「存在しなかった3日間」
第1章

1話

 気分直しに、僕は島の中心街を散歩することにした。
買い物に来るロールちゃんに会ってしまう可能性もあるけど、
一人でどこかに隠れているのは嫌だった。
未だに離れない恐怖に、きっと押しつぶされてしまう。
 街はちょうど良くにぎやかで、うまく気を紛らせることができた。
ロールちゃんにも、会いそうに無い。
データがうまくやってくれているのだろうか。
 …と、安心しかけたその時。
「あ!おまえは!」
急に後ろからとっぴょうしもない大声が響いて、
僕はもうすこしでその場で飛び上がりそうになった。
 振り向くと、すぐ後ろに片手に中身のたくさん入った紙袋を抱えて、
一人の女の子が立っていた。
女の子は空いたもう片手でちょうどびしっとこっちを指差したところだった。
 年はロールちゃんと同じくらいだろうか?上手くピンク色をつかった服装の、
少々きつい目つきの女の子。…しかし、見覚えは全然ない。
僕は思わず、自分で自分を指差した。
「へ?…僕?」
バラバラバラッ
女の子が抱えていた紙袋がそのひょうしに落っこち、中身がぶちまけられる。
りんごやみかんやバナナが転がって、あっという間に道をカラフルにした。
たちまち、通行人の驚いた声や苦笑のさざめきが沸きあがる。
「トロンさま〜おとしましたよ〜」
その子のまわりをうろうろしていた黄色い顔の小さいロボットが3人ほど、
あわただしくくだものをひろいあつめだした。ちょこちょこした動きが、なんかかわいい。
 いきなり、見ているうちに一人がバナナを踏んだ。
「あ…」
(うわ、これは痛いっ)
思わず片手で顔を覆うものの、指の隙間からこっそり見てしまう。
「ひゃ〜〜〜!」
気持ちいいほど派手にすっこけたロボットは、
あたりに響き渡るほどの音を立てて後頭部を強打し、きゅぅ。
と目を回してしまった。
 くだものはよけいにバラバラと遠くまで転がってゆく。
呆然とその様子を見ていた女の子がやっと我に返り、
ぶんっと両手を振り下ろしながら叫んだ。
「もー!!なにやってるのよ、あんたたちっ!!こんなときに―――っ!!!
 しかも、なんでよりによって狙ったみたいにバナナで転ぶのよっ!!!」
「すみませ〜ん!」

2話

残りの二人がわたわたと拾おうとするが、
慌てているせいで拾ったそばから落としてしまう。
…これはちょっと無視できない。
「僕も手伝うよ」
まず紙袋を拾って、僕はくだものをその中にひろい入れていった。
「ありがとうございますー!やっぱり青い人は親切ですねー、トロンさまー」
「トロンさまーお礼言わないと失礼ですよー?」
「…きゅぅ。(←まだ気絶中)」
「はい。バナナはひとつだめになったけど、一応これで全部だよ。…?あのー、どうかしました?」
紙袋を渡そうとしたが女の子はきょとん、として目を見張り、僕の顔を見たまま動かない。
そのうち、つうっと冷や汗のようなものが女の子の頬をすべった。
「ひょっとして…えっと、まちがってたら悪いけど
…あなた、『ロック』とかいうディグアウターよね?」
「…はい?」
僕は眉をしかめて、思わず聞き返してしまった。
…どうしよう、この人『ロック』の友達なのかな?僕が黙っていると、
女の子は勝手に解釈したようだった。
「ええっ?!違うの?!…嘘じゃないでしょうね、あなたなまえは?」
「トリッガーだけど…」
ロックでもある、と続けようとした言葉はあっというまにさえぎられた。
「じゃあ違いますね!青い人は『ロック』っていうんです!」
「でも似てますね〜、ソックリ大会で優勝できますよ!」
口々にまくしたてたロボットたちの声にかき消されてしまい、
何となく言い直すタイミングを失ってしまった。
女の子は残念そうに黒いくせっ毛の髪をかきあげた。
「ふぅん。別人なんだ。アイツだったら、おもいっきりオシオキしてやろうと思ったのに」
…言わないでよかったかも。
しかしオシオキって…おだやかじゃないなぁ。
「その人が、どうかしたんですか?」
「えっ?…うーん、そうね、アサカラヌインネンってやつよ」
「?」
…あれ、なんか顔が赤いぞ?
「荷物、助かりましたわ。行くわよあなたたちっ!ぐずぐずしてる暇なんてないんだからっ!!」
さっと紙袋を受け取ると、女の子はスタスタ去って行ってしまう。
「待ってくださいトロンさま〜…あ!青い人に似てる人さん、ありがとうございましたー」
「人違いしてスイマセンでしたー」

3話

 ぴょこぴょこと頭を下げて礼をすると、
きいろい顔の小さなロボットたちはやけに手際よく目をまわしている一体をかつぎ上げ、
『待ってくださ〜い!!』
と、ハモって叫びながら女の子の後を追って走って行った。
「なんだったんだろう?」
なぜかぽつんとひとり取り残された気がして、僕は人差し指で頭をかいた。
…ロックには妙な知り合いがいるものだ。


次の日、僕はまた商店街の雑踏を歩いていた。
よく発展し、多くを望まなければ欲しいものはすべてそろう
…そういったような、きれいでにぎやかな街だった。
(あともう少し…今日一日過ぎれば、『僕』は消える)
そしたら、「ロック」に戻った僕はふつうにフラッター号へ戻るだろう。
あいかわらずの野宿だった今朝は変な悪夢も見なかった。
あれは、きっと気のせいだったのだろう。
夢が現実にかかわるなんてことはあるはずない。
夢は夢じゃないか。
街は水に沈んだ小石のように、静かで平和だった。
「…でも、何だろう」
妙な不安感がずっとぬぐい去れない。
胸の中心を取り去られてしまったような嫌な気持ち。
何か、とても大切なことを忘れているような…これから何か起こるような。
 知らずに、足は勝手に進んでいた。いつの間にか商店街をぬけ、住宅街を通り過ぎた。
不安感は消えない。恐ろしい圧迫感が全身をしめつけ、足がふらつく気さえした。
(…空が…)
気が付けば歩きながら何度も空を見上げている。
群青色の、雲ひとつないその壁の向こうに、何かがいる。
(わけがわからない。僕は何がしたいんだ?!)
混乱しながらも、そんな気持ちに追いたてられるように、先を急ぐ。
ただ街から離れたい。人のいるところから、建物のあるところから、
…そうじゃない、被害の少ない方へ!!
…被害って?何の被害だ?!僕は何をしようとしている?!
稲妻の閃くより短い一瞬、…その中で、突然僕は全てを思い出した。
(…そうか、そうだったんだ!)
いきなり、何もかも全てが頭の中に差し出されていた。
するべきことも、これから起こるであろうことも、…みんな。
それは、深夜の警告ブザーのようにはっきりと僕の心を深紅に焼いた。

4話

 足が歩きの歩調から、早足へ、さらにテンポアップして駆け足へと変わる。
 …そうだ、マザー・セラには優れた護身用戦闘リーバードが二体いた。
一体には僕が14年前にセラとともに大ダメージを与えてやった。
マザー・ユーナに今は二人とも封じられているだろう。
…しかし。残りのもう一体は?
あの、戦いの場にこなかった、あのもう一体はどこにいた?
 僕はもう、迷っていなかった。全速力で山の斜面を駆け上がる。
上空から、びりびりと殺気が降ってくる。
感じる!…地上からは見えないほどの高空から、僕を認識してまっすぐに降ってくる、凶悪な存在を。
―――ザンッ!
最後のやぶを突き破って飛び出したそこは、仮そめの静寂に包まれた山の頂上だった。
目の前にはちょっとした木の無い空間が広がっている。
…充分だ。戦うにはふさわしい場所。
 もう何度目になるのか、見上げた空は現実を忘れそうな青一色。
かたすみには青ざめた昼の月…。
「ファラク!」
記憶の底に眠るその名を、僕は叫んだ。高く、まっすぐに。
声は天空へかけのぼり
…自然の法則に従うならそのまま消えるはずだったが。
「トリッガァァァァァ―――――ッ!!!」
天空からの咆哮が僕の叫びと交錯し、瞬時に打ち消した。気配は恐ろしいほど近く!
(きた!)
僕は落ち着いて、一発だけバスターを撃ちその場を飛びのいた。
ガシュオッ
バスターの光弾が何も無い空中で弾け、そのとたん見えないスイッチでもひねったように
こつぜんと天に黒い物体が現れた。
それとほぼ同時に、
ズゴウウッ!
轟音とともにその物体は地面に激突した。
土砂が巻き上がり、粉塵が煙のように立ち上る。
「っく…」
山ごと地面をゆるがす衝撃に、僕は危うくよろけかかった。
…まったく、とんでもないヤツだ。山の頂上はまるで新しく火口が
口を開けたようなありさまになっている。
『くっくっく。ひさしぶりと言いましょうかね?トリッガー様』
忌まわしく、懐かしい…金属的な低い声。
土や石が摩擦熱で溶けた高温と、蒸発した水の白い蒸気を身にまとい、そいつはゆらりと宙に浮いた。
漆黒の翼をマントのように体に巻きつけ、硬質の危険な刃物めいた長い尾をゆったりと振る。
白い幕のような水蒸気が切断されて、空の青い軌跡が残った。

5話

『ああ、今はご自分のことをなんと思っていらっしゃるか、分からないんでした。
 ふふ、お気の毒なことだ。わたしが誰かも、
なぜわたしに破壊されるかも、わからない…そうでしょうとも』
鋭角なフォルムの頭部をしきりに頷かせ、奴は紅い目をうっそりと微笑ませた。
『わたしの光学フィールドを壊しさえしなければ、
この一撃で何も気付くことなく死ねたと言うのに。つくづくご不幸な方だ』
ライオンの首でも切り落とせそうな、巨大な鉤爪のある手を見せびらかすように一閃し、
そいつは得意げに自らの作り出したクレーターを指し示した。
…聞き飽きた。
僕はバスターをぴたりと奴に向け、
「口が過ぎるぞファラク。お前は昔からそうだったけど、今日は特に耳障りだ」
『なに…わたしを忘れていないと?…バカな』
ファラクは、あからさまに衝撃の表情を浮かべた。
…バサッ
ファラクの翼が展開する。青空を闇色に切り取る…竜の翼。
‘ファラク’…いにしえの神話で、世界をささえているという巨大なドラゴンの名だ。
ファラクはその名にふさわしい、漆黒の竜の形をした巨大リーバード。
会話と高度な思考能力を持った、マザー直属の特別なリーバードだ。
『わたしは、トリッガー様のリセットと連動する時限装置の眠りを、
セラ様からいただいたのだ!セラ様はトリッガー様を破壊し損ね、
さらに万一ご自分とジジの動きをも封じられてしまった時の保険に、
このわたしを用意された…!』
言いながら、奴はだんだんと高度を上げてゆく。
『確かにあなたの体はリセットされた!お姿が違うのがなによりの証。
 …では、なぜわたしを知っている?!セラ様が間違われるはずはない!
 なにをしたのだ、トリッガー!!』
ガガガガゥッ!!
ファラクの両肩に備えられたガドリングレーザーが火を吹き、太い木々を割りばしのように粉砕した。
とっさに側転でよけたが、一瞬遅ければこまぎれになっていたのは僕だっただろう。
「お前に教える必要を感じない!!」
…教えるもなにも、知らないのだが。

6話

側転から立ち上がりざまに三発、バスターを撃ちこむ。
はずれた。
はずれた。
…かすった!
『ちっ!』
大きく旋回してこっちの射程域から脱すると、ファラクはいまいましげに竜に似た頭をふり立てた。
『ああ?なぜ効かない?…では、これなら?』
そのまま、いきなり目に捕らえきれないほどの速さで天を斜めに馳せる。
空を黒い斬撃が走りぬけたように。その巨体では信じられないほどの速さ。
…追いきれない!
(しまった?!)
ほんの刹那、僕はファラクの姿を見失った。
…そして、気付いた時気配は背後にあった。
―――ザギュッ!
「わあっ!?」
アーマーの背中が深々と斬られ、衝撃で僕の体は軽々とふっ飛んだ。
息が止まるほど木で胸を打って、地面に落ちた時には痛みで目の前がかすんだ。
「うっ…ごほっ…」
『なぜだ、なぜだ?!こうやって簡単にやられるかと思えば、先ほどのようによける。
リセットされたトリッガー様が戦いのスキルを全て失い、デコイどものぬるい生活に溺れきった頃
…その隙をついて確実にあなたを破壊せよとセラ様はおっしゃった。
…そのためにわたしは14年も眠り続けたというのに! 
なのに、あなたはわたしを知っていたし、その運動能力はリセットされた者の動きではない。
…いったいどういう事なのだ?!』
僕のアーマーを切り裂いた翼を苛立たしげに広げ、ファラクが吠えている。
『トリッガー! あなたはあなどれぬ方であった。…なにか裏があるのか?!』
 僕はぐったりと横たわりながら、それを聞いていた。
呼吸のたびに肺が、骨が、悲鳴をあげる。
(…裏?…)
心の中で、わらう。
(なあ『ロック』。きみは、本当は誰より強いのかもしれない。『僕』よりも)
 記憶の中の『トリッガー』である自分とは少し違う、
やや幼いがまっすぐな光を宿す緑の瞳の少年が頷いて、
照れたように笑った気がした。
 痛みを押さえつけ、僕は強引に立ち上がった。
…ひどい痛み。体がバラバラになりそうだ。
『そのダメージで何をするつもりですかね?』
 宙で静止した奴の、憎々しげな声。ファラクは動かずにこちらの様子を見ている。
…高みの見物というわけだ。

7話

…一分
…五分。
僕は動かなかった。
『…思い過ごしというわけか』
つまらなそうに鉤爪のある手を一振りして、ファラクが「カッ」とそのあぎとを開いた。
『時間を無駄にした。…破壊させていただきます!!』
――― 轟!! ―――
全てを拒絶するような純白のレーザーが、光速でファラクの口から放たれた。
触れたものを焼き尽くさずにはおかない、絶対の暴力。
二人の間には、盾とするにはあまりに脆弱な大気しか存在しなかった。
…でも。
僕は、この瞬間をこそ待っていた。
ファラクが大技を仕掛け、回避が困難になるこの時を!
「負けるかっ!!」
同時に、僕は右手に装着していた武器を作動させた!
 目を焼くような極太のレーザーがほとばしった。全ての色を圧倒する、黄金の輝き。
二つの光線はちょうど二人の中間で激突した。
それはまるで、互いに喰い合う二頭の龍のごとくからみあい、スパークする。
百の雷を束にしたような轟音が乱舞し、山頂に降り注ぐ。
激しい勝負はすぐにけりがついた。黄金の光が白い光を食い破り…
『がああっ!!?』
ファラクの左肩のガドリングレーザーと、左の翼が光の中に一飲みにされた。
巨体が翼の支えを失ってふらりと傾く。
残った右腕が、失った個所をさまよった。
『…謀ったな…トリッガー』
苦くうめいて、ファラクが降下してくる。
…僕はそれを幻でも見るように、ぼうっと見つめていた。
「…ちがう。謀りごとをめぐらせたのは、『僕』じゃない。『ロック』なんだ」
ここへたどり着く直前、何もかも、わかった。
「『ロック』は無意識の中で、ファラク…お前が眠りからさめて降りてくることを感じ取っていたんだ。
…そして知っていた。リセットされた自分では、とうてい勝てないことを」
『何を…言っているんだ?』
僕はファラクを無視して続けた。…というより、言葉がとまらなかった。
「『ロック』はわざと…表層意識では気付いていないだろうけど
…わざとフラッター号の上から落ちたんだ。お前と戦うために。
お前と戦える能力を持った『僕』と入れ替わるために」

8話

僕が何となくこの武器を作ってしまったのも、『ロック』の無意識がさせたこと。
フラッター号を去り、街を抜け、この山まで来たのも、そう。
全ては関係の無い人々を巻き添えにしないため。そしてなにより、
あの子を危険にさらさないために。
ファラクが地に降り立った。ぼろぼろの左半身、砕けた翼。
…しかし、焦土に鉤爪をくいこませて立つ姿のどこにも、弱さは無い。
むしろ血よりも紅い目には、手負いの猛獣のあのどうしようもない強さがおき火のように光っていた。
それでも、僕は言わずにいられなかった。
「…僕はきみを壊したくない。おとなしく去ってほしいんだ。…この戦いを、『無かった戦い』にしたい」
ファラクは一瞬唖然とした表情をみせたものの、静かな苦笑をもらし否定した。
『ハハハ、貴方のやさしさはかわらぬようだな。…だができぬ。
わたしは、差し違えてでも破壊せよとの命を受けている』
空間を縦に斬るように、ファラクの顔が天へ向けられた。
人工の牙、人工の口から音なき叫びがほとばしる。
…蒼空に牙をむく、半壊した竜の叫び。
殺戮を、破壊を天に誓うかのように。
…しかし、その姿が天からも地からも拒まれた、孤独な哀しい姿に映ったのはなぜだろう。
…ふいに、昔耳にした台詞が、ぽっかりと脳裏に浮かんできた。
『狼が孤独に悲しく月に吠えるのは、なぜか知っているか?
…けして己が月に行けないことを知っていて、それでも月に憧れずにはいられないからなんだよ』
その巨大なモニターでは、遥か古に滅び去った獣がもの悲しい叫びをあげている。
それをじっと見つめたまま、動かない後姿。
モニターの放つわずかな光りにほっそりとした姿を浮かび上がらせ、
床まで届く見事な金色の髪が、じんとした煌きを放っていた。
ファンタスティックで非現実的なその言葉。
それを言ったのはマスター…。あなただった。
(なんでいま、思い出したんだろう…もしかして…?)
僕はそれに続くものを言葉に出してしまう前に、溜め息にまぎらせた。
ファラク、お前もマスターも、行きたくて行けない場所が…?
天を仰いでいた目が再び僕のほうを向いた。

9話

『待たせたな。トリッガーよ、今こそ全力で破壊してみせる』
直後、ファラクは無造作に残った右手で自らの…翼を、むしりとった。
切断面がバシバシと放電し、引きちぎられた金属片がガラスのような音を立てて、散る。
僕は自分がそうされたかのように衝撃で全身が震えた。
「!!そんな、きみは…なんてことを!?」
目を疑った。リーバードだって痛覚がある。痛みは人とたいして変わらないはずだ。
それを…何も感じていないように、布でも引きむしるように。
「そんなことをしたら、きみは二度とヘブンに帰れないのに!!」
僕は全力で叫んでいた。…ファラクの片翼はわざと残した。その片翼さえ残っていれば、
高速飛行戦闘はできなくとも、反重力制御機能でだましだましヘブンには帰れたはずだったから。
『陸戦を行うのには翼など邪魔なものでしかない。わかるだろう、貴方なら!』
「…くっ」
ファラクはゴミでも放るように、自分の体であったものを放り捨てた。
その動作には、後悔とか迷いとかは少しも感じられない。
―――ファラク…お前、『マザー』のためだったら自分の命もいらないって言うのか?!
『そんなことより、自分の心配をすることだ!!』

ドドドドッ!!

一瞬で間が詰まり、鋭い鉤爪を備えた腕が、ものすごい速さで顔の前を通り過ぎた。
切断された前髪が視界をふわりと泳いでゆく。
もう一瞬飛びのくのが遅かったら、確実に首を削がれていた。…ぞっと冷や汗が流れる。
ファラクは止まらない。自分の攻撃がかわされたことに反応もしない。
そのままぐるっと体が回転して…
(えっ!?)
死角に超高速で迫る何かを感じて、僕は本能的に体を動かしていた。
爪をよけて空中にいるので、もう飛びのくことはできない。
限界まで背を反らし、ブリッジするような感じに手から地面に落ち、そこからバク転して距離を取る。
再び足で地面に立った時にようやく、ファラクの尾がいままで僕がいた地面を切り裂いているのが見えた。
まるで爆発物でも仕込んでいたかのように、爆音とともに土が四散する。
「…くそっ!」
すかさずバスターを連射するが、今度はすべてファラクの右腕が叩き落してしまった。
…やっぱり、ファラクの覚悟が僕との実力差を埋めてしまっている…このままじゃ…
(このままじゃ、負ける?)

10話

今の僕に、ファラクのこの覚悟に匹敵する強い感情は…あるだろうか。
違う!そんなこと考えている場合じゃないだろっ!
(もう一度、撃てるかな?)
右手に備えた武器は、一発…上手くいって二発の攻撃が限界だ。
失敗したら、僕は腕ごと暴発に巻き込まれてしまう。
一瞬、ためらった。負傷への恐怖に、死への…孤独に。
『死ねええええええっ!!!』
「!」

ガツッ

左手のバスターの半ばまで、ファラクの爪がくい込んで止まった。
…いや、無理にそれで受け止めた。金属がこすれあう嫌な音が響き、金気くさい匂いが鼻をつく。
相手のあまりのパワーに、腕ががくがく震えてしまう。
…重い!まるで巨大な岩がのしかかっているみたいだ。
僕はちらりと右腕を見下ろした。
そこには、このファラクの翼を焼き尽くした凶暴な武器が、冷たい光を放っている。
右腕は…動かそうと思えば動かせる。いまこれを使えば…
(でも、できない…っ、使えない…僕には!)
『先ほどのように、あの黄金のレーザーでわたしの腕を吹き飛ばさないのか?右腕は動くだろう?!』
生物であれば息がかかるほどの近くに顔を寄せたファラクが、全てを見透かしたように囁き、
僕のバスターにくい込んだ鉤爪が、さらにぎりぎりと力を増す。
はっきり言えば答えるどころか声も出せる状態じゃなかった。
僕は全神経と体力をつかってファラクの爪を押さえるだけで、
ファラクの両眼を見返すのがせいいっぱいだった。
「・・・・・・・・」
『どこまで甘いのだ、貴方は…っ!!』
吠えたファラクのあぎとが、閃光の速さで僕の頭を食い切る…直前、
なんとか右手でヘルメットをはずし、左手のバスターを切り離して僕は地面に転がりながら逃げる。
バキッ
ファラクの口の中でヘルメットが粉々に砕け散った。
奴はふんと鼻で笑って、手の中に残った僕のバスターを軽蔑したように見下ろし、
『こんなオモチャでわたしを倒そうとした?…バカにしているのか?!』
汚いものにでも触れたように、僕のバスターをファラクは放り捨てた。
バスターは放物線すら描くことなく、そばの立ち木にグサッと突き刺さる。
僕はどうにかまた立ち上がったけれど、
肩で息をするごとに、もうこの戦いから逃れられないという実感が真綿のように締め付けてくる。
…それが、苦しい。

11話

『…やはり、あなたは昔と何かが違う。
昔の貴方なら、敵に対してためらいはしなかったはずだ。
全力をもって戦うことが礼儀だと…。
なにより、そんな粗悪品をメインの武器にしては、戦わない方だった。
くっくっく。やはり、貴方はデコイどもに毒されたようだ!!…貴方は弱くなっている』
笑うファラクの表情は、獲物をいたぶる猛獣のそれだった。
ファラクに指摘された通り、残った唯一の武器はしゅうしゅうと白い煙を上げ始めていた。
…その通り。これは粗悪品。…そんなことはわかっている。わかっていても…
僕にできることは、これが限界だったんだ。
『さて、さっさと片付けさせていただきましょう。
…この島もだいぶデコイが増えすぎた。
貴方を破壊し、回収するものを回収したら、すぐ初期化させなくてはね』
―――初期化っ!?
その瞬間、いきなり意識が引いた。
闇の底へ突き落とされるように、急速に意識が失われてゆく。…一体何が!?
答えは、すぐに頭の中に浮かび上がった。
(そうか…時間!)
データは確か、三日目の昼くらいと言っていた。今ちょうど…
(そんな!だめだ!!『ロック』ではこいつに勝てない!!)
一秒の数億分の一という短い時の中で、僕は叫んだ。…でも、それは声にならなかった。
『僕』はすでに肉体を支配していなかったから。
闇に沈み込む『僕』の横を、閃光のように誰かが昇ってゆく。
僕はそれに力いっぱい手を伸ばしていた。
(行っちゃだめだ!!――――ロック!!!)



「え?」
―――ぱちぱち。
僕は、つぶやいてまばたきをした。誰かが僕を呼ぶ声がして、ふっと目を開いたら…。
(さて、ここはいったいどこでしょう?)
思わずクイズを出してしまうくらい、見覚えがない。
って、第一僕はさっきまでフラッター号の甲板にいなかったけ?
どこか町の近くの山らしいことはわかった。遠景に町が見えるし、周囲にはとりあえず木もある。
なんでとりあえずなのかというと、周りの木々はことごとくへし折れてたり、根こそぎ倒れていたり、
何か鋭いもので斬られてまっぷたつだったりしていて、まともな木は数えるほどしかなかったからだ。
地面もぐちゃぐちゃで、少し離れたところに見える穴なんて、
まるで隕石でもぶつかった跡のようなでかいクレーターになっている

12話

『トリッガー様は「初期化」をお忘れか?』
さっきからそこにいて、しかも僕と会話をしていたらしいそいつが、バカにしたような声を上げた。
古い神話や物語に登場する『竜』のような形の、たぶんリーバード。
だいぶ壊れているみたいだけど、凄く強そうな感じがする。そいつは調子に乗って言葉を続けた。
『この島全てのデコイどもを殺すのですよ。簡単なことだ』
―――なんだって!?―――
同じことを、つい数ヶ月前僕に言った奴がいた。
ロックマン・ジュノ。彼は、冷酷な笑みと共に、初期化を…カトルオックス島の人を、殺そうとした。
…こいつは、同じことを!?
「そんなことは、許さない!!」
僕は反射的に、いつもバスターをつけている左腕を上げかけて…はっとした。
(…な、無い?!)
右腕に見慣れない特殊武器が装備されているだけで、そういえばヘッドパーツも無い…。
ほんの少しの間の隙だったが、リーバードはカッと深紅の目を光らせ、即座に叫びを上げてきた。
『許さなければ、どうするのだっ!?』
「えっ…!?」
単純な動きだった。ただまっすぐにこちらへ体当たりを仕掛けてきた、それだけなのに。
目がついていかない。ロックオンするどころか、よけることもできずに、
気が付いたら僕は猛スピードで宙を飛ばされ、肩から地面に激突していた。
(…っ!!!)
目もくらむような激痛。肩の骨が折れていない様なのが、不幸中の幸いだった。
…なんてリーバードだ。
『な、なぜ…なぜよけない!?これしきの攻撃を、トリッガー様がくらうだと…?』
どういうわけか、リーバードの方が戸惑っているようだった。
少し離れた場所で立ち尽くし、呆然としている。
(…倒さなきゃ)
この隙に。痺れる腕で大地をつかみ、一気に百倍の重さにもなったような身体を、じりじりと引き上げた。
…口の中を切ったのか、じわりと血の味がする。
―――倒せるのか?そいつを?何の関係も無いのに?―――
冷静な声が、心の中で僕に語りかける。理性の声ってやつだろうか。
(関係…無くはないよ。今ここで、倒さなきゃ、島じゅうの人が死んでしまう)
ふらつく足で、叩きつけるように地面を踏む。
リーバードは別の方を見て何かぶつぶつ言っている。
―――百人が生きるためなら、一人の死なんか…ってことか?―――

13話

(違う!僕がもう少し、力があって賢かったら…両方きっとなんとかできるんだと思う。
…でも、今の僕ができるのは、これだけだから。できる事をしないよりは、ずっといいから!!)
鉛のように重い右腕を上げ、構える。
なんとなく…なんとなく、この武器は暴発するかもしれないと感じていたけれど。
それより、その気持ちの方が強かったから。
直後、ハッとリーバードがこちらを見た。竜を模したその顔が、ぎりと殺気を帯びた。
『悪あがきを!!』
あっさりとロックオンを振り切って、また僕には追いきれないスピードでリーバードが疾った。
「!」
…今度はその鋭い爪を構えている。あの速さで斬りかかられたら、間違いなく命はない!
瞬間が、永遠に感じられた。その時。
力強い見えない手が、ぐっと僕の右手を支えた。そして、前方のある方向へビシッと固定する。
(誰だっ?!)
視界には、迫り来るリーバードの姿しか…ない。
無いのに、その見えない手は、感覚の上では確かにそこに存在している。

―――照準は、僕が―――

(君は…?!)
その声は、僕の内側から聞こえたようにも思えた。
そしてなぜか、とても聞き慣れた声のようにも…

―――今だ!!撃て!!!―――

『バカな!?なぜ…ッ』
ほんの一歩と離れていない距離にまで迫ってきていたリーバードの声は、それが最後だった。

14話

――――カッ!
黄金の光の中、その叫びも切れ切れになって消えてゆく。
悪夢のような鋭い鉤爪も、
刃物の鋭さを持った尾も、血のごとき深紅の両眼も…。
漆黒の巨体が、嘘のように焼き消えてゆく。
光を見つめながら、僕は何かを叫びたかった。心の中で何かが暴れている。
言いたいことが形にならずに、せめぎあっているのかもしれない。
わけもわからずただ…悲しくて、悲しくて。
「どうして僕は…泣いているんだろう…」
頬をつたい落ちてゆく熱いものを、僕はどうしてか止めたくはなかった。…今は。


 破壊的な光の奔流は、ファラクを文字通り跡形もなく消し去っていった。
 戦闘の跡だけがただ、青空の下にさらされている。
…ここに、ついさっきまで悪夢のような巨大リーバードがいたと、
誰も信じられそうもないほどに、日の光がしらじらと降りそそいでいた。
…でも、確かにいたんだ。巨大な、悲しいほどに強いリーバードが。
 涙をぬぐおうと右手を持ち上げると、武器が音もなく砕けて落ちた。
一部焦げたり溶けたりしているその破片からは、もうその構造を知ることはできないだろう。
「…ロック、この戦いの記憶は僕が持っていこう。
記憶の底で、二度と浮かび上がらないように、僕が押さえていよう」
 …これは、きみにとって、存在しないはずの戦いだったのだから。
気が付くと、再び『僕』は『トリッガー』として立っていて、この戦いの跡を見つめていた。
 『ロック』がこの記憶に苦しむ必要はない。
ファラクのことは、僕がずっと、覚えている。そしていつか…
『マザー・セラ』と出会うことがあるなら、そのときに、彼女にこのことを…
最後まで命令を守り通そうとしたファラクのことを、伝えたい。
 『トリッガー』がやり残したことを、『ロック』に負わせられないもんな。
 哀しい微笑を浮かべる自分を、なにか遠いもののように感じながら、僕は視線を巡らせた。
 全ての武器を失って肌がむきだしになった腕を、風がやわらかくなででゆく。
ヘッドパーツも失ったので、髪は海からの微風に、
わずかに混じる潮の香りを編みこまれるままになっていた。
 「マスター…あなたが地上に降りた理由…わかったかもしれない」

15話

 全てが満たされた場所では、けして育まれないだろう気持ちがある。
『ロック』にはあって、『僕』〈トリッガー〉には無い心。
…それがあるから、『ロック』はきっと、強くなれる。
 僕は白い昼の月を見上げた。
フラッター号の中でふと抱いた疑問を、思い出す。

『ロックはこの人たちといて幸せなんだろうか?』

僕は笑って、浮かぶ月の横の点を見る。
「ロック…間違いなく、君は幸せだ」
点は次第に大きくなって、ひとつの形を作る。…見覚えのある、赤と黄色の飛空船。
 あの少女を迎えるべきなのは、僕じゃない。今度こそ、僕の全てが闇へ沈んでゆく。
僕は、意識の表層へ浮かんでゆく『ロック』に微笑みかけた。
「あの子が待っているよ…」


(待っている?)
「ロックーっ?大丈夫―っ!?」
ハッとして、僕は声のした方を見上げた。
「ロールちゃん!」
いつの間にか、フラッター号が僕の真上に来ていて、
甲板から身を乗り出したロールちゃんが僕を見下ろしていた。
 ロールちゃんは、風に飛ばされないように片手で頭の上の帽子を押さえ、ぐるっと地上を見渡した。
その足元でデータがじっと僕を見つめている。なんか…かなしそうな顔だ。
「うわー、すごい、木がメチャクチャ。さっき強い光が見えたから来てみたんだけど、何かあったの?」
―――何か?
思い出そうとして、僕は愕然とした。そういえば、僕は何でここにいるんだ!?
なんでまわりは凄い戦闘でも行われた後みたいになってるんだ!?
「え…何があったんだろう?わからないんだ。どうしてここに来たのかも覚えてなくて…」
ほんとうに、わけがわからない。アーマーはボロボロだし、ヘッドパーツはなくなってるし、
もしかして僕、夢遊病にでもかかっているんじゃ…?
 僕は必死で記憶がどこから無いのか思い出してみた。

16話

「そうだ!フラッター号から落ちたところまでは覚えてるんだけど…」
「落ちたところまで?」
ロールちゃんは驚いたように目をぱちぱちさせた。
「…じゃあ、ロックは、ロックなの?」
「え?どういうこと?」
僕は困って眉をしかめたが、ロールちゃんはそのとたん、パァっと花のように微笑んだ。
「…ううん、なんでもないの。おかえり!ロック!!」
その笑顔は、とても眩しくて…キレイだった。だから僕も、つられて笑う。
「ただいま、ロールちゃん!」





《END》




transcribed by ヒットラーの尻尾