願い
 大学の連中が面白半分に俺の下宿先へと現れたとき、俺の部屋には目に入れても痛くは無い、ということわざがぴったり当てはまる従妹が、大人しく座りながら本を読んでいた。
毎週毎週当たり前のように晴香の家へと通い、彼女の一週間の出来事を聞きながら食事をする。
二十歳を越えた若者がそんな枯れた老人のような生活をしていることに、俺自身は何の違和感も持ちえていなかった。ただ会いたいから晴香の家へと遊びに行く、それは当たり前のことで疑問になど思ったことはない。
だが、そう思わない人間がいてもそれはそれであたりまえのことで、無駄に好奇心と行動力を持ち合わせた連中が、今日の下宿急襲、などという下らないイベントを引き起こしたらしい。
当然、門前払いをすることを真っ先に考えた。次には居留守だ。
だが、小学生だというのに妙に聡い晴香がそういう行いをすることを良くは思わない。おまけに、せっかく来てもらったのだからと、めったにない彼女の来訪を切り上げる、とまで言い出したのだ。
そんなことをさせるわけにはいかないと、渋々ドアの前で突っ立っている連中を招き入れる。
ワンルームでは晴香の姿は隠せようはずもなく、見せたくは無かったが当然彼らの視界に入っていく。他の男に見られたくない、という感情がどこから来ているのかがわかりかけている俺としては、ただそれだけで窓から連中を放り投げたくなるほど苛立たしい。

「あら、妹さん?」

男一人暮らしの部屋に小学生の女の子、というあまり想定していない出来事に瞬時にして対応したのはゼミの女連中だった。おまけに、その言葉にはある特定の意識がチラチラと見え隠れしている。
本を脇へと置き、彼女が立ち上がりながら挨拶をする。

「従妹の晴香といいます。今日は宿題を見てもらう約束でお兄さんのところにお邪魔しています」

誰がどこで教えたと言うわけではないのに、彼女はすでに大人並の挨拶をすることができる、おまけに社交辞令や方便まで加えて。
今日も、別に宿題などをやる予定などはなく、ただ面白い本が手に入ったからと、餌を使っておびき寄せただけだ。晴香の家で過ごす時間もいいものだけれど、自分のテリトリーの中にいる彼女の姿もいいものだと、あまりこちらへは来たがらない彼女を誘い出すのには苦労をした。
それが、今、こいつらの思いつきのせいで時間を刻一刻と無駄にされようとしている。

「しっかりしてるなぁ。ホントにお前のイトコ?」
「ああ、まあ」

彼女と俺は一滴の血のつながりもなければ、今では何の関係もない真っ赤な他人だ。だからといって、そのことをこいつらに知らせたいとも思わない。そのアタリのところは晴香にしても悟っているらしく、曖昧に微笑んだままだ。

「それにムチャクチャかわいいし」
「…」

そんな当たり前の事を他人が口にだして言わなくても、俺が一番身に染みてわかっている。
造作で言えば、そこで晴香に不躾な視線を送っているゼミ仲間の方がたぶん上等だ。だが、晴香のかわいらしさは、その醸し出す雰囲気によるところが大きい。だからなのか、彼女は大抵の教師には好かれるし、近所のおばさん連中にもやけに受けが良い。例外なのはこういう欲求不満を抱えたような独身女性ぐらいで、その場合は彼女に非がなくとも相当辛く当たられるらしい。おまけにそれを周囲の連中がやけに庇うものだからますます相手の態度はエスカレートしていくようだ。無論そんなことになる前に打てるだけの手は打つのだけれど。
今回もまるで晴香が触媒のように働いて不愉快な反応をおこす人間がいた。
前々から俺に気があると、あからさまに態度に出ていた女だ。
あまり周囲に興味の無い俺が気がついたのだから、とっくの昔に周知の事実となっていたのだろう。だが、一向に靡かないどころか誘いにすら乗ってこない俺に痺れを切らして、周囲を巻き込んだのだろう。
ほとんどのゼミ仲間は俺の部屋の中を見ただけで満足し、お茶一杯でるわけでもない状態に飽きはじめている。
だが、たった一人明らかに敵意のこもった目で晴香を見つづけている彼女だけは、その場から動こうともしない。

「いや、ごめんごめん、あんまりにも俺らの誘いを断るからさ、ちょっと興味を持って」
「悪いけど土日はバイトやこうやってイトコの面倒をみないといけないからさ、たまにだったらいいけど、これからもそうちょくちょく誘いにはのれない」

たまに、ですら応じるきはサラサラないけれど、とりあえず社交辞令的挨拶に徹する。

「っていうか、なんで晃君が子どもの面倒をみなきゃいけないわけ?」

悪乗りにのっかっただけで、それほど人のテリトリーに踏み込む気はなかった他の連中がギクリとする。

「それはあなたには関係の無いことだと思うけど?」

いい訳をするならば、晴香の家庭環境のことを言えばいい。納得するかしないかは別として、もっともらしい要素ではある、と思いはする。

「でも!」
「でも?それで何?」

情容赦なくそれ以上のコンタクトを拒む。
その間晴香はかわいらしいく首を傾げながら、こちらの様子を窺っていた。
これ以上ないという程空気が悪くなったこの場を、逃げるようにしてゼミ連中が帰っていく。最後まで抵抗を見せた彼女も、同期の男女に無理やり両腕を引っ張られるようにしながら連れて行かれた。

「晃君って、ロリコンだったんだ」

そんな、言われたところで痛くも痒くもない言葉を残して。



 再び二人だけの空間へと戻り、俺はどっかりと本を読んでいる晴香の横へと座り込む。彼女が腰を掛けているのは彼女専用の座椅子で、彼女が大好きなピンク色をしたそれは、明らかにこの部屋の色調からは浮いている。

「ロリコンって何?」

穏やかな、だけどどこか心が落ち着かない状態へと戻った俺に、晴香が答えに窮する質問を投げかける。
元々知的好奇心が旺盛で、もっと幼い頃は「あれは何?」「どうして?」を繰り返してきた彼女の質問にはできるだけ丁寧に答えてはいた。
だが、あまりそういう俗な言葉に触れて欲しくは無い、という気持ちと、嘘はつきたくはない、という矛盾した気持ちが瞬時にして浮かんだ自分にとってはこれはとても難しい。
あからさまに困惑した俺に、晴香は微笑をして、再び本へと没頭していった。
そうやって先回りして悟ってしまう彼女が、どうしてまだこの年なのだろうと切実に神に恨み言を言いたくなる。
俗世間にまみれさせたくないのは本当のところで、だけど誰よりも俺自身が手折ってしまいたくなる衝動を抱えている。
それが、世間でどれだけ非常識な事だと罵られ様とも。
自分自身ですら認めたくない胸の底の思いとともに、彼女の近くにいられる今の立場に感謝する。
誰が何をいっても構わない。
ただ、彼女の側にいられさえすれば。


9.20.2007update
back to index/ Text/ HOME
template : A Moveable Feast