99.タブー
 私はどう贔屓目にみても美少女ではない。だけど、困ったことに適当にもててしまう体質だ。
偏執的な愛情を一方的に受けつづけている私にとって、申し訳ないがそんなことにかまっていられる余裕はない。どれだけ上手に隠し通せたとしても、僅かなカケラから私が持っている感情を嗅ぎ取られ、あの人に気がつかれないとも限らない。いや、絶対ばれる、なぜだかそう断言できてしまう。
しかも、それによって同性からの風当たりが強いとなると、平穏な毎日を送りたい私としては困惑する以外にない。
短い人生で学んだことだけれど、女の子達の中には、自分よりも格下だと認定した人間が男の子にちやほやされることを極端に嫌悪する人がいる。しかも、自分より上だと思っている人間がもてている分には、せいぜい陰口を叩く程度なのに、私のように「こいつ自分よりブサイク」だと思っている人間がうっかりもててしまうと、それこそ目に見えないところからわざとらしく目立つところまでイヤガラセの限りを尽くしてくれるのだ。もちろん、そんな人ばかりではないことも知ってはいるけれど、集団生活を行なう上では、ある一定数そういった人間が存在することは仕方がないことなのかもしれない。
狭いところに似たような年頃の人間が大勢押し込められていれば、大なり小なり軋轢が生じるものだ、なんて半ばあきらめてはいたのだけれど。
現実に、今目の前で起こっていることを直視すると、これはたぶん「イヤガラセ」というものになるのだろうな、と、水浸しになった上履きを見つめる。
たぶん、誰々ちゃんが好きな誰々君が、私を気に入っていたりするのだろうな、と、自惚れとも思われそうな推測が一瞬にして脳裏を掠めていく。
この前は、上履きを捨てられてたし、その前は教科書を破かれていたのだから、乾かせば復元できるだけ、今回のイヤガラセのほうがましかもしれない。例えその水がトイレの水であったとしても。
同級生達が遠巻きに、でも、ある種の思惑を撒き散らしながら、私の背後を通り過ぎていく。あの好奇心と達成感めいた思いを隠そうともしないで、幾重にも私の周りを取り巻いている人間の後ろで私という中心を見つめているのがわかる。
犯人は、あの人たちに近しい人なのだろう。
咄嗟に、そう判断する。
中学に入ってから数回あったイヤガラセの類でも、ああやってこちらを見下すような視線を寄越しながら私が泣き出すのを待っていた。
私は期待通りに泣いてみせた。今回ももちろん、泣いてみせる。
目に涙を溜めながら、少しハラリと涙が零れ落ちる程度に。
元々華奢で、あえてそう見えるように努力している私がそういう仕草をすると、高確率で私への同情が集まる。
それは同性も異性も関係なく、特に素直で優しい人ほど私をかわいそうだと思ってくれるらしい。おかげで、こんなにもひねくれているのに、私の周囲には優しい人間が多い。たまに、あまりの自分の腹黒さに、嫌気がさしてしまいそうになるほど。

「晴香君!!!」

誰が呼んでくれたのかは知らないが、担任教師が人込みをかき分けてやってきた。
人が良さそうな熱血だけが取り柄のこの教師は、なぜだかやたらと私を気に入っている。
この人もロリータコンプレックスなのかと勘ぐったけれども、どうやら私を妹か娘とみなしてピュアな気持ちで接してくれているらしい。
それはそれでその暑苦しさが苦手なのだけれども、こういう時の行動の素早さはありがたい。
この人は熱血なだけに、ものごとを隠密に行なうと言う事が苦手で、こんなちゃちなイタズラもものすごく大事になってしまうのが玉に瑕だけれど。
ずぶぬれの上靴をつまみあげ、大声で「誰だ、こんなことするやつは」と、周囲を見渡す。
そんなことで正直に手を挙げるようなやつが、こんな姑息なことをするとは思えないけれど、所詮中学生根が小心者なのか、あからさまに挙動不審の態度を取る者が2名。手を取り合って怯えている様は、犯人は私たちですと蛍光ペンキでぬりたくったようだ。
おまけに、タイミングよく誰かがボソリと「そういえば、今日はやけに早いんだね、二人とも」なんて、意味深なことを言う。
現場を見た、とも、何かを小耳に挟んだとも言わず、ただの世間話。だけど、小心者の二人にとっては現場を見られたも同然と響いてしまったらしい。
案の定、二人組に気がついた先生は周囲の視線などお構いなしにその二人へと近寄る。
怯えて逃げ出そうとする二人は、さらに怪しさをまし、彼のレーダーにひっかかってしまったらしい。
大声で詰問する先生と、それを見守る周囲の人間。
彼女達がやったという証拠はどこにもないけれど、周囲の人間は彼女達が犯人だと決め付けている。
違います、といったところでなかなか信用されなさそうな雰囲気の中、手を取り合った彼女達は、あっという間に仲間割れを起こし、どちらがやっただの、私は嫌だったのに、などと喚き始めた。
こんなにあっけなく白状するぐらいなら、あんなに陰険なことをしなければいいのに。
なんて腹黒いことを思いながらも、心配そうに3人を見守る表情だけは忘れない。
さんざん、私たちがやりましたとアピールし終わったあとに、おもむろに先生のところへと歩み寄り、あっさりと許しの言葉を吐き出す。
偽善だ。
偽善臭くて気絶しそうだ。
だけど、これ以上彼女達を追い詰めると、逆に私の立場がおかしくなる。こういうものは適当ということばをきっちりと当てはめないといけない。
真っ黒な私の心など知らず、「あいかわらず晴香君はやさしいなぁ」なんてにやけた顔をしながら、例の二人を解放する。
私にちょっかいをかけると、こういう目にあうのだと気がついてくれればいいのだ、ついでにこれからやろうとしている人もそのことを覚えていてくれると尚良い。
友人達に慰められながら、今日の一日がようやく始まる。
俺の上履きを代わりに穿いていていいよ、という、ありがたいのか、ありがたくないのかよくわからない申し出を蹴散らしながら。





なんだかんだと、イイコを演じまくって疲れきった体に、さらに追い討ちをかけるような出来事が飛び込んでくるものだ。 軽くコメカミを押さえながら、我が物顔で台所に居座り湯気にまみれている男の顔を睨みつける。

「何をやっているわけ?」
「何って、メシ食ってるんだけど」

メシというには貧相な食事、カップラーメンを貪り食べているこの人間は、母の今の彼氏だ。
今の、とつけないことには過去にも、きっと未来にも数多く存在しすぎて整理しきれない。
数々の男の中でも最悪だったのはたぶん私の実父で、それでも父は適当に女を搾取しながらも生きていく術を心得ていた強かな人間だ。それに引き換え、目の前にいるこいつは、何もかもいいかげんで、しかもそれを悪いとはちっとも思っていないもっとも軽い男だ。幸いなのは、実家が裕福なせいかお金に困ったことがないゆえの大らかさな性格をもつということだけだ。それが唯一のこいつの長所であり、短所でもある。

「母がいないときには入らないでって言ってあったと思うけど?」
「そうだっけ?」

へらへらと笑いながらも麺をすすっている。
あっさりと合鍵を渡している母は、こうやって私とこの人が二人きりになる、ということを想定しているのかいないのか。今までにも何度も危ない目に会っているというのに、そこらへんの危機意識は氷点下をはるかに突き抜ける女だ。

「それを食べたら帰って」
「へいへい、わかりました」

あっさりと、こんな小娘の言う事を聞くのにはわけがある。

「あんたに手を出したら、小うるさいのがでてくるし」

理由は、あの人。
私を偏愛している晃さんだ。
社会的立場も、頭のよさも、世間の受けもなにもかも兼ね備えた彼は、こういったときに防波堤としてとても役に立つ。
事実、私に手を出そうとした歴代の彼氏は、どういう方法かわからないけれども闇に葬り去る、とまではいかないまでも、それなりの報いを受けているらしい。特に体面を保ちたいタイプは晃さんにとっては攻撃しやすいらしく、そう言った人間は次々と墓穴を掘っていった。
それだけ、恋人の娘に欲情するあほが多いということで、そういうおばかさんばかりを選んで付き合っている母はそれを上回るのかもしれないけれど。

「あなたには守るものなんてないんじゃないの?」

いつもやる彼の手口では、この人はへこまない。
高等遊民といえば聞こえはいいけれど、言ってみれば無職でニートだ。つまるところ守るべき世間体がないということになる。

「言うね…一応俺だって、ヘンタイロリコンやろうってレッテル貼られるのはまずいんだけど」
「ああ、そういえば、実家が何代も続いた旧家だって言ってたわね。幸いなことにあんたの代で終わりそうだけど」
「やーー、君のかーちゃんと結婚すれば、子供なんてぽこぽこ生まれそうだし」
「悪いけど、子連れバツイチを歓迎するほど、あなたみたいな家は、現代的じゃないと思うけど?」

それに、一度の結婚と幾度もない男運の悪さで懲りているはず、いや、懲りていて欲しい。

「それに、なんだったら晴香ちゃんと結婚してもいいし。幼妻って男の浪漫だよなぁぁぁ」

どこまでが本気で、どこまでが冗談かわからないこの男は、ずずっとスープまで飲み干している。

「……葬り去られたい?」
「でも、今ここで食べちゃえば、後でいくら制裁受けたって関係ないもんね。初めては俺ってことになるし、俺結構自信あるんだよね、そっち」
「そう言う自己評価ほどあてにならないものはないって言うけど?」
「だったらやっぱり試してみないと」

今までもチラリと覗かせていた本能を隠そうともせず、じりじりとこちらへと距離を縮めてくる。
こういう場面に出くわすのはこれで何度目だろうかと、年齢に似合わない捻くれ度合いも、これでは仕方がないよねと、慰めてしまう。

「これ、何だと思う?」

さりげなく玄関の方へ陣取っている私は、所定の位置に置いてあるものを彼の目の前に差し出す。

「……ナイフ?」
「そう、しかもあなたのなんだけど。見覚えない?」

手癖がわるいといわれるかもしれないけれど、なぜだか見せびらかすように所持していた彼のナイフを拝借していたのだ。元々必要があってもっていたものではないから、それがなくなったことにも彼は気がついていなかったらしい。

「やだなぁ、晴香ちゃん。そんなものもちだしちゃって。人なんて刺せないでしょ?普通の女の子は」

普通の女の子なら、それはそうだろう。私としてもあまり気の進む作業ではない。

「こうしたら?」

うっすらと、本当にうっすらと跡が残る程度に首筋にナイフをあてる、もちろん自分の首筋にだ。ただそれだけでびびってしまったのか、青ざめた顔で言葉が出ないでいる。

「玄関の鍵、閉めてないんだよね。安普請だから声も響きやすいし。それにもうすぐこうるさいのがやってくるけど?」

ここで、何かを起こそうとすれば、私は自分を傷つけて騒ぎを起こすつもりだ。当然、その罪を全てこの男に押し付ける予定で。
頭が悪くないのか、どうして私がわざわざこの男のナイフを利用しているのかに気がついたのか、唇を噛み締めながら無言で走り去る。
本当に、これで何度目だろうかとため息をつく。
たぶんこのままあいつは遁走するだろうなぁ、と、捨てられた母親がやかましく泣き喚くことを想像しながらゲンナリしてしまう。





「大丈夫?」

念のため、”母の恋人が部屋にいて恐い”と素直なメールを打っておいたら、案の定なにもかも蹴散らして晃さんがやってきた。タイミング的には、私が小細工をしなくても間に合っただろう。不確定要素に全てをかけるほどの度胸はないから、これからもこうやって二重三重に安全網を張っていくつもりだけれど。
何も言わずにただ俯き加減でお茶を入れる私に、全てを察してくれたのか晃さんにどす黒い炎が点火する。さすがに首の傷を隠すようにハイネックを着てはいる。こんなものを見られた日には、冷静に復讐を突き抜けて晃さんが犯罪者になりかねない。
あの男に何ができるのかは子供の私にはわからないけれど、無駄な笑顔に少しだけ良心が咎める。

「一緒にご飯をたべるとおいしいですよね」

なんてことを言いながら、子供の笑顔で晃さんの前に座る。
色々なことがあった一日は、結局晃さんと一緒の晩御飯で終了する。
相手の男のことはとりあえず置いておいたのか、やたらとご機嫌な晃さんはおいしそうにごはんを消化していく。
なんとなく、本当になんとなくだけれども、こうやって過ごすのも悪くはない。そう思ってしまう自分がいる。
この世の中で絶対的に信用できる人間としてだけじゃなく、それ以外の感情が胸の中にあるような気がするのは気のせいじゃないのかもしれない。
今は、そのことには触れないように、そっとしておくしかないのだけれど。
2.5.2007update
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