『存在しなかった3日間』第一章
第二章

1話

―――気がついた時、僕はベッドに寝ていた。
ひどく心配そうな様子の女の子が僕を覗きこんで、
からだ全体を沈ませて深いため息を漏らした。
たちまち深い緑色の瞳にうっすらと涙が浮ぶ。
「…よかった。ロック、3日も目を覚まさないんだもん、死んじゃったかと思った」
赤い帽子に赤い服。この少女にとてもよく似合っている。
きっと、赤色が好きなんだろう。
 その直感はなぜか間違っていないと確信が持てた。
…なぜだろう?僕はこの女の子にははじめて会ったのに。
呆然と見上げていると、女の子は不思議そうに首を傾けた。
明るい色でクセのある金髪が肩の上でふわりと揺れる。
「どうしたの?ロック、…まだ、どこか痛い?」
「痛いって…?」
「覚えてないの?フラッター号の甲板から落ちちゃったんだよ、ロック」
(フラッター号?…ロック?…この子は何を言っているんだろう?)
僕は首をかしげるしかなかった。なんで自分はこんなところにいるのか、
まるで見当がつかない。
わかるのは、雰囲気から考えてここが飛行船の一室らしいことくらい。
「ごめん、よくわからないんだ。…キミ、だれ?」
女の子は消えかけていた不安の表情を再び強く浮かべ、素早く僕の手を握った。
…その手は小刻みに震えている。
「だれ?…だれって、どういうこと?わたし、ロールよ?!」
ロール…?全く心当たりがない。どうしよう、こまったな。
マザー・セラにひどくやられたから、メモリーの一部が混乱しているのかも。
「もしかして、記憶喪失?当たり所が悪かったのかな…。ねえ、自分の名前は覚えてる?」
最初の方を独り言のように言ってから、女の子は真剣な顔で僕を見た。
「え?僕はロックマン・トリッガーだけど?…キミは、どこかで会ったかな。
えっと…ロール…さん?」
「?!」
こんどは女の子の方が呆然とする番だった。
まるで、初めてゴキブリを見たときのマスターみたいな顔してる。
「僕はヘブンの一等粛清管で…」
「データっ!!早く来てっロックがなんかヘンーーー!!」
最後まで言うのも待たずに、彼女は後ろを振り向くとドアの方に向かってそう叫んだ。
(データ?)

2話

そうだ、データのことは覚えてる。
僕が作った外部記憶装置だけど…、
よかった、データとははぐれていなかったんだ。
いや、ちょっとまてよ?
じゃあ僕はなんで、
見も知らない女の子の「フラッター号」とかいう飛行船に
乗っているんだろう?…わからない。なにも!
ボクはベッドの上で身じろぎし、片手で頭を押さえた。
…そういえば、痺れるような痛みが…。
「ウキキッ、ウッキャー」
(なんだよロールちゃん、ロックはああ見えて丈夫だから〜。
めったなことじゃどうにかなんないのに〜)
現実に聞こえる声と二重になって、甲高い子供のような声が聞こえてきた。
 データは僕が持てるだけの技術を投入して作った外部記憶装置だ。
マザー・セラにメモリーをスキャンされないために、
重要なメモリーを全部うつして
…そして、そんな重要な記憶が入っていると気付かせないように、
油断を誘いやすい小ザルの姿に設定したんだ。
言葉もサルの鳴き声のようなものしか(一見)発さない。
 しかし実は、その「サルの鳴き声」と同時にデータはふつうに言葉もしゃべっている。
…その言葉は僕にしか聞こえない。これも「マザー・セラ」対策の一つだった。
 ひょいと器用にドアノブにぶらさがって、ドアを開けて入ってきたデータはそのままの姿勢でまた鳴いた。
「ウキッ?」
(で、ロックがどうしたって?)
「どうしよデータ!ロックがわたしのこと『さん』づけで呼ぶの!
それに自分のことナントカトリッガ―なんて言うし…っと、
こんなことデータに言っても仕方ないよね。
おじいちゃん呼んでくるからデータはロックをみてて!!」
ぱたぱたといそがしく身振りを交えながらあわただしくそれだけ叫ぶと、
ロール…という子は部屋の外に出て行ってしまった。
データは、ぽんと床に下りるとびっくりしたように
ドアとこっちとをかわるがわる見つめて、まんまるい手をくるくるまわした。
「ウキャ…?」
(どうなってんの?)

3話

「データ…だよな?」
「ウッキィ!ウキッ!」
(なに言ってんだよロックー、ボクがデータなのは見ればわかるだろ!
…もしかして頭打っておばかになっちゃった?)
「おばかって…あいかわらずだなデータは…じゃなくって!」
僕は腕をぶんっと振って『この話はここで終わり』のジェスチャーをした。
「それだよ!その『ロック』って呼び方!確かに僕はロックマン・トリッガ―だから
ロックって呼び方はわかるけど、それじゃほかのロックマンたちと区別がつかないじゃないか。
あのデコイの女の子はともかく、なんでデータまでロックって呼ぶんだ?」
「???」
データの手の動きがぴたりと止まり、しっぽの形が?の形になった。
「それに…そういえば、僕はどうしてこんな姿なんだ?
セラとの戦いで大破しちゃったから…かな。教えてくれるか?データ。
メモリーが混乱しているみたいなんだ」
データのしっぽが慎重にくるりとまわった。
黒いつぶらな目もいつにもまして真剣だ。…どうしたんだろう?
「トリッガ―…?じゃあ、セラとの戦いの後のこと、何も覚えていないって言うの?」
「そうみたいだけど…なにか問題でも?」
僕には何がなんだかわからない。
データはなぜかうつむいて肩をふるふるさせている。
一拍の間の後、データはいきなり顔を上げ、『カッ!』と両目を光らせた
「ウッキィ!!」(問題おおありじゃあ!!)
ガッキン☆
データ全力の体当たりで再び意識がふっとんだ僕であった。

 ようやく意識が戻ったとき、枕元にはこんどはデータだけがいた。
あの、ロールとかいうデコイの少女はいないみたいだった。
…ああ、まだ頭がガンガンする。データの奴、なに考えてるんだ?
僕は痛みにうめきながら、それでもベッドの上に身を起こした。
「…それで?いいわけを聞きたいんだけど?」
つい、ちょっとぶすっとした口調で言ってしまう。

4話

「ウキ…?」
(確かめるけどさ、トリッガ―。記憶がないって言うけど、逆に覚えてる事はなにかある?…)
後から考えれば、そのときのデータの口調はどこかしら試しているようだったと思う。
でも、そのときの僕は気付くことができなかった。
冷静さを失っていたし、頭の痛みのせいで、
何かを疑うことなんてとても出来る状態じゃなかったんだ。
僕は知っていることを素直にデータに話した。
自分たちの故郷、ヘブンのこと、最後の人間であり、
僕を作った『マスター』。その深く響く声と澄んだ青い瞳。
…彼が僕に託した最後の望みのこと、二人の『マザー』のこと、
粛清官として与えられた役目とイレギュラーを狩る日々…。
最後に覚えているのは、マザー・セラが放った破壊的な威力の光線が
僕の半身ほとんどを焼き尽くした、気も狂いそうなほどの激痛。
それと同時に僕が叩きつけた全力の攻撃が、
彼女の戦闘端末を粉々に打ち砕いた光景。

「なあデータ、僕はあれからいったいどうしたんだ?
あの戦いで僕は勝ったのか?
でも、それにしちゃ今の僕にダメージが無さすぎる。
…どうみても、あの時の傷はボディーのリセットを必要とするレベルの…」
なおも言いかけた言葉は、データによってさえぎられた。
データは、ぽんと僕の足の上に乗ってじっとこっちを見上げた。
「ウキャキャーウキャー。ウッキー」
(ロールちゃんたちをいったん追い出したのはせいかいだったよ。
トリッガ―、きみは…なんていったらいいのかな、こころが過去に行っちゃってる)
―――なんだって?
「過去?なにをいっているんだ?」
「ウキ…だからー。今はトリッガ―が思っているような時間じゃないんだ。
いまは、トリッガ―がセラと相打ちになってから、十四年経ってる」
じれったくなったのか、データは『サル語』をやめて必死に身振り手振りで話し出した。
くるくるよく動くかわいらしい動作に反して、
話の内容は…僕には残酷だった。

5話

「じゃあ…僕は」
データはあまりにもあっさりと頷いた。
「言いにくいけどね…もうとっくの昔にリセットされたはずなんだ。
新しく再生されたトリッガ―を拾って育ててくれたのは、
昔有名なディグアウターだったらしいバレルさん。
『ロック』って名前を付けて、孫娘のロールちゃんといっしょに育ててくれた。
ロールちゃんの両親もキミを差別しなかったよ。
実の娘と変わらないほどの愛をそそいでくれた。
十四年間、キミは『ロック』として育った。
ロールちゃんの両親が失踪してからは、ロールちゃんとバレルさんと
三人でディグアウターとして働いてきたんだよ。…この、フラッタ―号でさ」
データはぺんぺんと、壁をたたきながら言葉を締めくくった。
そんなの、知らない。僕は…ロックマン・トリッガーで、
あのロールとかいうデコイの少女のことなんか、なにも…。
(うっ…?)
僕は思わず頭をかかえた。映像がフラッシュバックしていく。
これは、ロール…ちゃん?やめろ!なんで、なんできみは泣いている?
…なぜ…こんなにも胸が痛い?!
「トリッガー、さっき気を失っている間に調べた。
キミは、フラッター号の甲板から落っこちて今だ意識が戻らないでいる本来の人格
『ロック』が、自分自身の体をカラッポでいさせないために、
急きょ拾い集めた『トリッガー』の人格と記憶のカケラでしかないんだ」
「・・・・・・・!」
その言葉は、妙にするすると僕の心に染み込んだ。頭のどこかが、「そうだ」と言っている。
…そうなのか?僕は、もう…トリッガーでなくて…。
「キミはリセットされ残ったトリッガーの不安定なカケラにすぎない。よくもって三日かな、
それくらいでキミは消える。『ロック』が目を覚ますから」
やけに複雑そうなデータの顔。データの気持ちはなんとなくわかる。
データはある意味僕の分身でもあるのだから。
「…わかった。僕は、今は『トリッガー』だけどあと少ししたら僕の知らない僕…
『ロック』に戻ってしまう。そういうことなんだね?」
データは無言でうなずいた。
「あのデコイの少女にも説明したほうがいいのかな」
「ウキ」
(安心させてあげるくらいにはねー。したほうがいいと思う)
「そっか」
「ウキッキ」
(そうそう。…あ、ロールちゃんたち来たよ)

6話

僕はそっと、開いたドアを振り返る。
『トリッガー』の記憶には無い二人のデコイ。
だけど、『ロック』には…きっとすごく大事な二人。
少女は老人を不安げに見上げ、老人は彼女を安心させるように優しくその肩に手を置いた。
…『ロック』にとって大切なこの二人を傷つけるようなことは、絶対にしてはいけないんだ。
となぜかその時確信した。
そして、三日間無事に彼女達を守らなければいけない、とも。
…理由はまったく不明だったけど。
「だいじょうぶ?ロック、さっきおじいちゃんに話したら記憶喪失じゃないかっていうの。

 それで…もう一度確かめに戻ってきたら、なんかデータが部屋に入れてくれなくって」
ちらりとデータを見る瞳が不安に揺れている。
口元にうかぶ微笑みも心の不安を無理やり押さえつけているようで、
見ている僕のほうが…つらい。
「ほんとに、わたしのこともおじいちゃんのことも、覚えてない?」
「…うん、ゴメン」
静かに成り行きを見ていた老人が、あたたかな笑顔をみせた。
「ロック、あやまることはないぞ。記憶喪失は本人の過失ではないからのう。
ロールも気楽にかまえることじゃ。…難しいのは、記憶がいつ戻るかがわからんことくらいじゃな」
「そうだけど…」
それが一番不安なんじゃない、と言いたそうにロールちゃんが肩をすくめた。
「データが言うには、だいたい三日くらいで元に戻るって」
老人…バレルさん(だろう多分)が、ほほう、と呟いてデータを覗き込む。
そのバレルさんを見下ろしてからロールちゃんが眉をしかめた。
「そうなの?データ」
データは二人に注目されたことで有頂天になったらしい。
どんぶりみたいなボディーをふんぞり返らせて、ふふん、と得意そうな鼻息を吹いた。
「ウキィ!!」
(そう!!)
かくかく頷いてみせる。
「う〜む。データはわしらよりロックのことを理解しているみたいだからのう…」
「そうね…ちょっと不安だけど」
データはその二人の反応に不満そうな顔をしたけど、それで二人は納得したみたいだった。
「じゃあ、わたしはロックが落ちたときに壊れちゃった手すり、修理してくるね」
(え?)
「わしは部屋に戻って研究の続きをせねばならんのじゃが…ロックよ、ひとりで大丈夫じゃな?」
「え?ええ、まぁ…」

7話

僕は思わず、そんな間の抜けた返事を返してしまった。
どうなってるんだ?ロールちゃんが最後に見せた笑顔なんてまぶしいくらいにピッカピカ。
さっきまでの不安の影なんてどこにもない。
…仮にも家族ならもうちょっと心配しそうなものだけど。
データが隣でぼそりとつぶやいた。
「ウキ…」
(二人ともロック関係のトラブルには慣れっこだからね〜。
もう何が起こってもあんまし驚かないみたい)
僕はデータを見下ろした。
「『ロック』って、あのデコイ達に嫌われてるってことは…ないよね?」
データはしらじらしくあさっての方をむいて、お得意の手をくるくる回すポーズをとった。
「ウキィ〜ウキャー」
(世の中には〜、知らないほうがいいこともあるらしいよー)
「…そうなのかな」
…僕の『家族』に関する概念のメモリーが間違っている可能性もある。
深くは考えないでおこう。


「なあデータ、聞いてもいいかな」
それから二時間後、僕はひととおりフラッタ―号の中を見終わったので、
ちょうどどこかの島に停泊しているらしいし、外に出てみよう…と、思っていたはずなんだけど。
気が付けばここはなぜかキッチン。
「僕、何をしているのかな」
「…ウッキー」
(自分でもわかってると思うけど、右手にフライ返しを持って、
 左手にフライパンを持っているんだと思うなー)
そういうデータは、少し離れたシンクの横でお皿を持って立っている。
お皿の上では、たった今調理が終わったばかりといった風情のエビピラフが、
美味しそうな湯気を上げていた。
…彩りとして添えられたミニトマトとパセリが心憎い。

…こんなの、いつ誰が作ったんだろう?僕は首をひねった。ロールちゃん?
…いやまさか。それはないな。根拠はないけど、それだけは絶対無い。

ふと、目に入るフライパンとフライ返し。
まだ使用直後のように熱い。それを持っているのは僕。
…僕が?!

8話

「ハハハハハ、まさか!僕が料理なんてするはずないじゃないか!」
思わず声に出して笑ってしまう。そもそも僕は『食事』を取った経験が無い。
ヘブンでは資料・情報としてしか料理や食事は存在しない。
ヘブンの住人はマスターも含めて食事を取らずに生きてゆける。
老いも死も病も飢えも乾きも無い世界
……それこそが人の思い描いた『天国』、ヘブン。
ヘブンはそうあるべく作られ、事実そうだった。
『ロック』はともかく、今の僕『トリッガー』は料理のことなんてかけらも知るよしが無い。
「ウッキャ」
(習慣ってのは怖いねー)
やたら感慨深げにデータがうんうんと頷いた。
「え?」
「ウッキィ…ウキキ」
(記憶が無くてもついからだが動いちゃうんだねー。ロックは毎日
 …みんなのごはん作ってたんだ。ちょうど今、お昼だし〜)
僕はよろめきながら振り返った。後ろのテーブルの上には、
清潔な赤いチェック柄のテーブルクロスが広げられ、
すっきりと背の高い花瓶が中央に乗っかっていた。
花は新鮮で新しい。
その花瓶の周りを囲むようにして、同じピラフが二つ乗っかって…
「ええええええええええ?!」
これを。
僕が?!
…なあ『ロック』、きみはいったいどういう生活をしてたんだよ…


 他にもフラッタ―号内には『ロック』の痕跡が多く見受けられた。
トイレやお風呂を見ればいきなり訳も無く掃除がしたくなり、
流しに沈んでいる皿を見れば洗いたくなって、
僕は恐ろしくなってその場を逃げ出してしまった。
『自分の部屋』が金属板むき出しで殺風景なのはいいとして、
クローゼットを開けたら黄色いエプロンなんかが入っていた時は
思わず目の前がまっしろになった。

9話

もうひとりの自分が背後からひたひたと忍び寄ってくるような、嫌な気分。
「…はぁ」
フラッタ―号の甲板の上に座りこんで、僕はがっくりうなだれながら溜め息をついた。
カオカオと鳴きかわしながら、見上げた空をカモメが横切ってゆく。
…フラッタ―号の中には入りたくなかった。また知りたくも無い事実が出てきたら
…と思うと、どうしても中に入る気になれない。
ロールちゃんやバレルさんにも…実を言えば顔をあわせたくない。
彼女達の存在は、今の僕『トリッガー』を芯から消し去ってしまう…そんな気がして。
(『ロック』はあの人達といて、しあわせなのかな?)
ふと考えてしまう。
データの話ではディグアウターとして『ロック』は一番危険に身をさらしているらしい。
…まだ『トリッガー』としてのメモリーはデータの中だけにあって、
一等粛清官の時に身に付けた高い戦闘スキルを、『ロック』は使えない。
遺跡の中には、決してデコイの身では生きて帰れないほど強力な
リーバードが配置されている所もあったはずだ。
僕はあごに手をやり、難しい顔で空をにらんだ。
あのデコイたちに、いいように使われてる…ってことはないよなあ。
「ロック、どうしたの?こんな所にいたら、また落ちて頭打つかもしれないよ?」
「うわわわわっ?!」
誰もいないと思っていたのに、甲板の外側のふちからロールちゃんがひょっこり顔を出して、
僕は驚いたひょうしに手に持っていた工具をバラバラ床に落としてしまった。
「…何してたの?」
上に登って来ながら、彼女は不思議そうにこちらの手元を覗き込んだ。
どうやらフラッタ―号の外壁で何か作業をしていたらしく、手袋がオイルで汚れていた。
…よく見れば、腰に命綱を結んでいる。
「いや、その…ちょっと武器を手直ししようと思って」
言いながら、言い訳をするように僕はがちゃがちゃと工具を拾いなおした。
…だって、いくらなんでも言えないじゃないか?
「君たちに会いたくないから」なんて。
(武器を直していたのは本当だし)

10話

「手直しって…ロック、機械苦手だったよね?」
たちまち警戒した目でロールちゃんが僕を見た。
深い疑いが、ありありとその顔に表れていた。
…僕はなにか、変なことを言っただろうか?
「苦手?…変だな、どっちかっていうと得意なんだけど…」
データを作ったのは僕なんだから、機械が苦手なわけは無い。
それに、自分で自分の面倒を見られなければヘブンでは代わってくれる人なんていないし、
必然的に機械には強くなる。
「自分の武器の面倒くらい、自分で見ないとね」
笑ってみせたが、予想に反してロールちゃんはこわばった顔のまま、びくっと身を引いた。
「ロック…あの、…ううん、やっぱりなんでもない」
一瞬、ロールちゃんは何かを言おうとしてやめてしまった。
その顔がどこかさみしそうで、悔しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか。
「どんなの作ってるの?見せて」
「うん、いいよ。もうできあがるから…はい」
最後のネジを締めてから、ロールちゃんに手渡す。
それは腕にはめて使うバスター系の武器だった。
彼女はそれを受け取り、意外と真剣にひっくり返したり覗き込んだりし始め、
その表情はそれにつれてどんどん険しくなっていった。
「ロック…これは?」
押し殺したその声はかすれていて、なぜか悲鳴にも聞こえた。
深いエメラルド色の瞳が、内でせめぎ合う感情のあまりの強さに、わずか震えている。
「え?」
予想もしなかった反応だった。
僕はただ、『特殊武器』とかかれた棚においてあったもののうちから
最も威力が高そうなのを選び、船内にあったガラクタで改良しただけだ。
威力、射程距離ともに元の三十倍程度にあがったが、材料がしょせんガラクタでしかない。
そのせいで一、二発の発射にしか素材が耐えられそうも無かった。
…つまり、早い話「失敗」。
きっとこの失敗がばれたんだ。それで、この少女は怒っている。
「え〜と…すいません。ちょっと失敗しちゃって、発射の反動に素材があまり耐えられない…」
「ちがう!そんなんじゃないの!」
首を横に振って、ロールちゃんは突き飛ばす勢いで武器を僕につき返した。

11話

「うわったった…!」
取り落としそうになって、僕はやっとのことで床すれすれで受け止めた。
僕の安堵の溜め息と重なるように、静かなロールちゃんの声が頭上に降ってきた。
「…なんで?どうなってるの?!…わかんないよ
 …今のロック、ロックじゃない気がする。記憶喪失とかじゃなくて、
 もっと別の…わたしの知らない他の…誰かみたい」
「…え」
(気付いた?)
僕が身を起こすと、ロールちゃんはハッチに向かって後ずさっていた。
その顔は、不信と恐怖に曇っていて、僕はその瞬間、信じられないほど胸が痛んだ。
…どうして?
「ごめんねロック、わたしだってロックを信じたいけど…どうしても、だめ」
「そう…なんだ。でも、なぜ」
「…その武器。わたしには理解できない。
 …まるで、人が作ったものじゃないみたいで、すごく複雑で高度なんだもの。
 …ロックを信じられない、こんな自分なんて大嫌い!だけど、でも…。
ムジュンしてるよね、わかってる。わかってるけど!…ごめん、ロック」
…パタン
無機質な音を立てて、全てを拒絶するように金属のハッチが彼女を飲み込んで閉じた。
僕は、再び原因不明の痛みにうずく胸を押さえてふらりと立ち上がった。
フラッタ―号の甲板の上は飛行船発着場の中でもぬきんでて高く、
周囲を囲む町並みが一望できる。
マンボウの形をしたフラッター号のシッポのむこうには、
夕日を映して金色に輝く海原がどこまでも穏やかにうねり広がっていた。
「ロールちゃん…」
吸い込んだ風は潮の香りがして、心の中をなにか熱いものでいっぱいにしていった。
どうしようもなくさみしくて、いらだたしくて、叫びたいほどもどかしい。
…なにより、今までに感じたことが無いほど悲しくて。
いつの間にか両手を握りこぶしにして、
力をこめていたのに気付いて、僕は右手を開き目の前にかかげた。
…こんな時でさえ、頑強なアーマーが体を覆っている。
「データ、僕が『ロック』になっちゃうのはあさってだったね?」
「ウキッ?!」
(え゛っ?…いるの気付いてた?!)
きまり悪そうにデータがハッチから顔を出した。
「あたり前だよ。…気配でね」

12話

手を下ろせば、もう夕暮れから夜空へと変化したあいいろの空にぴかりと一番星が見える。
「ウキキャ〜」
(うん、多少の誤差はあると思うけどあさっての昼…それくらいだよ〜)
弾むようにこちらに近寄ってきたデータは、
僕の顔を見上げて心配そうにしっぽを丸めた。
「ウキャ…?」
(もしかしてトリッガー、このままフラッター号を降りようって、思ってる?)
「うん。今はあの子と同じ場所にいたくないんだ」
データは何も言わなかった。つくりものの瞳は、
いつもは言葉以上に雄弁なのに、今は何も語りかけてこない。
「僕が『ロック』に戻るまで、ここには帰らない」
僕はデータに背を向けて、フラッタ―号の手すりの上に立った。
幅は5cmも無い。ロールちゃんが命綱をつけて作業していただけあって、
高さも三階建てのビルくらいは軽くある。
吹き上げた風が前髪を全部逆立てて通り過ぎた。
…だけど、僕もだてに戦闘をくぐりぬけて来たわけじゃない。
不安定な足場も高さも風も、僕の姿勢を揺るがすにはまるで足りなかった。
「……ウキィ」
(ロールちゃんは、哀しむよ) 僕は振り返らなかった。
ロールちゃんの悲しげな顔を思うと、ぎゅっと胸が痛くなる。
…だけど。
「データ、僕は…何といわれても、今の自分を『ロック』とは思えない。
僕は『トリッガー』…そうとしか」
うつむいて、金属のアーマーに包まれた自分の体を見下ろす。
それは、青い色をしていた。
僕の好きな青い、空の…地球の色。
「あの子は『トリッガー』である僕を知らない。おまけにその僕はあとたった三日で消える。
…だったら、あとに障害を残さないためにも、『トリッガー』はいない方がいい。いない事にする」
「ウキキッ」
(わかったよ、ロールちゃんとバレルさんはボクがみてる)
振り返ると、データは丸い手をくるりと回してうなずいた。

13話

「うん、頼む」
僕は振り向かずにうなずいた。
そしてそのままデータと、フラッター号と、海に背を向け、ジャンプする。
・・・タンッ
踏み切り音を耳に残して、フットパーツに強化されたジャンプ力で軽々と体が上昇してゆく。
さあっと町並みが下へ流れ、肺に心地よい涼しさの大気を吸い込んで、僕は空を見上げた。
いつの間にか、そこは降るような星空。このまま飛んで行けそうな気がする。
宇宙へ…そして、ヘブンにさえも。包み込む浮遊感の中で、懐かしい言葉がポンと跳ねた。
(…故郷〈ヘブン〉)
思い出せそうで、思い出せない。手を伸ばしても、もう…自ら捨てた天国には届かない。
跳躍は飛翔にはならなかった。重力の触手が再び、僕にからみつく。
消えてゆく浮遊感。
―――スタッ。
飛空船発着場の建物の影に着地した、ちょうどその時、
フラッター号の上でハッチが開く音がした。
「あの、さっきはちょっと言い過ぎちゃった」
…ロールちゃんだ。僕は目立たないよう、その場にしゃがんだ。
不用意に隠れようと動けば金属製のアーマーが騒音を立ててしまうので、そのまま息を潜める。
少し間があってから、ロールちゃんの不安そうな声が響いた。
「…ロック?さっきまでここにいたのに」
パタパタと軽い足音がして、彼女のシルエットがしばし甲板を動き回った。
…僕を捜して周囲を見回す頭の動きに合わせ、金の髪が月光にきらめいた。
「ねえ、データはロックの行き先知ってる…よね」
「ウキィ…」
(教えられないよ、…ロールちゃんのためだもん)
ロールちゃんには、データの言葉はわからない。だが、雰囲気で悟ったのだろう。
「…やっぱりわたしにはデータの言葉、わかんないか。
 …その顔は知ってるけど教えないって感じだけど、…そう?」
「・・・・・・・」
「もしかしてロック、二度と帰らないってことは無いでしょ?」
「・・・・・・・」
「そうだったら、どうしよう。…ロック…」
ロールちゃんはその後、だいぶ長く外を眺めていたみたいだった

14話


「じゃあ…戻ろっか」
「ウキ」
ロールちゃんとデータはフラッター号に入っていった。

 それを見届けてから立ち上がった僕も、なぜかしばらくフラッター号を見つめてしまった。
最後の言葉が少し湿っているように聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。


 その夜はフラッター号から持ち出した灰色のマントを着て、
僕はそれにくるまってどこかの建物の屋上で眠った。
後から思えば、眠りに落ちるのは驚くほど早かったと思う。
目を閉じるのとほとんど同時に、睡魔が意識を闇へ引きずり込んでいった。

―――ドクン。
…え?これは、何だ?
―――ドクン。
漆黒。鋭く。強大な。遥かなる天上に。眠って。…ああ違う、待ってるんだ。
―――ドクン。
時を。…そして今。
(目覚めた?)
―――ドクン。―――!

「うわあっ?!」
僕は飛び起きた。全身がガタガタ震えて、寒気を覚えるほど汗をかいている。
震えの止まらない身体を自分の腕で抱きしめた。…怖い。怖い!

 何がどう怖いのかもわからず、ただもう意味も無く心がおびえている。
「何で…こんな夢を」
苦く心の中で続ける。悪夢におびえるなんて…なさけない。小さい子供じゃないのに。

 少し落ち着いて周りを見れば、いつのまにか街は朝焼けのオレンジ色に染まり、
そこここで早起きのスズメがにぎやかにさえずっていた。
ほんの短い間しか寝ていないと思ったのに、どうやらしっかり一晩たっていたらしい。
 僕は跳ね起きたひょうしに落ちてしまっていた灰色のマントを、なんとなくたぐりよせた。
 …あれは何だったんだろう。
ただの夢と言いきってしまうには難しいほど、嫌なリアリティがあった。
「冗談じゃない」
僕は立ち上がった。―――本物なんかであるものか。あんな…不吉な夢なんて

15話

(―――本物なんかであるものか―――)

その思いをあざわらうように、それは目覚めた。
そこははるかなる天空。
かつて、ヘブンと呼んだ者がいた。今もそう呼んでいる者も、いるだろう。

それは、鋭い両眼を開き、うっすらと亀裂のような微笑を浮かべた。
それにはわかっていた。いまこそ、与えられた命令を果たす時なのだと。
行くべき場所も、やるべき事も、記憶の中であきれるほど鮮やかだった。

『ロックマン・トリッガーの破壊』

もう一度心の中で確認して、
立ち上がる。
命令の遂行に、かけらほどの迷いも彼は抱かない。

<第一章、完>


transcribed by ヒットラーの尻尾