20.泣きはらした目で笑う君
「なんでもない」

年の割には大人びていて、だからきっと彼女は大丈夫だと母親ですらその存在を大人のように扱っていた彼女の口癖。その言葉の中に、色々な意味が含まれているのだと気がついているのは自分だけだ。
明らかに泣いていたとわかる目元を必死でこちらの視線から逸らしながら、そうやっていつでもなんでもない風を装う。小学校に入る前の子どもだとは思えない程のプライドで、彼女は本気の泣き顔を周囲に見せる事はない。
そんなことに気がついているのも自分だけだ。

「どうして、晃さんはお父さんじゃないの?」

いつもとは違ってやけにこちらにくっついてくる晴香の一言が、ズキリと胸に突き刺さる。それは、たぶん、この年で父親扱いされたことへの衝撃からだろうと、納得しない自分自身のこころに言い聞かせる。

「……、お父さん、欲しいの?」

畳の上で胡座をかいて雑誌を読んでいる自分によじ登るようにして遊んでいる晴香に訊ねる。少し考えたのち、晴香は小さく頭を横に振る。柔らかく茶色い髪の毛がふわふわと顔の周りに舞い、思わずその髪に手を伸ばしたくなる。

「でも、お父さんがいないのは変だって」

大人の事情をよくわかりもしない子どもに吹き込んだ連中に、本気で吐き気がする。
きっと、子どもは理解もせずその言葉を晴香に浴びせ掛けたのだろう。この頃の子どもは、いや、それから先もずっとそう言う意味での親の支配下から逃れられることは稀で、だからこそ、親が忌避している物事は子どもにストレートに伝染する。
最近その数が増えているとはいえ、やや田舎に属するこの街で彼女の母親のようにシングルマザーは立場が弱い。まして、本人はそんな風評など耳にも入らず、相変わらず男をとっかえひっかえしているようでは、彼女達親子が周囲からどういう視線でみられているかは明白だ。
晴香自身はその容姿と素直な性格から、誰彼問わず大人たちにかわいがられる子どもだ。しかし、それすらも、ひいきだと子供達の間ではいじめの種にしかならないのかもしれない。
だからこそ、彼女にそんな心無い言葉を紡ぎだす子どもは多く、そのたびに彼女は泣きはらした目で笑っている。
今日も、どこぞのバカが相変わら能のない一言を彼女に吐き出したのだろう。

「俺がずっといるんじゃだめか?晴香」

子ども相手とは言え、そんなことを口にする俺はどこかおかしいのかもしれない。血縁すらなく、唯一あった義理の従兄弟同士という関係もとっくに解消されている。本来ならば、こうやって彼女の家に上がりこんで、アタリマエのような顔をして晴香と遊んでいる事そのものが有り得ない話だ。
だけど、いつだって、彼女が一人で泣いてないか、辛い思いをしているのじゃないか、と、心を砕くのは彼女の事ばかりで、気がつけばいつもこの家へと足は向かっている。その理由が何かは、自分ですらわかっていない。
当の晴香は、俺の提案ににっこりとうなずいたまま眠ってしまう。
長い睫毛をなぞり、涙の後をふき取る。
こんな風に泣かせないために、自分はそばにいるのだと改めて思う。
まだまだ軽い体重を両手に抱え、そっと彼女を布団の上におろす。
愛しいのだと、ただ、彼女が愛しいのだという感情が湧きあがる。
これが父性愛なのか、ただ子どもを慈しむこころからくるものなのかはわからない。
だけど、きっと、俺はこの手を離せない。
ただ、それだけは確信することができる。
それをどんな風に罵られたとしても。


7.20.2007update
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