大人は子どもを侮っている。
子どもだからわからない、子どもだからこんなことは考えないだろう。
少し前まで自分たちも子どもだったくせに、そうやって簡単に「子ども」という言葉でくくって、そんなはずはない、と、思い込む。
無邪気な笑顔の下で、色々な思いが渦巻いている事も知らずに、僅かな違和感もすぐになかったことにしてしまう。
だけど、それを利用して、ずっと安全なところに立ちつづけようとしている私は、ずるい子どもだ。
体が大人に近づいて、それでも子どものふりを続けて、いつしか二人の間には大人と子ども、という見えないけれども確固とした役割分担が出来てしまっている。
それを嫌だとも、壊そうとも思ってはいない。
ただ、少し息苦しく感じるだけ。
とても、ずるいことだとわかってはいるけれど。
「……ありがとうございます」
毎年恒例のように与えられたお年玉をしげしげと眺める。
かわいらしい袋に入ったそれは、晃さんが用意したかと思うと、別の笑いがこみあげてきそうで、必死になってかわいらしい笑顔を作りつづける。
それを見て満足そうにこちらに微笑み返す晃さんを見て、ちくりと胸が痛む。
気がひける。
一言で表せばそういうことで、いつのまにか恒例になってしまったこのやりとりを、少し苦手にしている。
晃さんは確かに私とは縁戚関係にあって、だけれども血のつながりはなくって、いつのまにか我が家に居候のように居着いてしまった人間だ。
最初はその目的がわからなかった。
奔放な母親が家を空ける代わりに、ずっと家に存在してくれた晃さんに感謝はするけれど、その本心がとても口に出していえるものではない、と、気が付いてからは、私にとっての晃さんは、気が抜けない相手となってしまった。
年の割には精神的な発達が早く、所謂耳年までもあった私は、晃さんの下心に早い時期に気が付いてしまったがゆえに、せめて肉体的な発達は遅くあってくれと願う日々を送っている。
もちろんその外見に似合うだけの幼げな精神面、というものをある意味みせなくてはならないし、頼りなさ過ぎていっそ一緒に住もう、と言い出されない程度の成長も必要。同じ年頃の女の子達がおよそ考えないようなやり取りを経て、私の言葉は晃さんに投げかけられる。
全ては自分のために。
「晴香は物欲がないからなぁ、せめてお年玉ぐらいは、ね」
あまりものを欲しがらない私は、何かを買い与えたくて仕方がない晃さんにとって、多少不満が残る存在らしい。
私としては、これ以上晃さんに貸しができることを避けたい、と純粋に思っているからであって、物欲がないわけではないのだけれど、それも余分な情報だから、私は決して彼に与えはしない。
水面下での微妙なやり取りを経ての、表面上での二人のやり取りはとても和やかで、誰から見ても微笑ましい親戚筋のオジサンと少女でしかありえない。
例え、どれだけ彼の心が黒く彩られていようとも、私の気持ちがどれだけ擦り切れていようとも。
私は笑う、何の曇も無いような顔で。
晃さんの絡みつくような視線に、何も感じないふりをして。
彼が何を望んで、私とどうなりたいのかを、わかりすぎるほど理解してしまっているから。
私は今も子どものふりを続けている。
だけど、時々息苦しくなる。
もう、子ども扱いして欲しくないのか、彼が思った以上に理解していることをわかってほしいからなのか。
その欲求は発作のように時々起こっては消え去り、その後にポツンと寂しい気持ちを置いていく。
「初詣、行こうか」
「はい」
当然のようにどこかへ消えた母親の変わりに、当たり前のように我が家にいる晃さんと、恒例行事のように初詣へ出かける。
いつもは人通りの少ないこの辺りも、ほろ酔い加減の大人たちがぞろぞろと神社の方向へと列を作っている。
それをみて、そっと晃さんが私の右手を握り締める。
保護者を気取った晃さんが、当たり前のような顔をしてこちらを確認し、はにかんだように笑ってみせる。
例え今、晃さんがどんな思いでも、この暖かさだけは本物だから、私は私の空っぽな偽者っぷりにあきれ果てる。
嘘吐きで、自分勝手な小娘に、いつか晃さんが愛想をつかさないように。
寒空の中、信じてもいない神様にそんなことを祈る。
そしてまた、私の嘘がもう少しだけばれませんように、そんなことも同時に祈りながら。
12.27.2008update