15.…酔ってる(雨夜の月)
「この惨状をどういうことか簡潔に説明していただきたいのだが?」

とりあえず一人だけまっとうそうな人間の衿を締め上げながら詰問する。

「僕の、僕のせいじゃありませーーーーーーーーーーーん」

今にも泣きそうな義理の兄を打ち捨て、再び惨状現場を一瞥する。
転がるビール瓶、中途半端に残った焼酎ビン、食べ散らかしたであろう宅配ピザの箱。そうしてうっとうしくも狭い部屋の中に転がる物体二つ。
琥珀と、姉さん。
いや、何かこう血の繋がりを感じさせる関係を口にするのすら嫌になる。
相変わらず和服で白いエプロンをかわいらしく締めた琥珀が大の字になって四隅の一つを占拠し、その対角線上には姉さんがヨガをしているとしか思えない格好で眠りこけている。
当然二人とも泥酔しており、むせ返るような酒の匂いに、ここが畳の部屋だというのを忘れて、バケツの水でもかけてやりたい気分だ。

「だいたい、廉の授乳はいいのか?」
「はいぃ、それはもう離乳は済みましたし」
「いや、そういう問題でもないような気もするが、廉本人は?」
「すやすやと翠さんのお部屋で寝てますぅ」
「どうして私の部屋で!」
「そこが一番安全ですから」

ひくつくコメカミを抑えながら、訴えかける義理兄を蹴り倒したくなる衝動を抑える。
確かに私の部屋ならば何人たりとも入れさせない自信はあるが、廉の安全と自分のプライベートをはかりにかけ、やっぱり一発殴っておこうかと兄さんを睨みつける。
本能で悟ったのか、びくっと後退りして、だらしなく倒れている琥珀にぶつかる。
安眠しているのを起こされたせいなのか、琥珀の左手が勢い良く持ち上がり、勢い良く振られる。
やっぱり、というのか、案の定というのか、あっさりと琥珀の左手に殴られた義理兄は、泣きべそが、完全な泣き顔になって這いずるように姉さんに近づき、姉さんにすがりつく。

「紫さん、紫さん、帰りましょうよ、もう嫌です、あなたの料理も妖怪も、いやなんですよーーーーーーーーーーーー」

良くわからない、だけれども思いっきり本音を吐き出しながら、義理兄さんが本格的に泣き出す。
うんざりが累積赤字のように塵つもり、障子を開けて、廊下の窓すら開けて、庭にたたき出したくなる。

「ひょっとして、兄さんも、飲みました?」
「酔ってませんよ、酔ってません、全然酔ってません」

酔っ払い定番のセリフを繰り返し、良く見るとうっすら赤くなっている頬をさらに赤くする。
とりあえず見なかったことにして、後ろのフスマを閉めて、いなくなろう。
踵を返したとたん、足元を何者かにつかまれる。
勢い良く引き抜き、力の限り踏みつける。
ふぎゃ、っというつぶれたかえるのような声がして、よくよく確認をすれば、何かを掴むような右手と、うつ伏せになった琥珀が足元に転がっていた。

「起きたのか?」
「ひーどーーいーーでーーすぅぅぅぅぅ」
「やかましい、一体全体何がどうなってこんなことになったんだ」

通常我が家には酒は常備されていない。
私が未成年、ということもあるが、琥珀自身が余程自信作のおやつ以外口にしないこともあって、それを飲む人間がここには生活していないからだ。
だがしかし、琥珀の後ろには山のような空き瓶が。しかもアルコール度数の高低はともかく、どれもこれもすべてお酒と呼ばれるものばかりだ。

「らって、このおばさんが」
「なんですって!」

すっかり意識がないと思った姉さんががばっと起き上がって琥珀を踏みつける。

「誰がおばさんですって?ええ?誰がおばさんですって!」
「姉さん……、反応するのはそこですか?」
「あたりまえじゃない!この妖怪変化にどうしてプリティーな私がおばさん呼ばわりされなきゃいけないのよ!」
「とりあえず後ろで泣いてる亭主をなんとかして、っていうか、気が付いたのなら片付けろ」

縋りつく琥珀を振り切って、やっぱり見なかったことにする。
ふすまの向こうの阿鼻叫喚は、聞かなかったことにしよう。
私って大人だ。
次の日琥珀を除く大人二人がげっそりとした顔をしてそれでも食堂へとやってきた。
琥珀特製の朝食を涙ぐみながら食べる兄さんを横目に、やっぱり昨日のあれは本音だったのだとくだらないことを確認する。
結局のところ、どうして酒盛りになったのかはさっぱりわからず、嵐のように姉一家は去っていった。

「琥珀、お酒飲めるんだな」

食後のお茶を口にしつつ、のんびりと香を楽しむ。

「ええ、大好物ですよ」
「そっか、それは知らなかった」
「だから、翠さんが大人になるのを心待ちにしているんですよ」

にっこりと笑った琥珀に、暖かい気持ちがわきあがる。
それは私が二十歳になっても、琥珀がこの家にいてくれるという事だから。

「きっと、いえ絶対ほろ酔いの翠さんはかわいくって、色っぽくって、もう、食べちゃいたいですぅ。もう絶対絶対あんなおばさんとは違います、断固違います!」

素直じゃない私は、琥珀の言うことに肯定もできずに、その後の軽口に苦笑いする。
琥珀などいなくとも大丈夫、という冗談を口に出来ないほど、今の私は、一人になることを恐れている。

「学校行く」
「はーい、行ってらっしゃい、気をつけてくださいね」

その声を聞けば安心をして、私は振り返らずに前へ進める。

学校から帰れば、昨日と同じ惨状が繰り広げられ、思いっきり朝の感傷を否定したくなる。
この現象は義理兄の父親がもらったお中元が底をつきるまで繰り返されることとなり、私はうんざりを通り越してためいきをつく。
少し酔っ払った琥珀はかわいいかもしれない、などと思ってしまった自分を叱責しながら。


6.21.2008update/10.25.2008再録
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