞いていたが、やがてにっと不敵な笑いとともにうなずいた。
「なるほど。私が知るべきでないことがあるのだな。…いいだろう。ワケアリなのは私も同じだ」
ふぅ、と溜め息をついて、データが汗もかかないくせに額の汗をぬぐう仕草をする。
「まったく。何もしないうちに疲れちゃったよ」
脱力したデータの声が、巨大な獣の体内に似た遺跡の中に、うつろに響いていった。


入り口からかなり近い場所に、巨大なディフレクターがバリアに護られて設置されていた。
カークスのちょうど首くらいの位置に浮かび、黄色に光るディフレクターの前にはなにやらコンソール・パネルがぽつんと立っ
ていて、データの言うにはどうやらそれに鍵か何かを差し込んで起動させなければバリアが解けないようになっているらしい。
データの説明を半ば聞き流しながら、カークスは遺跡の奥へ続く通路へ意識を向けた。少し遠くに、ロックの武器であるバスタ
ーのエネルギーが感じられた。ロックは鍵を探しに行ったのだろう。
「それじゃ、先回りしなくっちゃ」
説明を一方的に終わらせたデータが、その小さな体からは考えにくいほど素早く走り出す。
置いていかれないようにカークスも急いでついて行かなければならなかった。
カークスの足先はかすかに浮いて、床を踏んでいない。
実体の無い体なので床に触れている必要も、重力の束縛を受けることもない。

11話

しかし、そんなカークスでも移動が一瞬というわけにいかないのは、不条理といえば不条理だった。
(ま、今以上を自分に望むつもりも無いからいいのだが。…ん?)
ふと突然、前方にリーバードらしき思考波を見つけて、カークスは先を行くデータに警告を発した。
「データ!その先にリーバードが…!」
しかし、データは振り返りもしなかった。走ったまま、スピードも落とそうとしない。
「リーバード?わかってるさ。逆にいてくれなきゃ困るんだよっ!」
それだけ叫んで、無造作にポンっと角の先へ飛び出していってしまった。次の瞬間、…カークスには角の向こうのリーバードが3体、餌を
見つけた飢えたヘビのような唐突さでデータに殺到したのが手に取るようにわかった。
「データ!?」
ズガガガガッ!!
削岩機で巨岩を粉砕するような轟音とともに、角の向こうで強烈なエネルギーが炸裂した。
「!」
思わず、腕で顔をかばってから、彼はおそるおそるデータの様子をさぐった。最悪、粉々になった欠片の姿も想像しておく。
「よっし完了〜。…何してんの?カークス」
急いで角を曲がった彼の足元で、無傷のサルは首をかしげてこちらを見上げていた。
「なっ…!?」
周りは物足りないほどしんとしている。リーバードの気配も、他はともかくこの部屋にはもう感じられない。
「データ、今何があったんだ!?リーバードが…確かにここにいたんだぞ!?」
データは気まずそうにきょろきょろ周りを見、すでに何も無い空間を指差す彼を見上げた。
「あの…まあ…それは内緒ってことにしといてよ」
アハハ、と乾いた笑い声を上げるデータを、彼は一時宇宙人でも見たような表情で見たが、やがてあきらめたように柔らかい微笑を浮か
べ、溜め息をついた。
「…わかった。余計な詮索はしないようにしとこう。それにしてもお前達はよくよく秘密が多いのだな」
「カークスは自分の存在認識してからそういうこと言うんだね〜」
―――否定はしない。
簡単に笑って、彼はうなずく。
幸い、カークスには人間ほどの好奇心はない。秘密を暴くことには興味が抱けなかった。
(しかし…それは寂しいことなのかもしれないな)
好奇心に目がくらんで火傷することのないかわり、新しい何かを得ることもない。それが、時たま急に寂しく感じることもあるのだ。
…今のように。

12話

「じゃ、納得してくれたところで先急ぐよ。こっちこっち!」
ハッと我に返ると、データがほぼ正方形をしたこの部屋の一方の隅で、丸い手を振っている。いつの間に移動したのか。
「しかし、そっちは壁…」
(ん?)
複雑な幾何学模様のおうとつの奥、警告を囁く壁たちの中で、その場所だけ壁が沈黙している。…なんだろう?空洞?…いや。
「隠し通路か!」
「さすがだね。わかる?こーゆーのは、大抵どこの遺跡にもあるんだ。ロックみたいに罠や仕掛けをのんびり越えて行くのも、リーバードの相手も面
倒だしここをいくから」
尻尾をくるくる回しながら、データは軽くそこの壁に触れた。
…ヒュッ
空気が吸い取られるような音がして、いきなり壁に丸い穴が開いた。大きさは長身のカークスが頭を少し下げれば通れるくらいの大きさで、なかなか
に広い。
「どうして…隠し通路が…」
データはまったく臆した様子もなくスタスタと穴に踏み込んでゆく。
利用するのはどうも初めてではなさそうだ。
「リーバードはさ、こういう遺跡の番人なんだ。なのに、一人のディグアウターに大方倒されちゃってそれっきりだったら、もうその遺跡は侵入者入
り放題だよ。だから、ボスクラスの特別なリーバードでない限り、どこの遺跡にも新たなリーバードを自動的に補充するための施設があるんだ。…た
いていはリーバードのいる部屋の隠し通路の先の…中心部に」
説明をしながら進むデータの後についてカークスが穴に踏み込むと、
背後でまた跡形もなく穴が閉じた。それによっていっさいの光が遮断されてしまったらしい。
…もともと光を見ることのできない彼にとってはどうということもないが。
データも支障は無いらしい。気付いた風もなく話しつづけている。
「…それで、中心部からは全ての部屋にこういう通路がつながってる。…どういうことか解るよね?」
カークスは、ゆったりと頷いた。切れ長の目が鋭い猛獣の色を含み、楽しそうに輝く。
「ああ。つまりは『近道』というわけか」
道はゆるやかに下っている。…中心へ、そして最深部へ。

13話

視覚にその感受性の重きを置いている人間だったら、あっという間に方向感覚を失って道を失い、闇への恐怖につぶれてしまうだろうな、と彼はぼんやりと考えて
いた。
たった今データとカークスが通り抜けてきた中心部には、グロテスクな恐竜の骨格と、同じくらい巨大な機械をごちゃごちゃに混ぜ合わせたような、機械とも生物
ともつかないものが静寂の中漆黒のとぐろを巻いていた。…周囲に口を開ける無数の穴へ、作ったばかりのリーバードを時折思い出したように放り込みながら。
作動音が無いのが、逆に不気味だった。黙したままそれを見上げるカークスに、データは苦い口調で『あまり面白いものでもないよ、襲ってもこないし』とだけ言
って、彼にはどれも同じようにしか感じられない無数の穴の中から一つを選び出してさっさと進んでいってしまった。
巨大なその機械には、データたちや人間はおろか、リーバードほどの思考力も無いのが感じられた。『それ』には、『どこのエリアでどのリーバードが何体必要
か』ということしか解らないらしい。…まるで一生を卵を産むことにのみ費やす女王アリのごとく。いつか受信したTVで、「人生は不公平だ」と誰かが言ってい
たが、どうやらリーバードたちですら公平ではないらしい。…しかし、この機械たちはけして哀れむべき存在ではない。哀れまれた所で、彼らにはそれがわからな
いのだから。
「大いなる機械たち…哀れむべきは製作者達だろうか」
「え?」
前を行くデータが振り返って聞き返してきたので、彼は穏やかに首を横に振った。
「…いや、なんでもない。それより、もう着くのではないか?近くにロックのバスターのエネルギー波が感じられる」
「うん。もう出口だよ!いちおう、今回ロックが来れるのはここまでのはずだから、こっそり様子を見てボスがいるようだったら出てって体力回復と特殊武器のチ
ャージしないとねっ」
「なるほど」
いつも彼らはこういう風にしてディグアウトをしているのか。問題も解決したし、なかなか興味深かった。

14話

…シュッ
空気とともに吐き出されてみると、そこは薄青い氷を思わせる一室だった。
奥のほうに通路が伸び、その一番奥の床の上に何かが無造作に転がっている。
鍵…のような何かだ。
「ふ〜ん。スターターキー…みたいだね」
そちらを一瞥しただけでそう言い切って、データはぐるりと体ごと回って部屋中を見回した。
「バリアでこの部屋は護られているようだな」
カークスの方は、鍵があるのとは別の方向へ、さっきからずっと目を向けていた。
そこは本来まともに遺跡を抜けてきた場合の、この部屋への入り口なのだろうが、
恐ろしく高エネルギーの光の網がバリバリやかましい音を立てながら隙無く通路を塞いでいる。
カークスなど触れただけで消滅しかねない強力なものだ。
「たぶん…入り口近くにあった大きいディフレクターのバリアを解除するためのスターターキーだと思う。それと…運が良かったね。ここ、ボスリーバードいないみたいだ」
独り言のように呟いたデータが、さかさかと走って目立たない部屋のすみっこに隠れた。データは小さいから、そうやってしゃがむだけで案外大きめの床の突起に隠れてしまえ
る。隅々まで探されでもしない限り、まず見つからないだろう。
「早く隠れろよ、カークス…は、ああそっか。ロックには見えないんだっけ」
口元にからかうような微笑を浮かべたのを見て、データはカークスに実体が無いことを思い出した。
「じゃいいや。とりあえず静かにしててよ」
「わかっている」
腕を組んで、バリアが消失する所を見ながら彼はうなずいた。
万が一、ロックに彼の声が聞こえてしまわないとも限らない。
二人が沈黙した直後、バリアの消えた通路から、ロックが勢いよく走りこんできた。
かと思うと、その青いアーマーに包まれたかかとが部屋に入りきった直後、間髪を入れず、再び凶暴なバリアが復活した。
「ふ〜。危なかったな、ギリギリだ」
ザザっと床をこすってロックの足が止まる。
額の汗を軽くぬぐうその左手には、物騒なバスターが装備されていた。
たった今まで交戦していたらしく、青いアーマーのあちこちにも新しいかすり傷がついていた。

15話

青い壁からの反射光を受けてわずかに青を宿した緑の瞳がさまよい、床のスターターキーを見つけたようだった。
引き締まった表情、透明な緊張を秘めた目から伝わってくるものは、
なるほど。いつも見ていたフラッター号に乗っている時のロックとは違う。
「…やった!これであのディフレクターのシールドが外せる」
走り寄って拾い上げ、嬉々として叫んだロックの声に重なるようにしてロールの声が無線の音で鳴り響いた。
『スターターキー…3つめ!これでコンソールを動かせるはずよ!』
ロックは横にいるカークスと隠れているデータにまったく気付いていない。
よしっと一つうなずいて鍵のすぐ後ろにあった一方通行の扉を開けて、さっさと走り去ろうとする。
…なんというか、ロールの声を聞いただけでいきなり気が緩んだのか、さっきの真剣な表情はどこへやら。
やたらニコニコしている。
「気楽な奴」
思わず苦笑し、言葉をもらしたカークスだったが。
「だれだっ!?」
閃光のごとき挙動。いつの間にか、バスターの漆黒の銃口がピタリとカークスを真正面から見据えていた。
一気に周囲の温度を5度近くも下げてしまったかのような、迷いの無い殺気。
…時が凍りついたような、恐ろしい沈黙。

(…聞こえたのか)

こんな少年が、これほどの殺気を放つか。
人間であれば冷汗をかいていたかもしれない。誤算だった。こんな場面で声を聞かれてしまうとは。
カークスはしかし、身じろぎもせずロックの両眼を見返した。
一発でも撃たれたら、カークスにとっては致命傷になりかねない。だからといって、無様にうろたえるのは死ぬより屈辱だった。
「・・・・」
「・・・・」
しばし、お互いが見えているのかはともかく、両者の視線が交錯した。


transcribed by ヒットラーの尻尾