「観察日記二章」
著者:みどりこさん
一章

1話

ロックとカークス。両者の凍るような視線の交差は、突然に終わりを告げた。 はりつめたシャボン玉がぱちんとこわれるように、緊張感が霧散する。 先に殺気を消したのはロックだった。 「…気のせい…かな」 バスターを下ろし、2、3度首を振ると深い緑の瞳に浮かんでいた鋭い殺気がさっと消えた。 もう、カークスを驚愕させたほどの力はそこには無い。ただの少年だ。…今は。 ロックは思い出したように再び踵を返し、 そして、もう一度気がかりな様子でこちらを振り返り・・・やがて心を決めたように扉を出て行った。 「馬鹿カークスっ!!」 扉が閉まったとたん、隠れていたデータがロケット砲のように飛び出してきて、 体ごとカークスの頭部に殴りかか…ろうとした、が。 すかっ! 実体の無いカークスの体のことを忘れていたのか、データはそのままの勢いで反対側の壁に激突した。 割れ鐘のような轟音が響き、さすがのカークスもはっと目を見開き、データが壊れたかと危ぶんだ。 が、データの頑丈さはカークスの予想を上回っていたようだった。 データはふらつきながらも気丈に立ち上がって、もう一度この長身の馬鹿に詰め寄った。 「ハァ、ハァ、だ、だから言ったろ!何も言うなって!!」 「私も驚いた」しれっとした表情で悪びれもせず言ってのけるカークス。 逆三角形につりあがったデータの目がさらに怒りの炎をともす。 「『驚いた』じゃないだろー!?カークスが死んだら、ボクが疑われるんだからね!!!」 「ああ。…それは悪いな」 「本当に悪いと思ってる?」 半眼になって睨み上げるデータを、彼は笑って見おろした。 「少し」 データの頭ががっくりと落ちた。

2話

…こいつには勝てない…! データはなんとなくそう悟った。ロールちゃんの次か、同じくらいに 『どうしようもない』のだ。 天災のような存在だ。 (あ〜。もうそれはいいや。考えるだけで頭がおかしくなる) 肩で溜め息をついて気を取り直して、データはなんとか気分を切り替えた。 こういうときは役目に没頭してしまおう。自分はここにロックのサポートに来たんだ。 「…ロックがそろそろディフレクター手に入れた頃だと思うけど…カークスわかる?」 「・・・・・」 黙っていれば幻のように美しい男は、すっと細い顎を上げて壁も何もかも、 全てを貫く彼方を見つめた。 視覚に左右されないカークスの感覚は、 たとえ幾枚壁をはさもうともあの巨大なディフレクターの存在を見逃しはしない。 ロックがバリアをはずしたかどうかなど、即座に感じ取れる。 「まだ、バリアは解かれていないが…ロックはその部屋の隣まで来ている」 「そっか、順調みたいだね。  大きいディフレクターには、たいてい罠が仕掛けられていたり、  守護リーバードが目覚めるようになっていたりするんだけど  …そーゆーのはわかるかな?」 データは、首を傾けながらカークスと同じ方向を見上げる。 当然ながらデータには遺跡の薄青い天井が見えるばかりだ。 カークスの瞳が闇色を深くする。 「罠。…か。仕掛けられていれば私にはわかるが…いや、無いようだな。  今ロックがディフレクターの部屋に入ったぞ」 データはほっと溜め息をついた。バリアとキーで封じてあったのだ。 いくら慎重な古代人と言えどもこれ以上罠を仕掛けたりリーバードを配したりはまずしないだろう。 「いや、待て!」 カークスの声にいきなり緊張が走った。

3話

「データ!…この感じがわかるか?」 カークスは、上方の一方向を示した。ディフレクターのバリアが解かれた瞬間、 強大な殺意がそちらで閃いたのだ。 どれくらいぶりだろうか?これほど強い、黒い殺意は久しく感じた事が無い。 さっきのロックが発した殺気のような、透明さが感じられない。 これは憎悪だ。この遺跡を造った者からの、招かれざる侵入者への容赦無い怒りと憎しみ。 …それらをありったけこめて造られたモノが発する、どろりとした殺意。 「データの言うとおりだ。何も起こらないはずは無い。何か、リーバードが目を覚ました!」 「そんな…!?ボクには何も…ロールちゃんも何も言ってこないし」 焦ったようにデータが走り寄った。 「具体的な場所は!?」 「移動している…もうすぐ“中央”だ。  内部通路を経由して私たちのように先回りし、出口付近で奇襲するつもりだろう。  わたしならそうする」 一言も発さずに、転がるようにデータは隠し通路に飛び込んだ。 カークスも、音も無くそれに続く。 遺跡の壁の中に巧妙に隠された、漆黒の闇が支配する通路を全力で駆け抜けながら、 データが悲鳴にも似た叫びを上げる。 「壁の中だったからロールちゃんのナビにも引っかからないんだ。  今はボクにもわかる!強いリーバードが1、2、3…5体もいるよ!  それに、くそっ足が速い!!」 後半を歯軋りしつつ、うめく。 「ロックが勝てるレベルのリーバードか?」 データの発する感情に嫌なものを覚え、緊張感を体中に感じながらカークスは呟いた。 「・・・・・」 沈黙が答えだった。 「今までもあったのか?こういうことは」 「…まーね。強すぎるリーバードはボクがこっそり通路閉じたりして  ロックの前には出さないようにしてたんだけど…今回はまずいね。  この内部通路を閉じることはボクにはできないし…  せいぜい、リーバードよりも先にロックのところへ行って、  体力回復してあげるくらいしか…」 それは叶わないだろう。相手は一体ではない。足はデータより確実に速い。 いいながら自分でもわかっているのだろう。データの表情は苦しそうだ。

4話

「“中央”で倒すという手は?」 笑みとともにカークスは言い放った。 「ボクが?そんなの…」笑い飛ばそうとした声をさえぎって、続ける。 「いや、私がだ」 「カークスがっ!?」 広大な空間に出た。“中央”そこは、遺跡の中心に座する、まさに遺跡の心臓。 いまも脈打ちながら間断なくリーバードを無数の通路へ送り込んでいる。 巨大な、不気味なモニュメントのよう。 リーバード達がいた部屋よりこちらの方が“中央”に近かったらしい。 まだ殺気の主たちは現れていない。 「データ、行け!私がだめだった時はお前の方がロックの役に立つ!」 突如、カークスたちの前に、巨大なリーバードがなだれ落ちてきた。 上のほうの通路から飛び降りてきたのだ。 彼ら特有の深紅の目を光らせ、 リーバード達はそれぞれカークスたち不信な存在を立ち止まって注視する。 「カルムナバッシュ!?…にしちゃでかいけど…!」 データが悲鳴めいた声を上げる。 オオカミに似た形態だと言えることは言えるだろうが、 前足の方が後足より長いために、ハイエナや、あるいは類人猿めいた 雰囲気を放っている。不恰好に頭部や、特に顎が大きい。 しかし、そのアンバランスさに反して動きは俊敏そのものだった。 強力なリーバード…。普通の大きさの、たった一体にすらロックは手を焼くだろう。 「どーすんのさこんなの!!そりゃエネルギー弾は使ってこないけどさ、  火を吐くんだよそいつ!・・・それより、  幽霊みたいなカークスがどうやってダメージを与えるつもりなんだよ!?」 半ばヤケなきんきん声でデータが怒鳴るのを、カークスは鋭くにらみすえた。 「行けと言っただろう!わたしは、何事も無策に行動したりはしない!!」 気迫に押され、データばかりか、リーバードたちまでじりっと後ずさる。 「カークス…キミ本当に…ロックの部屋の、あのサボテンの精神体?」 押し殺したデータの声が、グロテスクなリーバード製造機械の間に低く染みとおった。 サボテンの精神体 それこそが、カークスの正体。…のはずだ。 しかし、カークスは不思議な笑いを浮かべてみせる。 「ただのサボテンが私のようにぺらぺらしゃべるものか。…ワケアリといっただろう」 カークスから強力な気迫を感じ取ったリーバードたちは、 カークスを敵と判断したようだった。 闇の中、深紅の目をぼうっと光らせ、そこだけ闇を赤く溶かしながら カチャカチャと近寄りだした。 「カークス!」 「後で、知りたかったら教えてやる」 細い後姿はもう、動くつもりも話すつもりも無いことをきっぱりとデータに告げている。 「わかった。…“中央”はできるだけ壊さないでね!  コレは壊しちゃうと、遺跡の補修やリーバードの補充ができなくなる!!」 それだけ叫んで、通路の一つに文字通り矢のようにデータが飛び込み、消える。 『ごるるるるっ!!』 一頭のリーバードが唸って追いかけかけたが、そいつは突然足がもつれて転び、 追い損ねてしまった。 もつれた足元には、空気以外何も無いというのに。 「悪いが、全力で相手をする」 『?』

5話

疑問の意思を、いっせいにリーバードたちが発してきた。つまり、 『どういうことだ?』とでも言いたいのだろう。 「答え。…こういうことだ」 スッ カークスの白い腕が闇に軌跡を描いて、上方のある場所を示す。 直後、遺跡全体がまるごとシェイクされたように激しく揺さぶられた。 『!?』 恐慌に陥った巨大カルムナバッシュ達は、 めちゃくちゃにカークスに向けて攻撃を仕掛けてきた。前足を振り上げ、叩きつける。 巨大なあごで噛み砕こうとする。 あるいは周りじゅうを激しいオレンジ色に染め上げる猛火を吐きつける。 強靭な遺跡の壁面や床面が反動に悲鳴を上げ、衝撃音が荒れ狂った。 …が、しかしそのいずれもがカークスの体を素通りしてしまう。 カークスの体は単なる幻影に過ぎない。直接的な攻撃は一切意味が無いのだ。 だが、それは同時にカークスからの攻撃も彼らリーバードに当たらないということも意味している。 「ここは地下だ。地下には何がある?土、岩、地下水…」 リーバードの炎に照らされて、オレンジ色と黒の強烈なコントラストに染まりながら、 リーバードなどそこにいないかのような涼しい瞳で彼は語り、一息ついた。 そして続ける。 「そして、地下には限定的にだが、これもある。…植物の根」 バリバリッ!!! カークスが示した位置の壁が破れ、ヘビのようにのたうつ何かが、 恐ろしい勢いでカルムナバッシュの一頭をからめ取った。 …それは、巨大な木の根。 冗談のように太いそれは容赦なく伸びつづけ、遥か高い天井あたりでゆらりと動きを止める。 残りのリーバードはパッと飛びすさって木の根から距離を取り、 犠牲になった一頭が悲痛な叫びを上げた。 『グルルルルル…?』 飛びのいたリーバードの目が、さぐるようにカークスを見据える。 声に含まれた明確な疑問を読み取り、彼は笑う。 「私が何者か、だと?」 さらに三本の木の根が壁を破って侵入した。…強力な光弾や灼熱の炎ですら、 傷ひとすじつけることもかなわなかった遺跡の壁が、バリバリ音を立てて砕かれている。 木の根は雷光の速さでカルムナバッシュに襲いかかり、 たちまち三頭を捕らえ、最初の犠牲者と同じようにぎりぎりと締め上げた。 狂ったように根を切ろうと爪を立てるリーバードの爪がまったくとおらない。 ただの木の根ではありえなかった。 唯一根の襲撃を逃れた一頭がガクガク揺れるような足取りで壁際を逃げるものの、 無数にあったはずの通路はいつの間にか根から枝分かれしてきた細い (といっても太さは1メートル近い)根によってびっしり覆いつくされていた。 今や“中央”の部屋全てがうごめく根っこの中に囚われたようなありさまだった。

6話

「私はカークス」 歌うように。片手を自らの胸に当て。 名乗る背後で、みしみしと根が増殖していく音が続く。 まん中に座していたあのリーバード製造装置ですらも、 根にぐるぐる巻きにされてさらに恐ろしげな異容へと変貌している。 闇の中だというのに、漆黒の瞳はそこに沈んでしまうことがない。 青年と少年の間のような、しかし甘さのひとかけらも無く美しい顔に 冷ややかな笑みが刻まれた。 「カークス・ジュレス。全植物の王にして、一鉢のサボテンだ」 ―――この名乗りも、どれくらいぶりか――― バギッ!! 締め上げられていた四体が限界を越え、破裂したかのように砕け散った。 ガシャガシャと破片が降り、色とりどりのディフレクターが星座のように散る。 ただ一体の聴衆は、カークスの名乗りを聞いたとたん、はたと立ち止まった。 カークスの言葉が理解されたかどうかなど、カークスに確かめるすべはない。 …が、 そいつは突然鋭い叫びをあげた。過去に存在したどの獣のものにも当てはまらない、 しかし間違いなく闇に銀の波紋を描く、獣の咆哮だった。 逃げる事をやめて戦う意志を決めた、獣の。 「…なるほど」 カークスの目の前で、そのリーバードは一瞬の動作で根っこの攻撃を避け、 凄まじい火炎でそれを炭にしてみせた。 木は燃える。燃えてしまってはもう動く事はできなくなる。 木の根はがくりと力を失い、炭を散らせて落ちた。 「リーバードでも頭は悪くないのだな」 にっと笑い、呟く。 一体だけ残ったリーバードは巧みに根をかわしつつ、燃やし始めた。 壁や床、天井までも覆い尽くす木の根をなめるように炎が広がってゆく。 …カークスの、攻撃手段は封じられた。 媒介を使ってしか攻撃できない、カークスの特徴をもうリーバードは見破っている。 広大な“中央”全てを包むように燃え広がった炎から立ち昇る熱気で 部屋はすさまじい高温にさらされてる。 生身の人間なら呼吸しただけで肺が焼けてしまうだろう。 …しかし、それほどの高温でもカークスの幻体は揺らぎ一つしなかった。 その、不敵な笑みも。 「そろそろ…時間だな」 一言、カークスは呟いていた。

7話

カルムナバッシュは、ほとんど一心不乱になって全てを覆う木の根を焼きつづけていた。 この内部通路をふさがれることは、あってはならない。 遺跡の機能を保つことも、リーバードの思考の根幹に刻まれた事の一つ。 それは侵入者の排除と同じくらい重要なことだった。 かれには、カークスが名乗った言葉の半分も理解はされなかった。 ただ、このいまいましい侵入者が直接攻撃が効かない相手であり、 同時に仲間を一瞬にして4体も破壊するほどの脅威だということ。 しかし、そいつが操っているらしい移動攻撃体は 火炎放射で破壊可能だというこという事しかわかっていなかった。 しかし、リーバードにとってそれだけわかれば充分だった。 ついでにいえば、ほかはどうでもいいことだ。 自分に求められている事は、 侵入者の排除 遺跡の保全 それだけだということをかれは良くわかっていた。 まだ燃えていない部分を狙って、リーバードは新たな炎を吐こうと また大きくあごを開いた。…が。 「!?」 炎が出ない。 発火しやすい可燃性の気体がしゅーっと口から流れただけ。 一体、何が!? うろたえて足を止めるリーバードを映す、闇色の瞳がちらりと冷酷な光を宿す。 「お前も、空気呼吸をする存在だったなら早めに気付けたのにな」 戦うと決めた時から、カークスは万全の計画を進行させていた。 そういう性質なのだ、昔から。 だからたまにデータに神経質とか性格悪いとか言われるのだろう。 苦笑して見つめる先で、リーバードの首が突然裂けた。…まったく音はない。 「!!」 間を置かずに、次々と胸や腹がなすすべもなく裂ける。 運動能力を失って、カルムナバッシュが頭から床に突っ込むが、やはり音はしなかった。 いつの間にか部屋中の火が消えていた。 根は、一部燃えたものの、まだしっかりと通路を封じ 中央の機械にびっしり巻きついたままだった。 「私が支配しているのは植物だけではない」 赤く輝くリーバードの瞳がスゥっと色を失うのを、 彼は…カークスは淡々と見つめていた。決して『見る』ことを為さぬ瞳で。 やがて発された声は、その瞳以上に何の感情も表わさなかった。 「この部屋の空気に『出ていけ』と命じたんだよ」 カークスは、あるていど重さの軽い分子なら自在に操ることができた。 りん、と輝いて、ディフレクターのかけらがリーバードの首の裂け目から転がり落ちた。 …それが、カークスには命なきこの獣のささやかな抗議に思えた。 この部屋は、今や宇宙のように真空だった。 彼は、最初からこれを狙っていた。 木の根でリーバード達を攻撃しつつ、退路を断つ。 と見せかけて、同時に壁に開いたあまたの通路をふさぐ。 計画通り混乱しうろたえた彼らは本来の機動力の半分も生かせずに あっさりと木の根に捕らえられ、炎で焼くことに気付けた残った一頭も 攻撃してくる木の根に気をとられて、そちらをまず焼いた。 …壁を覆い、通路を、細かな隙間をふさぎ、 そして熟練したアサシンもかなわぬ静かな足取りで部屋の空気が出て行くのに、 リーバードは気付かなかった。

8話

そして、体内の高圧と、体外の極低圧の差に、 リーバードの特殊な装甲でも耐える事は出来なかった。 よほどの対策構造を持っていない限り真空の世界でそのまま動けるものはいない。 「………」 しばし、じっと動かぬそれを見つめて、カークスは小さくため息をついた。 (やりすぎたかもしれないな) 後悔はいつも、後からやってきて苦い味を残す。 「戻れ」 …ゴウッ 部屋の外に待機していた空気が、津波のように戻ってきた。 役目を果たした植物の根は、灰ででも出来ていたかのように跡形もなく崩れ落ちる。 あちこちに空いた巨大な円形の穴だけが、その名残。 「データ、これでいいのだろう?」 苦味の残る微笑をうかべて、カークスは正面を見上げた。 再び戻った闇の中に、戦いの前と少しも変わる事のない巨大な機械が直立している。 真空の世界から守るために、 カークスは木の根の一つにそれをぐるぐる巻きにして守るよう命じていたのだった。 データの言う事が本当なら、やがてこの内部通路の穴もこの機械によって塞がれ、 ロックが倒し尽くしたリーバードも補充されるというわけだ。 「でも、お前達はもう戻らないのだろうな…」 闇に散るディフレクター。 リーバード達の残骸は戻ってきた空気に押し流されてどこかへいってしまった というのに、それだけは残って、淡く闇を溶かしている。 カークスに色は見えない。 ディフレクターのかけらが放つ光はあまりにわずかだから、その光も見る事は出来ない。 しかし、ディフレクターのかけらが発するエネルギーは、 彼にとってまるで煌く灯火のように美しく、 人間で言えば小さな焚き火がそばにあるような感覚だった。 その輝きに、しばし目を細めて。 「さて、戻るか」 予定外の戦闘をこなしてしまったことで、すこし疲れた。 窓の下で日の光を浴びたい。 彼はデータが出ていった穴を振り返る。動きにつれて、翠緑の髪が闇の中に踊った。

9話

どこまでも青い空。 片隅にそびえる真っ白なかたまりは入道雲。 それらを背景にして、赤と黄色に塗られたマンボウ型飛行船がのんびり寝そべっている。 「さー!かえってきたんだから洗いざらい話してもらうからねっ!」 突然の大声に驚いた鳥が、窓の外の木からバサバサと飛び立った。 「可哀想に。鳥が驚いていたぞ」 ついさっき帰ってきたばかりのカークスが、 わざとらしく外をのぞいて眉をしかめて見せた。 「別に鳥は今どーでもいいだろっ!!ロックも出かけてるし、今のうちに吐けっ!!!」 カークスの代わりに、データは床を力任せに乱打した。 ロックと、それとロールは少し前にレイクサイドパークへと出かけていった。 手に入れたイエローディフレクターをさっそく何かに試すらしい。 フラッター号の中はしん、と静まり返っている。 「…約束だしな。隠すことでもないか」 肉食の猛獣の、しなやかな伸びをする動きを思わせる動作で、 彼は座っていたベッドの上から立ち上がった。 「さて、じゃあまず質問だ。…世界征服は可能か?」 こいつは、真面目に答える気があるんだろうか。 データは本気でカークスを三つにたたんでやりたいと思った。 「しばらく前に自分で答えてたじゃないか。  え〜っとなんだっけ。圧倒的物量・忠実な部下・遠大で緻密な計画・  それを実行する器だっけ?でも、ボクは無理だと思う、とも言ったと思うけど  …って、これ何の関係があるんだよ!?」 心底楽しそうにカークスが笑った。 「だから。関係はあるんだよ。…で?データはなんで、それでも無理だと思うんだ?」 イライラと足を鳴らしながら、それでもデータは彼を見上げた。 「そりゃあさ、そんな世界征服しようとしてる奴がいたらみんな放っておかないよ。  いずれ、ロックみたいなのが現れて、絶対に阻止するね。  ボクはだから無理って言うんだ」 「…そうか」 カークスは小さくうなずく。表情にどこか柔らかいものがよぎる。 …そう、あの少年なら、きっとそういう存在を許さないだろう。 「では、その世界征服が誰にも気付かれないものだったらどうだ?」 「無理だね。征服ってのは、  もともといたものを無理やり従わせるってことだろ?ありえないよ」 打てば響くタイミングで即答したデータに、彼は静かに首を横に振ってみせた。 「気付かれはしなかった」 呆然と、データは目を見開く。 「なん…だって!?」 丸い手でカークスを指したものの、次の言葉が出てこない。 カークスのその言い方だと、カークスは世界征服に成功した人物を知っている、と いう意味に聞こえる。そんな、まさか。

10話

「はるかなる古から。世界はすでに征服されていた」 鮮やかに笑い、カークスはデータを見おろした。 「この、私にね」 「カークスにぃぃぃぃぃぃっ!???」 脳天から突き抜けるような裏返りまくった声を上げて、データが手を振り回した。 「だってだって、なんだよそれ!?世界がサボテンに征服されてるぅ!?」 データは焦った顔で、 棚の上のちんまりした丸い、トゲトゲの植物とカークスとを見比べている。 「冗談きついって!!」 「いや。私はほんの10年前まで樹齢数百年の大樹だった。  切り倒されたので体を換えたんだよ。体となるものは植物であれば何でもいい。  次々とそうして…私はあきれるほど長く生きている」 だが、あまりに長く宿体を失っているといずれ病んで死んでしまうが。 カークスは焦点を失った目つきのデータに微笑を向ける。 「…私がどこからきたのか、などと聞くなよ?愚かな問いだ。  人間だって自分たちがどこからきたのかは憶えていないだろう?」 はるかな彼方。自分が憶えている、一番古い記憶は…。 記憶の紐が煌めきながら編み上げる、懐かしい眺め。 「私は、いつの間にか海と岩ばかりのこの星にいた。  大気と呼べるようなものはほとんどなく、地も空も恐ろしく熱かった」 語り出したその内容に、データは思わず全身が冷える気がした。 …それは、いつの話なんだ?千年や二千年ではとうてい及ばない…昔では? 「真っ白く強烈な太陽の下で海が広がり、  その中で原始生命が蠢くばかりの世界だったよ。  …私は、本能的に気体を操る術を心得ていた。だから、ある日  この力を使ってそこにいる生命たちを支配してみようと思い立った。」 さらりととんでもない事を言うカークスは、 話し相手も誰もいない荒野に、ただ一人存在するのはどれほどつまらないか、わかるか? と寂しげに付け足した。 「それが正しかったかどうかは知らない。…だが、私は真剣に世界征服に取り組んだ。  それには、まずこの星を私が自由に操れる気体で包んでしまう事が好都合だった。  私は原始生命体の一つを宿体に選んで乗り移り、その構造を変化させて  新たなる気体…後に人が“酸素”と呼ぶものを生成できるようにした」 カークスが語る内容、それはこの星と生命の始まりのころの話だった。 …なんてこった! データは混乱する頭の中でやっとそれだけを叫んだ。 「やはり後に“植物”と呼ばれるようになるそれらは細胞分裂して増え、  やがて長い年月をかけて星の大気に“酸素”を増やし、  今のような成分の大気へと変えていった」 「そ、それで…酸素を呼吸する生物が生まれた?」 おそるおそる、データは口を開いた。 カークスは、こともなげにうなずく。 「そのとおりだ。…全て私の思惑どおりにね」 つまり、酸素を呼吸してエネルギーを得る生物が大半を占めた時点で、 カークスの世界征服は完了していたと…そういうわけだったのだ。

11話

「…なんて言っていいのかわかんないな。トンデモないってことだけはわかるけどさ」 すっかり気が抜けた顔で、データはコトンと床に座り込んだ。 『圧倒的物量』=この星を包む大気まるごと。…申し分ない 『忠実な部下』=世界中を埋めつくす植物群。 『遠大で緻密な計画』=何億年単位のこの作戦を遂行したのだ。まさに遠大。 『それを実行する器』=・・・・・やれやれ。 「つまり、やろうと思ったら今この瞬間に『大気よなくなれ』とかできるわけ?」 「まあ…そうだな」 植物の王は困ったような表情でうなずき、 己の今の宿体であるサボテンに近づいていった。 『大気よなくなれ』どころの騒ぎではない。 ”大気を自在にする”ということは分子そのものを自由にできるということだ。 カークスがもしその気になったら、そこらじゅうで核融合を起こさせることも可能。 しかし。 わずかにクリーム色の針のようなトゲに覆われた、緑の植物。 この奇妙な形を彼は気に入っていた。 「私は…次第に進化してゆく生き物たちの感覚を通してはじめて、  色があることを知った。星空を知った。人間たちが生まれた事で、  複雑な、自分以外のあまたの心というものを知った。」 一呼吸の間。 「なのに、そうやってこの星を滅ぼしてしまったら、  私は二度とそれらを感じることができなくなる」 もう二度と、孤独になりたくはないから。カークスは選んだ。 ―――支配すれども統治せず――― この星の全てを、生まれてきた生きもの達にまかせ、自分はただの傍観者となることを。 例え自分の分身でもある植物がその数を減らされていっても、それは変わらなかった。 「でも、じゃあカークスはものすごく強いわけだ。  …かつて起こった悲劇を、止めようと思えば止められたくらいに!」 バネじかけのように跳ね上がったデータを、カークスは冷徹な目で射抜いた。 「お前たちは自らの運命を私に左右されても良いと?」 データはたじたじとなってさがり、しばししてカークスは哀しげにうつむいた。 「ああ、すまない。…あんたに怒りを向けても仕方ないことだったな」 はるかな昔…大いなる崩壊があった。人に造られし命たちの、 悲しい叫びがこの星じゅうを覆った時代があった。 その時でさえ、カークスは動かなかった。 ただ、ただずっと…戦いの行方を見つめていただけ。 「まーね。たしかに、運命くらいは自分で選びたいからね。…ところで、  なんでカークスは今サボテンなんかをその、“宿体”とやらに選んでるの?」 もっとでっかい大木とかじゃなくてさ。 はじめてみるようなカークスの哀しげな顔を見て、データなりに気を使ったのかもしれない。 気を取り直したふうを装って、またちょこちょこと近寄ってきた。 「そのことか」 ニヤリ、と意地悪く笑い、彼はわざとらしく胸を張る。 「約束をしたのでね。…ある人物と」 「人物?カークスが見えた人がいたんだ。誰?」 カークスは、手品師のように手をくるりと回し、手の平を上に向けた。 白く光を受けるその上に、こつぜんとガラスのように透明なチェスの駒が現れる。 「私に勝てば教えよう。いつの時代も情報は安くない」 「えーーーっ!!」 データの二度目の大声に、再び驚いた鳥がバサバサと窓の外をよぎっていった。

12話

さっそく黒い駒を捜し始めたデータの後姿をながめつつ、彼は思い出していた。 …ただ一度だけ、カークスは助力を申し出たことがあったのだ。悲劇を、止めるために。 静かにカークスの名乗りを聞いていたその人物は、やはり静かに口を開いた。 『あなたが何者かは良くわかった。でも俺は、自分の世界は自分で護りたい。  自分たちでどうにかする事ができなければ、俺たちは、  この星を「母なる大地」と呼ぶ資格を失ってしまうと…そう思うから』 その少年から伝わってきたのは、どこまでもまっすぐな勇気。 カークスは色を感じる事ができない。それにもかかわらず、 その人物の心は“蒼い”と強く感じたのを憶えている。色的な青さではない。 よく似たものを挙げるなら、月の光のような蒼さ。黒で塗りつぶすこともできない、 闇の中ではさらに輝きを増すだろう、心。 沈黙するカークスに、彼はあっさりと背を向け、絶望的な戦いに戻ってゆく。 白銀に輝いていたはずのアーマーが、細かい傷で灰色にくすんでいるのに。 全身ずたずたに傷ついているのに、それを感じさせない足どりで。 『もし…ずっと未来、俺がこの宿敵に勝って、新たな時代が来て、  さらにあらゆる人の記憶から俺が失われるほどの未来…もしもまた、  この宿敵が蘇ってしまった、あるいは他のもっと最悪な事が起きたとしても、  俺はいない。その時にこそ、その脅威に立ち向かえそうな奴を見つけ出して、  同じ問いをそいつに向けてほしい。』 逆光の中、わずかに振り返る。 『もし助力をくれると言うのなら、それが俺への最大の助力になる』 現在は守ってみせるから、未来を、と。 ―――それが約束。 その戦士は、見事守りきったのだから――― データはようやく駒を全部見つけてきたようだった。 いそいそと、カークスが出現させた盤の上に並べ始める。 「後悔はしないな?」 「本気でやるからね、勝つのはボクだ」 一瞬、二人の間に火花が散る。 …残念ながら、カークスには数十億年思考をかさねた知恵と、 世界征服を成し遂げた実績があるのだが。 (いまだ大いなる敵は現れていない。私は君と同じ意志をもつ者を、今はまだ見守っていよう) 外にはやがて一粒、二粒と雨が降り始めた。 窓ガラスのむこうを、斜めになった銀の筋が途切れることなく流れてゆく。 今はただ、一つの物語に幕を降ろすために。

終幕

暖かい雨は、カークスの前に現れた蒼い光と、小さなサル型ロボットをも まんべんなく包み込んでいた。雨の幕のむこうに、ぼんやりかすむ赤と黄色の飛空船。 溶けそうなその色をバックにして、 こちらをきょとんと見上げるサル型ロボットと目があった。 私が見えるのか、と問うと、ただ一度うなずいた。その後に、 手に持っていたサボテンの鉢とカークスとを見比べ、明らかに戸惑うふうを見せる。 …そうか。こいつは私をサボテンの化身か何かだと思っているのだな。 翠緑の彼の髪と、全身を濡らすことなく突き抜けてゆく雨粒は、 彼の姿を精霊か何かのように見せていただろう。 カークスは、その勘違いを利用することにした。 『そのとおり、私はこのサボテンの精神体。  名は、カークス・ジュレス。私を連れてゆくのだな?よろしく頼む』 一瞬にして姿を崩し、彼はサボテンと同化した。それこそ、“精霊”のように。 『データ、どうかしたのか?サボテンって、あまり水にぬれすぎちゃいけないんだろ?  早くフラッタ―号に持って帰ろうよ』 蒼い光が…いや、蒼く輝く心を持った少年がふわっと笑って手を差し伸べる。 10歳あたりだろうか?幼さと純粋さ、強さが同居した良いリズムの思考波。同時に、 別人のもののような冷静な意志が時たま閃く、不思議な深さ。 はるか昔に保留された問いは、今度はこの少年に向けられるだろう。 ――絶望的な敵に相対した時、…この少年は、どう答えるだろう?―― それは、出会った時の記憶。 早くも手に詰まって考え込むデータから目をそらし、 窓の外の銀幕を透かして、遠くへと思考を伸ばす。この星には、 なんと多くの危険が隠されているのか。どれがいつ動き出してもおかしくはない。 …その時に、ロックはどうするだろう? 助けを求めるだろうか、断るだろうか? カークス・ジュレス。大気を操る植物の王。 今の興味は古のゲームと、世界観察。 〜End


transcribed by ヒットラーの尻尾